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『高等教育の機会均等――権利としての無償化』 大学の危機をのりこえ、明日を拓くフォーラム第2回シンポジウム

 大学の危機をのりこえ、明日を拓くフォーラムの第二回シンポジウム「高等教育の機会均等--権利としての無償化」が16日、明治大学で開催された。現在深刻な問題となっている奨学金問題や高等教育無償化に携わっている4人が現場からの報告をおこない、この問題を通じて大学教育の在り方と日本の将来を考えるシンポジウムとなった。以下、報告の要旨を紹介したい。

 

奨学金被害の救済の現場から  

         弁護士  岩重佳治

 奨学金問題の諸悪の根源は高い学費だ。国公立の初年度の納入金は1970年に1万6000円だったのが、2010年には80万円をこえ、今では90万円をこえる勢いだ。大変な伸び率だが、この間の物価の上昇率は3倍にもかかわらずこれだけ学費が値上がりしている。これは大学に対する公的な支援がどんどん減らされてきたからだ。私立大学の学費も非常に高い。おそらく世界でもトップレベルだ。

 

 これだけ学費が高くなってきている一方で、アルバイトに追われる学生など、学生や親の生活はどんどん大変になっている。実際に学生の生活費は、2000年度には大体160万円くらいで親からの仕送りで生活していた。それが2012年になると120万円になる。12年間で家庭からの仕送りが4分の3になる。学費が高くなることで家計が苦しくなるために学生はアルバイト漬けになっているし、奨学金を借りざるを得なくなっている。

 

 あくまでも借金だから将来返していかなければならない。しかし、今の雇用形態というのはほとんど崩壊している。私の祖父は55歳定年で、その後は仕事をしないで年金で生活していた。それまでは会社に入ってしまえば年功序列で賃金も上がっていって安定した生活ができていた。子どもができれば企業がいろんな手当をしてくれることになっていて安心した暮らしができていたが、今はそういう状況ではない。学生たちがたとえ正社員になったとしても、ブラック企業というのはたくさんある。過酷なノルマを課されて、達成できないと何人かの幹部に呼ばれて自分のどこが悪かったかということで反省点をとうとうとのべさせられる。そういうことをくり返しているうちに鬱になってやめる。従って必要な定員の2倍くらいの人を雇って3年後には半分くらいになっている会社はとても多い。雇用が崩壊している。働いてどうにかなる世の中ではない。

 

 従って返せなくなるのだが、そのときに出てくるのが利子の負担だ。日本学生支援機構の奨学金は有利子の第二種奨学金と無利子の第一種奨学金がある。奨学金事業予算の推移を見ると無利子の奨学金は1999年からずっと2000億円ほどで増えていないが、有利子の方は4000億円ほどだったのが増え続けて、2012年には1兆2000億円まで増えている。

 

 

 この背後にあるものはなにか。奨学金事業の財源を見ていくと、【グラフ参照】実は一種と二種で大きく違う。第一種の無利子の財源は一般会計と返還金で賄っている。問題は有利子の二種の財源だ。民間借り入れは、大手の銀行などからお金を借りているということだ。財投機関債というのは債権だ。投資家向けに債権を募集して買ってもらう。日本学生支援機構のホームページを見ると、学生への説明よりもよほど熱心に投資家向けに投資を呼びかけている。そして財政融資資金というのは公的なものだが、もともとはみなさんのお金だ。国が予算を出さずに外からお金を引っ張ってきている。

 

 もしみなさんが投資家で、この奨学金事業に投資をしようと思ったらなにを重視するか。一番は安全性だ。何を安全性の担保にするかというと回収率だ。回収率が高いことを謳わなければお金を集めることはできない。実際に日本学生支援機構の回収率というのはだいたい96%くらいで、メガバンクの債権並みの回収率を誇っている。いろんな国では、2割、3割の貸し倒れを前提に貸しているが、日本だけが回収率96%。これは無理な取り立てをしているか、借りている人が無理な返済をしているかのどちらかだ。こういう構造が奨学金の悲劇を生み出している。

 

 取り立てが滞ると裁判所に呼び出しを受ける。延滞3カ月で延滞者情報が個人信用情報機関、ブラックリストに登録され、4カ月になると債権回収会社が乗り出してくる。債権回収会社というのは借り手のことは一切考えていない。自分たちが回収すればするほど手数料は高くなるからだ。そして延滞9カ月になると裁判所からの手続きが送られてくる。その数は年年増えており、2000年には338件だった裁判所の手続きが2011年には1万件をこえた。

 

