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佐賀配備計画の現状について オスプレイ配備反対地域住民の会会長・古賀初次

 私は生まれも育ちも空港のある佐賀市川副町の人間だ。佐賀空港はもともとは、私が小学生の頃までは海だった。休みになればムツゴロウ、ワラスボ、アゲマキをとりに行ったり、私たちの遊び場だった。以前は30㌢以上のハゼがとれていたので、祖父母、父母はハゼ縄漁で生計を立て私たちを育ててくれた。命の次に大切な場所だ。だから私は佐賀空港建設の話があったとき、疑問よりも怒りが先にきた。


 昭和30年、私が小学生のときに川副の干拓工事が始まった。高校を昭和42年に卒業し、家業のノリ養殖を継いだ。ノリ漁は大体4月、5月で終わるので、夏はアルバイトで国造干拓の潮留堤防の仕事をしていた。当時私たちも含め漁業者には田んぼがなく、コメを買って生活していた。だから漁業補償として川副町内の四つの漁業組合に干拓地を農地として払い下げてもらった。


 だが、コメの増産を目指した政府は減反政策に転じ、佐賀空港建設の話が浮上した。昭和53年に川副町長が空港建設を表明した。そのあと漁業者、川副町、県で何度となく話し合いがされ、多くの苦労がなされたという。その解決策として、佐賀県と当時の漁協、川副町、隣の千代田や東与賀などの首長が判を押して公害防止協定が結ばれた。背景として、当時は東京湾や北九州の洞海湾、熊本の水俣など大きな公害問題があった。有明海でも水銀の問題がとりあげられていた。


 一番大事なのは、この協定の覚書、付属資料に「自衛隊との共用はしない」との文言が明記されている。当時の組合長は戦争体験者であり、もう二度とあのような悲惨な戦争はしてはいけないという強い思いがあったからだと思う。先見の明のある先輩組合長さんたちには頭が下がる思いだ。
 また有明海には、筑後川大堰問題、諫早干拓閉め切り問題という二つの国策の事業があった。二つの事業によって多くの漁民が海の仕事を奪われ、自然破壊によって今は魚や貝、他の生物も生きられなくなっている状態だ。いくら漁業者が声を大にして叫んでも、国は漁民の声を聞こうとしない。今でも有明裁判は続いている。裁判所まで国寄りの判決を出すような状況だ。漁民は生活の場を失い、今泣いている。


 そして2014年、佐賀空港へ自衛隊とオスプレイ配備計画を私は新聞報道等で知った。まさに寝耳に水で、頭の中は真っ白、怒りで一杯になった。地域住民や市民には何も知らせることなく、強引に計画をおし進めようとする国、それを受け入れようとしている当時の古川康知事には呆れてものもいえなかった。


 私たち地域住民は、反対協議会をつくり、反対の署名運動、幟の設置、反対抗議集会、勉強会、講習会を開いた。佐賀県や佐賀市、有明漁協などへ計画の撤回や廃止を求めて、申入書を出してきた。今の山口祥義知事の答えは「国の防衛のため」の一点張りだ。県議会、佐賀市議会は、自民党議員の数の力で推進の方向に回っている。秀島佐賀市長だけが「公害防止協定の話が先だ」ということで頑張っている。


 今現在、防衛省は土地売却の意向を個別に調査するアンケートを収集しており、地権者である漁業者の心を買収しようとしている。一番卑劣なやり方だと思っている。私は防衛省は仮面をかぶった魔術師か、詐欺師だと思っている。化けの皮を剥げば剥ぐほどボロが出てくる。漁民も市民も騙されないようにしなければ、後世に禍根を残すだけだと思っている。天から与えられた自然の恵みを守り、子どもや孫が安心して幸せな日々を送れるように努力するのが私たちの責任だと思って、今後ともこの運動を続けていくつもりだ。

 

(※8月27日、佐賀大学SDGsプロジェクト研究所主催の講演会での発言要旨)

 

2018年4月に開催されたオスプレイ配備反対の住民集会(佐賀市川副町)

有明海でのノリ養殖作業

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