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買い物から社会が変わる マルシェ探訪記 フリーライター・鹿島香子

 かしま・きょうこ 神奈川県横浜市在住。4歳男児と2歳女児の母。大学卒業後、業界紙の記者として8年働いた経験を生かし、2021年から個人のライターとして仕事を始める。趣味は畑しごと。

 

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 2020年11月の、よく晴れた土曜日。地元で初めて開かれた、小さな「マルシェ」を訪れた。マルシェとは、仮設の直売市場といったところ。10年ほど前から国内で増えているようだ。

 

 無農薬野菜の直売、オーガニックカレーを提供するキッチンカー。竹細工の工芸品に、ヴィンテージ素材で一点一点仕立てた古着屋。各ブースに並ぶ品々の多くが、小さな生産者の手仕事により生み出されたモノたちだ。私にとっては食べたいモノ、ほしいモノばかり…。

 

 無添加食材で手作りしているというパフェの店に、まず並んだ。連れて来ていた4歳の息子と2歳の娘が喜ぶ、と思ったからだ。お目当ては「焼き芋パフェ」。市販のおやつを買うことは普段あまりないが、これなら安心して食べてもらえる。初めてのパフェに、予想通り2人のご機嫌は急上昇。平らげた後、そのままのテンションで走り出した。

 

 もちろん、子どもが誰かにぶつかったりして迷惑をかけないよう気を付けはしたが、あまり神経質にならずに済んだ。

 

 我が家と同じような家族連れも多く、子どもたちがいたるところで遊んでいたからだ。そして何より、売り手もお客さんも、大人たちが皆笑顔。会場全体が明るく大らかな雰囲気だったので、過ごしやすかった。

 

スーパーと違う光景

 

 居心地のよさを感じながら、ふと思った。ここでおこなわれているのは、端的にいえば買い物だ。買い物の現場が、笑顔と会話であふれている。何だか不思議だ。

 

 というのも、スーパーで店員さんと喋ったり笑い合ったりしながら商品を選んでいる人が、日常的にいるだろうか? 私はほとんど見掛けたことがない。まして子育て中のお母さんならば、子どもが騒いだり走ったりしないかハラハラしながら、笑顔どころか鬼の形相で足早に済ませようとする人(←私)も多いのではないだろうか。

 

スーパーでは商品を「誰がどうやって作ったか」を知ることは基本的にできない

 行為は同じ『買い物』なのに、広がる光景はマルシェとスーパーで全然違う。この違いは一体、どこからくるのだろう?

 

 スーパーには、各地から集約された商品が陳列されている。そこに生産者の姿はなく、商品を「誰がどうやってつくったのか」を知ることも基本的にできない。また、商品が店頭に並ぶまでには何層もの流通段階が存在するはず。どれだけの人の手を介してスーパーにたどり着いたのか、一般市民の私たちが知る術はほぼない。それはイコール、たくさんの人たちの労働で成り立っているということであり、尊いとは思う。でも、生産や流通と切り離され、ただ商品が置いてあるだけの場所では、笑顔も会話も生まれようがない。

 

 一方でマルシェは、生産者やそれに限りなく近い立場の出店者(卸や加工を手掛けた人など)から直接商品を買う。野菜ならば産地や栽培方法、調理法まで、目の前の売り手に何でも聞ける。売り手も自分の商品に自信を持っているので、熱心に説明することが多い。買い手はそうやって、時には商品の背景に想像を巡らせながら、自分のものさしで買うかどうかを決める。こうしたやり取りが、マルシェに活気をもたらしているように感じる。

 

経済本来のあり方

 

 また、マルシェでのそんな風景が、私には本来の経済の在り方であるようにも思えた。「誰かがつくったモノを、必要とする人が対価と引き換えに受け取り、暮らしを豊かにしていく」というシンプルな営みだ。その現場は明るく、デフレや不景気といった暗いイメージと無縁に感じられた。

 

 そうであるなら、今の社会を覆う閉塞感を打破する鍵が、マルシェにはあるんじゃないか? いや、近年マルシェが広がっているのなら、すでに世の中が変わり始めているということ? ここのほかに、どんなマルシェがあるのだろう。どんな人たちがどんな思いで、開催しているのだろう。

