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上関町長選はなぜ無投票になったか 国策に弄ばれ37年 くたびれ果てた住民たち

反対派候補者擁立断念の背景

 

 9月8日投開票の上関町長選は無投票になる公算が高まっている。反対派が前回に引き続いて候補者擁立を断念し、現職の柏原町政の続行がほぼ確定的な情勢だ。全国最後の新規立地といわれ、1982年の計画浮上から既に37年を迎えている上関原発計画だが、祝島が漁業権を手放していないことが最大のネックとなって震災前から行き詰まり、さらに炉心予定地近くも含めて用地買収も虫食い状態であり、立地のメドは立たないまま塩漬け状態が続いている。今回の町長選について、「なぜ反対派は候補者を擁立して勝負しないのか」「白紙撤回の課題に正面から挑まないのか」という声が遠方から聞こえてくるものの、既に推進・反対で40年近くにわたって二分されてきた町は精神的にも肉体的にもくたびれきっており、著しい過疎高齢化に直面して、選挙に熱を上げる気力すら残っていないような現実がある。取材にあたってきた記者たちで、上関でなにが起こっているのか現状を分析した。

 

  この8月20日に反対派が祝島で記者会見を開き、候補者擁立断念を正式に発表した。直前まで候補者擁立に向けて動いていたというが、最後は柏原町政のもとで町づくりについては是是非非で協力するという決断に至ったようだ。原発計画については譲らないが、町政運営については町民の暮らしを成り立たせるために協力するという選択だ。37年の紆余曲折を経て、中電や県政ともつながった反対派内部に潜り込んだ裏切り者とも対峙して今日に至るが、単刀直入にいうと、上関の反対派組織の現在の状況からして致し方ないのかな…というのが実感だ。祝島としても限界性は自覚しているということだ。

 

 この辺りの問題は、単純に「反対派が白旗を揚げた」という代物でもないので、全国から祝島の島民のたたかいを支えてくれている人人には、複雑な実状について理解してほしいと思う。祝島が漁業権を手放さず、原発計画を押しとどめる力は発揮しているし、これからも崩れない力を見せるに違いないが、反対派が町政全体の運営を町民から委ねられ、白紙撤回に持ち込むほどの実力は備えていない--。これが上関町内の客観的な現実なのだ。

 

  とくに町外・県外の人人のなかで「はなからあきらめている。けしからん!」という批判もあるかも知れない。無理もない。そのように映っても仕方ない。しかし、37年にわたって築かれてきた中電支配の岩盤がどれほどのものか、これは上関に暮らしてきた人間にしかわからないことだ。一言でいうと身動きがつかないのだ。人口3000人にも満たない町がみながんじがらめにされて、とくに推進派住民になると娘や息子、孫にいたるまで就職を斡旋されたり、商売人なら仕事を工面してもらったり、電力会社と切っても切り離れられない関係に買収もされてきた。非常に細部に行き届いている。できれば選挙で決着がついて、地元の政策選択として白紙撤回を突きつけてスッキリ終わりになることを望むが、そのような外野席の願望では物事が動かないこともわかっている。その後の町政運営をどうしていくのかまで含めて、長年にわたって出来上がってきた構造を変えていく道のりは単純ではないのだ。また、現実の反対派といっても町政を担い得る能力がある人材がいるのか? といわれると、とても「いる!」とはいえない。町民もそこは見ている。かといって、同じように推進派も町長になるような人材が枯渇している。それで辞めたがっていた柏原を再度担ぎ上げてつなぎ止めた--。それが今回の町長選を巡る顛末だ。

 

漁業補償金の受け取りを拒否し、県漁協幹部の上陸を阻止する祝島の島民たち

 

