いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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米軍の2軍にされる自衛隊 安倍政府の安保法制は愚策 憲法学者・小林節氏が長門市で講演

安倍首相お膝元の長門市での講演に500人


 長門市油谷のラポールゆやで5日、「憲法学者・小林節さんのお話を聞く会」(主催・同会)が開かれ、「新安保法制は、法的、政治的、経済的に愚策」と題して小林節氏(慶應義塾大学名誉教授)が講演した。小林教授は、憲法審査会において安保法制を「違憲」と断じた学者の一人として知られ、一連の憲法学者たちの捨て身の行動は世論の変化を大きく促す役割を果たした。全国で安保法制に反対するとりくみが広がるなかで、首相のお膝元である山口県長門市でこのような会が開かれることに注目が集まり、市内外から500人をこえる人人が集まった。以下、小林教授の講演要旨を紹介する。

 

    ◇         ◇


 今日こちらに来る途中、安倍家の墓所があると聞いてお参りしてきた。安倍寛さんはあの戦時体制のなかで軍国主義に真っ向から反対して非翼賛で国会議員に当選された。晋太郎先生にも外務大臣の時代にお目にかかり懇談したことがある。そのとき横で鞄をもった線の細い坊ちゃんがちょうどいた。それが今の総理大臣だ。


 今回の論争はこの国のあり方にかかわる政策論争であって、特定の個人に対する好き嫌いの問題ではない。その個人が天下の公人としてわれわれ1億人の運命をどうするのかということだ。私はこの時代に通りかかった一人の学識経験者として答えている。ただ如何せん、新聞でも雑誌でもテレビでもラジオでも国会の議場でも、自民党や安倍首相と同席したときは答えが返ってこない。憲法審査会でももちろんそうだ。答えてみろと自民、公明の議員をにらみつけてみるがみな視線をそらす。情けないがあれが天下の政権政党だ。私は自分の主張はまったく間違っていないと思っている。この主張に対して、憲法論となるといまだに議員も学者も逃げてしまう。


 日本という国は、世界有数の経済大国で、技術大国としてはおそらく世界1、2位だと思う。われわれは普通のレベルの民族ではない。足の長さと鼻の高さ、そして英語力はひけをとる。アメリカは戦争で勝って英語を公用語にしてしまった。だが私たちは英語より複雑怪奇な日本語を使える。そして英語も多少話せる。本当になにもひけをとらない。日本の経済力、技術力、人間の能力、そして専守防衛で固めている限り手は出せない。そして、日米安保は自民党の人がいっているように片務条約ではない。何千億円もかけてわれわれはアメリカのためのアメリカの基地をホストしてあげている。金で雇っているくらいだから、「おい、働け! こら!」ぐらいいってやってもいい。ポイント制でいえばこっちのほうが赤字であげすぎだ。


 以前、ホワイトハウスで安全保障担当補佐官と直にお話をしたことがあるし、副大統領に呼び出された日本人の3人の学識経験者の1人として施設内でディスカッションをしたこともある。そのさい、「日本はいつアメリカが与えた憲法9条を改正してアメリカと一緒に戦争できる国になってくれますか?」といわれた。つまりアメリカは二軍がほしいのだ。ヨーロッパの二軍がイギリスで、アジアの二軍が日本。日本レベルの国などアジアには他にない。アジアの他のどの国を二軍にしてもアメリカはトラブルに陥ってしまう。彼らにとって日本は最高の二軍で、こんなにレベルが高く、こんなに倫理的で、こんなにアメリカに卑屈な民族は他にない。しかし、われわれがアメリカの国益にしたがって消耗する理由はない。

