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『13坪の本屋の奇跡』 著・木村元彦

 大阪のわずか13坪の小さな本屋の話である。ノンフィクションライターの著者が丹念に取材し、小さな本屋と町の人たちの感動的な交流と、小さな本屋を苦しめる出版業界の大きな問題を明らかにしている。

 

 その本屋とは、大阪市中央区安堂寺町にある隆祥館書店だ。昨年で創業70周年を迎えた。故・二村善明が17歳のとき、高津高校夜間部に通いながら、母親とともに立ち上げた書店である。

 

 善明の本屋についての考え方は、彼が2015年に地域の人々から惜しまれつつ死去した直後の、隆祥館書店ニュース号外に掲載されたメッセージを読むとわかる。それにはこう記されている。

 

 「子供たちに読書を広め、その読書力に貢献し、遠くまでゆくことの出来ないお年寄りの読書の力添え、作家と読者への橋渡し、そしてその心の交流、出版をただ売れればいいという商業主義の餌食にすることなく、出版を文化として作家を支え、読者が出版を育てる、この仲介者が書店と考えております」

 

 戦時中の出版法による厳しい検閲と、敗戦直後のGHQのプレスコードによるより厳しい検閲をへて、それでも人々の書籍への飢えは尽きることなく、焦土からの再建の過程で知識と真実を求めて本へ群がった。そのとき河出書房から出版された日本文学全集を大阪でもっとも売った書店員が善明で、地域の人に文学を勧めることで読書による街づくり、人づくりに多大な貢献をしたと評価された。

 

 当時、北新地の飲食店で働いていた男性によると、善明は閉店時間が過ぎても閉めかけていたシャッターを開けて店に招き入れ、ときには缶コーヒーなど振る舞って、本の話を午前1時、2時までしてくれたという。500円の文庫本を売って店の取り分は100円だが、それよりお客とのコミュニケーションを大事にした。権威におもねらず、分け隔てなくお客に接した。外出できない高齢者の所に本の御用聞きに回ったり、インフルエンザの流行で学校が休校になると、家で退屈している子どもたちのために宅配を始めた。いつも店頭に集まる子どもたちは、善明からわれ先に学習雑誌や本を受けとると、付録入れ作業を率先して手伝った。

 

 あるとき、地元の中学生がエロ本を万引きした。それを妻の尚子が見つけて諭した。警察には届けないというのが店のポリシーだった。それでも未成年の場合は家と学校には連絡を入れた。そこに「どないしたん?」と常連客が次々にやってきて、「おっちゃんもエロ本は三度のメシより好きやけどな、万引きはあかん」と、小さな店内はカウンセラー会場のようになった。後日、担任の教師から電話があり、その子は不登校児だったが、その体験をきっかけに登校するようになったという。「おーッ!」狭い店内が盛り上がった。

 

 ある出版社の営業は「町の小さな本屋は体内を走る毛細血管のようなもの。人々の知性の劣化を防いでくれるのが町の書店だ。地域の人が欲しい本を分かってくれて運んでいるんだ」とのべている。

 

 その両親の背中を見て育った長女の知子が、家業の隆祥館書店に入社したのが1994年だった。おりしも1996年をピークに出版業界は右肩下がりを続けることになる。2000年には米国の圧力で大店法が撤廃され、大型店の進出があいつぎ、町の本屋の廃業が加速した。また、2009年にはアマゾンが電子書籍端末「キンドル」の日本での販売を開始した。

 

 そのなかで町の小さな本屋にとっての一番の悩みは、売りたいと思う本が入手できない悔しさであり、注文をしていない売りたくない本が大量に送られてくる辛さだという。

 

 前者の原因は「ランク配本」といい、店の坪数によって機械的に配本数を決める(取次と出版社の協議による)システムのことで、店の坪数が小さいというだけで、実績があっても売りたい本を卸してもらえない。それによって小さい書店の客離れに拍車がかかる。

 

 後者の原因は「見計らい配本」といい、書店が注文してもいない本を取次が勝手に見計らって送りつけてくるシステムのことだ。差別を扇動するヘイト本や、時の内閣を忖度し批判者を攻撃するような本を、注文もしないのに大量に送りつけてくる。配本されたら即請求書がきて入金が義務づけられる以上、書店はそれを棚に並べざるをえない。

 

 かつて人文系の書籍が豊富に置かれていた書店の棚をヘイト本が占拠している理由の一つはここにある。しかも、どのような基準で見計らい本が決められているのかはブラックボックスだという。ジュンク堂書店のある書店員は、「(こうしたヘイト本が)どんどん取次から送られてきて、棚に入れられ、猛烈な勢いで一度に20冊、30冊と組織買いされていった」とのべている。

 

 それは、出版社が大小含めて約3000社、書店が約8000軒、その間をつなぐ書籍の問屋に当たる取次が日販とトーハンの実質2社(その株主は大手出版社)、というなかで起こっていることだ。

 

 長い目で見れば、それは本の価値をおとしめ、人々の知性を劣化させるものだ。それによって町の書店が廃業に追い込まれているのを見かね、知子は仲間とともにその事実を公にして改善を求める行動に出た。その姿に、父・善明の書店員としての矜持が受け継がれているのを見ることができる。

 

 知子は一番うれしい時間を聞かれて、「それは私が薦めた本をお客様が“あれ、面白かったよ”といってくださった瞬間」だと答えている。地域で暮らす老若男女に喜ばれる本を届けるため、書店員のたたかいは続く。


 (ころから発行、A5判変型・200ページ、定価1700円+税

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