  推進派も反対派も双方が瓦解している。37年も経ったのだから無理もない。高齢化してくたびれている。できもしない原発の夢につなぎ止められて、町の疲弊に歯止めがかからない状態なのだ。計画が浮上した当初は7000~8000人いた人口はいまや半分以下の2800人にまで減少した。住民票は置いているが町外の老人介護施設に入っている高齢者や、都会の息子・娘たちのもとへ出て行った住民などもおり、実質人口はさらに少ない。町の年間の予算規模は30億円だが、そのうち住民税として入ってくる財源はわずか8000万円程度。3割自治どころの話ではない。年金生活の年寄りが圧倒的に多く現役世代が少ないため、分散した集落が総じて急激な高齢化に見舞われている。祝島は移住者が増えて、それこそ『鶴瓶の家族に乾杯』でもとりあげられていたように若者や子どもの姿があるが、その他の地域の疲弊ぶりは目に余るものがある。

 

 買い物をする商店がなくなり、病院も以前は室津地区にある志熊医院が拠り所になっていたが、現在は実質の無医町状態だ。推進派も反対派も、昔から怒鳴られたり、包丁を持って追いかけられたり、取材でケンカしながらも仲良くしてきた町民たちが、足を運ぶ度に「あの人も亡くなった」「この人も亡くなった」と鬼籍に入ったことを知らされる。「賛成!」「反対!」といってムキになっていたのは遠い昔の話で、いまや旗を振る元気も残っていない。ただただ、町が疲弊しきってしまうことへの重苦しい空気が覆っている。37年が経過して残されたのは、想像もしていなかったような町の衰退と、原発騒動によってもたらされた住民の分断だった。「上関は風前の灯火だと書いてくれ」と話す推進派住民もいた。商売上、中電に依存しているから面と向かってはいえないが、心のなかでは「もう、これはダメだ…」と原発からは心が離れている。かつては戦闘的に推進の旗を振っていた人人も含めて「37年もなにをしていたのだろうか…」と虚無感に苛まれている。東日本大震災と福島の爆発事故を経て、明らかに意識も変わっている。あんなものを見せつけられたのだから当たり前だ。仮に原発のカネで田舎が潤ったとしても、事故が起きれば故郷から着の身着のままで追い出される運命にさらされるのだ。

 

  町財政を見てみると、昨年に中電が8億円の寄付をしてニュースになったが、既に電源開発交付金はみな使い果たしてしまって、町政運営がままならない。箱物など新規に作っていく余力などない。そこで上盛山に風力発電を建設して、事業収入として8000万円くらいが町の収入になればとやっているが、その程度の収入でどうにかなるものでもない。柏原が不出馬宣言したのは、原発立地にメドがなく、破産管財人のような役回りを押しつけられ、町政への展望がないことが最大の理由だ。原発が数年後には建設され、巨大な利権が動くとなればあの上関町の推進派のことだ。商魂たくましく大乱立で血眼になって町長ポストを争っておかしくない。以前、片山を町長から引きずり下ろして右田や加納、浅海らが乱立騒ぎを起こしたのも、利権が動くという希望があったからこそだ。そのために尾熊毛の中電立地事務所詣でをやり、オレを見初めてくれ! をやった。いまやその熱量もない。なぜか? 原発ができないからだ。

 

柏原町長

  あの頃と比べると想像もつかないが。今回は現職が不出馬を宣言し、それに慌てて周囲が引き留めに走った。推進派のなかから室津地区でまちづくり連絡協議会(通称・町連協と呼ばれる推進派組織)役員をしている柏田、四代地区の山谷(元町議会議長、元区長)が町長ポストに色気を見せていたようだが、「それでは町がたいへんなことになる…」「あんなのにやらせるわけにはいかない」と懸念した人人が柏原に「オマエしかいない!」とあの手この手で出馬要請した。柏原もしぶしぶ引き受けて再出馬に至った。推進派としても他にまともな人材がいないのだ。何でもかんでも中電のいいなりでやってきて、町を引っ張っていくリーダーすらいない状態にまで落ちぶれてしまっている。今回は柏原再登板で落ち着いたとして、4年後、8年後は誰が町政を引っ張っていくのか? となると見通しはない。

 

