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豪雨災害に見舞われた阿東、須佐町 復旧に手が回らぬ自治体

行政「効率化」の犯罪性

 7月末に豪雨災害に見舞われた山口県内の山口市阿東町、萩市須佐町では、その後も大雨に見舞われながら連日の復旧作業が進められている。このなかで、住民のなかではボランティアによる援助のありがたみと同時に、今回のような大規模災害が起きたときに、もっと行政による支援や復旧作業が円滑に進まないものか、という問題意識が強いものになっている。平成17年前後にあいついだ自治体の大合併によって、過疎地は行政の手が行き届かない土地へと変貌し、それまで町や村にいた自治体職員は本庁へ吸収され、住民生活を支える機関としては自治会や消防団といった地域コミュニティーだけが頼りになっていた。そこに前代未聞の災害が起き、復旧にあたっても行政的な対応能力が弱まっていることが特徴になっている。
 
 平成の大合併の結末 アベノミクスで業者釘づけ

 阿武川が氾濫して部落のほとんどが水に浸かった徳佐の坪の内地域では、稲の収穫が始まった。ある農家の男性は「一度水に浸かり、その後も水路が土砂で塞がれて田に水が入らなくなったため、例年に比べると品質は落ち、収入としては期待できない。それでも実った稲を収穫できるだけいい」と語った。
 生活基盤はまだまだ十分な復旧が見込めず、どうなっていくのかも想像がつかない。しかしできる限りのことをして、農作業もしながら生活を立て直していこうと奮斗が続いている。自宅がほぼ全壊に近い民家でも、骨組みだけになった家屋の前にプレハブを建て、荷物を移動させて生活を取り戻そうとしていた。
 嘉年地区の火打原では、道路や家の土砂の除去など、応急処置的な作業はほとんど終えることができた。これからは水田に流れ込んだ土砂を除去しないといけないが、現場にいる土木業者は道路や河川の修理に忙しく、田や農道は手を付けられないまま。復旧作業にあたる業者が圧倒的に不足しているのが現状だ。
 農家の男性は「先日は田の近くの道路の土砂を業者が取りに来ていたが、一人でショベルカーでトラックに土砂を積み、積み終わったらそのトラックを自分で運転して土砂を捨てに行っていた。期間が決まっているらしく、雨の日にも来て作業をしていた。すべて一人なのだ」と様子を話していた。集団なら効率よくできる作業も、一人なので何倍も時間を要しているという。
 防府から応援に来ていた建設会社の年配男性は、山から崩れ落ちてきた木の撤去に追われていた。勤め先の企業は一度退職したが、今回の災害で人手が足りないので声がかかり、バイトで応援に来ているのだといった。従業員は10人の会社だが、OBなどを含めて20人で4カ所の復旧作業にあたっていること、被災地の業務だけでなく元元抱えていた現場もあることから大変な状況なのだと話していた。
 荒れた田んぼでは、共済組合が被害状況を見て回っている。水田の面積に対して3割以上の被害があると、国から補助金が下りる。1割は地権者が負担することになっている。査定の結果がいつ出て、いつ補助金が降りるのかが全く知らされないため、来年の作付けの予定も立てられず、農家にとっては心配の種になっていた。
 また、7月の災害以後も豪雨があいつぎ、せっかく土砂を取り除いたのに再び上流から土砂が流れてくる状況もある。火打原地区の50代女性は、「川にたまった土砂を業者が取りに来てくれた。しかし家の目の前や用水路だけきれいにして帰っていくので、もう終わりなのかと聞くと、請け負った日数がその日までだった。雨が降ると上流の土砂が流れてくるため、用水路は再び詰まってしまった。これでは何のために何日も作業をやったのかわからない。上流の土砂をとらないと、下流に流れてくることくらい誰が見てもわかるのに、どうしてそれをしてくれないのだろうか。あと1日あればできたはずなのに…。認知症の母と暮らしているが、中途半端なままで終わったら、これから台風もあるので心配です」と不安な胸中を明かしていた。
 応急の橋がつながったり、わずかながら道路などのインフラを取り戻しつつある地域もある。しかし全般的には道路を確保できたとはいえ、至る所に土砂が堆積し、まだまだ復旧作業には時間がかかると見られている。農道などは後回しなので、農作業用の車がぬかるみにはまって動けなくなったり、臨時の橋は架かったものの、橋につながる道路がないといった状況もある。このようなときこそ、全県下から土木業者や機材を総動員して早期復旧に当たったり、あるいは職安にあふれている失業者に充実した手当を保証して、被災地の復興作業への協力を呼びかけたり、人、モノを動員することが求められている。

