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宮古市重茂 漁協軸に共同体が機能して復興遂げる

 東日本大震災で被災した沿岸のなかでも、岩手県では漁村がいち早く復活の狼煙を上げ、生産活動の再開に向けたとりくみを進めている。国の復興施策が何ら動かないなかで、漁協を中心にした地域共同体が機能していることが、漁船・漁具の確保や操業再開、瓦礫撤去などで威力を発揮しており、県一漁協合併をした宮城県の沿岸や、よそと比較しても際立った違いになっている。近年は水産庁や農林中金が全国で漁協合併を奨励し、信漁連が抱えていた赤字を浜の漁協に尻拭いさせたり、協同組合の解体を推進してきたが、「相互扶助」を目的とする漁業協同組合の重要性が改めて問い直されている。
 本州最東端に位置している岩手県宮古市の重茂(おもえ)半島では、40㍍近い津波に襲われた地区も少なくなかった。「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな」の石碑がある同半島の姉吉地区では、先祖たちが伝えた津波の教訓を守り、高台に暮らしていたおかげで多くの人人が難を逃れた。
 半島は杉やブナなどの山山に囲まれたリアス式海岸特有の切り立った地形で、住居が比較的高い位置に存在し、高台にあった重茂漁協の本所も無傷だった。漁協から急な坂道をくだっていくと、巨大な岩場の間に小さな漁港がある。沖合に設置されていたはずの巨大な防波堤はなぎ倒され、加工施設も骨組みだけの姿をさらしていた。そのなかを漁協組合員やその婦人たちが、瓦礫の撤去や分別作業をこなしていた。震災後は最低賃金相当ではあるが漁協から給料が支給され、「少しでも稼ぎが入るから助かる」と語られていた。失対事業のような仕組みが独自に動いていた。
 年配組合員の男性は「力のある若手はワカメ・昆布の養殖場の片付けで沖に出ている。年寄りと女が陸の片付けという役割分担で、漁協が決めた方針に沿って作業している。結束力こそこの浜の財産だ。この地域は津波の怖さがよくわかっているから、地震が起きた後に急いで高台に移動したため死者が少なかった。そのかわり船や施設はみなやられた。国や県の応援を待っていてもあてにならないから、漁協が真っ先に動きみんなで復旧している」といった。
 重茂では、地域の9割以上の人人が漁業に従事し、組合員数は600人にものぼる。ワカメ、昆布の養殖が盛んで、それに天然アワビやウニの採捕を組み合わせることで、年間の水揚げ額が1000万円を超える漁業者が多く、隣接の漁協組合員たちからも「日本一の漁協」「組合が強いところ」と羨望の眼差しで見られていた。役場かと見まがうような3階建ての立派な漁協の建物が、地域共同体の中心としての存在感を物語っていた。
 800隻(うち500隻以上が1㌧未満)あった漁船は14隻を残してすべて流された。しかし岩手県内でももっとも早く漁協が復旧に向けて動き始め、3月末には流された漁船の回収や復旧作業を開始し、4月初めの組合員集会では、残った漁船の共同利用方式が告げられ、みなが全会一致で了承。「われわれは過去にも大津波の被害を受けているが、その度に漁業で立て直してきた。こうしたときこそ組合員が共同の力を発揮することが重要だ。来年にはワカメや昆布をこれまで通り水揚げしよう」と組合長が呼びかけ、漁協は他県の浜にまで足を運んで中古船を買い付けたり、フル稼働し始めた。
 瓦礫撤去作業の傍らで、若手漁師たちは他県から運んできた「AM(青森)」「AT(秋田)」ナンバーの付いた中古船を修理し、漁協が一括購入した新品の船外機を取り付けて、いつでも海に出れる状態をつくっていた。困難な状況に際して漁協が蓄えてきた黒字分を吐き出し、銀行から十数億円を借りるなど思い切った策を打ったことで「重茂から離れることなく、漁業でやっていく決断ができた」と語られていた。
 修理すれば使える船など、今ある50隻はすべて漁協が所有し、漁業者4~5人に1隻の割合で共同使用すること、新たに購入する船もすべて漁協が所有して、全員に1隻ずつ確保された後に個人に引き渡し、その間は水揚げによって得た収益も等しく分け合うこと、新船に必要な資金は再来年度以降の水揚げから10%ずつ天引きすることにして、漁業者個人が借金をせずに復旧を目指す仕組みになっていた。
 こうした漁協を中心とした復旧の動きを他の浜も聞きつけて同様の動きを見せ始め、県漁連が2000隻を一括購入して共同利用方式を打ち出すといった政策につながった。「運の善し悪しで組合員がバラバラになってはならない」と真っ先に漁船確保を急ぎ、メドがつくまで漁船、漁具は漁協がすべての資金を準備し、急場を浜の英知と力、資産を結集し乗り切ろうとしている。とくに岩手県内では単独経営の黒字漁協で、沿岸に根ざした浜ほど漁協と組合員の信頼関係が強く、前代未聞の事態に直面しながらも有効に機能しているのに特徴があった。
 重茂漁協の漁師たちは、5月に入ってからは天然ワカメの収穫に出漁し、2日間で100㌧水揚げしたと語っていた。ワカメや昆布の養殖は1㌧もない船外機付きの小舟を操って、箱メガネで海底を覗きながら作業する。「養殖施設もだが、陸にあったワカメ、昆布の加工施設などすべてやられた。ボイルして塩漬けにしたり、パック詰めして出荷するまですべてを浜でこなして重茂ブランドは育ててきた。そういう施設も復旧しないとダメだ」と語られていた。
 漁業が唯一の生活の糧であり、漁場が磯焼けを起こさないように木をむやみに伐採しないよう徹底し、重茂地域の各所で「合成洗剤をこの島のなかで使わないこと」の立て看板が目撃されるのも、「排水によってワカメや昆布、アワビやウニが育つ漁場が荒れてしまうから」と説明していた。隣接で進められている青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場建設に対しても、「子孫のために海を守れ」と漁協をあげて反対してきたことを年配漁師たちは語り、福島原発の海洋汚染について「言語道断だ」と憤っていた。
 岩手県内では被災した沿岸のなかでも、綺麗に瓦礫撤去をすませた地域が何カ所かある。住民そのものの力が発揮され、漁協が重茂地区のように臨時雇用の給料方式を採用して組合員が作業に従事したり、人の手と足が動いている。

