いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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上関 選挙違反摘発の煽りで町議補欠選

 町長選と選挙違反による3人の欠員をめぐる上関町の町議補欠選挙が8日告示、13日投票となっている。中電の最大の代理人となっていた田中正己元商工会長は早く解任され今年には死去し、西元元議長は昨年の町議選で引きおろされ、今年の町長選では片山町長が逃げて、上関原発推進20年の代表選手3人はみな退陣となった。そのパートナーであった山戸氏も町長選の猿芝居まできてすっかり疑惑の目で見られる存在。漁業補償交渉の主役となった漁協組合長も、春には四代の内藤組合長がやめ、近年神社地問題でハチャメチャ騒動の主役を務めた室津の外村組合長も先月やめた。他方で「片山がダメだから原発がすすまない」という中電の口車に乗って手を挙げた加納氏や神崎氏は、町長の椅子と思ったら電気椅子となり、議長の椅子と思ったらブタバコにいく羽目となった。潮の流れが渦を巻いて変わっているのである。潮目を読んだめざといものは神崎氏のような運命を避けて逃げ、勘違いしたものが飛びこんで渦に飲まれる。補欠選挙はこの過渡期の様相をもっておこなわれる。新しい顔ぶれが登場しているが、相変わらずの推進派と反対派の古い役者による時代遅れの惰性選挙といえる様相。上関原発問題はどこからどう流れているのか、その情勢と展望について考えてみた。

  県が推進やめれば問題解決
 上関の選挙が近づくといつも、中電がなにか原発ができるかのようなことをやって、推進派の景気をつけてきた。町長選挙まえは、神社本庁が四代正八幡宮の林宮司を強引に解任するという大立ち回りをやった。だが背後勢力はその後、選挙違反で動き、神社道もなにもかも捨ててなにかのエサで踊った神社本庁や県神社庁の幹部神主どもの浅はかさだけが浮き彫りとなる結果になった。今度は中電の株主総会で、白倉社長が「平成19年に着工をめざす」と変わりばえのしないことをいった。そうでもいわなければ、自分らの責任問題になるというもので、景気づけもさっぱり景気が上がらない。
 上関町長選が示したことは、中電、国、県が上関原発の撤退をはじめているという事実である。口の先では「推進する」といいながら、上関側の町長や議員連中そして町民の「自己責任」をとらせる形で、自分たちは責任を負わずに、中電の利権構造だけは残すという方式をとっている。こうして、手を挙げた推進派はつぎつぎに生けにえになり、町は立ち腐れ状態で放置されるというコースになっている。
 町長選挙は推進派の三者乱立ですすんだ。5年まえの無投票町議選あたりから、中電は「片山がバカだから原発はできない」といって、議員のなかでも役場のなかでも片山批判の騒動を起こしていた。その流れを見て、町長選前年の町議選で、町議を辞職して町長選に臨んだのは右田氏であった。しかし片山氏も譲らず、そのうえに漁協組合長ら中電直結派が浅海氏を擁立、乱戦がつづいた。そして「片山裁定」の形で加納氏が飛びついたが、もはや推進派の運動は瓦解、黒子役がたてまえの中電がたまらず前面に出た選挙をやり、なによりも反対派の山戸氏陣営の選挙サボによる協力で加納氏が当選した。と思ったら、20年間見て見ぬ振りをしてきた山口県警が突如、加納後援会長の神崎氏を選挙違反で御用とし、一転して地獄を見る羽目となった。「片山がバカだから原発ができない」だけではなく、「神崎、加納もバカだから原発ができない」という結果になった。
 片山氏の失脚は、中電と国が見放したからである。全国の市町村は合併問題で大揺れである。片山町長は、合併すれば原発は終わりになり、合併しなければ財政が持たない、というなかで、国が特例扱いをすることを求めたが、国は見放した。中電も、町財政にたいして島根には協力金を出すが上関には出さなかった。
 そして加納氏が片山はダメだが自分ならとの意気ごみで手を挙げたが、それは潮目の読み違いで、責任をとらされるためだけに出た結果となった。警察がいまさら動くというのは、警察の飼い主である国、県の意向が変わったことを証明している。加納氏や神崎氏はこれらの背後勢力に利用されて、悲劇となった。
 
