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英語民間試験問題にみる高等教育の貧困 公的支出削り受験ビジネスに

 全国の高校・大学の教員や受験生たちが中止を求めていた英語民間試験について、文科省は1日、2020年度からの導入を見送り、24年度実施をめざして今後一年かけて再検討すると発表した。延期されたとはいえ、根本問題はまだなにも解決されていない。逆に今回の問題をつうじて、日本政府の高等教育に対する政策が世界のなかでいかに貧困であるか、本来国の将来の担い手を育てる事業として貧富にかかわりなく平等に保障されるべき高等教育がビジネスの対象にされ、それによっていかに若者が食いものにされているかという現実が浮き彫りになっている。記者座談会で論議してみた。


  萩生田文科相が英語民間試験の実施延期を発表したのは1日の朝で、この日は当事者の高校2年生がシステムのID登録を開始する日だった。


 高校の教員たちはみな、以前から延期と制度の見直しを求めていたし、現場をひきずってでも強行しようとする文科省に憤りを語っていた。それでも受験生のために、前日まで一人一人のIDのチェックに細心の注意を払っていた。「延期はよかったが、まだ何も解決していない」と、気持ちは複雑だ。

 

現場の受けとめは複雑    「一から再検討を」

 

  大学入学センター試験にかわって2020年度から始まる大学入学共通テストは予定通りおこなわれるし、そのなかではじめて実施される国語の記述式問題はベネッセの子会社が61億円で落札し、1万人のバイトを雇って採点する。そのことにも不安がある。入試改革は「ゼロベースで一から再検討せよ」という声は強い。


  文科省は来年1月、30年近く実施されてきた現在の大学入試センター試験を廃止し、再来年から、つまり今の高校2年生から大学入学共通テストにかえる。同時にその前段で、今問題になっている英語の民間検定試験の受検を義務づけた。これと連動して指導要領も変える。


 英語民間試験は、これまでのセンター試験の英語の「読む」「聞く」に加えて「書く」「話す」の4技能を評価するために導入するのだという。全国に50万人以上いる受験生は来年4月から12月までの間に、英語民間試験を本番2回まで受けることができ、そのうち成績のいい方を大学受験に使う。再来年の1月16、17日が大学入学共通テストとなり、その後2~3月にかけて希望する大学の試験となるが、そのさい英語民間試験の成績が出願資格となったり、受験の成績に加点されたりする。出願資格になると、英語が苦手な子はその時点で門前払いとなる。


 問題は、この4技能を評価する英語試験の実施と採点、結果公表を、文科省が民間事業者に丸投げしたことだ。

 

  昨年6月には大学の研究者たちが試験の中止を求める請願を国会に提出し、全国高等学校長協会も7月と9月、試験の延期と制度見直しを求める要望書を文科相に提出した。萩生田文科相が格差拡大を容認する「身の丈」発言をおこなった直後には、当事者である高校2年生が共通テストの中止を求める署名を開始し、数日間で4万筆が集まった。国立大学協会が全受験生への実施を決定したものの、この試験を受験には使わないと表明する大学が次次にあらわれ、9月末で国公立大のうち約3割が態度を決めかねていた。


 高校生や教員たちが問題にしているのは、第一に、家庭の収入や住んでいる場所によって格差が生まれることだ。それ自体が教育の機会均等に反している。下関市内のある高校教員は「高校に通わせるだけでも必死な家庭が増えているのに、出口まで高額なお金が必要になる。それで子どもたちの将来を左右してはいけない」といっている。

 

 英語民間試験を受けるには、1回につき5800~2万5850円と高額の検定料がかかるし【図1参照】、受検回数に制限はないのだから、何度もウォーミングアップができる家庭とそうでない家庭とで大きな差が生まれる。そのうえ都会と地方では、受検機会に差がありすぎる。山口県では英検とGTECしか受けられないと思われるが、その他の試験を福岡県や広島県に受けに行くと、離島の子など1泊か2泊が必要となるし、交通費と宿泊費が大きな負担だ。都会が圧倒的に有利なのだ。


 第二に、民間事業者に丸投げして試験の公平、公正が担保されるのかという問題がある。文科省は民間英語試験に6団体7種類の検定試験を指定しているが、ビジネスでの活用を目的としたもの、資格・検定試験として国内で長く使われてきたものなど、それぞれ目的が違うし、難易度にも大きな幅がある。たとえばTOEFLは英語圏(とくに北米)の大学への留学希望者が、必要な英語能力を習得しているかどうかの評価を受けるもので、扱われる内容は北米の大学や生活に関するものが多いという。このようにそれぞれ測ろうとする能力が違う複数のテストを同時に実施して、受験生の選抜に使うことに根本的な間違いがある。


