いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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加速する軍事研究と科学者の倫理――「新しい戦前」に再び動員されないために 名古屋大学名誉教授・池内了

■科学・技術と戦争の関係

 

 最初に、科学・技術と戦争の関係を言っておこう。戦争に科学・技術が使われるということだ。科学・技術は兵器開発に重要な役割を果たしてきたのである。

 

 戦争と科学の間の関係を象徴するのがナチスとハイゼンベルグだろう。ナチスは「科学を戦争に利用する」と言ったが、ハイゼンベルグは「戦争を科学に利用する」と言った。「科学」と「戦争」の順序を変えただけだが、意味は根本的に異なる。科学と戦争は簡単に行き来することができるということでもある。ハイゼンベルグはナチスから戦争のためと言って多くの研究費用をとり、科学研究に大いに注ぎ込んでいった。科学と戦争とは非常に強い結びつきにあり、それを現在では科学・技術のデュアルユースという言い方をしている。

 

 基礎科学の普遍的な法則は、人間の生活をより豊かにする、つまり究極においては人間を生かすため、文化や建設のために使われる。もう一つ戦争を有利に展開するため、人間を殺すためにも使われる。これがデュアルユースということだ。つまり、科学には民生利用と軍事利用という二つ、デュアルな、使いかたがあるということで、今や大きな声で叫ばれている。デュアルユースなのだから軍事的応用を気にする必要はないというわけだ。科学技術基本計画などでは、“安全・安心の技術と民間技術とのデュアルユース”という、わけのわからない言い方もされている。

 

 日本では、アジア・太平洋戦争が終わるまでは、「学」と「軍」は一体化していた。学術の世界は、軍事の世界に従属していたのだ。戦後、「学」は「軍」とは一線を画した。戦前の科学者は、国家・軍事のための科学であって、人々の幸福のための科学ではなかったと反省したからだ。そして第6回総会決議で「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」を発表した。さらに1967年、第49回総会で「戦争目的のための科学研究を行わない声明」を出した。これらは、まさに軍事研究は行わないということを宣言したわけだ。

 

 その意味で、日本は公的に軍事研究を行っていない稀な国であった。先進国と言われるアメリカでもイギリスでもフランス、ドイツ、イタリアでも、あるいはロシアや中国でも、科学者が軍事研究を行うのは当たり前、むしろ強く奨励されている。その中にあって、軍事研究を行わないという日本は、非常に珍しい国だった。しかしながら今、軍事研究に対して新たな政策が次々と打ち出されている。

 

 ここでは紙数の関係から、安全保障技術研究推進制度と経済安全保障推進法に絞って述べる。

 

■安全保障技術研究推進制度

 

 安全保障技術研究推進制度は、2015年安倍内閣の時に発足した。この制度は、防衛装備庁が公募し、大学・研究機関・企業が応募し、採択された研究者へ資金を投じる委託研究である。防衛装備庁がテーマを掲げて研究委託する。現在三つのタイプがあり、5年間で20億円という大口のSタイプと、毎年最大5200万円が3年間提供されるAタイプ、最大1300万円が3年間提供されるCタイプである。

 

 この制度では、研究機関の長(大学なら学長)が応募する形になっている。そして、募集要項に「将来の装備開発に資するための目出し研究として、先進的な民生技術についての基礎研究を公募・委託する」と書かれている。「先進的な民生技術についての基礎研究」という文言は、軍事研究の色を薄めた言い方だ。これに多くの大学が応募したのは、民生技術の開発だ、基礎研究だ、だからいいのではないかということであった。防衛装備庁は防衛装備品の開発を目指している組織なのだから、民生研究を進めるはずがない。そのことを忘れている。

 

 民生研究と軍事研究を区別する観点は三つあって、①どこが金を出すかという資金源、②どのような研究の目的であるのかという文脈(目的)、③結果の公開性が謳われているかというものだ。この三つの点で区別が可能で、一つでも疑義があれば軍事研究と見なして構わない。とは言え、明確に問題にできるのは資金源である。この制度は防衛装備庁から資金が出ているので明らかに軍事研究である。いくら平和のためという言葉を使っていても、その資金が防衛装備庁から出ていれば軍事費だ。

 

 日本学術会議は、防衛装備庁のこの制度に関して、「軍事的安全保障研究について」と題する声明を2017年に出している。この声明でも、研究資金の出所と目的と公開制に関しては念を押している。研究成果は科学者の意図を外れて軍事目的に転用されうるということがある。そのために研究の入り口で慎重な判断が求められる。軍事関係の機関からの金では、どのように使われるかわからない。だから、そこを一番に問題にしなさいということだ。具体的に、日本学術会議は、軍事研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を目的、方法、応用の妥当性の観点から、技術的・倫理的に審査をする制度を設けるべきである、と勧告している。しかし、この制度に「応募すべきではない」ということは、述べていないので、このことは現在大きな問題になってきていると言わざるを得ない。

