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広島「原爆と戦争展」 国内外から1500人を集めて閉幕

全国各地から若い世代が多く訪れた原爆と戦争展(6日、広島市)

 広島市中区袋町で開催された第17回広島「原爆と戦争展」は7日、10日間で約1500人をこえる参観者を集めて会期を終えた。広島市内をはじめ全国各地また海外からも幅広い年代が足を運び、5、6日にかけては平和団体や労働組合、教師集団、職場、大学生や高校生グループなどの集団参観もあいついだ。市内から「毎年見せてもらっている」「次世代として体験を受け継ぎたい」と訪れる家族連れも多く、展示物を前にした被爆者との交流が終日おこなわれた。原爆と戦争展は、被爆地広島と全国、世界を結ぶセンターとして昨年以上の注目を集め、広島を基点にして核兵器廃絶と戦争を阻止する全国的な絆と国際連帯の展望を広げる画期的な成果を収めた。


 原爆記念日を前後して参観した人人からは、73年前の被爆の惨状、そこにいたるまでの満州事変、大陸や南方での兵士の凄惨な戦地体験、全国空襲、沖縄戦など第2次大戦の全貌について強い関心を注ぎ、「日本が負けるとわかっていた戦争に国民を引きずり込んだ意図や、アメリカの占領計画を知ることで、なぜ原爆が投下されたのかがより理解できた」「戦争に突入する過程が一番知りたかった」「この内容を他の人たちにも知らせたい」と口口に語り、パネル冊子や英訳版を求めていった。

 

閉幕間際まで参観者は絶えなかった(7日)

 アメリカで美術関係の仕事をしている20代の日本人女性は「これだけはっきりと原爆の被害やアメリカの犯罪性について暴露している資料を見たことがない。少なくともアメリカではこのような内容を目にする機会はない。だがこれが真実であることは、この場に来て被爆者と対面すれば疑いようがない。各国間の歴史を語るうえで“中立な立場”などありえないし、何が真実なのかを語り、それを史実として理解されることがあたりまえでなければならないと思う。ヨーロッパでも争いの歴史は深いが、改めていま学術界・芸術界では真実をもとに歴史をとらえなおす機運が高まっている。その面ではアメリカはかなり遅れており、原爆の事実だけ見ても認識の溝は深い。アメリカには2003年から原爆投下機エノラゲイがスミソニアン博物館に展示してある。だが説明には“世界で初めて原子爆弾を運んだ戦闘機”としかない。展示前には、広島の被害を伝える内容も記載する予定だったが、最終的にアメリカ軍の圧力で記載内容が変更されたと聞く。軍事国家の下で権力者によって政治的、経済的な目的から歴史がねじ曲げられる。エノラゲイを見た子どもたちの印象はどうだろうかと考えたときに、これではいけないと危機感を覚えた。アメリカに住む日本人として原爆の真実を多くの人に伝えていきたい」と話した。


 カナダ在住のアメリカ人男子学生は「第二次大戦の開始からの帝国主義、原爆投下、現在に至るまでの過程がよくわかる展示で、多くのことを初めて知ることができた。アメリカではいまも原爆投下が戦争を終結させ、日本の侵略行為を終わらせたと肯定する人が多いが、この展示のような事実を知らせれば、それが誤りであることに気づくだろう」とのべた。

 

 また「昨年と比べてもアメリカ経済は一段と厳しくなり、もう戦争をすべきではないという世論が強まっている。トランプが大統領になったとき、国民のなかに“もう終りだ”という絶望が覆っていたが、その後、政治や社会について積極的な発言や行動をする人が増え、社会を自分たち国民の手で変えていけるのではないか、変えていかなければいけないという意識がかつてなく高まっている。一時は極右団体やネオナチズムなどのファシストの発言力が増していたが、いまではそれに反対する人の方が増えて、軍事強硬派は影響力を失った。戦争ではなく対話や平和的な交流で他国との関係を変えていくべきだという論調が強まり、戦争や原爆に対する歴史的なとらえ方も変化してきている」と語り、「非常にすばらしい展示であり、出会えたことを感謝したい」と感動を口にした。


 日本の大学で物理学を専攻する香港出身の女性研究者は、メモを取りながら熱心にパネルを見て「戦後のアメリカの占領政策についての詳細な記述に目を見張った。これほどの内容を日本の人たちが語っていることに驚くし、アメリカや安倍政府に対する被爆者や市民の怒りの告発が全体を貫いていて、強く共感する。最近は韓国でも、もっと強い言葉でアメリカを非難する人が増えている。このように明確で説得力のある展示会を見たのははじめてだ」と感動を語り、パネル冊子を求めた。


 その他、訪れた外国人の多くは「これはどのような団体がやっているのか?」と問いかけ、官製でなく市民のボランティアでやっていることを知ると、「広島で明確な平和への意志をもった活動に出会えたことがうれしい」「勇気ある活動に敬意を表する」と口を揃えて共感をあらわした。フランスやベルギーのジャーナリストや、韓国のテレビ局などが「広島市民の活動を伝えたい」とリポーターとともに取材に訪れ、展示や被爆証言にカメラを回していった。