 

 知りたいことが次々に浮かび、私はいくつかのマルシェとその主催者を訪ねてみることにした。

 

■ 青山ファーマーズマーケット  (東京・表参道)

 

 渋谷区表参道で毎週末、「青山ファーマーズマーケット(以下、青山FM)」というマルシェが開催されている。

 

表参道「青山ファーマーズマーケット」

 初開催は2009年。国内のマルシェの草分けだ。約30ブースから始まり、現在は最大で約100ブースが並ぶ。主催のNPO法人(国連大学が共催)から委託を受け、メディアサーフコミュニケーションズという会社が運営している。そこでCGOを務める、田中佑資さんにお話を伺うことができた。

 

 「作り手と消費者のつながりをつくること。それから、スーパーでは大きさや色、形などの『規格』が価値の基準です。でも価値ってそれだけじゃない。『誰が作ったのか』『美味しいかどうか』なども価値です。スーパーではもれてしまう、規格以外の価値を知ってもらう場をつくりたい」。青山FMで実現したいことについて、田中さんがいう。

 

 そうか。前回、マルシェとスーパーの違いについて私なりに考えてみたけれど、そもそも品ぞろえの価値基準が違うのか、と納得した。

 

安全の“正解”はひとつじゃない

 

 続けて田中さんは、「規格以外の価値を知らせたいが、それを消費者に押し付けるつもりはない」という趣旨の話をしてくれた。青山FMとして、オーガニックや無農薬というコンセプトをうち出してはいないことが象徴的な例だ。オーガニックの野菜や加工品を売る出店者はいるけれど、出店の条件としてそれを定めているわけではない。私のなかで、マルシェとオーガニックは同義に近いイメージがあったので、少し意外だった。

 

 「農薬を使わなくて済むなら、誰も使わないでしょう。でも何らかの理由があるから、使っている。『こういう事情や考えに基づき、こういうやり方で野菜を作っている』と農家が伝え、それを聞いた消費者が納得した上で品物を選ぶ。対話を通じ、多様な価値の基準に沿って、買うものを選べる場所でありたいです」(田中さん)。

 

 これを聞いて、私は思わず唸った。よくよく考えてみれば、食の『安全』とは曖昧な概念だな…と気づかされたからだ。

 

 例えば一口に『農薬使用』といっても、その種類や使用回数はさまざま。それを十把一絡げにして「安全ではない」と断定することは、できないはずだ。また、『農薬・化学肥料不使用』の野菜は安心だけれど、それは農家の方々の計り知れない労力の賜物。だから、価格は押しなべて高い。私はなるべくそういう野菜を求めるようにしているが、お財布と相談して諦めることもある。一食や一日の単位ではなく、日々の食生活という長期の視点で食の安全を確保したいので、それでいいと今は思っている。

 

 つまり安全には、いつでも、誰にとっても当てはまる“正解”がない。だから、「これが安全です」と掲げることはしない、という田中さんの考えには共感した。また、私はオーガニック(その基準や定義が明確になることを前提として)が農産物のスタンダードになることを望んでいるけれど、そんな社会の実現に向けては、田中さんのいうように一人ひとりの納得感のある買い物の積み重ねが早道であるようにも思えた。

 

対面販売で弾む会話

 

 4月上旬、娘を連れて青山FMの会場に足を運んだ。お客さんたちは心なしか、いや確実に、洗練された装いの若者が多かった。さすが表参道。

 

 娘は寝起きだったが、おやつにベーグルを買ってあげると顔色を変え、しばらく無言でかぶりついていた。ベーグルは噛みごたえもボリュームもあるので、子どもにちょっと静かにしていてほしいときの頼もしい味方だ。ちなみに購入したのは、オーガニックのスペルト小麦で作られたベーグル。栃木県・那須から来た出店者の方の、手作りだ。

 

 横浜市の農家から仕入れているという、八百屋さんのブースにも立ち寄った。朝採れの野菜たちが並び、特に葉物のみずみずしさが際立っている。いずれも減農薬栽培だという。

 

