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昨年上回る異常な経済冷え込み  下関 商店も観光施設も客来ず 

 リーマン・ショックから4年目を迎えたなかで、経済情勢がいっこうに上向かず、むしろその後の大企業や製造業の海外移転や工場閉鎖、労働者の首切りによって「経験したことがない大不況」は深まりを見せるばかりとなっている。下関市内でも夏場にかけて昨年よりもさらに経済活動が冷え込んでいることが各所で話題になっている。商店や飲食店、中小企業など各界に状況を聞いてみた。
 
 箱物散財続けている場合ではない 税金払える市民が減少

 市内で魚屋を営んでいる男性は7月の土用丑の日に購買力の変化を見た思いがしたという。これまでは早朝に思い切って70本程度のうなぎを仕入れ、朝から夕方にかけて店先に設置した炭火で焼いて完売していた。甘辛い醤油ダレの香ばしい匂いが広がると、吸い寄せられるように客がやってきたものだ。ところが、昨年から売れ残りが出始め、受注販売方式に切り替えた。今年は事前に客から注文をとった38本のみ限定で、しかもうなぎが高騰したために前年は1500円だった店頭価格が1本2500円に跳ね上がった。
 「3人で一緒に共同購入するお年寄りもいた。日常よりも少しだけ贅沢をして楽しむといった感じだが、あまり無理できない懐事情の人が増えている。うなぎも4~5年前からしたら半分しか売れなくなった。客が買わなければいくら仕入れても商売としては外れ。どれだけ仕入れるかの勘所が大切なのだが、あまりに変化が大きいので、他の魚にしても売れ残ることが増えている。腐っても仕方ないから最後は半値で売ったり、近所の惣菜屋に格安で提供してしのいでいる」と様子を話していた。とにかく客足が遠のいているのだ。
 大衆食堂を経営する男性は、以前は午前11時から夜の8時までぶっ続けで営業していたが客足が少ないので営業時間を二分割し、アルバイトもみな辞めてもらって家族経営の少人数体制に切り替えた。店を開けていても照明や空調にかかる電気代、さらにガス代などバカにならず、ならば無駄な時間を思い切り省いて“低燃費・高出力”の短時間勝負にかけているという。家族もパートなどで働きに出始めた。限られた時間の回転率を上げるために、以前なら置いていたスポーツ誌や雑誌も撤去した。その購入代金を稼ぐだけでも簡単なことではないのだと説明していた。
 「今は午前11時~午後1時30分の営業と、夕方は5時~8時のみ。ショッピングモールのような不特定多数の客が見込める飲食店やチェーン店はまだしも、個人経営の飲食店は常連さんが減ったらたちまちこたえる…。氷河期みたいだ。以前なら昼食に来ていた近所の会社員もコンビニや手弁当などで安くすませる人が増えている。知り合いの店は夜に居酒屋もしているが中国人研修生を入れ始めた。言葉がわからず彼女たちがメニューを覚えられないのと、店主自身も売れ残りを心配して、品数を主だったものだけにしたら逆に客が減ってしまった。苦しいなかでみんなが色色考えるが、生き残るだけでもすごく厳しい」といった。
 周囲の飲食店も時間限定営業にしているところがほとんどだ。
 「売れ残りが増え始めた」というのは飲食店や生鮮食品を扱う商店のなかで共通して語られている。以前と同じ調子で仕入れていたら、売れ残って現金化できないのが目に見えているという。次回来店につながればと、購入金額よりも多いパンを2~3個袋に詰めて客に持たせるパン屋。「売れ残っても仕方ないからね」といってお年寄りに惣菜を持って帰らせる商店などさまざま。「仕入れ段階で判断しなければならないが、今はその判断が難しい。あまりに量を減らすと、自分たちは何の商売をしているのかわからなくなる。棚の見栄えも悪いし…」と野菜や惣菜を扱っている店主の一人は、その難しさを口にしていた。販売量は明らかに減っているといった。
 あるかぽーと周辺の飲食店でも、今夏は昨年よりも格段に観光客が減っていることが話題になっている。海響館のペンギン効果があったのはわずか1年程度で、既に2~3割客足が減少したことも話されている。観光行政が仕掛けた屋台村も閑古鳥が鳴き、今後オープンするという遊園地も時代錯誤な感じが否めない。リーマンショック以前の計画をその後もゴリ押しして失敗する様を見せつけている。
 土産物店の販売員の女性は、「平日の人の少なさは異常。昼間に市役所の職員が健康作りの散歩をしているくらい。観光の街はとくに不況の影響を受けやすいのではないかと思う。季節にもよるけれど、知人がやっている土曜・日曜の市場の寿司販売も、以前の6割くらいの売上だといっていた。要するに半分に減っている。カモンワーフに敦煌が移転してきたが、みもすそ川の店舗はマンションに変わるそうだ。飲食店の入れ替わりも激しい」と語っていた。