  町民を縛る買収構図
 この選挙違反問題は、神崎、加納氏の不正というだけでなく、それをやらせてきた中電、県警、その背後の県、国の残酷さをあらわしている。さんざん利用し踊らせてきて、かれらの責任逃れのために地獄に落とすのである。中電や国、県が利権だけ残してほうり出すのも、原発は自分たちの責任ではなく、「誘致してきた町の側の自己責任ですよ」というわけである。
 上関原発を推進してきたのは、中電であり、国、県であり、上関の推進派はその使用人にすぎなかった。中電は豊北での失敗があり、上関原発計画は上関町の側からの誘致運動に中電がこたえるという格好にすることを持ち出した。当初町内でそれは一定問題にはなったが、故加納町長、故田中商工会長らがその役を引き受けた。はじめから責任は町側の責任という中電のずるいシフトであった。
 中電は、20年来上関で謀略機関のような真似をしてきたが、とどのつまりカネをばらまくことしかない。町内の推進組織は専従員の給料から、会議参加から、集会参加やビラまきから、議会傍聴まで中電の日当動員、原発視察も中電持ち。もちろん町長や議員、推進派がやることのシナリオは中電が書く。さらに中電をはじめ関係企業への就職斡旋を広範囲にやり、また町民のすべてについて親兄弟、親類関係、就職先、取引先の関係、さらに原発視察にいついつどこに行ったか、いついつ酒を飲み、カネを受け取ったかなど、詳しいデータを蓄積して、狭い町はすっかり中電管理の買収構造ができている。
 はじめの時期はそれなりに意欲的な推進の運動もあり、田中氏などの代理人がいてカネを配分するいわば間接買収の形もとっていたが、20年もたてば町民の意欲はなくなる一方で中電と町民のカネをつうじた直結関係があまりにも発達し、岡村商工会長の時期ともなると出番はないという状態。
 四代の神社地をめぐって林宮司を解任する騒ぎも、山谷区長が筋書きを書いたとはだれも思わず、シナリオも裁判費用もみな中電というのは四代の常識である。室津の神社騒動も相当の誹謗中傷ビラを「町連協」の名で出したが、中電がビラまきの日当まで出してやったことである。それを「氏子の要求」という神社本庁も大インチキ。飲まされ過ぎで肝臓をこわした主役の外村組合長は広島の中電病院でアフターケアを受ける関係。
 買収の構造は役場もそうで、国、県からの予算は町民のために使うというより、買収・利権を目的とする資金となり、原発視察から祭りなど、さらに漁業事業での買収資金、土建業者の利権事業のほかに、議員も年報酬300万円の買収、役場その他での就職、○○委員会の報酬など重層的な買収構造ができている。
 20年にわたって中電や役場による買収構造ができており、選挙になればそのうえに、買収金がばらまかれ、老人には弁当炊き出しなどがやられる。

  中電を逮捕せぬ県警
 表面上平井元知事はずっと「県は中立」といい、二井知事もしかめ面をして見せて「地元自治体の政策選択を尊重する」とか、まるで原発には批判的であるかのような芝居までしてきた。しかし上関原発を推進してきた主役は平井元知事・県当局であり、それを受けついだ二井知事である。
 上関原発推進の決定的な役割をしてきたのは人目にかくれた形でやった県である。この10年の最大の推進の出来事は、1994年の四代田ノ浦の地先にあった共同漁業権を祝島漁協が放棄したことであった。それがなければ上関原発計画は10年まえに終わっていたものであったが、それによって環境調査から漁業交渉まですすむ事態になった。そのような芸当は、片山氏や西元氏、大西氏などにはおよびもつかないことで、平井知事がみずから四度も祝島に渡り、山戸氏との癒(ゆ)着取引関係をつくったことによるものであった。それより以前に山戸氏が中電の労働組合の推せんで祝島のリーダーにまつりあげられたいきさつなど、町の推進派にはまるきりおよびもつかないことであった。