 命運わける漁協や行政機能

 ただ、浜ごとに差違が生じているのも事実で、「うちの浜は復旧が遅れている」と語っていた山田湾の漁師たちは、「昨年、5漁協が合併し、支所に格下げになってしまった。震災後は組合長が一度も足を運んでこないし、県漁連が打ち出した漁船購入の件でも、どうなっているのかすら教えてもらえない。牡蠣の養殖場を個人個人で復旧するのには資金的な限界がある。これまでの借金すら返せないのに、再びローンを背負うなど難しく6割近くが辞めようとしている。漁協が強い重茂がうらやましい」「個人の努力でどうにもし難いのが震災だ。漁協や行政の姿勢が命運を分ける」と語っていた。
 山口県に続いて県一漁協合併をした宮城県では、信漁連の赤字を各漁協が尻拭いさせられ増資を迫られるなど、震災前から組合員の肩に負担がのしかかっていた。各浜の黒字も5~6割を上納することが義務づけられ、今回の震災のように非常事態が起きたときに、資金的な余裕や自由度がないことを宮城県沿岸の漁協関係者たちは指摘していた。合併後、「宮城県漁協」の幹部ポストには信漁連、県漁連の幹部たちが座り、「あいつらは漁業というものをまったく理解していない」「問題を起こした奴がなぜ乗っ取るのか」という意見もあった。
 行政関係者のなかでも「知事が漁業権の民間開放や漁港集約などおかしなことをいっているが、漁師はみな怒っている。本来なら人民公社のような格好で共同所有して目の前の現実に対応するのが急がれている。競争原理を排除しなければダメだと思う。区画漁業権の民間参入はイオンが狙っているのだと思うが、企業化と沿岸漁業の存在は水と油で、企業が大手を振るい始めた場合は漁村のコミュニティーを破壊してしまう」と危惧していた。

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