 偶然、出店者の男性の住まいと我が家が近所だと分かり、話が弾んだ。これも対面販売のマルシェならではだろうと思った。 
 

 

■ さんごのマルシェ (神奈川県厚木市)

 

 4月中旬の、よく晴れた日曜日。私たち家族は、神奈川県厚木市でひと月おきに開かれている「さんごのマルシェ」(以下、さんご)を訪れていた。ホリスティックケアサロン「CORAL.HOLISTIC(コーラルホリスティック)」のオーナーセラピスト、丸山はるみさんが、サロン横の空き地で主催する小さなマルシェだ。

 

 当日出店していたのは17ブース。地元・厚木産の無農薬野菜や、酵素玄米おにぎりとデリ、自家焙煎珈琲、手作り洗剤…。会場は、地球にも人にもやさしそうなものたちでいっぱいだった。

 

大人気、自家製のおいなりさん

 

 そのなかでも私が注目していたのは、「KROKA7 2 0(クローカ720)」という自家製のおいなりさんをテイクアウトで提供するブース。おいなりさんなら、小麦アレルギーのある4歳の息子が安心して、美味しく(そして大人しく)食べてくれると思ったからだ。

 

自家製おいなりさんのテイクアウト専門店「クローカ720」

 しかし、すぐに見つけ出したそのブースには、まさかの「完売しました」の文字…。店を一人で切り盛りしている男性によると、用意してきた51個はとり置きの分を含めて、あっという間に売れてしまったという。昆布とかつお、シイタケの戻し汁で出汁をとり、揚げの仕込みに一日半。自宅でとれた旬の山菜や、生産者の明らかなオーガニック素材を用いて“母の味”を再現した逸品だという。…そんな話を聞くと何が何でも食べたくなるが、ないものはない。

 

 気をとり直して、出店の感想などを伺うことにした。子どもたちのためには幸い、ほかのブースで焼き芋を入手。しっかり甘く食べごたえも十分、ベーグル並みの優秀選手であった。

 

しがらみがなく“いいとこ取り”

 

 「商店街が、戻ってきているんだと思います」。男性は、マルシェをそう表現した。なるほど…!

 

 八百屋さんや魚屋さん、肉屋さん。子どもの頃、母について毎夕のように通った故郷の商店街を思い出した。そういえば母もお店の人たちと、商品のことから他愛ない会話まで、立ち話を楽しんでいた。私が大人になる頃にはもう、個人商店はほぼ店仕舞いして、さびれてしまっていたけれど。

 

 スーパーや大型ショッピングモールの出現により、各地ですたれていった商店街。それが、形を変えてよみがえっている。マルシェには確かに、そんな側面もあると思った。

 

 しかもマルシェは、商店街の“いいとこ取り”だという。「商店街はその場所に存在しているから、付き合いやしがらみが生まれがち。でもひと月やふた月に一回程度開かれるマルシェなら、気兼ねなく出店できます。お客さんに対しても、ただモノを売るだけでなく顔を合わせることで、つながりの輪が広がります」(クローカ720の男性)。

 

 周りを見渡すと、出店者同士が談笑している姿がよく見られた。あるブースに座っている人が、さっきと違う…と思ったら、休憩している間に別の出店者が店番をしていた様子。こうした出店者間のコミュニティ形成に、マルシェのイベント性も寄与しているのか、と男性の話を聞いて思った。

 

 もう一つ、会場全体から感じたことがある。

 

 オーガニックや無農薬というキーワードは、それに関心のない人からすると敷居が高くなりがちだと思う。“自然派志向の人たちのもの”という見られ方を、どうしてもされてしまう風潮を日頃から感じる。

 

 でもこのマルシェは、地球にも人にもやさしいもの、具体的にはオーガニックや無農薬の品物がたくさん集まっているのに、そういう敷居の高さを感じさせない雰囲気があった。どのブースも、それらの言葉を大々的に掲げていないことがよい意味で影響していたのかもしれない。

 

 実際、丸山さんによると「さんごのマルシェを機に、スーパーでも商品の裏をよく見るようになった」と話してくれるお客さんたちがいるという。マルシェが、食や健康に関心をもつきっかけになり得るのなら、とても画期的だ。

 

 そんな場をつくり出した丸山さん。どんな思いでここを始めたのだろう?       

