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加害者免罪する原賠制度 福島事故の国民負担既に21・5兆円

負担をみな転嫁して逃げ切る東電

 安倍政府は昨年12月、福島原発の事故処理費用が、それまでの11兆円から21・5兆円に膨れ上がることを明らかにし、それを電気料金引き上げや税負担として国民に新たに転嫁する方針を発表した。

 廃炉費用だけ見ても、デブリのとり出しや処理方法など未知な部分も多く、この額は今後どれほど増えるかわからない。原発3基がメルトダウンするという世界に例のない大事故で将来にわたる甚大な放射能被害を引き起こし、福島県民から故郷を奪っておきながら、加害者である東電や経産省、製造メーカーのGEなどは誰一人として刑事責任を問われず、損害賠償をはじめとする事故処理費用もほとんど負担せず、国民にツケを回して平然としている。

 そして事故から6年がたち、避難指示解除とセットで賠償と避難者への支援をうち切る一方で、原発再稼働と原発輸出に突き進んでいる。このような加害者が免罪され被害者が犠牲を強いられる転倒したしくみは、福島原発事故の直後から政府・経産省と東電、財界が一体となってつくってきたものである。大学の研究者やジャーナリストたちが最近明らかにしている事実から彼らが国民に隠れて何をやってきたかを見てみた。

 国策企業には至れり尽くせり

 研究者たちは、福島原発事故の加害者が免罪されるしくみが、戦後につくられた原子力損害賠償制度(原賠制度)に根ざしていると指摘している。戦後、政府はアメリカに押しつけられた原子力発電と核燃料サイクルを国策として推進してきた。それを支えたのが原賠制度である。


 1961年にできた原子力損害賠償法(原賠法)の特徴は、事故を起こした電力会社に対して、過失・無過失にかかわらず無限の賠償責任を負う「無過失・無限責任」を決めていることだ。被爆国の国民世論に配慮して他国に例のない「無限責任」という建前だが、同法が事業者に支払い準備を義務づけた「賠償措置額」の上限は50億円(1999年のJCO事故をへて1200億円)であり、きわめて限定したものとなっている。それをこえた場合は、国会の議決をへて国の「援助」(貸付でないので返済義務がない)とした。


 日本の地震や津波、火山噴火による事故は、民間の保険業界や海外の保険ネットワークは原則として引き受けない。あまりにリスクが高く、商業ベースに乗らないからだ。そのリスクが政府の補償契約に回された。また、戦争被害について「事業者の責任なし」と決めたのは、政府の補償契約でも対応できないからだ。


 もう一つの特徴は、事故原因が原発製造メーカーにあったとしても、賠償責任を事業者に集中し、メーカーは一切責任を問われない「責任集中原則」である。原爆を日本に投げつけたアメリカは、戦後は「原子力の平和利用」と称して原発輸出を国家戦略とし、それを進めるうえで各国に事故が起こったときの損害賠償制度をつくらせた。そのさい製造者である米国企業が賠償責任を負わない制度にすることを、原発輸出の条件として要求した。日本に対しても、日米原子力協定を締結するさい、「核燃料を日本が引き受けた後は米国政府の一切の責任を免除する」という免責条項を入れることを強く求めた。最近、原発の放射能漏れ事故を起こした米国の電力会社が、原因の蒸気発生器を納入した三菱重工の製造者責任を問い、巨額の損害賠償を求めているが、同じことをアメリカに対しては許さないダブル・スタンダードである。


 原賠法制定当時、科学技術庁は「政府としては賠償措置額をこえるような大規模な災害の発生は先ず生じ得ない」という国会の想定問答を作成していた。つまり、「国民に被害を及ぼす重大事故は起きない。万が一に起きても原賠制度で被害者は保護される」と国民に説明しながら原賠法によって大手電力会社と原発メーカーなどの責任と負担を限定して、原発建設に金融機関からとめどなく資金を注入し、事業者の利益を保証するシステムをつくったのである。


