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自助努力では復旧に限界 豪雨災害から1ヶ月の熊本県球磨村 急がれる重機投入や公的支援

押し流された倒壊家屋のガレキ(球磨村渡地区茶屋)

 7月上旬に九州各地を襲った豪雨災害から1カ月が経過した。日本三大急流といわれる球磨川の氾濫によって大きな被害を受けた熊本県南部の人吉市(人口3万2000人)、球磨村(3200人)では、多くの家屋が水や土砂に浸かり、今も住民の生活基盤が失われた状態が続いている。本紙は現地に足を運び、現状を取材した。

 

氾濫した球磨川

コロナ禍でボランティアも制限され苦境に


 人吉盆地を貫流する一級河川・球磨川は、下流にいくにつれて川幅が狭くなり、周囲にそびえる急峻な山々に挟まれた谷間を縫うように蛇行しながら八代海に注ぎ込む。7月4日の記録的豪雨によって球磨川の水位は急激に上昇し、堤防を数㍍もこえた濁流が流域の集落を呑み込んだ。人吉市内では、川沿いに軒を連ねる温泉旅館や商店街を含む中心市街地に濁流が流れ込み、家々は屋根まで浸水。さらに下流の球磨村では、川内川などの支流から流れ込む土砂も混じって水かさが倍増し、流域に点在する各集落は田畑や道路もろとも激流に押し流された。


 川の両岸に併走しているJR肥薩線と国道219号も崩落を起こして交通網が遮断されたため、各集落では避難住民がとり残される事態となり、小高い丘や住宅の屋根に避難した人々はボートやヘリで救助された。八代市まで繋がる国道の一部は復旧したものの、土砂にふさがれた道路は通行止めが続き、現在も立ち入ることができない集落も多い。


 人吉市から球磨村に入ると、無残になぎ倒された電柱や頭上の道路標識にまで草木や泥が絡みつき、路上には押し流された家屋のガレキが山のように積み重なっており、洪水の凄まじい水量と圧力を物語っている。骨組みだけ残った家も2階まで泥水が堆積し、被災住民たちは窓や扉もなくなった家で泥やガレキの撤去作業に追われていた。


 球磨村渡地区茶屋集落では、全28戸が水没し、そのうち25戸が全壊・半壊するという凄まじい被害を受けた。コンクリの基礎だけ残して根こそぎ押し流された家屋や、濁流をまともに受けて木っ端微塵になった建物が折り重なり、集落全体が廃虚となったまま放置されている。堤防が決壊して低地の集落に流れ込み、さらに側溝・下水道・排水路の水を川に放出すべき水が逆流する「内水氾濫」を起こし、猛烈な勢いで集落全体をかき回していったといわれる。増水した川から水を汲み上げるために国交省が設置していた3カ所の排水ポンプ車も火災を起こして機能不全に陥った。


 線路の土台は崩れ、橋や鉄橋も崩落。かろうじて形を留めた家屋にも、流れてきた家屋のガレキが張り付くようにして堆積している。球磨川では1965(昭和40)年、1982(昭和57)年にも大規模な氾濫が起き、以来幾度となく浸水被害が出ていたためこの地域の住民意識は高く、いち早く高台に避難して犠牲者は出なかった。だが、渡地区では特別養護老人ホーム「千寿園」で人手不足から避難が遅れ、入所していた高齢者14人が亡くなったのをはじめ、死者は球磨村全体で25人におよんだ。

 

全戸が壊滅的な被害を受けた渡地区茶屋集落

基礎だけ残して押し流された家屋も

 自宅が跡形もなく押し流された70代の女性は「いったいなにが通りすぎていったのか? と思うほどだ。55年前の水害でも床上浸水はあったのでこの地域では底上げをして家を建てていたが、2階まで泥水に流された。被災後、この地区は危険区域に指定され、国費による解体が決まっているから手つかずのまま1カ月も放置されている。今はほとんどの住民が避難所の体育館で寝泊まりをしているが、1カ月もすれば気が滅入るので、なにもすることもできないけれど毎日ここに来ている。避難所になっている多良木高校(廃校)からここまで来るには2時間もかかるので、まだ一度も自宅に来ていないという人も多い。これだけのガレキを撤去しようと思ったら手作業は無理で、重機がなければなにもできない。水も電気も永久に復旧されず、この地域はこのまま人の住めない場所に認定されてしまうのではないか。顔なじみの隣近所の人たちと話し合いがしたくても、みんなバラバラに避難しているので、連絡もとれず、相談もできず、防災無線すら聞こえない。高齢者には情報がまったく入ってこない」と寂しそうな口調で語った。


 村全域が浸水した球磨村では、2日時点で176世帯377人が避難所で生活しているほか、親戚などを頼って避難している人も多い。避難所では朝昼晩に弁当が支給されているが、コロナ対策などの衛生面にも神経を使う日々が続いているという。女性は「贅沢はいえないし、全国のみなさんからの支援には感謝しかないが、一刻も早く落ち着いて生活できる場所がほしい。村ではとりあえず33戸のコンテナ仮設住宅が完成し、要支援者や障害者が優先的に入居することになっている。次の建設予定地がなかなか決まらず、次の100戸程度をつくるには9月末までかかるという。もう2カ月も体育館生活はやりきれない。その間に球磨村で暮らすことを諦めて、村を出て行く人が増えることを心配している」と話した。