 

 大学からの応募は2015年は58件と多かったのだが、一旦10件以下と急激に減っていた。しかし、今年2023年は大幅に増えている。大学の研究費が貧困だということが反映しているのではないか。そうだとすると、今後さらに増えていくのではないか。

 

 この軍事研究制度が9年間続いてきて、私は常習化、麻薬化と呼んでいるが、複数の課題で採択されるとか、2回、3回以上と常連のように採択されているところが出てきている。大学でも大阪公立大が3回、2回採択が岡山大、大分大、豊橋技科大、熊本大とある。研究機関では、物質・材料研究機構はなんと24回も採択され、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は12回、理研が6回、海洋研究開発機構が4回というように常連のグループができつつある。

 

 私は「麻薬」と呼んでいるが、この金が魅力になってやめられなくなっているということだ。それが防衛装備庁の狙いであって、この金がなければ研究ができないように蝕んでおいて、軍事研究機関を作っていく狙いがあると思われる。

 

 防衛予算の受注企業は1年で約1兆~2兆円を得ている。企業名でいえば、三菱重工、日立、東芝、富士通、パナソニック、IHIなど日本の主だった大企業で、防衛予算の主たる受注企業であるとともに、この応募の常連となっている。日本の企業、特に大企業が軍事研究に少しずつ少しずつ蝕まれている状況が生まれつつあると言える。

 

 もっとも、三菱重工は、軍事研究関係の売り上げが全体の売り上げの1割にもなっていないのだから、まだ大丈夫だという声もある。だが現実には、日本の武器輸出三原則が防衛装備移転三原則に変わり、武器の生産・輸出が今後大きく展開していくと予想される。企業の軍事研究、あるいは軍事生産が拡大されるであろうことは容易に想像できる。

 

 それとともに、盲点として、ベンチャー企業と言われる、ファインセラミックス(6回)、ノベルクリスタル、四国総研、FLOSFIA、GSIクレオス(各2回)など、特殊技術の開発をしている企業が採用されていることも見逃せない。ベンチャー企業が防衛装備庁(軍)の金を取り、大企業(産)や大学と結びついて開発していることを考えると、今後はベンチャー企業が中心になって、軍産学複合体として広がっていくのではないか。

 

 さらに、防衛装備庁が新たに新研究機関構想を打ち出し、米国の国防高等研究計画局(DARPA)を目指すとしている。防衛省の2024年度の概算要求に新研究機関構想があり、予算額が227億円らしい。安全保障技術研究推進制度では軍事研究の基礎的な部分であり、そこから現実の軍事装備品までの橋渡しをする研究が新研究機関の重要な目的になっている。

 

 来年度の概算予算に、ブレイクする研究予算が110億円、橋渡し研究として196億円が計上され、安全保障技術研究推進制度の経費が104億円だから、トータルで400億円が軍事研究絡みで予算化されようとしている。防衛装備庁が、このように少しずつ予算を増やし、新研究機関を作ることで、より具体的に進めようと画策しているのである。

 

防衛装備庁が主催する軍需品の見本市「DSEI JAPAN 2023」(3月、幕張メッセ)

■経済安全保障重要技術開発

 

 経済安全保障というのは、アメリカが中国を念頭に置いて、共産国に対してさまざまな技術やノウハウなどを依存してはいけない、輸出してはいけない、あるいは製品や特許を使ってはいけないとして、経済的に安全保障を確立するというものである。

 

 日本の経済安保推進法のなかで、特定重要技術開発支援という項目があり、そこに基金として5000億円が積み立てられている。これが軍事研究に関わる大きな予算で、安全保障研究を推進していくことが掲げられ、現実にプロジェクトが進行中である。ここでは民生利用と公的利用というマルチユースという言葉が使われている。デュアルユースではなくマルチで、公的利用というのは様々あるという意味だろう。軍事的脅威に対抗する、あるいは安全・安心に資する技術とも言っている。実質的には、経済安全保障を口実に軍事研究を進めようとしている。

 

 国立研究開発法人であるJST(科学技術振興機構)とNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)がハブになって研究資金を配分し、技術開発をすることが進められている。国立開発研究法人を使った安全保障の協力枠組みである。大学関係者は個人として参加し、メインは国立研究開発法人にあるとしている。実は戦前の日本においては、大学付属のみならず、大学から独立した研究機関が数多く作られていた。今進んでいるのも、軍事研究の担い手として大学よりも国立開発研究法人に重点を置いた軍事研究ではないかと思う。

 

 例えばJSTの技術育成プログラムでは、自立型無人探査機、小型無人機がプロジェクトとしてあげられている。またNEDOでは、通信衛星コンプレーション計画で、多数の人工衛星を打ち上げて星座のように展開し、宇宙からの情報を取得するとともに、宇宙を通じて迅速で安定した通信手段とすることを目的としている。これも公募が済んでいる。どちらも国家主導でないと進められないプログラムで、経済安全保障という言い方で進められているのだ。こういう技術は共産圏には売ってはいけない、軍事研究に梃入れするということである。だから、経済安全保障推進法も、重要な軍事研究の一端を担っていると言える。

 

歴史は繰り返すのか?

