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梅光学院巡る記者座談会 月謝50000円は妥当か?

全国の超進学校に匹敵

 

 下関市の梅光学院(幼、中高、大学)をめぐる問題は、2015年度末、多数の教員の自主退職という形をとった解雇・雇い止めによって表面化してから1年以上が経過した。

 「赤字解消」のために「改革」してきたはずの同学院だが、経営陣にとってはまだまだ「改革」が足りない様子で、最近になって中高・大学の学費値上げを発表し、さらに同窓会に2000万円の寄付を依頼するなど、ことのほか現金を欲しがっている姿が話題になっている。

 30億円もの潤沢な現金資産を有していながら、なぜこれほどカネを欲しがっているのか、保護者、同窓生はもちろんのこと、周囲の私学関係者たちも首を傾げている。記者座談会を持って、その後の様子を論議した。
 
 県内の私学関係者も驚く 現金欲しがる理由は何か 子供たちを置き去りにするな



 A 4月下旬に中高の保護者に対する説明会があり、2018年度の入学者から、月謝が月5万円になるという説明があった。その場では質問できずに帰宅した保護者が多かったようだが、現在1カ月3万6590円の校納金が1万3410円も上がるから、みな驚いた。

 

 今の高校生は卒業まで据え置きで、中学生は高校進学時に新校納金が適用されるので、すぐに上がるわけではない家庭もあるが、今まで払ったことのない項目が含まれていたり、金額の根拠が定かでないもの、ウェイクアップ留学という初耳の項目が入っていたりと、疑問点が多すぎる説明会だったと保護者たちは口にしていた。結局のところ何にいくらかかって保護者負担がいくらになるのか、手元に届いた資料を見てもよくわからない。


  校納金値上げの理由は、生徒数の低迷で中高が毎年1億~2億円の赤字を出していることだという。魅力ある私立学校として再生を図っており、「国際教育」「英語教育」「ICTを用いた教育」「演劇手法を用いたコミュニケーション教育」「音楽教育」「自主・自立の生徒活動」「進路実現」をうち出していく方針なのだそうだ。そのためにこれらの経費を一斉徴収の校納金に入れ込んだという説明だ。年間にして16万920円増額の60万円になる(現在は年間43万9080円)。それに、校納金以外でも保健関係やクラス運営費、副教材、課外授業などで年間2万8000円+αを徴収することが記載されている。


  会場をざわつかせたのが、校納金値上げに関する資料の最後についていた「校納金増額でお困りの保護者の皆さまへ」という文書だったようだ。そこには、①校納金を値上げしたことにより来年度以降の梅光学院高等学校への進学を再検討しなくてはならない家庭は相談すること、②転校の意志がある場合、中3の一学期末までに公立中学校に転校しないと高校受験に支障を来す場合がある、③相談のある場合は「早め」の面談等を、とある。これを見て「金にならない生徒はさっさと出て行ってほしい」という空気を感じた保護者も少なくなかった。


  「中3の一学期末」という期限は、高校入試のさいの内申書を梅光が書くか、転校先の学校が書くかの分かれ目のようだ。それは学校の都合であって、別に入試に支障を来すようなものではない。入学式でも、樋口学院長が「月謝を値上げする可能性があるから、それが無理な人は今のうちに辞めてほしい」というような話をしたそうだ。新入生の親たちも、数ある私学の中から梅光を選んだのに入学早早金の話ばかりだったという印象を受けている。


  月5万円というのは、公立に通わせている親からすると目が飛び出すような数字だ。年間にすると60万円。大学生の授業料でも国公立の場合は年間60万円もしない。それで大学に行かせるのと同等の教育レベルを提供されているのか?という疑問を多くの父母が感じている。他の私学でも梅光の月謝値上げが驚かれていたので、ならばどのくらいが相場なのかと思って調べてみると、下関市内にある私学はみんな3万円台だった。一番高いのが早鞆高校で3万6930円。山口県内も軒並み3万円台で、昨年度まで県内で一番学費が高い私学が野田学園の3万9400円だった。来年度からは梅光学院がダントツの1位になる。