 

 2011年3月11日。東日本大震災の発生当日、さんごのマルシェの主催者である丸山はるみさんは宮城県にいた。山間部のホテルに併設されたスパで、セラピストとして働いていたためだ。

 

 幸い大きなケガはなかったものの、ライフラインの断絶で移動手段が途絶え、ホテルで被災生活を送ることに。このとき最も頼りになったのが、『人づての情報』だったという。「毎日リュックを背負って山を下り、地元の人たちからもらった情報を持ち帰りました。『何日にガソリンスタンドが開く』、『どこで炊き出しがある』、『役場の衛星電話は一人一分まで無料』…。災害のとき、スポットの重要な情報ってラジオでは流れにくくて、口コミで広がるんです。私は関東から仕事で宮城に来ていた身でしたが、日ごろから商店や温泉に通い、地元の人たちとずっとコミュニケーションを取っていたので、情報を教えてもらえました」(丸山さん)。

 

 被災時の体験から、人と人のつながりの大切さが身に染みたという丸山さん。それが、厚木でホリスティックケアサロンを開業した後、さんごのマルシェを始める動機になったという。

 

食が心身の健康をつくる

 

 さんごのマルシェにはもう一つ、丸山さんの思いが込められている。

 

 丸山さんは食べものや健康、自然環境に対する関心と、問題意識をかねてから持っていたそうだ。栄養学も学んでいる。しかし日常生活を送るなかで、そういった事柄について『いかに人々が何も考えていないか』を痛感することが多かったという。「人は食事を改善すると、イライラや落ち込むことが減ります。改善といっても大げさなことじゃなく、ちょっと出汁をとって、具沢山のお味噌汁をつくるだけでもいいんです。でもそういう話をすると、『インスタントじゃだめ?』と返されてしまうこともあって…」。

 

 一方で、例えば「酵素玄米でつくられた美味しいおにぎり」の話をサロンのお客さんにすると、「それどこに売ってるの?」と聞かれることもあったという。ただ、小さな子どもを育てている母親の場合はなかなか買いに行くことができない。「それなら、(マルシェに)集めちゃおう! と思い立ちました」(同)。

 

サンゴのマルシェの様子

“熱い思い”あえて控えめに

 

 「誰もが皆、心身共に健やかで幸せに生きる権利を持っているし、そうあるべきだと思っています」と、丸山さん。そのためには、地球や体にやさしい食べものが重要になる。でもその熱い思いを、あえてマルシェの前面には出していない。

 

 「『皆を改革しよう』と鼻息荒く発信するのは、(自分のやり方として)ちょっと違うな…」(同)と感じたからだそうだ。なぜなら、外野がどんな主張を投げかけようとも、「一人ひとりの意識が変わらなければ」(同)何の意味もなさないから。

 

 「例えば日本の食品には、総じて不要な添加物が多い。けれども、それについて社会に文句をいうだけでは何も変わりません。買い物する一人ひとりが勉強して自分で考え、選ぶものを変えないことには、不要な添加物はなくならない。だから、ごく普通の人がさんごのマルシェに来て、『ここのモノはスーパーで買うモノと違うな』と、少し感覚が変わってくれればいいと思っています」
(同)。

 

 ここまで話して、丸山さんはお茶目に笑った。「そんなことを考えてさんごのマルシェを始めたのだけれど、やっているうちにすっかり楽しくなっちゃって」。

 

 丸山さんの本業は、ホリスティックケアサロンのセラピスト。マルシェで各出店者から集める1000円の出店料の合計はすべて、場所代や駐車場代、テントなどの備品の購入に充て、丸山さんの利益はゼロだ。出店者集めや連絡、準備など大変なことは多いはずだが、「慣れました。マルシェの開催中はずっと平和な時間が流れている。自分のなかで、(仕事などとの)バランスがとれるんです」という。

 

 さんごのマルシェには、明るく誰にでもオープンな雰囲気がある。それは丸山さんの人柄を、そのまま映しているのだなあ、と思った。

 

■ 山のオーガニックマーケット  (神奈川県伊勢原市)