 県の水産部は当時、自治省から平井元知事が引っ張ってきた豊北以来の原発専門家・湯田氏が座り、信漁連問題で漁協をしめつけ、上関や岩国基地沖合埋め立て、下関人工島などの埋め立てに協力させるシカケをつくり、栽培漁業センターや漁港予算の配分、柳井水産事務所による組合長らの手取り足取りの知恵つけなどをやってきた。漁協が漁業権消滅に賛成するなどということは監督関係にある県水産部の働きなしにできるものではない。組合長らも、水産部の指図の先で踊っただけで、自主性などどこもないことは組合長本人が一番よく知っていることである。
 神社地問題での林宮司解任で動いたのは中電であり、二井知事盟友の県公安委員・末永弁護士がかかわり、神社本庁・県神社庁が恥も外聞もなく動いたのは、「国策」の看板をかけた県のかかわりなしにはありえない。巨額な借地料横領の疑惑についても県警が動かないのも県の意向なしには考えられない。山谷区長や外村組合長らが神社問題で大騒動をしたが、騒いだだけの話で、中電、県のシナリオで動いただけである。
 片山町政が、はじめ10年ほどは「自主財源がないのでなにもできない」といっていたのが、のちの10年は自主財源もないのに、大型予算を組んで不要不急の事業を連続した。これも県のさじ加減以外のなにものでもない。
 山口県警、平生署が今回思い出したように選挙違反で逮捕したが、だれがどう見ても、神崎氏の犯罪もさることながらもっと悪いのは中電である。20年間金をばらまいてきた中電が逮捕されなければおかしいし、それ以上に見て見ぬふりをしてきた警察の方が責任が重い。選挙違反ほう助の罪である。
 選挙違反でやっとブタバコから出た神崎氏は、買収した側であろうが、もっと正確には買収された側である。だれが見ても中電の使い走り役にすぎない。神崎氏はブタバコから出るやまっすぐに広島の中電病院に入ったが、「自己責任」をまっとうして中電に恩を売ったということであろう。片山氏といわず西元氏といわず、自分を切り捨てた中電の悪事をバラすこともできず、なおもおべんちゃらをしているのは情けないことである。それにしても買収の張本人である中電は「選挙には関知しない」とシラを切り、山口県警が中電を捜査一つしないのは大インチキである。これでは日本を法治国家ということはできない。
 警察がやっと動いても下っ端の逮捕だけでお茶を濁し、本元の中電には捜査一つしないという態度をとっているのは、それも飼い主である県、国の意向であることは明らかである。警察も犯罪かどうかが動く基準ではなく、飼い主の意向がどうかが基準なのだ。原発推進は国策となったら、選挙違反も目じゃなくて、超法規でやってきたわけである。山口県警は全国でもめずらしく内部告発で騒動がないところである。それは清潔だからではなく、汚れがたまりすぎているから、というのが下関あたりでは常識となっている。
 反対派の指導層というのも山戸氏が県と癒着していたように、なにかと県の息のかかった連中が県民・町民の心配はそっちのけでスナメリの心配かなにかで騒ぐような関係で、中電や県には痛くもかゆくもないパフォーマンスでお茶を濁してきた。上関町の反対派議員どもは、選挙から選挙のあいだは町民のなかでなんの運動もせず、ことに町長選挙では猫のようにおとなしかったが、警察が選挙違反を摘発するとやにわに元気になった。しかし中電や県、国、県警を追及する元気はなく、逆に警察に励まされて、放っといてもつぶれる加納町長を辞職せよと騒いでいる。推進の主役である県とたたかうなどおよびもつかないというへっぴり腰の的はずれが、中電や県の悪事を助けてきた。
 上関現地のさまざまな推進派、インチキ反対派は、このような中電、国、県、警察の推進構造のうえで踊っていたものにすぎない。自主性などはじめからなく、「誘致責任、自己責任」なんてはじめからないのだ。
 中電の上関原発計画は明らかに撤退局面に入ったが、逃げるのも町民を脅しつけて、責任を問われないように逃げる、だが利権構造だけは手放さず、上関をにっちもさっちもいかないようにして立ち腐れ状態にする悪質なやり方である。選挙違反事件も、あまり中電や警察や県のことを詮索するなら、「いつでも手錠がかかるぞ」「いつでも仕事を失うぞ」の脅しとなっている。こうして上関町では、20年におよぶ中電と国、県の買収・抑圧構造があって、町民の自由が縛られており、選挙になると新しい潮流が登場する自由はいちじるしく制限されているのである。
 