 

 「新しい戦前」と言われたりしているが、私も、戦前のような歴史になっていくのではないかと、とても危惧している。むろん、大学が軍事研究になだれを打って参加することはないとは思うが、大学のスタッフが個人として参加する、あるいは一本釣りをされていくということが多くなるだろう。現在が戦前とよく似ている状況として、若手研究者は軍事研究に積極的であり、全然違和感がなくやっていて、ほとんど気にしなくなっているということがある。

 

 また、先に述べたように、国立研究開発法人が軍事研究の主体となっていく状況である。事実、多くの国立開発研究法人が安全保障技術研究推進制度の常連研究機関となっている。それは、戦前に多数の軍事研究のための試験研究機関が設立されているのと似ている。戦前にあった教育審議会の答申では、大学の部門を文科系から理工系へ転換せよとか、産学共同を推進せよと書いてあるわけで、これはまさしく現代の文科省行政で進められつつあることと共通している。やはり新しい戦前ができているのではないかと思う。

 

 研究費についての問題では、競争的資金への依存がどんどん強くなっている。経常研究費が大幅に削減されているからだ。競争的資金は期限があって腰を据えた研究ができなくなる弊害がある。さらに、研究費不足の研究者たちは各種軍事研究に追い込まれていくことになる。防衛省の資金を研究費不足の救済手段とみなすということになりかねない。このように研究費を通じての科学者の軍事研究への取り込みが進んでいるのだ。

 

 研究者の中でもいろいろな意見が出されている。例えば自衛のためなら軍事研究は許されるということを堂々と言う人もいる。もっと極端に言えば、自衛のための研究は軍事研究ではないとまで言う。全ての戦争は、自衛のためを理由に開始された。自衛のためだったら軍事研究ではないという口実は、戦争のための研究は軍事研究ではないと言っているのと等しい。

 

 もう一つの意見は、軍事研究を行うのも学問の自由であって、軍事研究反対というのは学問の自由を阻害すると言う。学問の自由を私たちはもっときっちり考える必要がある。学問の自由というのは、自由勝手に研究することを意味しない。社会の倫理に違反する研究、例えば人体実験とか優生学とか、個人情報の一方的使用とかの研究は勝手にしてはいけない。また、権力の干渉・介入を招く余地がある研究、結果の応用に責任が持てない研究は自由勝手にしていいわけではない。これらは倫理規範によって制限している。だからこそ科学者の倫理教育は非常に重要だと言える。

 

 私は、研究者間相互の意見交換ができない研究、秘密主義の研究はやるべきではないと思う。あるいは次世代の人間を束縛する研究、つまり若手を軍事研究に誘い込むような研究も、やはり学問の自由の範囲内に入らないと思う。権力の介入を招かず、学問の自主性、自立性、公開性を保障するために研究者の自己規律と集団的な討議と理念の共有が不可欠である。

 

 自己規律は倫理的要素であり、学問を進めていくうえでは、科学者・研究者の倫理性が原点ではないか。誰のための、何のための、科学・技術であるのかをじっくり考えること、科学者・技術者のエリートとしての義務(ノーブレスオブリージュ)があると思う。それが倫理規範で、その中身をきっちり考えるべきだ。私の好きな言葉はガンジーの言葉で、「人格なき学問、人間性が欠けた学術に、どんな意味があろうか」だ。学問とか学術には人格が反映するものである。それらが欠けた場合、その学問・学術に意味があるのかと問いかけているのだ。戦争をきちんと批判する立場で、私たちは科学や技術を見つめて進めていくことが大事ではないだろうか。

 

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 いけうち・さとる 名古屋大学名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。宇宙物理学者。1972年京都大学大学院博士課程修了。専門は宇宙論・銀河物理学、科学・技術・社会論。軍学共同反対連絡会共同代表。世界平和アピール7人委員会委員。著書に『科学の考え方・学び方』(岩波ジュニア新書)、『親子で読もう宇宙の歴史』(岩波書店)、『科学者は、なぜ軍事研究に手を染めてはいけないか』(みすず書房)など多数。

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