 家の泥かきをしていた50代の男性は「川の氾濫といっても体感的には津波だ。東日本大震災のときに湾から真っ黒い海水が堤防をこえて溢れる映像を見たが、同じように真っ黒い水が溢れてくるのを高台からただ見ていた」と当時の様子を語った。


 「この集落は堤防よりも低くなっているので、家は2階まですべて浸かった。上流には田があり、そのヘドロを巻き上げた濁流が押し寄せているので、2階部分にはいまもヘドロが堆積している。人力ではどうしようもない。道に散乱したガレキは重機でよけて通路は確保されたが、それ以外は被災直後のままなにも変わっていない。この地区の家はいずれ公費解体されるが、だからといって親の代から50年以上暮らしてきた家や土地をめちゃくちゃな状態のまま晒し続けるのはつらすぎる。もう家を建て直すことはできないが、それでも泥かきをして、書類やアルバムなどを探して何か作業をしていないと落ち着かない。公費解体がいつ動き出すのかを待つしかないのが現状だ」と話していた。

 

家の床を剥ぎ、流れ込んだ泥を家族でかき出す(渡地区)

渡地区島田 濁流が7㍍もの高さに

 

 渡地区島田集落で商店を営んでいた男性は、3世代5人で暮らす3階建ての家が2階まで泥水に浸かった。家の中には今も水を含んだ真っ黒い泥が堆積しており、家族総出で泥をかき出す作業に汗を流していた。男性は「村の高齢化率は49%。なによりも仮設住宅が早く完成しなければ、みんな体力的にも精神的にもまいってしまう。ただ5人家族で3DKでは狭すぎる。きめ細かな対応をしなければ、人口の流出を招きかねない」と話した。


 「昭和57年の水害では床上60㌢まで浸水し、今回もその程度だろうと思っていたら、6~7㍍もの高さまで濁流が押し寄せ、家の3分の2が沈んだ。再建を諦め、解体することにしているが、何とか必要なものだけとり出そうと思っている。だが、コロナ感染防止で県外からのボランティアは受け付けておらず、熊本市内でも感染者が増えているため、申し込んでもなかなか人は集まらない。この状態が続くと地域を立て直すことは難しいし、再建資金すらない人も多くいる。400~500人規模で人口が減り、集団移転というような話も出てくるのではないか。現状では何の結論も出ていないが、とりあえず一刻も早く住民が落ち着いた生活をとり戻せる状態をつくり出すことが必要だ」と切実に語っていた。


 浸水した家から食器などの家財道具を運び出し、泥を洗い流していた高齢夫婦は、「家は解体することになると思うが、公費解体がいつから始まるかはわからない。今は娘の家に旦那と二人で身を寄せているが、やはり気を遣うし疲れる。1カ月たち、避難生活の疲れがたまってきているので、体を動かしていなければ気がおかしくなりそうだ。一生かけて築いた財産が一瞬で消え去ってしまった。仮設住宅に入れるかどうかもわからない。だから毎日ここに通って、次の生活拠点が決まるまでの間にできる限り使える家具など探し、すぐに運べる準備をしている。これからが本当に大変。ボランティアには頼れず、自分たちの力だけで次へのステップの準備をしなければならないからだ。周りのみんなの頑張っている姿に励まされながら、何とか毎日家に通って作業ができている。自力でやれることがなくなり、目に見えた進展がなくなるこれからが正念場になると思う」と話していた。


 球磨村の各集落では、夏休みに入った学生などが自主的に集まってきて高齢者の家の片付けを献身的に手伝う姿も見られ、住民たちは「一人で途方に暮れていたので勇気づけられる」「涙が出る」と感謝の思いを口にしていた。ただ、コロナ禍による自粛の影響もあってボランティアの数は限られており、公による目に見える支援が乏しいなかで、被災者自身や親戚、職場の仲間などが自主的に声を掛け合って援助に駆けつけているケースが大半だ。

 

孤立した神瀬地区 7月末に二度目の土石流

 

軒先まで土砂で埋まった家屋も多く見られる(球磨村神瀬地区)

 渡地区からさらに下流にある神瀬(こうのせ)地区(267世帯644人)には、球磨川の支流である川内川の上流から土石流が押し寄せ、集落全体を襲った。道路も寸断されたため、山裾の集落は一時孤立状態に置かれ、住民たちはボートやヘリによって救助された。山の斜面を流れる沢が崩れ、山から押し寄せた土石流によって川底が上がり、たちまち氾濫して集落に流れ込んだ。土砂と濁流が本流の球磨川に勢いよくぶつかり、再び集落に跳ね返ってくる「バックウォーター現象」が起きたといわれる地域だ。