  責任をとらせ撤退へ
 上関町民は22年にわたって、中電と国、県によるあらゆる権力、金力の攻撃に抗して原発を許さず、ついに行き詰まりに追いこんできた。しかし原発の行き詰まりはこれらの抑圧の解消と町民の自由を意味してはいない。ここでは、中電、国、県をして上関原発の白紙撤回を表明させ、中電に責任をとらせて上関から撤退させる必要がある。それを実現する力は、現地上関の町民と全県、全国の人民が団結した共同の斗争だけである。
 原発を国策としてかかげて上関町における町民の自由をはく奪し、町の発展を破壊してきた状況は、有無をいわせず戦争にかりたてたあの「国策」と同じ様相である。原発は原水爆の材料であるプルトニウムを製造する工場であり、戦時には標的となり武力による防衛体制をとる第一級の軍事施設である。それは住民にとっては自由のはく奪をともない、ものいえぬ抑圧の関係となることをものがたっている。
 原発計画を22年かかえてきた上関町のサマは、政治も行政も、経済や教育・文化も、アメリカの植民地状況を深めデタラメとなっている日本全国の市町村の縮図といってよい。原発はまさにアメリカの余剰ウランを処分し、そのエネルギー政策、核政策によって押しつけられているものである。規制緩和・自由競争といって、農業も漁業も自給できないように破壊し、日本経済全体はアメリカ資本が奪いあい、政治・行政はアメリカの言いなりで大義名分もない力ずく、社会保障的なものは「自己責任」で切り捨て、教育は自由勝手のインチキ民主主義、世相は残忍な人殺しがまんえんしている。上関は特別ではないのである。原発は対米従属政治の象徴である。それを打開する上関町民の力は、全国の市町村の先端を開く位置にある。
 8日告示の町議補欠選挙で当面登場したのは古い政治構造の候補である。「新しい顔をした古い役者」が幕がおりた芝居をつづけているような様相である。この選挙のなかで、だれが当選するかをこえて、中電、国、県をして町に責任をとって原発を撤回させ、郷土愛に立ち、地道な生産によって、町の発展と町民のために働く町政を担う、新しい町民の流れをいかにつくるかが最大の注目点である。
 そのような町政の転換と正常化は、町長辞職と町長選挙、議会解散と町議選挙による総入れかえを必要としている。そのまえに、中電、国、県の抑圧をはねのける町民の世論と運動が決定的であり、それを代表するリーダーを輩出させることが課題である。
 この上関町民の政治的な自由を確保し、町の正常化を実現するには、国、県、中電をして上関原発を撤回させなければならない。それは上関町民の力だけではなく、全県、全国の共同斗争が不可欠である。上関原発計画は国の重要電源指定であり国策として国、県が推進してきたものである。
 二井知事があたかも上関現地の要望にこたえるかのような顔をして上関原発の合意意見を上げたことは大ペテンである。二井知事・県当局の意向にそって上関現地の推進の動きがあったのであり、二井県政が推進をやめるなら上関町内で推進するものはだれもいなくなるのだ。
 中電とくに二井知事のタヌキのような人だましの政治を全県で暴露し、中電と二井県政に上関原発の白紙撤回を求める全県、現地の共同斗争がもっとも求められている。とくに県市町村の職員、労働者が、恩着せがましい応援団のような顔をして上関の辺をうろつかずとも、自分たちの職場と地域で全県民の利益をかかげて、二井知事の原発推進の反県民・売県政治をこらしめるようなたたかいをするならば、全県民に大きな貢献をすることになる。
 今回の町議補欠選挙は、原発オンリーの上関町政20年の転換、正常化へすすむ過渡期の選挙となる。このなかで、中電、県、国がやってきた悪事を町民のなかから徹底的に暴露し、全県、全国に知らしめることが重要である。ことに推進派で利用され、切り捨てられるところへきた町の親分衆が、中電に文句一ついえないというのでは末代の恥といえる。

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