 救済措置があって初めて奨学金といえるはずだ。ここに問題がある。一つ例を挙げると、奨学金の返済に困ったときに救われるはずの制度に返還期限の猶予というのがある。これは病気や収入が少ないときに経済困難な場合には年収300万円以下という目安で、そういう人が申請をすると1年ごとに返還を先延ばしにしてくれる制度だ。しかしこれは利用期間に制限があり、10年を過ぎたら助けてもらえない。昔は10年もあれば安定した仕事に就くことができたかもしれないが、今は違う。一度安定した職を失うともう一度それ以上に安定した職に就くことは極めて難しい。

 

 そして延滞があると返還期限の猶予が利用できない。奨学金の返済に困った人はすでに何年間か延滞をしている。例えば過去8年間返済を延滞していた人が、借金が膨れあがって、年収300万円以下だということでこの猶予申請をするが蹴られる。延滞があるならこの制度は使えない。延滞するなら延滞を回収してから使ってくれといわれる。おかしな話だ。このことに対して文句をいっていくと、制度が変わり2014年から延滞据え置き型の猶予というのができた。本当に苦しい人は延滞があってもそのままで猶予を使うことができるというものだ。良かったと思っていたが、私の所にこんな相談が舞い込んできた。

 

 Aさんは40代男性で、年収が30万円。神経的な病気を持っていて入退院をくり返している。つまり生きていくのが精一杯の人だ。このAさんに2011年に日本学生支援機構から請求が来る。元金が150万円、延滞金が150万円。奨学金というのは毎月、毎年返していくものだが、返還日から10年経つと時効になる。Aさんは時効を主張したが、裁判では認められなかった。Aさんは分割で返済をしたいと申し出た。なぜ年収30万円のAさんがそのようなことをいったのかというと、保証人に叔父さんがついており迷惑をかけたくないという思いからだ。すると相手の代理人は「分割で返済するのはかまわないが月に5万円以上は払ってくれ」という。払えるわけがない。だから私の所に相談に来た。

 

 Aさんは年収が30万円で「延滞据え置き型の猶予」が使えるはずだが、それを教えてもらえなかった。だから2014年11月にその申請をして一件落着かと思われた。ところが、法的手続きに入った事案、時効を主張された事案などは、延滞据え置き型の猶予が使えないように制限された。運用が制限されたのは2014年の12月で、彼が申請をしたのは同年の11月。しかし機構は2014年4月にまでさかのぼって運用を制限した。こういうことを平気でやる。なぜそんなことができるのかというと、規則には猶予「する」とは書いていない。猶予「できる」、免除「する」ではなく免除「できる」としか書いていない。だから猶予するかしないか、免除するかしないかは、すべて機構の裁量でしかないという。機構の裁量で決められるのであれば救済制度の意味がない。

 

 

高学費に苦しむ学生とFREEがめざすもの

         FREE代表  岩崎詩都香

 

 高等教育無償化プロジェクト(FREE)というのは、大学生、専門学校生、大学院生を中心としたアドボカシー(政策提言)グループだ。去年9月に立ち上げた。学生の学費や奨学金に関する実態や、どういった思いを抱えて学校に通っているのか、今の学生生活がどういったものになっているのかを実態調査アンケートを中心に集めて、社会に届けていこうというのが私たちの主な活動だ。私たちが目指しているのは、「すべての人への無償化」だ。

 

 実態調査は、友だちにお願いしたり、協力してくださっている先生に授業のときに集めさせてもらって現在5000人をこえる学生から集めることができた。そのなかの声を今日は紹介したい。

 

・4年制の大学を受験しようと思っていたが、年の近い弟の大学受験もすぐなので、早く働いて親の負担を減らすために短期大学を選んだ。

 

・3人兄弟で一人親のために家計が厳しく、勉強が好きな友人であったが、大学進学を選択肢として考えることすらできていなかった。

 

・私は一部(昼間部)に行って国家資格の受験資格を得たかった。しかし経済的事情でそれは叶わず、二部(夜間部)への進学を決めた。

 

・私立医学部に受かったものの、学費が払えず退学。夢を諦めて国公立の工学部に編入した。

 

・自分が私学に進学したことで下の兄弟の大学進学の圧力となってしまった。

 

・片親で兄弟もいる友だちは自分が働かないと生活ができないということで介護施設で働いている。たまに会うとやっぱり大学生活を送っているのは羨ましいと話していて、学費が無償になればいいなと思った。

 

・本当は看護学部のある大学に行きたかった。けれど母子家庭で、当時弟も高校生でまだ学費もかかるしといろいろ考えていたら、高い学費がかかる大学に行くのは母の負担になるからと安い学費で交通費もかからない地元にある看護専門学校に行くことを決めた。弟も結局親の負担を考えて自分の行きたかった学校への進学を諦めて就職した。