 赤字経営で賃金遅配も 中 小 企 業 

 中小企業ではどこへ行っても「みんなどうやって資金繰りを回しているのだろうか?」と同業者の経営状況に対する関心が語られている。「年が越せるかどうか…」と苦悩しながら年を越してきて数年、賃金遅配であったり、手当なしが会社内で微妙な空気を作り出していることなどがあり、労働者も経営者も双方に複雑な心境が渦巻いている。
 「仕事が回ってきたり、声をかけてもらえるだけで幸せ。お客様は神様という言葉を今ほど身にしみて感じることはない」と語る経営者もいる。
 リーマンショック後に導入された金融モラトリアム法で、金融機関に対して借金の元本返済を猶予してもらっている企業も少なくなく、この時期になると「来年はどうなるだろうか…」と時限立法の行方を気にする声も出始める。地元金融機関の関係者の一人は「下関でも相当数の企業がモラトリアムでかつがつ生き延びている。時限立法がなくなればいっきに倒産しかねない」と心配していた。
 設計会社の経営者の一人は、世話になっている税理士が「下関の中小企業のうち70%以上は赤字経営」と明かしていたことに触れ「これだけの企業が税金をまともに払えないご時世に、増税などありえない」と国政に苛立っていた。7割の赤字企業で働いている何万人という労働者やその家族の生活を考えたら、なぜ下関がこれほど冷え込んでいるのかわかる、と指摘していた。
 「MCSもいつの間にか3000人いた工場が閉鎖になって、大企業がどこもあてにならない。下関ではブリヂストンが唯一元気がいいという話を聞いたが、タイヤ業界でも自動車タイヤはめっきりダメで、鉱山などで使う大型タイヤに特化しているから別次元でいけているのだとブリヂストンで働いている友人が話していた。大企業が国内を捨てて海外に出て行く時代に、中小企業はどうやって生き延びていけばいいのだろうか。雇用や経済の循環がこれまでとはまったく別物に変化しているような気がしてならない」と心境を語った。
 工務店の男性は、仕事は忙しいがまさに“貧乏暇なし”で、元請から受注する仕事の単価が年年切り詰められていると様子を話していた。「数十円単位の利益を仕事量を増やすことによって積みまして、会社がなんとかもっている。マンションや住宅大手の宅地開発は相変わらず衰えを知らないが、かなり規格化されて資材も調達されているし、そんな仕事が回ってきても人件費で切り詰めるしか方法がない。現場との無駄な行き帰りも可能な限り省いたり、安易な忘れ物をしたら怒鳴り声が飛んだりだ。経費切り詰めの方に頭が回る。これだけ努力して稼いでも税金でバックリ持って行かれ、少し市税を滞納しただけで督促状が送りつけられる。それで“おまえたちはなにをしているのか!”と思ったら市庁舎や箱物をやりたい放題だから頭にくる」と下関市政のあり方に憤っていた。

 不安定な労働者の生活 高卒者の職もない 

 中小企業で働いている労働者の生活も、会社の動向次第で振り回される不安定さを増している。土木会社で働いている20代の男性は最近、第2子が生まれた。病院で医療事務(派遣職員)をしていた嫁さんが仕事を辞めているため、自身の稼ぎが家族の命綱になるが、手取り13万円ではとても苦しいこと、第1子を保育園に預けたいものの保育料が払える余裕がなく、嫁さんが家にいる間は当面13万円の生活を乗り切らなければ、と心境を語っていた。「子ども手当(月1万円)に手を伸ばしたくなるけど、子どもの将来のために一切手をつけずに貯金している。小学校に上がる頃には70万円近くになっているだろうし、いざというときの保険みたいな心境。嫁さんが働けば家計は助かるしいくらかマシになるが、その分保育料でとられる。もっと安くならないものなのだろうか」といった。7月は豪雨で現場作業が何度も滞ったため、その分収入が減った。「僕らみたいな仕事は毎日の天気で左右される。あんまり雨が多いと家庭内の雰囲気まで曇りがちになる。それでも会社があるだけマシで、友人には会社がつぶれて県外に働きに出て行ったのもいる」と話していた。
 別の企業では経営が苦しいために従業員を減らし、オールマイティな職員だけを残したら50~60代ばかりになったことと合わせて、若い世代を育成していく余力がないことが話されていた。新卒の採用枠が減っていることは地元高校の就職担当者のなかでも語られ、内定がとれた生徒に対して「石にしがみついてでも辞めるな!」「どの会社でも苦労はあるのだから辛抱しろ!」と教えている状況。学校側だけでは就職先が見つからず、家族が高校生の息子や娘たちの受け入れ先を探しているところもある。
 経済情勢が異常事態にあることは、下関の行政関係者、とりわけ市税や福祉に携わる職員のなかで危機感を伴って問題視されてきた。市役所で働いている男性は、下関はよそと比較しても昔から低所得者が多く、貧困都市であることを語り、そんな街で合併特例債という借金を重ねながらの散財をして大丈夫なのか、と不安を口にした。目の前の悲劇と脳天気な箱物行政のギャップがひどく、公務に勤しみながらなんともいえない思いをしている職員も多い。別の市税にかかわっている職員の一人は、税金滞納者への差し押さえが中尾市政になってから頻繁にやられるようになったが、税金を払える市民そのものが減り、滞納者にしても生活が破綻していく様が痛いほどわかるのだと、辛い心境を明かしていた。
 近年は経済情勢や雇用情勢が悪化する一方なのに、住民税や介護保険料など身近な負担は増えるばかりとなってきた。加えて消費税が増税となるなかで、我慢ならない思いが街中に鬱積している。景気の冷え込みが深刻さを増していることは、下関市内でも典型的に現れている。それは商店に客が来ない、ショッピングモールも観光施設も閑古鳥、タクシーも客足が減って動かない、各業界の老舗が突然破綻する、病院を診察する患者も激減するなど、さまざまな形で露見しはじめている。こうした異常事態に対して、行政の対応が後手後手になって機能しないことが、国政のデタラメさと重ねて大きな問題になっている。

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