  山谷と柏田が色気を見せた反動で「それだったら柏原の方がまし」という力が強力に働いた。山谷については神社地の環境影響調査の際の借地料問題など会計不明瞭が四代地区で以前から問題視されてきた。20年近くが経過した現在でも払拭はされていないのだが、予定地の四代地区は中電としても力を入れて抑えてきた地区であり、町議選でも中電票に支えられて当選を重ねてきた人物として知られている。四代だけの票数では当選などおぼつかない。四代地区では昔から福永閥家(ばっけ)VS山谷閥家の対立というのがあって、同じ推進派といえども両一族の血筋をひく人々は感情的にそりが合わないところがある。そこで山谷が中電にとり立てられて長年にわたって区長や議員をしていたが、この春の区長選で落選する波乱があった。10対20で区長ポストから引きずり下ろされたのだ。四代での力関係が変化していることをあらわしている。恐らくUターン人口も増えているなかで中電の影響力が薄れているのだろう。山谷は町議会でも議長ポストから降ろされて久しい。代わりに室津の西哲夫が議長になり、今回の町長選でも本当なら名乗りをあげておかしくないのに、原発立地にメドがなくババ抜きの罰ゲームみたいなものだから動かなかった。

 

  新規立地は当面動かない。これが厳然たる事実だ。東日本大震災の影響もあり、全国的な力関係からしても上関をごり押しするのは少少の話ではない。今年の7月に山口県知事の村岡が公有水面埋立許可の延長を許可したが、国が昨年閣議決定した「第五次エネルギー基本計画」には原発の新設は盛り込まれておらず、上関は外されている。目的がないものに許可を出した。村岡の延長許可について、2008年に免許を交付した張本人の二井関成元知事が批判していたが、許可したところで祝島の漁業権放棄が済んでいないので、これまで同様に埋立工事には手が出せない。つまり、利権だけは温存しつつ、塩漬けの延長戦につなぎとめた。県政としては中電の最大株主でもあり、原発誘致によって国から県財政にカネが入ってくることを切望して推進してきた経緯がある。かくして原発計画は一歩も前には進まない。推進派としてもそのことをわかっているから、余計にため息をつき、くたびれている。中電は立地マンの配置からしてまるでやる気がないし、本丸の経産省も動く気配がない。しかし、町の衰退は急加速で進行し、散散国策で弄ばれたうえに捨てられている。ひどい話だ。

 

 D 推進派も人材枯渇で足腰が立たない。次なるリーダーも育てられていない。彼らも本音の部分では中電や経産省に対して恨み節を漏らしているが、昔からのすねの傷もあって楯突くことができない。しかし、一方の反対派も町政を担うほどの全町からの信頼が乏しく、なにより長島側に影響力を持ち合わせていないこと、中電支配によるがんじがらめの状態を打開するほどの力もないため、決着だけが先送りとなり膠着した状態が延延と続いている。原発はできないが、生殺し状態だけが続く構図だ。

 

 A 反対派の瓦解も相当なものだ。反対派としては、これまでは長島側の室津に事務所があり、そこで記者会見していたが、今回は祝島でやった。長島側の「反対派」といっても既に壊滅状態で実態がない。自治労出身のよそ者が移住してきて、しばらくはメディアにリーダー扱いされて持て囃されていたが、町民のなかにまるで基盤がない。実質的に組織された力としては祝島島民の会くらいしか残っていない。しかしここが漁業権問題で踏ん張っているから原発計画は阻止されている。

 

 一方で、先ほどから論議しているように、そんな祝島から町長選に候補者を擁立しても、現状では長島側をひっくり返して反対派が勝利することなどまずあり得ない。なぜなら、長島側をひっくり返すような努力や行動はなにもしていないし、風任せであのがんじがらめの票が動くわけなどないからだ。これは上関町民の誰もがわかっていることだ。従って、漁業権問題において原発計画を押しとどめる力はあるが、町政運営を任されるほどの実力はともなっていない--という評価はきわめて現実的なものだ。これは失礼とかの話ではない。弱点についても冷静に捉えなければならない。この課題を克服しなければ、何度町長選に挑んだとしてもひっくり返すことはできない。

