いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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上関原発計画にトドメさす情勢 自らは引かぬ国、中電、県

 中国電力が山口県の熊毛郡上関町ですすめてきた原発計画が、福島第1原発の事故をうけて立ち往生している。78年に豊北原発計画がうち負かされて、その代替として1982年に計画浮上して29年が経過した。今回の福島原発事故が上関町内や全県民、全瀬戸内漁民に与えた衝撃は大きく、「国内最後の新規立地」といわれている同計画を断念に追い込めという世論は沸騰している。山口県内では、70年代から田万川、萩市三見、長門深川なども計画にあがったが、県民のたたかいで1基もつくらせなかった。上関原発を撤回に追い込むとともに、40㌔圏内に入る対岸の伊方原発の廃炉をもめざして県民世論の結集が求められている。
 
 今年9月に迫る上関町長選挙

 上関町内では、福島で20㌔圏内強制避難が実施され、原発難民が出ている問題について、わが身に置き換えて他人事でない心境が語られている。予定地にもっとも近い四代地区では、漁業補償金の分配にともなって一般住民にも200万円が配られてきたが、地権者の1人は「200万円もらったところで、福島のようになって生活場所を追い出されたのではたまったものではない。なんの代償にもならない」と心情を吐露していた。ある日突然家や土地を失い、慣れ親しんだ故郷を追われて他に行く場所などないという思いが、福島の人人の困難さを見れば見るほど強まってくる心境にかられていた。
 深刻な高齢化が進行している四代地区では、老人たちが互いに支え合って生活を営んでいる。予定地の田ノ浦からは、山を一つ越えたところにある最も近い集落だ。魚が獲れれば一人暮らしの者に分けたり、働き者の高齢婦人たちは毎日のように背負子を背負って山の畑に出かける。この季節はワカメを干したり、新玉葱の収穫に忙しく、老人たちがせっせと体を動かしている。「都会の息子に送るのだ」といって段ボールに新玉葱を詰めていた老婦人の一人は、「あんな事故が起きるとはだれも思っていなかった。私らは上関が事故をした場合、どこに逃げればよいのだろうか。年寄りばかりが残されて、四代には若手がいない。ほとんど70代や80代。いったいだれが爺婆を迎えに来てくれるのだろうか。祝島の人たちも、どうやって島から避難するのだろうか」と心配していた。
 原発は「安全」と中電は何度も広報誌『かけはし』で説明してきたが、目の前で前代未聞の原発事故を見せつけられているなかで、「全部嘘だった」「上関が同じようになったらたまらない」の思いを強くしている住民は少なくない。起きないと思っていた事故が起き、「約束と違う」という思いが各所で語られている。
 室津に住んでいる男性は「このまま何十年も原発計画を引っ張りながら町が寂れていくのは忍びない。正気に戻らなければダメだ」といっていた。戦後、室津村(人口約3000人)と上関村(同約9000人)が合併した当時、町には戦地や大陸から引き揚げてきた人人が溢れ、人口は1万2000人を超えた。それがいまでは実質人口は3000人程度にまで減った。「原発で29年日が暮れて、町政の上に立つ者が他の事をまったく考えずにきた結果、立ち直れないほど産業が寂れてしまった。だから若者が定住できない。原発、原発と騒動して失った30年は重い。原発で町興しといっても、福島のように叩き出されたのでは元も子もない。“地獄の沙汰も金次第”ではなく地道な町作りが一番大切なことだ。100万円の賠償金で放り出されてどうなるか」と語っていた。
 地震列島に五四基も原発がつくられ、東日本だけでなく西日本でも同じような事態に直面する可能性が十分にあること、難民にならなければならない現実について、深刻な論議が広がっている。また、原発の老朽化や活断層の存在からして、地震学者たちが浜岡原発と並んで「全国でもっとも危険」と指摘してきた四国電力・伊方原発が35㌔離れた海の向こうに存在し、晴れの日には白い原子炉建屋が上関町内からもくっきり目視できることの脅威が語られる。後は野となれで新規立地を推進するなど論外だという意見が住民のなかでは圧倒している。

