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大学の未来を考える講演討論会(福岡大学) 日本学術会議での議論報告

学術界で広がる軍事研究拒否

 

福岡大学で開かれた「大学の未来を考える講演討論会」

 「平和を愛する福岡大学人の会」と「九州歴史科学研究会」は3月27日、「第9回大学の未来を考える講演討論会」を福岡大学内で開催し、研究者や学生、一般参加者が参加した。日本学術会議の「安全保障と学術に関する検討委員会」の元委員長である杉田敦教授(法政大学法学部、政治理論)を招き、軍事研究をめぐって検討委員会でどのような議論がかわされ、声明をまとめるに至ったのか、その背景について講演を受け、議論を深めた。

 

 杉田教授は2017年に日本学術会議が声明を発表したのちに福岡大学で講演しており、今回は2回目となる。この2年のあいだに各大学や学会で軍事研究を規制する声明や基準を制定する動きが進むなかで、改めて日本学術会議での議論の内容を確認し、各大学での具体化を推進する場となった。

 

 初めに主催者として挨拶した男性教員は、「理系の研究内容は大変具体的かつ緻密で、企業と共同でやっていて大きな金額が動く。文系と違ってどう世の中の役に立つのかを明確にしており、研究を推進していくことは大学にとっても大事だと感じる。だが、一方でもう少し大きな視点に立って、今の大学の研究がどういう現状にあるのか、これからどうなっていくのか、われわれはどうすべきなのか、大局的な視点に立って考えることも大事だと思っている」とのべた。

 

 杉田教授は、「軍事的安全保障研究の規制を考える―日本学術会議の議論から―」と題して、防衛装備庁の「安全保障技術推進制度」を直接の契機に、日本学術会議が11回にわたって議論した内容について講演した。

 

 日本学術会議は終戦後の1950年に、戦前の反省から「戦争を目的とする科学研究には絶対に従わない」とする決意を表明し、1967年にも「軍事目的のための科学研究を行わない」とする声明を発した。だが67年以降の50年間に、米軍と一体化した自衛隊の活動範囲の国外への拡大、日米ガイドラインの改定や安保法制など、安全保障環境が変化するなかで、武器輸出の解禁に続き、防衛装備庁が「安全保障技術研究推進制度」を創設し、委託研究に踏み切った。

 

 杉田教授はこうした変化のなかで、防衛装備庁の制度創設をきっかけに日本学術会議として改めてこの問題を議論することになり、①50年及び67年決議以降の条件変化をどうとらえるか、②軍事的利用と民生的利用、及びデュアルユース問題について、③安全保障にかかわる研究が、学術の公開性・透明性に及ぼす影響、④安全保障にかかわる研究資金の導入が学術研究全般に及ぼす影響、⑤研究適切性の判断は個個の科学者に委ねられるか、機関等に委ねられるか、の5点を主要な柱として議論してきたことを紹介した。

 

 学術会議内ではこれらをめぐって、当時会長であった大西教授を筆頭に、「自衛目的の軍事研究は許容される」との主張がなされるなかで、全国の研究者を巻き込んで熱のこもった議論が展開された。

 

 杉田教授は、「基礎研究では軍事研究はありえない」として防衛装備庁の予算を使った研究を容認する主張や、デュアルユース問題について、軍事/民生の区別を否定し、「善用ならばよい」とする論、科学者個人の研究の自由を主張して軍事研究を容認する見解などが持ち出されるなかで、科学者コミュニティとしてこれにどう向き合うのか、全国の専門分野の研究者や防衛装備庁を招いての聞きとり、研究員によるアメリカの研究などを通じて、一歩一歩、基準や見解を鮮明にしながら進めていった経緯を明らかにした。

 

 軍事技術の民生転用の典型例として知られるサイバーセキュリティなどインターネットや情報技術の分野では、民生と軍事の区別がつかない技術が多く、「警戒する議論が出ると研究自体が萎縮する恐れがある」とする意見があり、マスコミ等では「インターネットなどは国防総省から資金が出て研究開発されたものであり、軍事研究は優位性がある」と喧伝されている。

 

 しかし専門の研究者などに聞きとりをするなかで、アンチウイルス会社の資金などを通じて経済的・市場的に成り立っていること、軍事研究の資金がなければこれらの技術が開発できなかったわけではなく、民間資金があれば民間資金での研究開発が可能であることが明らかになった。

 