 主権者が権力者を縛る

 最近、やたらと「立憲主義」という言葉が出てくる。それは簡単な話で、立憲主義とは権力者は憲法を守れということだ。最近ようやくよくなってきたが、5月3日の憲法記念日あるいはその前のメーデーの休日にどこかの公園に集まって護憲集会がやられる。私もよく遭遇し、いつもにがにがしく見てきた。ブルーの幟旗に「9条を守ろう」とか「憲法を守ろう」と染めぬいてあり、それを主張している。公権力を持っていない民間の庶民たちが集まって「憲法を守ろう」といっても、憲法を守らなければならない人たちが憲法を無視して行動しているわけだ。「憲法を権力者に守らせよう!」でなければだめだ。安倍総理みたいな人には「守れ!」といわなければいけない。


 私がもっとも尊敬するジョージ・ワシントンがやった一番偉いことは憲法を発明したことだ。それまでは、世界は王様の国家だった。一般国民は法律に従わなければならないが、王様は神と称していたから国家権力は放し飼いだった。ジョージ・ワシントンが初めて人が親玉になる国家権力をつくった。だから法で規律しなければならないと最初の憲法がアメリカでつくられて、フランスをはじめ世界中に憲法作法が広がっていった。


 わが日本国の明治憲法は、権力者側がつくって人民に下げ渡したという点で本来の憲法ではなかった。憲法というのは主権者である国民大衆が権力者に与えた条件だ。これが国家権力・権力担当者たちとわれわれ主権者国民との関係だ。日本の政治権力と向かいあうとき、それは最高権力者の安倍首相になる。だから安倍さんに向かって、日本国の権力担当の最高の地位にある人は日本国憲法を守れといっている。あの人の国会運営はどうみても私の知性と教養に照らして憲法違反であるといっているだけだ。あらためるべきは向こうだ。


 以前、安倍さんに直接説明したことがある。「憲法9条を改正しないで自衛隊の海外派兵すなわち集団的自衛権の行使はできますか」というから、「憲法をかえなきゃどう考えても無理ですよ」といって別れた。ただ、どうも自民党の改憲草案があまりにも時代錯誤で「明治憲法に戻ろう」という訳のわからないものだった。何度もいうが憲法はわれわれ主権者国民が権力者を管理する道具である。それを自民党の御用学者の北岡伸一という東大名誉教授(日本政治史)が安倍さんのトップブレーンとなり、昨年の閣議決定の翌日の読売新聞紙上で「憲法なんてものは政治家が使いこなすものである」とすごいことをいった。ちょっと待て。われわれ主権者国民大衆が憲法を使って政治家を使いこなすものだ。これは世界の常識だ。


 自民党の憲法調査会の人人も、私が問題を指摘していたら、「小林先生、来なくていい」といわれて行けなくなってしまった。いつのまにやら東大の歴史学者が「憲法は政治家が使いこなすものだ」という。本当に頭に血が上ってしまう。これは憲法の危機というか民族の危機だと思う。だから、今私は時間の許す限り全国に語りに行っている。


 安倍さんたちは憲法改正をやろうとした。でも自民党の改憲草案が評判が悪いので、どうしようかとなり、改憲ではなく憲法九六条の先行改正に動き出し、改正しやすくハードルを下げようとしたわけだ。


 これはおかしな話だ。憲法は権力者を管理するもので、権力者とはつまるところ政権を持っている人が最たる人で、政権を持っているということは国会の衆参両院の過半数を持っているということだ。その人たちをもってしても簡単に動かせないものにするため、3分の2以上でないと発議できないというものだ。それを2分の1にして、国民には「あなた方主権者国民が憲法に触りやすいようにしてあげるんですよ」と平気でいう。大嘘つきだ。


 だから、「これは裏口入学だ」と憲法記念日にしゃべったら翌日の朝日新聞にのって、そこで世論が逆転してしまった。それから安倍さんは解釈改憲派で動き始めた。

 憲法第9条が持つ意味

 憲法九条を簡単に確認すると1項は戦争放棄。2項は、陸・海・空軍その他の戦力は持てないといっている。わが国は海上自衛隊は持てるけれども海軍は持てないということだ。これはとても大事なことだ。決定的なことは2項で交戦権を認めていないことだ。交戦権を認めるということは海外に出るということ。海外でドンパチやっても、海賊や山賊といわれない法的資格が交戦権だ。日本は交戦権を認めないと憲法に書いてある。どんなに自衛隊が軍隊面しても法的には海賊になり、陸上自衛隊がどんなに陸軍っぽい格好をしても山賊になってしまう。