 ついでに月謝が5万円台というのはどのくらいのレベルの学校なのだろうかと思って調べてみると、東大の現役合格者を大量に輩出しているという全国トップレベルの灘高校(兵庫県)が5万2600円、第2位の開成高校(東京)が約5万7000円(年払い)だ。私学関係者に聞いてみると、首都圏はやはり高いが、九州や地方になると、レベルの高い私学でもそこまで高い金額を設定していないという。九州勢ではラ・サール学園は6万円台だったが、久留米大附設高校は4万8000円だし、明治学園高校は4万2300円だ。広島でトップレベルを誇る修道高校も4万4200円だった。入学金が高い学校もあるが、それにしても毎月5万円というのは、けっこうな偏差値のところが多い。


 B カネを払ってでも通わせたいという親の知育偏重を反映しているし、子どもへの期待やその後の進学・就職への意識が金銭的価値に置き換えられている。偏差値五七の梅光学院は並の上くらいではあるが、その教育に五万円の価値があるのか? 灘高校や開成高校並の学力なりを提供しているのだろうか? と誰もが思っているわけだ。偏差値で子どもたちをふるい分けるのはけしからんとかの是非は置いておいて、カネを払って私学に求めるのが学力というのなら、そのような剥き出しの基準においてどうなのかも判別しないといけない。あるいは、偏差値に置き換えることのできない素晴らしい人間教育が施されているのかだ。


  あらゆる物には「使用価値」と「交換価値」とがあって、交換されて商品となったとき、より客観的な交換価値がその商品に与えられるのだ――と何かの経済学の本に書いてあった。貨幣経済のなかでは、それが「価格」として表現される。梅光学院の場合、5万円という月謝が「価値」に見合った金額なのかということだ。親たちが5万円払ってでも行かせたいと思う教育、満足する教育がおこなわれているのなら問題ないが、願望と実際の価値の齟齬(そご)が生じたとき、客はその商品を買わない。下手すると生徒は集まらなくなる危険性だってある。


 生徒がたくさん集まって欲しい経営陣なら、「月謝を5万円にします!」という判断は相当に度胸がいることだろう。逆に経営陣が「もうこの学校はつぶして土地も売り払うのだから、生徒は来るな!」と思っている場合は、この値上げが効果的なバリアとなって、梅光に進学したい、させたいと思っている人人の気持ちを削ぐ可能性が大だろう。一つ一つの行動には必ず意味がある。どこに着地点を想像しているのか、その行動が何を意図してどのような結果をもたらすのかを考え、見ていくことが大切だ。今回の値上げを聞いて「あぁ、中高はつぶす気なんだな…」と思ったのが正直な感想だ。


  「これだけ値上げして、今後梅光に子どもを行かせる親がいるだろうか」とか「まるで生徒を追い払うようなやり方だ」という私学関係者の指摘も現実味を帯びて聞こえる。実際、昨年度の混乱のなかで、中学3年生のうち梅光高校の進学を辞め、他校へと移っていった生徒が相当数いたようだ。


 2年前に「赤字を解消する」といって長年教育を担ってきた専任教員の多くを自主退職に追いやった。周囲の教育関係者から見ると「実力のあるいい先生たち」で、市内・県内の私学が喜んで辞めた先生たちをひっぱった。そして教員のいなくなった梅光はというと、「クラッシー」(ソフトバンクとベネッセの合弁会社が提供する学校教育でのICT活用を支援するクラウドサービス)とか、リクルート社の「スタディサプリ」というサービスや、ベネッセ社の同様のサービス「スタディサポート」とか、ロイロノート(タブレット向けの教育支援アプリ)など、「ICT活用」といいながら、授業そのものを外部委託しているように見える。昨年度などはNHKのラジオ講座で英語の授業をしたという話もあるくらいだ。今年度が始まる前の保護者説明会でも、「クラッシーで一流予備校の講師の説明動画が見れるようになるから自分で学習するように」といわれたという。