 アメリカの場合、科学研究費の約半分がペンタゴンなどの軍事資金になっており、当然ながら研究成果の約半分が軍事研究の成果にならざるを得ない。つまり、「軍事研究の優位性」ではなく、軍事研究の比率が高いことから、成果の比率も高いことなども明らかになったという。また、アメリカでは軍から大学への資金提供が多かったことによって、資金が潤沢にあった反面、80年代には暗号や数学に偏り、その他の分野がおざなりになるなど、国家の軍事目的、政策目的によって科学技術への資金の投入が大きく左右されること、さらに当初は「公開を制限しない」という契約で始めた研究でも、使えることがわかると途中から公開を制限される事例も多多出ていることなどが研究員の報告で明らかにされた。

 

 こうした議論を通じて、軍事研究という形で政府の介入がおこなわれることが資金の偏りという面からも、研究の公開性・透明性という面からも学術の健全な発展を妨げることが明らかになったことをのべた。

 

 さらに軍事研究、デュアルユース問題についての研究を深めたのち、軍事技術と民生技術の境目があいまいになっている現状のなかで、どのように規制していくかの研究を進めたことを具体的に紹介した。

 

 そのうち最後まで残った議論として「研究適切性の判断をどこがやるのか」という点があり、声明が出たあとにも「日本学術会議は学問の自由を尊重していない」という批判が出たことを明らかにした。杉田教授はこうした論に対して、声明の報告では「学問の自由は個個の研究者が自分のやりたい研究をまったく制約なくおこなうことを意味しているのではなく、学術研究が政治権力によって制約されたり動員されたりしないようにすることが主目的である」との見解を明確に示したことを紹介した。

 

 「学問の自由」が憲法に明記されているのは、戦前の日本において学問が弾圧されたり、動員されたという認識のもとに、学術界を政治権力から守る趣旨であり、個個の研究者がみずからの「自由」で軍事研究をおこなうケースが増加すれば、研究を指定されたり、公開を制約されるなどして、全体として学術研究が制約される結果になる懸念があると指摘。50年、67年声明が宣言的な効果を持って、軍事研究をおこなわないことを高らかに歌い上げているのに対し、「科学者一人一人の心構え、個人の倫理だけでよいのか」という議論となった。「個個の科学者の個別の判断に委ねるだけでは、学問の自由は守れない」との結論から、過去の声明を発展的に継承し、科学者が所属している大学や学会、日本学術会議などの機関がどのような役割を果たすべきかを明らかにしたことを語った。

 

 もう一点、委員会審議のなかでくり返し「自衛権を議論していないことが問題だ」との意見が出たことを紹介。その意図は「自衛は国際的に認められているから、自衛のための研究は認められる」というものであったことを明らかにした。だが第二次大戦後、国連憲章で「侵略戦争をしてはならない」と定められているもとで、ほとんどの軍事力行使が「自衛」の名の下におこなわれていることを指摘。「自衛」の概念が濫用されているなかにあって、「自衛ならよい」という考え方は軍事力行使の歯止めにはならないと指摘した。また安保法制を機に集団的自衛権の是非をめぐって国論が二分するなかで、日本学術会議が自衛の範囲を判断するべきではないとする立場をとったことをのべた。

 

 「過去の声明を継承する」とした日本学術会議の声明を受けて、各大学で軍事研究についてどのように対峙するのかを議論し、「軍事研究はおこなわない」とする姿勢をうち出す動きが広がっている。杉田教授は、3月に日本天文学会が「人類の安全や平和を脅かすことにつながる研究や活動は行わない」などとする声明を発表したことや、琉球大学が「軍事目的研究をおこなってはならない」としたうえで、それを審査する体制や基準などを明確に定めた規則を策定したことを紹介し、各大学でこうした議論が深まることに期待を寄せた。

 

 一方で、日本天文学会の議論のなかで浮き彫りになったこととして、20代の研究者の7割が軍事研究に賛成の姿勢を示すなど、世代間の意識の違いがあることを指摘し、今後の課題とした。

 

誰のために科学技術は使われるべきか 社会発展か戦争か

 

 講演を受けた質疑応答では、軍事研究に限らず、みずからの研究成果が意図に反して軍事転用される可能性を阻止することができないことが、研究者にとって切実な問題となっていることがあいつぎ発言された。

 

 ある男性は、サイバー・セキュリティ問題の議論にふれ、「この分野の研究成果は非常に汎用的で、広く影響を及ぼしうる。個人の研究で新しいことを発見した場合、なんらかの形で運用すれば兵器の精度を上げるなど、軍事的に利用できてしまう分野だ。研究内容について、さまざまな基準をつくったところで、“軍事的なものにつながらない”という範囲はない。研究者としての良心をどう貫くかを考えると、著作権や特許などと同じような形で、“私が発明した成果は一切軍事的な目的での利用を認めない”と宣言し、それを社会的に担保する仕組みをつくるしかないのではないかという印象を持っている。ただ、軍事的な利用が非公開でやられることになるとどうしようもなく、研究者の悩みは深い」と発言した。