 挽回不能の二井県知事 推進勢力総瓦解へ

 上関原発を巡っては、震災から3日後、二井関成知事は中電に建設準備工事を当面見合わせるよう要請。最近になって、来年10月で失効を迎える公有水面埋立許可について延長を認めないという態度を示唆するなど、新しい動きがあらわれている。中電は震災後、島根原発の堤防かさ上げ対応や外部電源の場所移動などに手をとられ、田ノ浦現地で進めていた準備工事からも作業員の姿が消えた。「島根に作業員を回している」と業者のなかでは語られている。
 計画は2009年に中電が経済産業省の原子力安全・保安院に原子炉設置許可を申請し、国が許可を出すにあたって「安全審査」を進めていた。ところが今回の原発事故となり、「審査」基準そのものが吹っ飛んで、新規原発どころではなくなった。政府としては福島第1原発の収束が第一で、そのほか震災・津波で停止した14基、定期点検中などで止まっている18基のあわせて6割に及ぶ原発をどう再稼働にこぎ着けるか、老朽原発をどうするかで収拾がつかず、新設どころではない。
 二井知事の工事中断パフォーマンスは、当面上関原発はすすみようがないという事情に対応したものであり、中断とはいうが、撤退ではなく、今期限りで引退する知事本人は国なり次の知事にゲタ預けをするというものである。上関町については、当面生殺しで放置し、中電の利権は残し、さらに寂れるのを待つという内容となっている。
 二井知事がこだわっている埋立許可問題は、祝島が漁業権放棄に同意しておらず、条件を満たしていないのに埋立許可を出し、その破たんをとり繕おうとする事情をあらわしている。また二井知事の特質は、まるで脱原発の全国先陣のようなふりをして、反原発派の期待を集め、国策に忠実に原発をすすめるというものである。2001年の知事合意の際も、反原発派顔負けで原発の危険性を叫んで、逆に知事合意をしたという前歴がある。
 菅政府も「再生エネルギーの転換」を唱え、浜岡原発の停止をさせたが、2、3年後には再開というもので、全国の原発を稼働させるためであった。オバマもチェンジといって当選してチェンジをチェンジする政治をやっているが、その子分である菅直人も自民党のチェンジをいって選挙に勝ち、勝ったらチェンジをチェンジさせた。原発はアメリカの核戦略であり、菅政府がほとぼりが冷めたら原発突っ走りは疑いないものと思われる。
 上関原発をめぐっては、福島原発の事故があろうとなかろうと、まったく行き詰まっていた。祝島が補償金の受けとりを断固拒絶し、漁業権放棄に応じなかったからである。2008年に県知事が公有水面の埋立を許可し、その一方で祝島に「漁業権はなくなったので補償金を受けとれ」の圧力をかけたが、結局拒絶された。したがって、事態は29年前から一歩も進展しておらず、振り出しに戻ったことを暴露した。
 二井知事が埋立許可を出し、祝島をのぞく7漁協に補償金を払ってしまい、祝島の目の前の田ノ浦で工事進展のパフォーマンスを見せつけて、祝島が逆らっても無駄という格好をとってあきらめを期待した。途中祝島では2票差でかろうじて補償金受け取りを拒否したが、その後事態が明らかになるなかで補償金受けとり拒否が圧倒するに至った。漁業権問題は水産行政をつかった二井知事の役割分担であったが、挽回不能な失態となっていた。
 そのなかでの福島原発事故であり、上関町内でも、推進勢力の総瓦解のすう勢となってあらわれている。

 中電・国策支配一掃へ 全町団結回復し

 上関町では今年9月に町長選挙が迫っている。上関町がどの道をすすむのか鋭い対立となっている。
 上関原発計画は福島原発事故のなかで、国、県や中電が自分から手を引くことはあり得ない。中電は上関への利権を維持していくこと、国、県とも長期の塩漬け状態、生殺し状態で放置することが想定される。上関原発を撤回させるのは、町民、全県民、全瀬戸内、全国の団結したたたかいだけしかない。
 中電が上関町に乗り込み、国策をバックにして、原発推進をやってきた結果、上関町は深刻な衰退状況となっている。人口減少は全国突出した状態。町の税収の主役であった海運業者がつぶれて力はなくなり、漁業も農業も衰退して商売にならない。高齢者がつぎつぎに死んでいき、「香典料負担ばかりでたまらん」という話まで飛び交う。
 しかし、都会で仕事がなくなって、田舎に帰って漁業をやって生活していきたいという流れは確実にある。また町内で働く若者も、町内で住むのをやめて町外に住んで町内に通うという状況もある。
 そしてなによりも、町の人間関係が中電支配となって、ずたずたにされてきたという問題がある。町長・役場や議会、漁協や商工会、各区など、あらゆる機関が中電の代理となって、町民の意志が通らない。経済も、国、県の原発交付金や中電の寄付金に依存したものがはびこり、地元に根ざす漁業などが切り捨てられてきた。
 こうした状況は、中電が乗り込み、原発を推進してきたことによって、際だった特徴を持つものとなった。しかし、この状況は日本中の農漁村と共通したものである。世の中が、マネー経済、輸出競争力一本槍経済といわれるなかで、農漁業、地方経済はガタガタに崩壊されている。原発計画を押しつけられた上関はそれが典型的にあらわれている。
 上関町の立て直しをするためには、第1に中電・国策支配の政治を一掃し、町民が主人公として全町的な人情を回復し、ズタズタにされた町民分断を解決して、全町的な団結、協力の共同体を回復することである。それは中電が代理人を操る構図を一掃することが第1の課題となる。
 原発を撤回させ、中電を撤退させ、上関町を立て直すため、全県、全国団結が一気にすすむすう勢となっている。
 とくに福島原発事故まできて、20㌔圏どころか、40㌔、50㌔圏まで退避命令区域になり、農作物汚染は300㌔に及び、200㌔離れた東京の水道水まで汚染され、そして外洋である広範な海域で漁業汚染が広がっている。
 上関から50㌔圏なら周南市はもちろん米軍基地のある岩国、さらに広島県、大分県、愛媛県に及ぶ。100㌔圏前後なら被爆地広島、山口県全域に及ぶ。また閉鎖海域である瀬戸内海で、山口県にとどまらず、大分県、広島県、愛媛県だけでもなく、関西に至る全瀬戸内の漁業に壊滅的な打撃を与えることになる。これが直接の被害となるが、五四基ある原発を囲む全国の事情も同じとなる。
 そしてこれらすべての人人が、国を廃虚にするのに反対し、原水爆戦争の標的になるのに反対し、農業漁業を守り、国の産業を守り、独立を守る課題として全国団結するすう勢が格段に強まっている。上関町民の原発計画を撤回させ、中電を撤退させるたたかいは、これら全国の共通利益を代表している。
 全国と団結した町民の力で中電を撤退させることが、国、県ともに、町民とくに祝島住民に償いをさせ、上関町の立て直しのために必要な補償をさせる力となる。

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