 阿東町役場は90人が20人に 県の出先も人員減

 もともと高齢化率が高かった過疎地が災害に見舞われた。阿東町では、合併前の町役場時代には、保育士を含む職員が120~130人いた。役場にいる職員だけでも90人だった。しかし、現在総合支所にいる職員はわずか21人。地元出身ではなく旧山口市内から通ってくる職員も多い。
 災害当日は大雨によって国道九号線が切断され、旧山口市内に住んでいる職員は日曜日ということもあって駆けつけてくることができず、阿東町内に住んでいる地元の市職員が水防応援職員として駆けつけて約30人が対応した。避難所を6カ所開設し、各避難所に職員を3人ずつ配置したために、庁舎内に残っている職員はわずか10人前後しかおらず、電話対応や住民の安全確認に追われてたいへんだったといわれている。道路が切断され、嘉年地区の部落に取り残された人に水や食料を届けるにも、大回りをして2倍、3倍の時間をかけて生雲方面から行かねばならず、最少人員のなかで人手をとられた。
 行政だけでは対応できないため、各部落の自治会長が一軒一軒住民に避難を呼びかけて歩いた。役場の職員と住民が顔見知りという田舎の強みをいかして、職員が消防団や民間の業者にも連絡をして住民の安全確認をおこなったという。地域のつながりが深いことの強みでもあるが、行政側の人員が圧倒的に不足していたことを浮き彫りにした。旧町時代に120人がかりで対応できたことと比べ、30人で対応できることの差は歴然としていた。
 また、地元出身の職員が避難の指示を出していたため、浸水しやすい場所などが把握できたが、「地元出身者でなければ全く対応できなかっただろう」と話す職員もいた。その後、災害対策本部は山口市の本庁におかれ、各分館から上がる罹災証明などは本庁に直接届くため、肝心の阿東総合支所で被災状況が把握できない。
 かといって、阿東総合支所では職員が足りないので、対策本部を置くと通常業務が回らなくなってしまうと語られていた。
 基礎自治体の現場が大忙しになっているが、人員合理化を進めてきた県当局も災害対応で大わらわとなっている。復旧作業が逼迫している最大の要因は人員不足にあることが語られている。
 山口県当局の出先機関として、県内各地の土木関連事業を取り仕切っている土木事務所の体制だけ見ても、平成の大合併がおこなわれた平成17(2005)年以後、玖珂土木事務所、大島土木事務所、豊田土木事務所がなくなり、山口土木事務所と美祢土木事務所は支所に降格するなど、人員整理と体制縮小が進められてきた。今回の災害で最前線に置かれているはずの阿東土木事務所は、防府土木事務所の傘下で支所となった旧山口土木事務所の分室へと降格し、以前は20人体制だったのから5人へと人員が減った。旧山口土木事務所も総勢60人体制だったのが一五人体制の支所へと変化し、維持第2班の任務は阿東分室の5人が充てられる格好となった。
 そしていざ災害が起きてみると、出先の阿東分室ができる業務は、泥よけなど県道の維持管理に限られていた。管轄の防府土木事務所が防府市、山口市、徳地、阿東のすべてを管理するよう任されているものの「あまりに広域すぎて対応できないのがあたりまえ」といわれている。
 県の各土木事務所などでも応援体制をとっているが、とても人員が回らない実情が語られている。今回の豪雨災害に限らず、この間は豪雨や台風といった自然災害が事前に予想される際に総合庁舎に泊まり込む人員すら男手が足りず、女性職員を組み込むようになったところもある。平成の大合併によって誕生した各市に、業務の一部を委譲したのも人員整理の理由になったが、一人ずつが請け負う仕事量が増え、いざというときに応援態勢すらとれない状況ができている。