 ある研究者は「福島事故で原子力はリスクから見てもコストから見ても今の科学技術水準では手に負えないことが明らかになった。原発も核燃料サイクルもはじめから成り立っていない。成り立っていないものを推進するために、形ばかりの原賠制度がつくられた」「この矛盾は原発事故が賠償措置額の範囲にとどまっている間は表面化しない。だが、福島原発事故によってリスクの現実が明るみに出ると、加害者の責任と経済的負担が転嫁され、被害者である国民が受忍を強いられる」と指摘している。

 際限なく国が追加支援 原賠機構は東電主導

 福島原発事故は世界の原子力損害賠償史上最大で、支払い財源の「賠償措置額」を大幅に超過したはじめての事故だった。すると事故直後から、経団連や電気事業連合会は「東京電力は国策による被害者」だといって東電の免責を求め、国による賠償を主張し始めた。マスメディアも「電力会社に無限責任を負わせる原賠法の考え方には無理がある」(日経)などと煽った。その流れのなかで原子力損害賠償支援機構(2014年から原子力損害賠償・廃炉等支援機構)がつくられた。


 東電は福島原発事故によって、2011年3月末には実質的に債務超過に陥り、法的整理(倒産)が避けられないはずだった。にもかかわらず今も存続しているのは、同年5月の関係閣僚会議で東電をつぶさないという方針が確認され、原賠・廃炉機構を新設することが決められ、このトンネルを通じて巨額の国民のカネが東電に投入されて、賠償額のほぼすべてがまかなわれたからだ。


 そこでつくられたスキーム【図参照】を見ると、政府が原賠・廃炉機構のために交付国債を発行し、機構がそれを現金化して東電に投入し、その返済は東電と大手電力各社が長期に負担金として支払うと決めている。負担金には東電のみが支払う特別負担金と、東電を含め大手電力各社が支払う一般負担金があり、大部分を占める一般負担金は電気料金の原価に含めることができる。それは一世帯当たり年間587~1484円と試算されている。東電の株の減資も債権カットもなく、そのため金融機関や社債保有者の負担はゼロになる一方、国民は電気料金や税金として事故処理費用を負担し続けることになった。


 2011年9月に原賠・廃炉機構ができたとき、東電と機構がまとめた支援枠の上限は5兆円だった。ところが翌12年11月、東電の下河邉和彦や嶋田隆らは記者会見で国に追加支援を求め、13年には上限が9兆円に引き上げられた。下河邉は弁護士出身で機構の運営委員長になり、その後東電会長になった人物で、嶋田は経産省から機構の事務局長に出向し、その後東電取締役に就いた。彼らは自分たちでつくった長期計画を1年あまりでみずから不十分として、国に追加支援を求めている。原賠・廃炉機構はこのスキームで大きな役割を担っているが、運営委員会を含めて配付資料や議事録がまったく公開されていないと研究者から強い批判を浴びている。

 東電が国民に賠償請求 主客転倒のスキーム

 だが、それで終わりではなかった。経産省は昨年10月、東京電力改革・1F問題委員会(東電委員会)と電力システム改革貫徹のための小委員会(貫徹小委)を設置し、この二つの委員会で福島原発事故処理費用について再び審議を始めた。そして12月には一定の結論を出した。なぜこれほど急いだのか?


 研究者はこうのべている。第1の、最大の理由は、廃炉費用が巨額になることがわかってきたからだ。廃炉費用が確定すれば東電はそれを帳簿上負債として計上しなければならないが、そうすると東電はすぐにでも債務超過に陥る可能性がある。つまり債務超過を回避することが東電委員会の隠された目的だった。


 第2に、廃炉費用に加えて損害賠償、中間貯蔵施設建設、除染などの費用が、先のスキームを大きくこえるものになったため、追加措置が必要になった。第3に、追い打ちをかけたのが電力自由化だ。先のスキームは電力会社の地域独占と総括原価方式(すべての経費を原価としそれに一定の利益を加えたものを電気料金にする)にもとづく電気料金制度を核としており、それによって政府と東電は損害賠償費用を自動的に国民に転嫁できた。だが、電力自由化で総括原価方式は2020年に撤廃される。他方で損害賠償は膨らみ続ける。新たな制度が必要になった。


