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「みんなの居場所」小倉・昭和館が復活 焼失から477日目に 映画人が後押ししクラウドファンディングで支援集まる

 2022年4月と8月に2度の大規模火災に見舞われた北九州市小倉の旦過市場――。その一角にあった老舗映画館「昭和館」(1939〈昭和14〉年創業)も8月10日の2回目の火事で焼失した。その再開を望む多くの市民や映画ファン、さらに監督、俳優陣など多数の映画人の後押しを受けて、クラウドファンディングが立ち上がり、火災から477日(1年4カ月)の、12月19日に昭和館が再開することになった。

 

2022年8月10日の火災翌日の旦過市場。隣接する昭和館も焼失した(北九州市小倉)

 11月25日には新しい映画館の内覧会が開かれ、参加者は映写室やスクリーン袖の楽屋なども見学した。134席のシートの背面には、これまで昭和館と縁のあった映画人の名前が本人の希望する座席に刺繍されている。女優の栗原小巻、奈良岡朋子、片桐はいり、俳優の仲代達矢、リリー・フランキー、光石研、笑福亭鶴瓶、斎藤工、映画監督の是枝裕和、塚本晋也、小説家の平野啓一郎、町田そのこなど、その数は約40氏にのぼる。また映画館ロビーは、子どもたちが遊びに来たり、大人たちがゆったりと長居できるような公共の空間として活用できるように設計されている。

 

内覧会で再開喜ぶ 「映画人と一番近い場所」

 

内覧会で公開された新しい昭和館のスクリーン

 内覧会に参加した市民は「私にとって昭和館は疲れをとる場所。週に1回ここに来て2本だての映画を観てくつろいで、来週からのエネルギーを補充できる場所だった。再開は本当にうれしい」(60代男性)、「子どものころから銀天街に買い物に来て、昭和館に来ていた。2回目の火事のニュースがラジオで流れてきて、“なぜ前のニュースを流しているのだろう?”と思い驚いたことを思い出す。再開が本当にうれしい。こんなに映画人に愛される場所が北九州にあるのが誇り。今日は映画人の名前のあるシートをハシゴした。ここは映画人と僕らが一番近い場所だと思う」(40代男性)、「映画を観るだけならシネコンに行ったり、Netflixなどで観ればいい。“DVDになるまで待とう”という声もある。けれど、昭和館にはそれだけではない何かがある居心地がいい場所。人と繋がれるみんなの場所だった。他館では見られないメジャーではない映画も観ることができる」(40代女性)と再開を喜んでいた。

 

 小倉昭和館シネクラブサポート会副会長の藤野由香氏は「火事で焼けたあと“早く再建してほしい”という声がたくさんあった。その声を集めて私たちも署名運動などを必死でやってきた。ここまでたどり着けて本当にうれしい。ここは心の居場所です」と感慨深げに語っていた。

 

 三代目館主の樋口智巳氏は、「祖父が戦前に創業し、二代目の父が財産をはたいて守ってきた。三代目の私は閉めようと思って十数年前に小倉に戻ってきたのだが、みなさんと一緒に昭和館をつくってきた。昨年八月に火事で燃えてしまい今回はゼロからはじまった。みなさんがいて、いろんな人たちの力によって再開ができる。これからはみなさまから預かったこの場所を守っていこうという気持ちだ。みんなの居場所にしたい」と話した。

 

創業89年の三代目 火事から再開までの舞台裏

 

 小倉昭和館の再開にあたりこのほど出版された『映画館を再生します。小倉昭和館、火災から復活までの477日』(文藝春秋・発行)は、火災から復活までの舞台裏を館主の目線で描いたドキュメンタリーだ。

 

 1939(昭和14)年に芝居小屋兼映画館として創業し、二代目の父親が守ってきた暖簾を引き継いだときはすでに火の車だったこと、小倉に戻って最初に仕掛けたのが高倉健の特集上映。映画『あなたへ』にエキストラで参加し、その縁で「昭和館を継続させるかどうか迷っている」ことを手紙で高倉氏にうち明けたところ、本人から手紙が届きそこに書かれた言葉に励まされ、昭和館を守ることを決意したことなどをうちあけている。

 

焼け跡から取り出されて保存された看板はロビーに設置される(11月25日)

 新しい小倉昭和館のロビーには、火事の焼け跡から取り出した『昭和館①②』のネオン看板が飾られる。これは火事のニュース映像を見た北九州生まれのリリー・フランキー氏からすぐに「あのネオンだけは、残したほうがいい」という助言があって残すことができ、火災から四日後に、リリー氏から「絶対に再建しよう」という励ましの言葉があった。

 

 焼失した直後は「閉鎖」の文字も脳裏にチラつき絶望と不安にさいなまれることもあったが、昭和館を愛する多くの市民や行政、映画人の思いによって再開まで一歩一歩を踏みしめてきたこと、昭和館の焼失後も、別の会場を借りて「昭和館PRESENTS」というイベントを月1回のペースで継続してきたことも綴っている。

 

 映画の最盛期には、単館系映画館は北九州で100館以上あったというが、2004年には北九州ではシネコン以外で昭和館が「最後の一館」となった。

 

 シネコン(同一劇場内に複数のスクリーンを持つ複合映画館)では、公開して客が入らなければすぐに打ち切りとなることから、ヒットするのがあらかじめ見込まれる話題作や大型予算の作品以外はかかることがない。昨年末時点で、5スクリーン以上を持つシネコンは全国のスクリーン(3634)のうち3228、全体の9割近くを所有している。2000年の時点では5割以下であり、この20年余りで、寡占化が急激に進んでいる。

 

 そうしたなか昭和館のようなミニシアターはその街の文化を映す鏡のような場所といわれる。ミニシアターはさまざまな国や地域・年代・テーマをこえた映画を提供する場、映画制作者と観客をつなぎ人と人の交流の場、そして豊かで多様な映画文化を守る場となっている。

 

市民に愛されて ミニシアターは文化守る場

 

 クラウドファンディング立ち上げの応援団長となったリリー氏は記者会見で以下のメッセージを発表した。「度重なる火災で焼失したものは、生活や、想い出、そして、未来でした。自宅にいても手軽に映画と接触できる今。でも、映画と僕たちの関係は、知識だけでは成り立ちません。映画を求めて、時間やお小遣いを切り詰めて、そこに赴いた経験。その経験こそが、僕たちの感受性を培ってきてくれました。今回、焼失した小倉昭和館を皆様にお伝えしたいのは、観客の少ない家族経営の三番館を再度作る為ではありません。町の映画館という場所が、改めて、子供たち、大人たちの語らいの居場所でありますよう。そこに行けば、年齢、性別、人種に関係なく、食事をしながら、今観た映画、いつかの人生をささやき合えますよう。映画、映画館を媒介に、すべての人が集える、とまり木になれれば。それは、懐古的な想いではなく、文化という、人々の未来の為に」。

 

 樋口館主は、「映画館はお客さまとキャッチボールをして一緒に作っていく場所だ。お客さまの要望を聞きながら上映作品にも反映し、感動をみんなで共有する場所でもある。これからはみなさんから預かった小倉昭和館を守っていくという思いでいる」と12月19日のグランドオープンにむけて準備中だ。

 

 グランドオープンではイタリアの名作『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年)を特別上映(一律1000円)する。

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