いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『帰還兵の戦争が終わるとき』 著 トム・ヴォス、レベッカ・アン・グエン 訳 木村千里

 バイデン政府は8月にアフガニスタンから米軍を撤収させると発表した。2001年9・11テロ事件以降、米国がアフガニスタンやイラクに戦争を仕掛け、この二つの主権国家の政府を転覆し、その過程で数十万人の民間人を殺し、数百万人の難民を生み出したその傷跡はあまりにも大きい。一方の米軍兵士も6800人以上が戦死しており、現在でも1日に20人の復員兵士がみずから命を絶っているという。

 

 本書の主人公は、18歳で米陸軍に入隊。翌2004年10月に「イラクの自由作戦」の支援部隊としてイラクの都市モスルに派遣され、そこでストライカー歩兵旅団のなかの前哨狙撃兵小隊に所属し、1年あまり戦闘に参加した。本書は、彼が復員してからの、イラクで目撃し実行したことに対する嘆き、屈辱感、悲しみ、罪悪感の物語だ。

 

 ウィスコンシン州ミルウォーキーに生まれた著者は、高校の全員が友だちというタイプで、おとなしいけれど、口を開けば冗談でみんなを笑わせた。アメリカンフットボールと、テレビゲームと、放課後の買い食いと、金髪の彼女を愛した。彼の家は奉仕家の家系で、私利私欲を捨て大義のために尽くすほど愛され、称賛された。母親は情緒障害や重度の自閉症の子どもたちをみる教師であり、父親は手錠をかけられたティーンエイジャーにかみつかれたり、母親に危害を加えようとする少年をとり押さえることが日常茶飯事のソーシャルワーカーだった。

 

 そのなかで育った著者は、陸軍に入れば国に奉仕し、みんなが安心して暮らせる生活を守ることができると考えた。両親が出せない大学の学費を陸軍が負担してくれるし、第二次大戦で硫黄島の戦いに参加したじっちゃんの存在も大きかったという。

 

 著者は2003年春、ひ弱で自己中心的なティーンエイジャーを、熟練の殺人兵器に仕立て上げる13週間の新兵訓練プログラムに参加した。その描写は具体的でなまなましい。つまり軍隊に入るとは、自我を完全に放棄することであり、巨大な集団に属する単細胞生物として生まれ変わることだ。何の疑問も持たずに行動し、自分よりも大きな集団を守るためにみずから進んで自分の棺桶に入るようなものだ、と著者はのべている。

 

 しかし、人の役に立とうとして赴いたイラクでは、すべての住民が敵だった。米軍車両の最後尾にダンプカーが近づいてきたとき、著者は交戦規定に従って、まず空に向けて威嚇射撃、続いてタイヤに向けて発砲、さらにエンジンブロックへの威嚇射撃。止まらないのでフロントガラスを射撃して運転手を殺害した。しかし、調べてみるとダンプカーには武器や爆発装置はなく、威嚇射撃が運転手の手の甲に命中して、止まりたかったが止まれなかったことがわかる。遺体を病院に運ぶ途中、著者は住民たちの、憎悪ではらわたを煮えたぎらせている眼差しにさらされた。

 

 あるとき、米軍装甲車にイラクの少年たちが群がってお菓子を要求した。それは敗戦後の日本でもよく見られた場面だが、そのときも装甲車の機関銃の銃身は子どもたちの群れに真っ直ぐに向けられていた。もしも子どもたちがポケットから石をとり出して投げ始めたら、銃身がいつでも火を噴くように。そして、子どもたちはそれを知っていた。米軍は英雄なんかではないのだ。

 

 また著者は、自動車爆弾によって直属の若い二人の上司を失った。遺体は見るも無惨な状態だった。妻子もいるのに。そのことを思い出すたび、「お前のせいだ。お前のせいだ。お前はあそこにいるべきだった」と心の声が責める。こうしたモスルの記憶を消すために、わざと騒がしい混雑したバーに通い、酒や麻薬で気を失うことを願う日々。だが、どんなに飲んでも戦友は生き返りはしなかった。

 

 こうして恋人も仕事も失った彼は、ある日、一人の戦友とともに徒歩でアメリカ大陸を横断する旅に出る。ミルウォーキーから西海岸のカリフォルニアまで、徒歩で4345㌔、2013年8月末から約5カ月間の旅。山脈と平野と砂漠をこえて海をめざす壮大な旅によって、亡霊と戦争の記憶を振り切り、頭にこびりついた自殺願望をぬぐい去るために。

 

 それはまた、復員軍人全員が直面している、依存症や路上生活、失業、PTSD、自殺といった問題を、もっと世間の人たちに知ってもらうためでもあった。米国では、兵士は帰還後に不調を感じたら自分で対処しなければならず、一般市民を巻き込んではいけない、戦争の痕跡は未来永劫、隠蔽しなくてはならないという「暗黙の協定」がある。それに異を唱え、真実を闇の奥に閉じ込めておけという力に抗うためでもあった。

 

 そこでわかったのは、著者が苦しんできたのはPTSD(心的外傷後ストレス障害)だけでなく、モラルインジャリー(道徳的負傷)という魂に刻まれた傷だったことだ。PTSDは長期間極度のストレスや不安にさらされることで起きる脳と体の反応   悪夢、フラッシュバック、不眠、解離--を引き起こすが、それは薬物療法で落ち着く可能性がある。ところがモラルインジャリーには薬物療法は有効ではなく、この苦しみから逃れるには死ぬしかないと思わせるほどに本人を苦しめる。彼は戦場で、戦争にともなう不条理によって人間としての道徳観を破壊され、生まれてから社会や家族の中で育まれてきた道徳的な判断基準を根本から覆されて、それに対する嘆きや罪悪感にさいなまれてきたのだ。

 

 米国の始めた戦争そのものが、「正義」や「自由」を掲げつつ、中東アラブ諸国で暮らす人々の平穏な生活、正義や自由を踏みにじるものだった。そもそも米国が開戦の理由とした「大量破壊兵器」は存在しなかった。ただ、戦争を渇望するアメリカの軍産複合体の利益のために、何の罪もない幾多の中東アラブ諸国の人々が今も犠牲になり続けている。こうした不正義の戦争を引き起こす構造そのものに目を向けなければ、途上国の犠牲だけでなく、米軍兵士の苦しみも終わることはないということを、この間の歴史は教えている。      

 

草思社発行 四六版・336ページ ¥2000+税

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