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現代の奴隷制を魯迅の寓話から考える 『賢人と馬鹿と奴隷』

 「森友学園」の国有地売却と財務省の公文書改ざんにかかわり、不眠不休の長時間労働を強いられた末、精神的に追い詰められて自殺した近畿財務局の赤木俊夫氏が残した手記に次のようなくだりがある。

 

 「佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それに指示NOを誰もいわない理財局の体質はコンプライアンスなど全くない。これが財務官僚王国。最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ。手がふるえる。恐い。命。大切な命」

 

 官僚はトカゲの尻尾ではない、宮仕えも人間だという血を吐くような叫びは、折しもアメリカ全土を席巻し、世界に広がる「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切だ)」運動と通じあうかのように、多くの人々の同情を誘っている。それは、近年、長時間残業で過労死を強いられた犠牲者が、みずからを「奴隷」にたとえて苦悩してきたこととつながっている。

 

 1987年2月に急性心筋梗塞で過労死した広告代理店の制作部副部長は、「現代の無数のサラリーマンたちは、あらゆる意味で、奴隷的である。金に買われている。時間に縛られている。上司に逆らえない。賃金も一方的に決められる……」との手記を残していた。また1989年11月、長時間労働の末に動脈瘤破裂のくも膜下出血で過労死した「株式会社きんでん」の下請企業の電気工事士が、寝床で妻に「ぽつりと漏らした言葉」が「僕は奴隷かなぁ」であったことも報じられた。

 

 過労死対策にとりくむ弁護士・川人博氏は、『過労自殺 第二版』(岩波新書)で、「SEとは、システムエンジニアの略語のはずだが、私にはスレイブエンジニア(奴隷技術者)の略語のように聞こえてしまう。本来、SEは21世紀を担う技術者であるはずなのに、残念なことに、現代日本では、過重労働の代名詞となり、最も過酷な労働の一つとなっている」と書いている。日本の非人間的な長時間労働がもたらす「過労死」は、国際的にも「karoushi」として通じるものとなっている。

 

 イギリスで近代工業が発生した当時の綿工業は「児童奴隷制」に支えられていたが、資本主義はその始まりからアメリカの綿花栽培における黒人奴隷制を促すとともに、それを必要としていた。8時間労働制は、労働者が奴隷であることを拒否し「人間として生きる」ためのたたかいを通して勝ちとられたもので、あらゆる奴隷的状態からの解放の願いを体現したものだといえる。新自由主義がそれを過去のものとして葬り去ろうとするものであったことは、今やだれの目にも明らかとなっている。

 

 植村邦彦・関西大学経済学部教授は『隠された奴隷制』(集英社新書)で、古代ギリシャやローマから近現代に至る奴隷制について歴史的に検証し、当時の哲学者・思想家の見識を考察している。植村教授はそのなかで、ルソーが『社会契約論』(1762年)で、「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなやイギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまうのだ」とのべていたことにもふれている。

 

 また、ヘーゲルが、「現に奴隷である人間は、自ら奴隷であることを拒否して、自分自身が“自由”の意識に到達していることを自分自身の行動によって示し、自らの“自由”が法的に補償されることを要求して実現しなければならない」「“自由”は自ら勝ち取るものだ」と考えていたことも紹介している。

 

 植村教授はさらに、それらを批判的に継承したマルクスの『資本論』などを引用し、労働者は「自由」だといわれるが実際には「自己決定権」を持たず、みずからが働く場も使用する道具や機械、生産した商品も、すべて労働者自身の所有物ではないことを明らかにしている。また、そこから生まれる「労働者の労働そのものからも労働の意味が、つまり労働の主体性や達成感が奪われている」ことが過去の奴隷制と同様に人間の「人格性」と「自由」を侵害していると指摘している。そして、今日の新自由主義の「個人の自助努力」「自己責任」などの思想が、そのような奴隷状態を覆い隠す「新しいヴェール」として使われてきたことを強調している。

 

賢人と馬鹿と奴隷

 

 ところで、中国の作家・魯迅は、辛亥革命後の帝国主義列強に分割・支配された中国社会の苦悩に迫り、その代表作『阿Q正伝』などで「みずからの奴隷の地位を自覚し、奴隷であることを拒否し、同時に奴隷の主人となることも拒否したときに初めて、奴隷から脱却する行動を起こしうる」と主張したことで知られる。

 

 魯迅はその一つ『賢人と馬鹿と奴隷』(1925年)と題する寓話で、奴隷であることを自覚し、それを拒否できない奴隷精神をいきいきと描いて、戯画化している。それはあらまし次のようなものだ。

 

 いつも不平を口にする「奴隷」が「賢人」に出会い、いかに使役を強いられているかを縷縷(るる)並べたて、涙ながらに嘆いてみせた。「賢人」はこれに痛ましげに目を赤らめて同情し「いまに、きっとよくなる」と諭した。「奴隷」は気が楽になり、愉快になった。

 

 「奴隷」はその後また不平をいいたくなり、出会った「馬鹿」に嘆いてみせると、突然大声で怒鳴られた。さらに、「奴隷」が自分の住まいがぼろ小屋で、四方に窓一つ開いていないと口にすると、「馬鹿」は「主人に言って、窓を開けてもらうことができんのか」と問い詰めた末、「奴隷」の家に連れて行かせ「窓を開けてやる」といって家の外から壁をこわしはじめたのだ。

 

 「奴隷」がこれに驚き、主人に叱られることを怖れて「誰か来てくれ、強盗だ」とわめくと、他の「奴隷」たちが来て「馬鹿」を追い払った。出てきた主人に「奴隷」は勝ち誇ったようにいった。強盗が家を壊そうとしたので、自分が一番初めにどなりつけ、みんなで追い払ったと。これに対して、主人は「よくやった」とほめた。

 

 「奴隷」はうれしく思い、見舞いにやって来た「賢人」に主人がほめてくれたと喜び伝えた。そして、「(あなたが)いまに、きっとよくなるといってくださったのは、本当に先見の明がおありで」と、おべんちゃらをいった。「賢人」はこれに、「なるほどね」と愉快そうに応えた。

 

 魯迅はここで、常に不平や不満を口にして人に聞かせようとするが、自分の置かれている状態を不正だと認識せず、常に主人によく見られようとする奴隷根性の滑稽さを諷刺している。だが、それ以上に善人ぶった「賢人」が「奴隷」を抑圧する主人の大きな支柱となっていることを、その偽善的でいかがわしい振る舞いを通して浮き彫りにしている。

 

 不正に怒りそれを許さず、実直に解決しようとする「馬鹿」を、奴隷同士が「自己責任」「自助努力」で追い払うことができ、主人のおほめを得た。「賢人」はそれに寄与できたことを知り、まんざらでもない思いでほくそ笑むのだ。

 

 冒頭の赤木氏の訴えに戻れば、当時の中国社会におけるこのような奴隷精神と、それを補強する構図は、形を変えてそのまま現在の日本社会に厳然と存在するといえるだろう。不正に異議を挟み阻止しようとするものが馬鹿扱いされる。奴隷状態に置かれた民衆に同情するそぶりを見せながら、机の下では主人と手を握りあい、みんなが結束して行動に立ち上がることには憎悪して分断を図る偽善的な勢力も養われている。そのような社会の抑圧構造が、ますます鮮明に浮かび上がるのである。

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