 

・バイトのために学校を休まざるを得ないときがある。

 

・バイトをしないと生活費が足りないが、バイトをすると時間をとられ授業準備やゼミ準備ができない。

 

・やりたい活動が思うようにできない。1日3食だった食事が1食もしくはゼロ食のときもある。1年生の4月からは3カ月ぐらい毎日自炊していたがアルバイトなど時間がなくなり、コンビニ食になり、ますます1食にお金がかかるようになり食べられなくなった。

 

・学費を自分で賄っていて、時給や予定の関係で夜勤をせざるを得ず、一限、二限に出席できずに単位がとれなかった。出席できても明らかに疲れている。

 

・月8万円の奨学金で必要な支出(学費・交通費・教科書代など)をして、アルバイトの月2万円でサークルの費用を支出している。一人暮らしをしたいが、そのお金がないので往復で3時間半以上かけて通っている。そのせいで課外活動の時間や睡眠時間などが制限されている。電車が混雑しているととても疲れるし、それなのに眠って回復することができないので、次の日に疲れが残っていて朝起きるのが辛かったり、大学へ行っても頭が働かずに授業をしっかり受けられなかったりすることがある。

 

・週5でアルバイトをしているので、ゼミの発表準備、レポート、テスト勉強をする時間がなく、徹夜で乗り切ることがあるため、つらい。

 

・生活をしていくためにどんなにきつくてもアルバイトをしなければならないこと。

 

・日日の生活を送るのにもギリギリなのに加えて、奨学金を毎月借りる(借金)ことで追い打ちをかけられる。テスト期間などでバイトを休む期間が長く続くと、翌月の生活に影響が出るため大変。

 

・院に行きたいが、研究者として生計を立てられるようになる前に返済は始まるだろうし、家族にも反対されることがわかっているからいい出しにくい。やはり「安定でそれなりの給料」ということしか進路の決め手にならない。

 

・家庭の経済状況を考慮すると、弟妹が今後も学業を続けていくためには大学卒業後の生活費等はすべて自分で賄う必要があり、進学ではなく就職を考えるようになった。

 

・結婚時に奨学金という借金がある。

 

・自分の子どもに不自由なく大学に進学してもらうために、自分のやりたい仕事ではなく給料の高い仕事を選ばないといけないのではないかと悩む。

 

・奨学金を借りていて、親も定年が近く、大学院という選択肢は全く考えられなくなった。

 

・専門職養成の意味合いが強い大学だが、どこの企業も福祉専門職であっても賃金が低いので奨学金を返せない不安がある、という声を同期の学生から聞く。

 

・大学院の入学金が高かったのと、大学院に通いながら今まで通りバイトをできる自信がなかったため進学を諦めた。また、資格をとってなりたかった職業もあるが、収入があまり安定しておらず、奨学金返済の負担になるため諦めた。

 

・弁護士になるために法学部に進んだが、経済的な理由で院進できず、また予備試も難しすぎて受からないため一般就職した。

 

 こんな感じで、将来自分がもっと学びたいと思ったときに奨学金というものが重くのしかかったり、あるいは大学院も高い学費があるのでこれ以上親に負担はかけられないとか、学費を自分でどうにかすることができないということで進学を諦めているという人もたくさんアンケートに声を寄せてくれた。

 

 よくこの活動をしていて、学生や大学の先生とも研究室で話す機会があるが、学費の値下げというのが現実的ではないのではないかという声をいただくこともある。しかし現実的に考えるならばこの学生の生活実態というのがより現実だと思う。この現実に即した政治的判断というのがされるべきではないかとこの活動をしていて思う。

 

 どうやって私たちが無償化を目指すのかというと、学生自身の声をもっとたくさん集めることだ。その声をもっと社会に広げて、社会の空気を変えることができるのではないかと思う。FREEのメンバーには、まさに自分が奨学金を借りているという当事者もいるが、自分は奨学金を借りていないし家も貧困家庭ではないけどこの活動を頑張っている人もいる。未来の世代が同じような気持ちを持つことがないようにしたいというのがFREEの活動の原動力だ。未来の世代の若い人たちが今と同じように苦しい生活を強いられるとしたら、日本はどんどん暗くなってしまう。今進む方向性を切り替えてもっと明るい未来になるように活動している。

 

 

修学支援法と教育の機会均等

      名古屋大学大学院教授  中嶋哲彦

 