 

 2017年の春、神奈川県伊勢原市の伊勢原総合運動公園で、『山のオーガニックマーケット』(以下、山のマーケット)が初めて開催された。

 

山のオーガニックマーケットの様子

 

 その名の通り、農薬や化学肥料、遺伝子組み換え食品などを用いていない食べものや、化学物質を使用していない工芸品を扱うお店などが、約50ブース集まるマルシェだ。来場者数は初年度に約3000人、3年目には約5000人を数えている。

 

 ただ昨春以降、コロナ禍の影響で休止中。せめて主催者に話を伺いたいと考え、小田急小田原線『伊勢原』駅のすぐそばで自然食品店『山の百貨店』を営む、瀬尾博さんの元を訪ねてみた。

 

「前は物欲の塊だった」

 

 こじんまりとした店内に、食品から日用品まで所狭しと並ぶ。普段、私自身も使っているものがたくさんあった。

 

 接客の合間を縫い出てきてくれた瀬尾さんは、自然体で素朴な雰囲気の方だった。ところが「昔は、物欲の塊。お金あっての自分、と考えていました」。のっけから衝撃的な発言が飛び出す。およそこのお店とは無縁と思える言葉たちに、私はのけぞった。一体、どういうことなのか。

 

 以前は、大手ショッピングモールの商品部、それから現在と同じ伊勢原の地でコンビニエンスストアのオーナーを務めていたという瀬尾さん。「売れること、利益が最優先」(瀬尾さん)のスタンスで、仕事に明け暮れていたそうだ。

 

 転機は8年前、息子さんが誕生したときにやってきた。「自分の店を見回したら、息子に食べさせるものが一つもなかったんです。それなのに、店の商品を人におすすめしていいわけがない」(瀬尾さん)。そこから一気に方向転換。コンビニオーナーをやめ、奥様と二人三脚で、山の百貨店を開業した。品揃えの基準はシンプルに、『息子に食べさせたいもの』だった。

 

 年収は、コンビニオーナー時代の10分の1になったという。瀬尾さんは「(お金がなくても)大丈夫だと分かった。それより、『自分のやるべきこと』をやることの方が大切だと気付きました」と振り返る。瀬尾さんにとっての『やるべきこと』とは、『自然に即した、人や環境にやさしいモノを広めること』。山の百貨店はそのきっかけづくりの場だ。

 

 その場を、もっと大きくしたいと考えた瀬尾さん。お店経由でつながりができた農家や仕入れ先の協力を得て、山のマーケットを開くことになったという。出店料は、場所代やチラシ代などの必要経費を出店者数で割った額。だから毎回一定ではないが、瀬尾さんの利益は「ゼロです、もちろん!」(同)。あくまで『自分のやるべきこと』の一環であって、「イベントプロデューサーになりたいわけじゃない」(同)からだそうだ。

 

子どもにワクワクしてほしい

 

 山のマーケットの主なブースは、冒頭に書いた通り。それ以外にも、毎回必ず設けるコーナーがあるという。『玉コロガシプロジェクト』という、造形作家の方がつくる子どもたちの遊び場だ。流しそうめんの支柱の要領でたくさん組み立てられた材木の上を、地形の高低差を利用し、玉(ボール)を転がして遊ぶ。瀬尾さんによると、幼児だけでなく小学生も長い時間興じるそうだ。

 

必ずもうけられる子どもたちの遊び場

 

 「マルシェでは親が(買い物)に夢中になる一方で、子どもがつまらなさそうにしている光景をよく見ます。でも山のマーケットでは、未来をつくる今の子どもたちにワクワクしてほしいんです」(同)。その言葉を聞いて、マルシェに来るといつも、我が子たちに大人しくしてもらおうと食べもので釣っている自分を恥じた。

 

 同時に、『未来をつくる今の子どもたち』という言葉が印象に残った。瀬尾さんは、未来まで見据えたうえで自分の使命を捉え、まっとうしようとしている。瀬尾さんの覚悟が、伝わってきた。
 再開したら必ず、家族で足を運びたい。私は買い物をしに、子どもたちは玉をころがしに。   

 