 そこで経産省がひねり出したウルトラCがこうである。「本来、損害賠償費用は福島事故以前から積み立てておくべきだったが、そうされなかった。したがって過去においてこの費用が含まれない安価な電気を使ってきた国民に対し、さかのぼって負担を求めるのが適当である」。原賠法にも規定がない驚くべき屁理屈を後付けで打ち出した。


 そして商業用原発が稼働した1966年から2010年までに積み立てておくべきだった賠償への備えを3・8兆円とし、そのうち2019年度までに現行制度で1・3兆円を回収し、残りの2・4兆円は2020年度以降も総括原価方式が残る送配電部門の料金(託送料金)に上乗せして、原発に依存しない新電力の利用者からも40年にわたって回収するとした(貫徹小委の「中間とりまとめ」)。


 さらに同時期、内閣府・原子力委員会に原賠法を見直すための原子力損害賠償制度専門部会がつくられた。部会の構成は財界に偏っており、委員の多数が「事業者の責任が重すぎる」「有限責任を採用し、電力企業が倒産しないようにせよ」と主張したことが明らかにされている。少なからぬ委員から「原子力事業は国策なので、事故は国と事業者の連帯責任。だから事故を起こした事業者から国(つまりは国民)への賠償請求ができる」という発言まで飛び出した。加害者が被害者に損害賠償を請求するという盗っ人猛猛しい議論すら大手を振るっているのである。


 福島事故にかかわってきた弁護士は、「すべての経済活動において、市民に害を及ぼせば事業者が責任を負うことは当然のことであり、事故を起こしたときの経営リスクに耐えられないなら原発から撤退すべきである。有限責任の導入は、安全性への投資をにぶらせ、次の重大事故の危険性を大きくする」と批判している。

 企業リスクなく再稼働 ツケは全て国民に

 これらの委員会設置からわずか2カ月後の昨年12月20日、「福島復興加速のための基本方針」が閣議決定された。基本方針は、福島原発の事故対策費がこれまでの11兆円から21・5兆円に増えること、それに対応して政府の支援枠を九兆円から13・5兆円に増やすこと、その原資は電気料金上乗せなどで国民負担に転嫁することを明らかにした。「託送料金」に上乗せして新電力を含め電気を使うすべての家庭に負担を回す新制度も盛り込まれた。


 また、数千億円以上かかると予測される帰還困難区域の除染も東電に請求せず、国が税金でおこなうことを決めた。これまで福島原発の除染費は東電が支払うと法律で決められていたが、これを覆した。国の環境政策の大前提である「汚染者負担の原則」は崩壊した。


 こうして福島県ではいまだに8万人とも10万人ともいわれる人たちが故郷に帰れず避難生活を送っているというのに、大事故を引き起こした東電は、事実上倒産状態にあるにもかかわらず資産を保持したまま存続し、東電の利害関係者、すなわち外国人株主を含む大株主、貸し手の金融機関、社債の債権者、原子炉製造メーカーのGEなども一切傷ついていない。東電や東電の株主、債権者に負担を求めるという当たり前のことが否定され、頭から国民負担が当然であるかのような論がまかり通っている。かくて加害者が被害者面して責任を免罪され、被害者である国民にすべてのツケが回されるという転倒が起こる。そのなかで復興大臣が、福島の被災者の自主避難に対して「本人の責任。裁判でもすればいい」と開き直っている。


 戦後、政府や電力会社はアメリカからいわれるままに地震列島の海岸線に原発を林立させ、そこから利益を得てきた。そして今、アメリカからいわれるままに安保法制をつくり、日本列島を米国本土防衛のための盾とし、米軍と一体となって北朝鮮への軍事挑発をおこなうと同時に、原発の再稼働を決めて相手に格好の標的として晒すという気狂い沙汰をやっている。


 法治国家の原則をみずから破り捨て、国民の財産を身ぐるみはいだうえに生命の危険にさらして平気という性根を見せつけている。原発事故を引き起こしていながら、その処理費用を張本人たちは何ら負担することはなく、刑事責任すら問われず、知らぬ間にみな国民負担にしていくという盗っ人猛猛しい振舞に及んでいることが暴露されている。

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