いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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宮古市重茂 結束力の強さが威力発揮 漁協中心に漁業再開へ

 三陸沿岸では水産業が基幹産業としての地位をしめ、 この復興が地域全体の立て直しにとってもっとも重要な要素になっている。 漁業者が魚をとってくることが街の経済を潤し、加工や販売、機械修理や造船・鉄工、製氷、製函、運輸などさまざまな関連産業に波及していくこと、みなが一丸となって復興する重要性が指摘されている。津波にやられたなかで、いち早く復興にとりかかったのが漁業者や漁協で、がれき撤去をしながら一方では漁業を再開させ、生産者がパワフルに立ち上がっている姿がある。
 岩手県宮古市の重茂半島では、 協同組合が地域の中心になって機能し、 漁業者自身が手分けして復興にあたっている。 岩手県内屈指の漁協 といわれ、 結束力の強さが震災という極限状況からの復興にさいして威力を発揮している。 人間の手と足こそが復興の原動力であることが歴然としていた。
 民家がある部落までは国道から40分も離れ、 がれき撤去にダンプカーがたくさん入れるような地域ではない。 ここは陸の孤島なのだ という住民もいた。 普通車がすれ違うのも困難なほど狭いつづら折りの山道が続き、 しばらく進むと切り立った山に貼りつくようにした住宅が見えてくる。 急な勾配をくだると大きな岩場の陰に漁港があり、 人人が作業に追われていた。
 津波で吹き抜けになった作業小屋では、 わかめ・昆布の養殖場を整備しようと漁師たちが汗を流していた。 新品のロープを同じ長さごとに切り分け、 本数をまとめてくくっていく。 老いも若きも、 流れ作業を手早く進めていた。 1日でも早く動き出せば、 その分が来期につながる。 とくにワカメは確実に利益がとれる。 ジッと助けを待っていたってなにも始まらない と組合員の一人は口にした。
 浜の作業はリーダーや年輩者の指揮で進んでいく。 若い後継者たちの姿も多く、 聞くと20代が44人 (7・7%)、 30代が54人 (9・4%) いるということだった。 今日の午前中はがれき撤去。 昼からはワカメ・昆布の養殖再開の準備 といった形で役割分担を決め、 漁協が臨時雇用して給料を保証しながら、 本格的再開にむけて忙しい毎日を送っていた。 男衆が力仕事なら、 婦人たちはがれき撤去後の掃除など、 こちらも集団プレーでことが動く。
  漁を再開しなければ、 生活の復興にはならない という思いをだれもが語り、 操業再開の一点を見つめて力を合わせる。 漁協が間髪入れずに漁船購入や組合員の臨時雇用などの体制をとったことも影響が大きく、 自己責任 といって放置されたり、 生活の糧がなくなったのを理由に離散する組合員はいない。 これまで通りに漁業ができれば、 十分暮らしていける という安心感があるからだ。 行政的な力が及びにくい僻地でありながら、 漁協を中心にした地力復興が勢いよく進んでいる。 漁業一本で暮らしてきた重茂半島において、 歴史的に協同組合が相互扶助組織として機能し、 豊かな地方生活が営まれていたことと無関係ではない。
 漁協職員に聞くと、 重茂半島ではほとんどの住民が漁協に所属し、 組合員数は574人にのぼる。 ワカメ・昆布の養殖が盛んで、 その他に磯見をやる人はウニ、 アワビを採りながら、 季節になると定置網の乗組員になって生計を立てているという。 収入が多いのはワカメ・昆布養殖を営んでいる漁家で、 年間3000万円を水揚げする家庭が3軒、1000万円以上が100軒。 定置網で100万~300万円ほどの給料をもらっている漁業者も、 自分自身で磯見をして200万~300万円ほど稼ぐので、 500万~600万円ほどの収入にはなっていると説明していた。 また山には杉や松が林立しており、 松茸がとれる時期は2週間で100万円くらい稼ぐ組合員もいる。
 さらに漁協がワカメの集荷場、 加工施設、 冷凍施設、 パックセンターなどを補助金を駆使しながら整備してきたおかげで、 婦人たちを100人以上雇って、地域の雇用まで生み出していた。 通常なら、 生産者がとってくる魚介類は市場や仲買に二束三文で買い叩かれ、 二次加工、 三次加工の付加価値を生み出す部分は企業にもっていかれることが少なくない。 しかし重茂では製品にして一部は販売までするので、 地域に現金収入が循環する仕組みになっていた。 ワカメ・昆布は県漁連の共販で入札にかけられ、 いったんは市場に出される。 生産者としてはそこで手が切れる。 それを今度は漁協が買い取り、 加工所に回すシステムになっていることを説明していた。 加工所の年間売上げも10億円を超える。
 重茂漁協の水揚げ高は震災前まで25億~30億円を推移してきた。 そのうち養殖や磯見が約20億円、 サケの定置網が7億円前後 (8億円を超えると組合員に分配金が出る)。 アワビ(岩手県内一の採捕量) の養殖施設やサケの孵化場が津波に流されたことが痛手で、 サケは放流すると四4年後には戻ってくる。 定置網の水揚げも大きなウエイトを占めているので、 早期につくってほしい と語られていた。
 道路が不便で、以前から拡幅してほしいと要望しているのに、 岩手県は動いてくれない。 生ウニは出荷しても傷んでしまっていた。しかし、ならば焼きウニにしようと日持ちする保存方法を考え、 それが珍味として人気が広まって有名な特産になった と語られていた。 漁業を斜陽産業として見なすのではなく、 英知を結集して漁業で地道に地域を盛り立ててきたことが今日の重茂を築いてきたこと、組合員が力を合わせれば元に戻せる という確信が、 復興に立ち向かう力強さの源になっていることは疑いない。
 震災という困難さのなかで、 復興の展望を示す存在として注目されている。

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