 異なる英語民間試験の成績を比べるために、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)を基準にして文科省の作業部会が強引に「対照表」をつくったが、それには科学的な裏付けがないというのが専門家の意見だ。ある大学の英語教員は、五〇㍍走のタイムと立ち幅跳びの成績を比べて体力の優劣を決めることができないように、GTECと英検の成績を比べて英語力の優劣を決めることはできないといっている。

 

  それを一緒くたにして大学受験に使うというのだからひどい話だ。しかも短期間に50万人の答案を採点しなければならないので、大量に学生のアルバイトを雇うといっている。文科省が「採点ミスがあれば業者の責任」といって責任を回避していることにも現場の教員は怒っている。


  そしてこの英語民間試験のために、高校の現場が振り回されることになる。今回、数カ月前になっても試験会場も日程も発表されないことが大混乱を引き起こしたが、実施されると民間事業者の出す参考書中心の授業に変質しかねないし、運動会や文化祭といった学校行事や、各運動部の大会日程なども見直しが必要になる。

 

楽天社長ら介入し一転     民間に丸投げ決定

 

  今回の大学入試改革にかかわった大学教員は、英語民間試験の決定過程に重大な問題があると指摘している。入試改革が本格化するのは安倍内閣になってからだが、当初、文科省が招集した高大接続システム会議(大学の学長らで構成)では、民間に丸投げせず、現在のセンター試験と同じ方式でやるという最終答申を2016年3月に出していた。ところがそのわずか5カ月後、文科省は一転して民間検定試験の活用をいい出した。


 実はそれには伏線がある。安倍内閣発足直後から経済同友会で楽天社長・三木谷浩史が「TOEFLなどの民間試験の活用」を主張し、2014年には文科省の有識者会議が「センター試験の英語試験を廃止し、英語の資格・検定試験に替える」との報告をおこなった。このときの文科大臣が受験産業との関係が取り沙汰される下村博文だ。この民間試験ありきが押し切ったわけだが、三木谷はこの有識者会議のメンバーにも入り、2017年7月に民間試験の導入が決まってまもなく、楽天は英語教育事業を立ち上げている。また、有識者会議の傘下の協議会にはベネッセと英検の担当者が入っていた。


  異なる英語民間試験の成績を比べる「対照表」を作成した、文科省の作業部会の審議自体が非常に不透明だ。これも大学の教員が暴露しているが、この作業部会は、実施団体として審査される側の民間試験事業者の代表者5人と、民間試験の開発に携わった研究者3人で構成されていた。つまり成績の評価にとって決定的な「対照表」が、実証データにもとづく根拠も、英語教育関係者の経験にもとづく根拠もなにもないまま、当事者を含めた官民一体でつくられ、異なる試験の評価をつなぎあわせてつじつまをあわせただけのものだった。


  現場の教師は生徒のために英語の力、また総合的な学力をつけさせようと奮闘している。一方民間の英語産業は、ビジネスチャンスを拡大して利益を上げるために参入しようとし、文科省がそれに奉仕している。双方は相いれないものだ。


 そもそも入試の運営と受験対策とを同一の民間企業がやること自体、弊害が大きい。民間企業が利益を増やすためにテストの仕様を変更し、そのための問題集やセミナーを新たに売り出したり、蓄積した受験生のデータを使って新たなビジネスを展開することも可能になるからだ。水道など公共インフラの民営化が問題になっているが、今回の英語試験の市場化が、共通テスト全体、ひいては英語教育本体の市場化につながることを専門家は心配している。


  ビジネスのために受験生が食いものにされ、貧乏な家庭の子弟は大学で勉強する機会そのものを奪われかねない。これは日本の未来にとって大きな損失だ。ただでさえ少子化の世の中で、金持ちの子弟しか大学に行けなくなったらどうなるか。過去を振り返ってみても、苦学生が爪の先に火を灯すようにして勉強し大成した例は多い。


  今回の英語民間試験にとどまらず、貧富にかかわりなく平等に教育を受けることができるという教育の機会均等が、日本社会では大きく損なわれている。義務教育である小・中学校でも父母負担が大きいことが問題になっているが、高等教育ではとくにひどい。


 大学進学率が50%をこえた日本で、子どもを大学に通わせることは親にとって大きな経済的負担だ。学費が諸外国に比べてもあまりにも高いからだ。国公立大学の授業料は、1969年には年間1万2000円で、入学金などを含めた初年度納入金はあわせて1万6000円だった。それが50年後の現在、授業料は53万5800円となり、初年度納入金は学部によっては90万円近くになる。この間の物価上昇率は3倍なのに、学費は45倍という異常さだ。


