いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』 著・吉田千亜

 3・11から9年半がたつ。午後2時46分にマグニチュード9・0の巨大地震が東北地方を襲い、ひき続く大津波で町が呑み込まれ、さらに福島第一原発1~4号機が次々と爆発し暴走し始めたあのとき、福島県双葉消防本部の消防士たちはどんな活動をし、なにを思ったか。自衛隊や東京消防庁ハイパーレスキュー隊の活躍は当時、メディアで大きくとりあげられたが、最前線で命がけで奮闘していた地元の彼らの活動は顧みられなかった。そのことを知った1977年生まれのフリーライターが、一昨年秋から双葉消防本部に足繁く通い、当時現場にいた66人の消防士(当時在籍125人の半数以上)に、1人当り1時間半から4時間以上話を聞き、一冊の本にまとめた。

 

 2011年3月11日、大津波が襲った後の双葉郡内では、7台の救急車が途切れることのない救助要請に夜中まで走り回っていた。泥まみれになった住民からの「助けて」の声が充満していた。だが地震発生から2時間過ぎたとき、今度は福島原発から「一五条通報」が入る。原子炉がコントロールできない状況に陥ったという意味だ。毎回の避難訓練では東電があれほど「事故は絶対に起きない」をくり返していたのに。消防士たちは耳を疑った。

 

 翌12日午前6時から、双葉町、大熊町、浪江町、富岡町、楢葉町の6万4000人の避難が始まった。双葉町と大熊町以外は国からの指示がなく、町独自の判断だ。午後3時には1号機が爆発。翌13日の午前9時には3号機がベントをおこなったが、東電は住民を避難誘導する任務を負う双葉消防本部には知らせなかった。

 

 その13日午前、東電から双葉消防本部に冷却水を運搬してくれとの要請が入る。そのためには1号機が爆発したばかりの原発構内に入らなければならない。そもそも原子力災害は「起きない」のが大前提、起きたとしても対応は自衛隊と決められており、消防は訓練すらしていない。それでもポンプ車で構内に入ると、3号機の爆発の危険性があるため緊急退避を指示された。「なぜ入り口で止めてくれなかったのか」

 

 14日、3号機が爆発した。ある消防士は、足が悪くて逃げ遅れた老夫婦を車に乗せようとしていたとき、爆発音を聞きキノコ雲を見たという。この日、大熊町のオフサイトセンターが撤退を決めた。国、県、東電、自衛隊など関係機関を集めた原発事故対応の中枢機関だ。別の消防士は、要人が乗った黒いクラウンが数台、猛スピードで走り去っていくのとすれ違った。消防は現地に残って救急搬送を続けており、逃げたくても逃げられないのに…。

 

 15日午前6時、2号機が大量の放射性物質を放出。続いて4号機が爆発した。この極限状態のもとで「さよなら会議」が開かれる。

 

さよなら会議

 

 消防長が切り出した。「東電からイチエフの原子炉の冷却要請が来ている。地域を守りたいし、俺たちしかいない。どう思うか」。部下に意見を求めるのは異例のことだ。「殺す気なのか!」「反対だ!」「家族が大事です」。ほとんどが反対だった。著者によれば、みんなの思いはこうだ。人のいなくなった町で、今なお活動を続け、さらに原発の冷却要請に葛藤しているわれわれのことを、一体国は知っているのか? 多くの消防士が泣いていた。

 

 紛糾した会議からわずか数時間後の16日午前6時、4号機で火災が発生した。出動する者が決まり、声を荒げて反対していた消防士も黙々と装備を始めた。「火災、と聞けばスイッチが入る」「消防士の性(さが)だ」「消防魂、というのかもしれない」と、そのときのことを振り返った言葉を著者は見逃さない。全面マスク、防護服、ゴム手袋は三枚重ねにし、靴カバーをつけ、それぞれガムテープで目張りする。装備を手伝っていたある若手は、親しい先輩から「もし俺が帰ってこなかったら、家族に愛していると伝えてくれ」と笑いながらいわれ、涙が止まらなかったという。そのときの出動の場面が表紙に掲載されている写真だ。

 

 一方、事態が一段落して避難所にいる家族に会いに行ったとき、まるで放射能汚染物質のような扱いを受け、なんともいえない思いをしたことも記されている。

 

 3月11日から16日まで、双葉消防本部のすべての職員がこのようにして、同じく被災した家族の安否すら確認できないまま、24時間勤務で働き続けた。その緊迫感が本書から伝わる。双葉郡の避難指示によって「人がいない」ことになっていた町で、自分たち自身が生命の危険にさらされながら、避難していない人、できない人、しようとしない人を何度も迎えに行き、避難所で具合が悪くなった人を県外にまで搬送し続けた。そうした献身的な活動によって地域住民の生命が守られているということを考えないわけにはいかない。

 

 そのことは、アメリカにいわれるままに原発を地震列島の沿岸に林立させ、福島事故が起きてもいまだに責任をとろうとせず、目先のもうけのために国民を犠牲にしてはばからない東電経営陣、政治家や官僚、御用学者やメディアの姿と鮮明な対比を為している。福島事故をなかったことにさせないためにも、是非読んでもらいたい一冊。

 (岩波書店発行、B6判・211ページ、定価1800円+税

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