 この連載(新聞紙面で6回に分けて連載)では三つのマルシェを取材した。主催者の皆さんの考えを伝えるとともに、自分の思ったことや感じたことを綴ってきたが、マルシェの全体像についてもう少し体系的に理解したいと思い、京都大学大学院農学研究科の研究員・豊嶋尚子さんにお話を伺った。最終回はそれを交えて、私なりにマルシェ探訪を総括したいと思う。

 

都市部から郊外へ

 

 国内でマルシェが登場したのは、2009年に農林水産省が実施した事業『マルシェ・ジャポン・プロジェクト』が契機だったようだ。この事業自体は同年中に廃止されてしまったが、それから現在にいたる10年あまりのあいだに、さまざまな民間団体が主催する形でマルシェは増えていった。

 

 そのなかで、私の印象では3回目で紹介したさんごのマルシェのような、手づくりの小さなマルシェが存在感を増しているように思う。また開催地も、都市部から郊外へと広がっている様子。「さんごのマルシェ」や「山のオーガニックマーケット」も、神奈川県の郊外で開かれている。

 

 豊嶋さんは、「都市部のマルシェを体験した人たちが、ノウハウを得て地元などで開くケースが出てきたのでは。場所代の安さや商品の産地からの距離を考えると、郊外の方がマルシェはやりやすいはずです」と説明してくれた。

 

『主体的に買う』価値

 

 各マルシェでは、食べものを中心に安心・安全なモノを掲げ提供する出店者に、たくさん出会った。豊嶋さんも「オーガニックのように、高単価でないと収益化が難しいものの販売ツールとして、マルシェは成立しやすいと思います」という。

 

 私を含め、そういうモノを暮らしにとり入れたい人にとって、マルシェの存在はとてもありがたい。ただ私には、そういう安心・安全なモノ自体の広がりよりも、買い手が売り手との対話を通じて「安心・安全なモノって何だろう?」などと考えを巡らせ、その結果自分で選ぶ、という過程の方が尊いように感じられた。大企業の広告や宣伝に左右されずに、一人ひとりが自分の頭で考え選択していけば、世の中の商品やサービスの質がもっと高まって、多様性も生まれるはずだからだ。そういうふうに主体的な買い物ができる点に、マルシェの価値があるように思われた。

 

 最後に、一連の取材の発端となった、「社会の閉塞感を打破する鍵がマルシェにはあるんじゃないか」という私の問いに戻りたい。

 

 私ははじめ、『社会の閉塞感』を経済の視点からしか考えていなかった。「マルシェが活況なら、そこでお金が回っているということだから、経済の活性化=社会を明るくすることにつながるんじゃないか」と、単純にイメージしていた。実際、マルシェに行くとモノが盛んに取り引きされている印象を持ったし、私自身もお財布の紐がつい緩む。けれども、話はそう単純ではなかった。

 

 マルシェでの売り上げがどの程度かは、マルシェや出店者によってさまざま。一日の売り上げが平均10万円という人がいる一方、「赤字です」という声もあった。でも出店者の多くは、それだけを目的としてマルシェに出店しているわけではないようだった。

 

 例えばある農家の場合、毎回必ず来てくれる常連のお客さんから、野菜の宅配も頼まれているという。また、出店者同士の横のつながりから、いろいろなマルシェの情報交換をしたり、新しい卸先として飲食店を紹介してもらったりしているという話を聞いた。販路開拓だけでなく、「常連さんが(その出店者の畑まで)農業体験に来た」という話もあった。

 

 経済活動が、マルシェで完結せずに外に広がっている。更にいえば、出店者も消費者も経済活動だけを目的としてマルシェに足を運ぶわけではない。顔と顔を合わせて会話することから生まれる“何か”に引き寄せられて、人が集まっているんだ…と感じた。マルシェ自体がコミュニティだし、そこからまた無数のコミュニティが生まれている。

 

 私は、お金がたくさん循環することはもちろん、コミュニティから生まれるエネルギーが世の中を明るくするんじゃないか、と思う。やっぱりマルシェに、“鍵”はあった。

 

鹿島香子のホームページ「ちいさな もの書き屋」

https://chiisana-monokakiya.amebaownd.com/

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