 修学支援法というのは今年5月10日に可決成立した法律だ。来年の4月から施行予定となっている。この法律の特徴は、

①授業料の減免と学資支給(給付型奨学金の支給)、

②国公私立の大学(大学院を除く)・短期大学・高等専門学校・専修学校(専門学校)の学生が対象。これは高等学校卒業後の学校すべてを同じ基準で制度の対象にするというのが新しい点だ。これをどう評価するかというのは議論の必要がある、

③支給を受けるための個人要件…とくに優れた者であって経済的理由により極めて修学に困難があるもの、

④機関要件…社会で自立・活躍する人材育成のための教育を継続的・安定的に実施できる等として確認された大学等であること、がある。

 

 この修学支援法については3つのことがいえる。

 

 1つは経済困窮世帯の支援という位置づけだ。これは子どもの貧困対策推進法の枠組みとも一致しているものだ。子どもの貧困対策推進法は、現在貧困の状態にある子どもたち、人たちを直ちに貧困から離脱させるということの権利性を確認しているわけではない。健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が憲法に規定されているが、この法律では貧困からの即時離脱を権利として保障しているわけではない。そして貧困対策の対象を子どもに限定している。子ども以外の家族構成員については対象になっていない。したがって生活保護の全体としての改善はまったく考えていない。それから子どもに関して、貧困からの即時離脱ではなく貧困の連鎖の遮断のための自立支援だということ。親の貧困を子どもに連鎖させないために子どもに対する自立支援をおこなう、その一環として教育の支援が位置づけられている。学歴獲得による経済的自立のためには政策上教育支援を重視するというもので、そのため貧困からの離脱はあくまで自己責任というものだ。

 

 さらにそれが人材育成政策と融合していく。2014年に閣議決定された子どもの貧困対策大綱で、「子供の貧困対策は、法律の目的規定(第一条)にもあるとおり、貧困の世代間連鎖を断ち切ることを目的とするものであるが、それとともに、わが国の将来を支える積極的な人材育成策として取り組むということが重要である」と書かれている。貧困対策といいながら貧困家庭にある子どもを人材として有効に活用していくための政策だ。

 

 2つ目は競争力人材育成政策だ。競争力人材というのは、貧困にある子どもだけを念頭に置いているわけではなく、大学高等教育を、国際競争のインフラとして位置づけている。高等教育を無償化し、機会均等化するといいながら、その大学・高等教育というのは国際競争のためのインフラということだ。その役に立たないような高等教育を受ける者まで政府の政策として保障するつもりはないということだ。

 

 さらにそれは人材育成のための政策としておこなうわけだから、意欲と能力のある者に対する支援になる。それから大学院への進学・学費に関しては法律の対象になっていない。それは職業を身につけて経済的自立をしてもらうための政策であるという理由からだ。それと繋がるように専門職大学制度の創設がおこなわれる。

 

 3つ目に大学に対して機関要件をもうけていることを先ほどのべた。その機関要件の内容を見ていくと、大学の教育内容や教育方法への国家介入、国公立大学に対する大学ガバナンス改革の押しつけ、私立大学の法人経営者の権限を強化するというもので、無償化とは随分違う要件を押しつけることによって、学生の授業料を軽減したいのなら大学改革を飲めということになっている。

 

 

権利としての教育無償化

      神戸大学大学院教授 渡部昭男

 

 2010年に各新聞社の検索覧で教育無償化という文字を打ち込んでみるとほとんど記事が出てこない。教育無償化というものに大きく反応していくのは2016年、2017年からだ。だんだんと関心は高まっている。

 

 日本国憲法のなかでも教育を受ける権利は保障されているが、私が重要だと思うのは教育基本法第四条の教育の機会均等、経済的地位による差別禁止、修学困難者への奨学の措置をどう忠実に実現していくかが大切ではないかと思っている。

 

 ユネスコ人権平和職のフォン・クーマンズ教授は、「国際人権A規約一三条の教育への権利というのは、高度人材養成であったり職業自立という書き方はしていない」という。教育への権利というのは、人格を形成する、社会に貢献する、人生・生活をコントロールする、社会を統治する、社会階層を上るといった形で人人をエンパワーしていく。それから働く権利や健康への権利、政治参加の権利、完全参加と平等の権利などを享受するための鍵となる権利だとのべている。この権利を高等教育段階まで保障しようというものだ。

 

 隣国の韓国では市民運動によって、大学の給付型奨学金を勝ちとってきた。学生運動ではなく、市民運動として大学の無償化がたたかわれている。2018年には入学金は実費以外はすべて削減され、学生が安価に生活できるよう学生寮の増設もされている。

 

 高等教育の無償化は人材の開発や投資論など経営サイドの傾向に陥りがちだが、そうではなく、学問の自由や学術の発展、教育を受ける権利、若者と社会の未来をひらく教育無償化を志向していかなければならない。

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