 もう一つ証拠に、76条の2項、裁判所の条文に軍法会議の禁止が書かれている。だからわが国は軍は持てない。憲法9条2項で、日本は戦争の道具と戦争の法的資格を与えられてない以上、アメリカが戦争しているのを助けにいく集団的自衛権など行使できない。


 9条の1項で戦争の放棄という条文があっても国際法上では自衛はできることになっている、だから、2項の軍隊と交戦権の否認、これをとっ払ってしまえば今の憲法9条1項のもとでも日本は再軍備できる、これが自民党でよく議論された憲法改正の作戦だった。


 これまでの論戦を通して今回の法案が違憲であることは明明白白で、あらためて議論させられることがばかばかしいほどの問題だが、最後の最後まで違憲だといい続けるしかない。

 平和国家の旗捨てるな

 そこで今回の新安保法案の、安倍政権がなにがなんでもこの2つだけはやりたいと思っていることと、それがいかに違憲であるかのべたい。


 それは、存立危機事態と重要影響事態だ。政府の説明によれば、「アメリカが海外で戦争を始めた。それを放っておくと、明日わが日本国が沈没する。すなわちわれわれ日本人の全人権が否定される。だからアメリカを助けに軍隊を派遣する」という。こんなことを考えつくだろうか。安倍総理を含めて、周りにいるなかなか優秀な官僚たちがそれをいうということは、きっとバカなのではなくてウソつきだ。これを見逃してはいけない。


 最初のころ問い詰められた安倍総理は「ホルムズ海峡しか考えていない」といっていた。それなら「ホルムズ海峡が機雷で封鎖されたら、弾の飛んでいないときにさっと行って、さっと機雷除去して帰ってくる事態」といえばいい。どうとでも使えるようなことをいってはいけない。「ホルムズしか考えていない」といったらアメリカとイランが仲良くしてホルムズ海峡に機雷が敷設する可能性はゼロになった。そしたら今度は「朝鮮半島が」「南シナ海が」という。なにがなんでもアメリカの二軍として自衛隊を差し出さないといけないという結論があるようで恐ろしい。


 後方支援というが、これもふざけた話で、弾の飛んでこない後ろから合体するわけだ。日本の自衛隊が米軍基地の後ろから合体して通信する、治療する、修繕する、補給する、給食する、運送する。極めつけは、戦場にとり残された兵士を見つけて運ぶ。一番危険だ。撃てずに戦場をうろうろするのだから突撃より危険だ。これは米軍の戦争と一体化している。「弾が飛んできたら自衛隊は中止する」といっているが、そんなことをしたら米軍に殺される。ありえない理屈をつけて、行ったら逃げられずに一緒になって終わるまで転戦し、一緒にハリネズミにならないといけない。


 これまで海外で戦争をしてこなかった日本人が、戦争をしに行くのだから危険が増す。このことについて安倍総理は、「全然危険は増しません」という。「予算を増やさない」といって次年度要求は増えている。日本人は中近東で、礼儀正しいお金持ちの気のいい商売人でしかなかった。唯一引き金を引かない安全なPKOだった。それが今後、アメリカすなわちキリスト教の親分の二軍として来るとなったら、あらゆる待遇が変わる。彼らは原理主義者だからやるといったらやる。


 日本人はキリスト教の二軍になるよりケンカの仲裁者になればいいと思う。どっちの見解にも組みせず、でんとしていればいい。それが日本の立ち位置ではないか。70年間戦争をしていないこのブランドを捨てるなど意味がない。

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