 それは、政府が高等教育に予算を回さないからだ。ヨーロッパでは次代の担い手を育てるために大学教育無償の国は多い。高等教育の公的負担割合を見ると、OECD平均で公的負担70%、家計負担21%だが、日本の場合は公的負担35%、家計負担51%と、世界的に見てもダントツで高等教育の家計負担が大きい。


  これは日本学生支援機構が調べた学生生活調査(2016年)で、国立か私立か、自宅か下宿かを区別しない平均額だが、大学生の年間支出(学費+生活費)は188万4200円。大学院に進んで、修士課程だと176万300円、博士課程になると225万700円となっている。つまり大学4年間で800万円近くが必要となるし、大学院を修了して研究者になろうと思えば9年間で2000万円近い金が必要になる。それが一家庭にのしかかるのだから大変だ。あまりに金がかかりすぎるので、この十数年間で大学の理工系院生の数が半減したという調査もある。科学技術立国を支える博士の卵がいなくなっているわけだ。


  一方、勤労世帯の平均年収は、1990年代以降減り続けている。親の仕送りを期待できないし、バイトに明け暮れていては勉強がままならない。だから学生たちは奨学金に頼らざるを得ない。


 日本の奨学金事業は日本学生支援機構(JASSO)が金額の9割を占めるが、その利用者が急増している。2002年度が67万人だったのに対し、2016年度は131万人と、全学生の4割が奨学金を借りている。しかも、JASSOの奨学金には返す必要のない給付型はなく、すべて返済が必要な貸与型で、その貸与型にも無利子(第一種)と有利子(第二種)があるが、第二種の有利子が2000年以降、急速に伸びている【図2参照】。有利子の方がより高い金額を借りられるからのようだ。

 


 一人当りの合計借入金の平均は、無利子の場合237万円で、有利子の場合は343万円。つまり社会人になる門出で、一人が数百万円の借金を抱えているわけだ。それを十数年から20年かけて、毎月約2万円ずつ支払わなければならない。JASSOの総貸出残高は9兆円だという。


  日本の奨学金制度が諸外国と比べていかに貧困かを見ないといけない。世界的には低学費、あるいは学費無償と、返さなくてよい給付型奨学金の二つが高等教育政策の柱となってきた。その国の科学技術や文化水準を維持し、高めるために、大学で必要な資金は公的に供給するという考えからだ。

 


 ところが日本の場合、給付型奨学金の比率はOECD諸国のなかで最低で、ほとんどが貸与型だ【図3参照】。つまり奨学金とは名ばかりで、サラ金と変わらない教育ローンなのだ。夫婦あわせて返済総額1200万円、毎月の返済額6万円を抱え、出産・子育てをあきらめたという話がある本に出ていた。


 E しかも今、日本の労働環境は劣悪だ。就職したものの、非正規の不安定な低賃金労働であったり、苛酷なノルマと長時間労働のブラック企業で転職せざるを得なくなったり、またはそのなかで本人が病気になって仕事ができなくなったりすると、たちまち奨学金の返済は行き詰まる。


 返済が滞ると、電話での督促に始まって、3カ月後には個人情報がブラックリストに載ってローンが組めなくなり、4カ月後には債権回収専門会社に回収業務が委託され、9カ月後には裁判所に申し立てをし、給料差し押さえなどの強制執行に進む。JASSOがとった法的措置は年間1万件に迫り、強引なとり立てで自己破産になった人が年間600人にのぼるという報告もある。


  そこにはJASSOの奨学金が、投資家に安定した利益をもたらす有利な投資先になっているという事情がある。有利子の第二種奨学金の財源は、返還金に加えて、民間の銀行や投資家からの投資で成り立っている。だからJASSOは、96%という高い回収率を売りにして投資を促すが、それが無理なとり立てによる悲劇を生んでいる。若者たちが金融資本の餌食にされている。


  将来、社会に出て有用な仕事をするために、大学に進学して学びたいという意欲を持った若者がいるのに、そこに国が必要な金を回さず、次世代の育成を放棄し、それどころかビジネスの食いものにしてはばからないという本末転倒した事態が進行している。それがいかに彼らの無限の可能性をつぶし、国の未来をつぶす馬鹿げたことであるかだ。


 JASSOの総貸与残高が9兆円、国立大学86校と私立大学約600校の授業料はあわせて年間約3兆円だという。アメリカのためにF35など高額な兵器を買うのをやめ、オリンピックやリニア新幹線などの無駄な事業に国家予算を湯水のように注ぎ込むのをやめるなら、奨学金の返済をチャラにし学費を無償にすることは可能だ。意欲のある若者を育てる環境を整備する方が日本の未来にとってはるかにいいことははっきりしている。

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