 A 教育関係者のなかでは、「いい教師を辞めさせたから、外部教材を活用せざるを得ない状態になっている」と話題になっている。そのうえ、正規雇用の教員を辞めさせたのに赤字解消にもなっていない。財務情報だけでは詳細がわからないが、保護者の感覚では、こうした外部委託費用や機材の購入などでかなりお金がかかっているようだ。iPadの家庭負担も1500円から3686円に増えるなど、校納金以外の保護者負担も相当なものだ。

 教員減らし授業は外部 卒業危ぶむ事態も

  下関の少子化が進むなかで、とくに中高は生徒数の減少が深刻なのは確かだ。しかし、生徒に来てもらおうと思ったら、「この学校に預けたら、立派に教育してくれる」という信頼を築くことが先決だ。金はその後からついてくるものだ。


  それは大学でも同じだ。もともと「文学の梅光」といわれ、上代、中古、中世、近世、近代、現代、そして創作と、全分野の教員がそろっている大学は西日本を見る限りほかになかった。それは故佐藤泰正氏の下で築いてきた、まさに梅光の魅力だった。それが本間理事長、中野学院長、只木統轄本部長、樋口学長体制が確立した2013年からの2年間で正規教員は13人から6人にまで半減し、全分野をカバーすることができなくなっている。その後も経営方針に意見する教員を辞めさせ、頭数だけかき集めているので、授業の質低下は深刻だ。


 B 昨年度初めは教員の削減によってカリキュラムが組めない状態に陥ったし、教員を排除して時間割編成をおこなったことから、昨年9月、文学部で真面目に授業を受けても卒業できない可能性が発覚した。梅光が学生募集の売りにしてきた「教員資格+一資格(図書司書、保育士資格など)」は諦めざるを得ない状況だった。樋口学長は、切実な学生たちの訴えに対して「資格より卒業を優先するように」という対応で、学生も保護者も怒っていた。学費を払って卒業できないとなると詐欺だといわれても仕方がない。その後、「専攻」の枠を取り払って、一応卒業できるよう手直しはしたが、それも学生にきちんと説明があったわけではない。


  大学も4年間で32万円の学費値上げになるが、学費を払って卒業できないかもしれないとか、将来の夢を持って資格取得を目指していたのに諦めないといけないとか、ゼミの先生が途中でいなくなったなど、「看板に偽りあり」なのが現状だ。今は留学生をかき集めて学生数を確保しているかもしれないが、学生のなかに不信感が広がれば、当然出身高校に話が広がっていくのは目に見えている。


  今年3月末に教員が雇い止めになったことに、子ども学部の学生たちが署名活動をし、同学部の半数が署名したが、それに対する回答もいまだになされていない。今月13日にあった大学の保護者会で、保護者から質問も出たようだが、樋口学長が「提出者の名前がないのは怪文書」というような返答をしたとかで情報漏洩の問題とあわせて保護者会は紛糾したという。「学生が主役」と口ではいいつつ「主役は自分たち」だというのが、学生も含めて大方の評価になっている。


 B そもそも学費の値上げや寄付をお願いするなら、自分たちの役員報酬を削るとか不必要な出費を削るなど、先にすべきことがあるではないかと皆が思っている。役員報酬は四人でいくら出しているのか皆で聞いてみるといい。また只木統轄本部長が頻繁に中高の教員を連れて「研修旅行」に出かけたり、学内でとり立てられている人物が頻繁にマスコミ関係者を接待している所が目撃されたりもしている。とくに某大手新聞の支局長あたりはよく胸に手を当てて考えてみた方がいい。「田崎スシロー」みたく、その界隈で隠語が広まっても知らないぞと思う。記者にとってタダ飯、タダ酒には気をつけろ! が絶対だったはずなのに今時はホイホイ誘いに乗っていくきらいがあって幻滅する。ガチガチの石頭ではどうにもならないが、損得より善悪を勝たせなければ世の中の貞操が保たれないだろうに…。