 

 「わたしたち、頑張ってます!」アピールのアリバイで負け戦をやり、実は全国からカンパをもらうことにしか興味がないというような反対派幹部は正体を暴露されて降板した。島には住めなくなっているのに、いまだに祝島島民に攻撃を加えている始末だが、基本的に影響力は皆無なので問題にするほどのことでもない。中電や推進勢力としては反対派内部から分断分裂を仕掛ける切り札だったろうに、それは祝島の婦人たちが許さなかった。

 

 現在の島民の会は純化もして頑張っていると思う。しかし、祝島だけの力では白紙撤回に持ち込むのは厳しい。これは外野席の願望とか理想など排除した上関の現実だ。だから、島民の会が候補者擁立を断念したことについて「けしからん」とも思わないし、アリバイ的な立候補で町内外を欺くよりも極めて現実的な対応だろうと思う。一方で、もっと長島側の住民たちと直接つながり、人と人がつながって町を動かしていく努力をするべきだし、それをやらなければ白紙撤回までたどり着けないと思う。崩れている推進派や、もういい加減にしてくれと思っている多くの住民とつながって、いわゆる既存の「反対派」の枠をこえた白紙撤回派として町政運営に影響力を持っていくことが求められている。決着をつける力は、そこにしかない。

 

  生殺し状態で柏原が破産管財人として町政運営を委ねられる。この状況下で、推進・反対で住民同志が対立する必要などないし、対立したところで原発計画は前にも後ろにも動かない。上関だけの力関係で事は動いていない。全県世論、全国世論とつながって原発建設が押しとどめられている。争点になっているのは原発ができるかできないかではなく、生殺しか白紙撤回による転換かだ。

 

  上関町が弄ばれて捨てられている局面で、推進派も含めて「もう、いい加減にしろ」と白紙撤回を求める力を束ねていくことが求められている。まとめるリーダーがいないという致命的欠陥はあるが、それ以外に進みようがない。町の実態からしても高齢者だらけになってしまい、原発どころではない。食べ物を買う店がない、病気を治す医者がいない、介護も追いつかず町外の施設に放り込まれるしかない等等、暮らしがままならない状態まで追い込まれている。「原発がくればすべて解決する」といって夢を追い続けて37年。高度成長の煽りで企業誘致に舵を切り、国策に投機してきたが、それは結果的に想像もしていなかったような悪夢を招いている。漁業が基幹産業の町なのに、歴代の町政が産業振興に興味がなく、原発騒動にうつつを抜かして寂れるに任せてきた結果だ。このような投機主義と決別しなければ上関の衰退には歯止めがかからない。イージス・アショアとたたかっている阿武町が対照的だが、みずからの手と足を使って産業振興に情熱を傾けることによってしか地方の展望は切り開けない。あきらめと敗北に身を委ねるのではなく、一歩でも二歩でも基幹産業の発展に力を注ぎ、現役世代が暮らしていける町にしなければ、仮に原発ができたとしてもゴーストタウンにしかならない。住民が少ない方が中電にとっては抵抗要素が少なくてやりやすい関係でもある。

 

 D 世界的に原発からの撤退が潮流となり、国内の力関係も激変していることを認めたうえで、古びた認識を転換しなければ始まらない。町長が柏原だろうが誰だろうが、置かれた状況は同じなのだ。ズルズルと利権だけをつなぎとめて弄ばれるのでは上関町全体にとっても絶望的だ。原発依存の廃町政治から脱却し、原発が作りやすい町づくりから住民が住みやすい町づくりへと転換することが迫られている。町長が誰であれ、その課題に向き合わざるを得ない局面まできている。町をズタズタに切り裂いてきた国策の犯罪性を世間に問い、37年の損害賠償を求めてもおかしくない。もう弄ばれるのはやめにする時期だ。

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