 

 これに対し杉田教授は、日本学術会議の議論のなかでも「入口で規制しても意味はなく出口で規制する(軍事転用を認めない)」という議論もあったが、いったん公開した研究成果の利用を規制することは難しいと話した。

 

 原爆開発に結果的にかかわったニース・ボアが、ソ連にも技術を公開することで戦争を回避することを考えた事例を紹介し、「一つの考え方として、秘密性保持をしないことによって、制約を認めないというのが科学者としてできる最大限のことではないか」とする見方もあることを示した。ただ、軍事的な安全保障研究の領域が拡大しているなかで、「長期的には、例えば公開を前提とした研究費を使ってきた人が、今度は秘密にかかわる研究をしてくれといわれると断りにくい。防衛装備庁の制度そのものが直接軍事機密につながるかは別として、軍事研究が増大していくなかでは、他国の例を見ると公開性は制約される。だから制約されかねない研究は慎重にやらなければならない」とのべた。

 

 質問した男性は、「公開することが実効性を持てば、軍事研究をやる人たちより一歩でも先に研究成果を公開していくということで対応していけるが、なかなか難しい」とのべ、杉田教授も「公開されている成果をもとに応用していけば、最初の研究とはまったく違う形で軍事転用できてしまう可能性もある。公開さえすれば一切自分の研究が軍事転用されないということにはならない」と指摘した。

 

 別の男性は、「アメリカではペンタゴンが出す資金が研究費の半分くらいで、最初は制約がなくても途中から制約がかかるという話があった。要するにあまり研究成果が高くなければ公開していいが、研究成果が高くなればダメだとなるのだと思う。逆にペンタゴンが民生用の研究費用を出していることの意味を考えたとき、広い意味では軍のやっていることに反対できないような社会をつくってしまう。そういう意味で危険だといえるのではないか。日本でも民生用に使うのなら別に防衛装備庁が金を出す必要はない。防衛装備庁は“将来の軍事目的だ”といっているので、ある意味はっきりしているが、研究者の個人レベルの反論として“私の研究は民生用だからいいんだ”というのがある。全体として軍が公開を認めて民生用にたくさん資金を出すのはどういう意味なのか考えを聞きたい」と質問した。

 

 杉田教授は、軍が民生的研究に資金を出す意図は明確ではないものの、アメリカの場合は戦略的にさまざまな方面に資金を出し、萌芽的な段階で脅威となるものがないかどうかをモニターしているといわれていることを紹介した。そのうえで、アメリカは建国以来、軍事が社会に深く根を張っているのに対して、日本は経済界も含めて民生的な分野の研究を中心にしてきたとし、「アメリカと比較して防衛装備庁の制度は予算的にまだ小さいが、日本も社会のなかで軍事的なものを広げたいという政策的な判断があるかもしれない」とのべた。そうした点からも、学術会議として資金源とともに研究目的に注目したことを明らかにした。

 

 また別の参加者は、「自分が研究していることは基礎的研究である、ベーシックだとかファンダメンタルだとかいってみても、だれかがどこかで軍事転用してしまうことを止められない。無力感を感じる」と発言した。

 

 研究成果を公開することが少なくとも大事であるが、「それだけでは軍事転用を防ぐことはできないことは多くの人が思っているのではないか」とのべたうえで、「研究者・教育者として一般の方や学生たちに、われわれの研究が世の中にどういう影響を与えうるかを知ってもらうことではないか。われわれの想像力を試されているところもあると思う。“基礎研究だからこれは軍事研究とは関係ない”とはいえない。天文学会の話でもあったが、非常に弱い光を高感度で捉える技術など、天文学で使われる技術は容易に軍事転用することができる。できる限りの努力をして危険性があることを一般の方方や学生に知ってもらい、軍事利用や戦争を防ぐことをみんなで考えていかなければいけないのではないかと考えている」とのべた。

 

 杉田教授は、最近声明を出した天文学会内の議論でも浮き彫りになったこととして、戦争の記憶の風化とともに、グローバルスタンダード的な発想が浸透し、とくに若手研究者のなかに「外国がやっていることを日本ではやってはいけないのか」という意見があることにふれた。これは50年声明のさいにも議論されたことで、当時は「鉄のカーテンの向こう側に呼びかけることができるのか」という主張であったことを紹介し、これらが抑止力論に立ったものであることを指摘した。

 

 抑止力論では軍事研究を進めることが平和への道となる。しかし日本国内では核武装論に対して「核武装まではすべきでない」という認識があり、「抑止力論の限界が日本社会である程度共有されている」という見方を示し、抑止力論にどう有効に対処していくのかも今後の課題であることを明らかにした。

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