  当初から疑問視されていた法人カードでの私物購入や必要のない機材購入、経営陣の海外旅行など放漫経営の実態、また投資運用の実態についても明らかにされないままだ。何度もいうように、梅光学院は山田石油会長の寄付など含めて30億円の現金資産を有しているし、「おカネ頂戴!」をやらなければならないような困った状況にはないはずだ。市内の他の私学と比較するのは申し訳ないが、比べものにならないほど豊かな財政基盤の上にある。それなのに、よその私学以上に「カネ、カネ」をやっているから、どうしてなのか? とみなが疑問に思っている。カネがあるから外部から群がっているのであって、カネがないなら彼らは梅光など目もくれない関係だ。カネがあるのに「ない」といい、自分は潤沢な報酬を得たりホテル暮らしを謳歌しながら、「赤字経営」を錦の御旗にしている者の心理とはいかなるものか? だ。


  この街で育った者として、梅光学院といえば女子教育の先駆というイメージを抱いてきた。故佐藤泰正氏の存在とも相まって文学部の存在は誇るべき伝統や歴史がある。ところが、この間見聞きする事態はかつての梅光とはかけ離れたものばかりで驚かされている。失礼かもしれないが、つぶれる私学の典型的な姿にも見える。子どもたちの教育カリキュラムを組むのだけでも精一杯で、1年目とか2年目の新人教師ばかり配置しながら、同時に授業料を大学並にする感覚など理解できない。これは、中高を閉鎖するための布石であって、いずれあの土地を売り飛ばすとか別利用する意図が働いているというのであれば、今いる子どもたちや父母に対してあんまりだと思う。


  同窓生や保護者、学院関係者などは、子どもたちのために粘り強く運動している。「梅光の未来を考える市民の会」に加えて、「下関梅光を考える会」「福岡梅光を考える会」など、同窓生も独自のネットワークをつくって動き出している。このまま放置していたら学校として崩壊するのは目に見えているからだ。今年、大学開学50周年という節目の年でもあるが、140年の長きにわたって先人たちが築いてきた梅光の教育をとり戻そうという力は強まっているように思う。


 近年「大学改革」を標榜してきたところほど、損得勘定に走って質が低下していることが問題になっているが、梅光もその瀬戸際に立たされているように思えてならない。もっとも重大な問題だと思うのは、「カネ、カネ」ばかりが第一に語られて、「子ども」や「学生」はどこに置き去りにしているのか? という点だ。学校とか教育機関は経営陣が利潤を得るためにあるのではなく、子どもたちや学生を立派な人間として育て上げる責務がある。知育だけでなく徳育も疎かにできない。そのためには身を削って――というのが故佐藤泰正氏だろうし、戦争で身寄りのない孤児を何人も我が子として育て上げた姿をみんなが見てきた。それと比べて現経営陣はどうなのかだ。我が身を削って子どもたちの成長のために献身的に尽くしているのか? 証券投資などの金儲けにうつつを抜かしていないか? 金銭感覚はどうか? 等等、みんなが見ている。


 A 教育機関とはどうあるべきかが梅光問題の本質で、カネならよそより持っているのだから心配するにはあたらない。「カネがない」という場合、まず使いすぎることを心配するのがまともな感覚だろう。蛇口を開けっ放しにして「水がないので節水しましょう!」といっても説得力がないのと同じだ。あるいは、海外にあれだけバラまいて「国家財政が危ないので増税を!」と叫ぶ感覚と同じだ。何事も二重基準ではいけない。


 教育機関として立て直す力を結集するしか解決の道はない。損得抜きに梅光の未来を憂えている人たちがいる事実は、梅光が愛され、大切にされているなによりの証拠だ。その熱意があるから、卒業生でもない市民までもが心配している。みんなの願いは「まともな教育機関として立て直したい」というだけだ。その桎梏(しっこく)になっているものをとり除かなければ事態は何も解決しない。

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