 球磨川沿いの国道は八代方面も人吉方面も寸断されていたが、7月18日にようやく人吉方面からのアクセスだけは可能になった。それまでは、通常は人吉市内から神瀬地区まで車で片道30分ほどで行けたが、八代市まで大きく迂回しなければならず片道1時間30分を要した。さらに梅雨が長引き、再び記録的豪雨に襲われた7月24日には第一波を上回る土石流が流れ込み、ふたたび集落を呑み込んだ。そのため梅雨明けまで被災家屋の多くは手つかずで、現在も屋根まで土砂で埋まった家や倒壊したままの家も多い。

 

 7月23日から土砂やガレキの撤去に入った自衛隊も30日で撤収し、熊本県内から個人有志やボランティアが入り始めているものの総数が限られている。水道や電気などのインフラも断絶しているなかで、ほとんどの住民が自力で家の片付けをおこない、土日には親戚や仕事の同僚などが手助けに駆けつけ、35度をこえる猛暑のなかで必死にガレキや土砂の撤去に黙々と汗を流していた。


 実家の1階部分が土砂で埋まり、片付けをしていた男性は「これまでは雨で何度も土砂が流れてきて作業にならなかったが、梅雨が明けて道路も通れるようになったので人吉市の避難所から通って今日から本格的に作業にとりかかろうと思っている。だが、ボランティアはたくさん来てもらえるわけではないので知り合いや家族に手伝ってもらっている。それでも、これほどの土砂を搬出するのは人力では不可能だ。絶対に重機の力が必要だ。まず家から土砂を出すにしても家の前の道が土砂で埋まっているので、そこから手をつけなければ話にならない。だが重機もなくオペレーターもいないので、とりあえず埋まっていない2階にある家具や寝具、座布団や重要な書類などを探している。家の片付けは、役場に申請して業者に土砂の搬出を頼る以外に方法が思いつかない。しかし早くしないと土砂も乾燥して、粘土質の泥が固まってコンクリートのように堅くなってしまう」と焦燥感をあらわにしていた。


 娘と一緒に家の片付けをしていた男性は「水が出ないのが一番つらい。家そのものは全壊認定を受け、公費解体されることになっているのでそれを待つばかりだ。自分にも家族があり仕事があるので、月曜から金曜までは仕事をし、土日にこちらに通っている」という。酷暑の中ですでに泥は乾いて固まりはじめており、車が走ると視界を遮るほどの粉塵が舞い上がる。水道がなければ泥や砂を洗い流すこともできず、熱中症や感染症などのリスクも高まる。


 氾濫した川内川の近くに住んでいた男性は「7月4日の豪雨で家に土砂が流れ込み、1階部分が埋まってしまった」と話した。

 「被災直後に家の中の土砂をスコップ1本でかき出したが、その後の豪雨でまた川が溢れ、最初の被害以上の土砂が家に流れ込んだ。新しく買ったスコップなどの工具もすべて流されて気力も尽きかけていたが、そのことを知った高校の恩師がスコップを送ってくれ、また3日かけて土砂をかき出した。この地域に住んでいたのは老人ばかりで個人の力だけではなにもできず、手つかずの家が多い。ボランティアが先週の終わり頃からようやく少しずつ来てくれるようになったが、住民本人が炎天下に避難所からここまで通って作業することはできない。高齢者が安く安心して暮らせる住宅を早急に用意するべきだし、公の力が働かなければ復旧は進まない」と話していた。


 熊本豪雨被災地では、コロナ禍によってボランティアを集めることが難しい条件下で過酷さが増しており、復旧のほとんどを自助努力に委ねてきた国の災害支援の拙さが露呈している。
 被害規模から見ても、財政規模も人的資源も限られた村単位で対応することは誰が見ても不可能であり、国が仮設住宅の整備をはじめとする生活支援とともに、重機を扱う業者などマンパワーを積極的に投入して地元に寄り添った復旧を保障することが求められている。

 

県内の学生たちがボランティアとなり、高齢者宅の泥撤去を手伝う(球磨村渡地区)

酷暑のなか手作業で家の中に堆積した泥をかき出す(神瀬地区)

家族にとって大切なものを仕分けする母娘(神瀬地区)

土砂が流れ込んだ民家(神瀬地区)

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この記事へのコメント

  1. 松岡信昭 says:

    麻生副総理が政治は口利き、政治献金もらって要望を叶える政冶が政冶という。これは政治でなく政治を悪用した犯罪。憲法にすべての国民の奉仕者とあるように金くれる有権者や投票してくれる有権者の要望だけかなえていたら、金のない国民は見捨てられ自己責任を押し付けられる日本となっている。これは経済的裕福、団体票をもったものの政策推進によりそうでない国民の権利は侵害される憲法違反状態。政治家はすべての国民、金もない、投票もしない国民も含む奉仕者。政治、国家運営とは、そんな自力では不可能な国民、基本的人権(生活権、生の権利)のためになる。憲法に政治家は基本的人権を守る義務を課されている。政治とは国民の基本的人権を守ること。しかもすべての国民の権利を守らねばならない義務規定。

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