 大規模災害に行政機能マヒ 全国各地で共通

 東日本大震災をはじめとして、全国各地で大規模な自然災害があいついでいる。このなかで、復旧の拠り所であり、司令塔になるはずの行政機能が麻痺したり、対応能力がなく早期復旧に手間取る事態が顕在化している。
 全国的に防災強化が謳われ、安心安全が強調されるようになった。下関のように安倍首相肝いりで防災管理監なるポストが設置された自治体もある。しかし、「小さな政府」といって行政機能を縮小してきた結果、動員力が落ち、大規模災害に対応する余裕がなく、膨大な通常業務に加えて不測の事態が起きた場合にはパンクするものとなっている。公務員の頭数だけが「効率化」され、自治体職場にも非正規雇用の嘱託が増えてきた。東日本大震災の被災地でも、全国からの応援職員がいなければ業務が逼迫して回らないことが問題になってきたが、山口県内でも応援職員を出す余裕がなく、かわりに週末ボランティアとして、各地から公務員がバスで手伝いに出かけるような状態が続いている。
 土木建築に技術職としてかかわっている公務員の男性は、「復旧といっても、その手順や法的な問題などを熟知している人間が関わることが一番の近道。土木のプロが一定期間、現地で腰を据えて復旧に関われるような態勢ができればよいが、そうするとアベノミクスで地元自治体が抱えている耐震関連や箱物の業務もたくさんあるから、今度はそっちが滞ってしまう。人員をもっと増やしてくれ! というのが現場の思いだ」と話していた。
 
 早期復旧に尽くせ 県内の力総動員して

 災害からの復旧を進めるため、現状では流木や大量の土砂を除けた後、測量設計が急がれている。ところが、今年に入ってからアベノミクスによって公共工事が山ほど発注されてきたため、国土強靱化関連の耐震工事その他に人員を割かれて、被災地に業者の手が回らない状況が出てきている。土木事務所や業界ルートで各地の測量設計会社に連絡が入り、「県関連の他の請負業務については納期を先延ばししても構わないから、災害復旧の業務に協力してほしい」旨が伝えられている。しかし、なかなか人員を動員できない状況だ。
 下関の測量会社の関係者に状況を聞いたところ、この10年近くは公共工事が激減してきたことから、各社が抱えていた技術者を減らすなどしてかつがつ経営を回してきた。その結果、今になってたくさん行政から仕事が出てきても請け負いきれず、いくつも現場を掛け持ちできないのが実情なのだと明かしていた。
 下関市内では今年に入ってから学校耐震化の設計業務が次から次へと出てきている。しかし入札になると各社が辞退し、入札不調すれすれの状態が続いている。「以前ならダンピングしてでも飛びつきたい仕事だ。しかし現在は、学校耐震化関連だけでも地元企業だけではこなせないほど業務が発注されている。そこに被災地の依頼がきて、どうしたものか…と頭を抱えている。会社の頭数だけ見ていてもわからない。小泉改革以後の公共工事減少で、どこの会社も合理化して人員を最少化してきた。だから以前よりもはるかにこなせる仕事量が少なくなっている。災害復旧に協力したいのはもちろんで、二つ、三つと請け負えればよいが、春以後に請け負った現場で精一杯なのが実情だ」と語られていた。
 行政機能を縮小してきたことの弊害が、被災地で端的にあらわれている。困ったときのボランティア頼みで、肝心なときに住民のために働く役割を果たせないというのでは、何のための行政なのかを考えないわけにはいかない。さらに、アベノミクスで公共工事がいっきに増大したことが、業者不足や一連の遅れにつながっている。不要不急の箱物事業や巨大道路よりも、被災地の生活再建につながる業務を優先し、県内の持てる力をフル動員して対応することが求められている。

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