 東京都から来た40代の男性は「東京をはじめ首都圏を何度も空襲した記述があったが、自分が住む近くでも日立工場の変電所が空襲で狙われ、社宅で100人以上が亡くなり、変電所が戦災建物として残されてきた。しかし数年前に撤去するという方針が出され、地元の人人が存続のために行動し、今も公園のなかに残されている。今、東京ではオスプレイが市街地の上空を飛行し、横田基地などを中心に都市部の通信基地で離着陸をおこない、着艦訓練もやって実戦を想定した都市型の訓練をおこなっている。イージス・アショアの配備も話題となっているが、戦争について、より現実的に考えなければいけない」と語った。


 横浜市から平和関連行事に参加するために訪れた女性は、「第二次世界大戦の真実から始まって原爆、原発事故、平和運動まで多くのパネルと遺品を丁寧に並べてあり、非常にわかりやすかった。多くの兵士の体験と写真に一時少し気分が悪くなりそうだったが、それが戦争というものだと実感した。戦争や原爆の目を覆いたくなるようなむごたらしい姿はもちろん二度とあってはならないが、もっとも恐ろしいのは知らない間に戦争に再び足を踏み入れてしまう危険が感じられることだ。過去に目を向けず、反省も検証もせずに戦争をやりたがる権力者がいつの時代もいる。私たち市民が今度こそ嘘や巧妙な手口に気づき、声をあげてなんとしても止めなければならない。この展示はそのための大きな役目を担うものだと思う。今後も日本中、世界中に発信し続けられるよう応援したい」とのべた。


 広島市内に住む60代の女性は「戦後にアメリカがどのように日本を占領し、その結果、現在もアメリカとの隷属関係が続いているということがよく分かる展示だった。戦争や原爆の事実を知ることで現代がより理解できる。若い世代が知らなければならない内容だ。アメリカが東京大空襲で皇居や財閥は爆撃しなかったことや、終戦が決まった8月14日の岩国空襲では、まるで蜂の巣のような爆撃をしながら滑走路だけは攻撃しなかったことを知り衝撃だった。東京では東京大空襲を伝えさせない意図的な圧力がかかり、岩国では米軍の基地ができた。結局当時の日本の支配層は軍部にすべての責任をなすりつけて自分たちは生き延びる代わりに全国民をアメリカに売り飛ばしたということだ。それが今の日本の姿だ。父もフィリピンの方へ行って戦死しているが、何のために死んだのかと展示を見ていて本当に怒りがわいてきた」と語気を強めた。

 

被爆体験を聞くロシア人学生(6日、広島原爆と戦争展)

平和運動のセンターとして発展 閉幕式

 

 7日の午後5時からは、被爆者や学生、賛同者による閉幕式がおこなわれた。


 原爆展を成功させる広島の会の眞木淳治会長代行は「この10日間、たくさんの人に支えられて無事に成功させることができた。連日のように多くの人に語る活動ができたことを感謝している。今年はとくに展示内容に対する共感が強く、改修中の原爆資料館が不十分な状況において非常に中身の濃い展示だとの評価が共通していた」とのべた。「北海道の高校生、東京の高校生やロシア人大学生の団体、山形や神奈川の労働組合など、全国や世界から訪れた多くの集団や個人に被爆体験を語った。一生懸命聞いてくれる親子連れも多く、子どもたちも“平和のための語り部になる”など具体的な目標を語ってくれた。これまでの長年にわたる原爆展運動、平和活動に大きな意義があり、多くの人の心を揺さぶっていることを実感する。高齢化によって難しくなるかもしれないが、被爆者の思いを継ぐ若い人の力を借りて、この運動を大切に長く続けて行く覚悟を新たにした」とのべた。


 つぎに広島の会事務局の犬塚善五氏が同展の概要について報告。台風の影響があったものの参観者が昨年を上回る1500人をこえ、そのうち新たに150人が賛同者に加わり、アンケートは600枚に及んだ。国内では、北海道、東北、関東、東海、関西、中四国、九州、沖縄の全地域から訪れ、またアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、カナダ、ペルー、ベルギー、ロシア、インド、中国、韓国など、外国人の参観が昨年に増して多く、通訳を介して被爆者と交流していった。被爆者やその遺族、家族連れや学生、職場グループ、そして教師集団の参観が多く「子どもたちにどのように被爆や戦争の体験を継承するか」という強い問題意識をもって参観し、今後のつながりを求めたり、平和教育に展望を抱いていったことを特徴としてあげた。「昨年にも増してこの展示の内容が全国、世界の平和を求める人人にとってセンター的な役割を果たしていることを改めて実感するものとなった」と結んだ。


 連日、会場でパネルの解説や体験証言をしてきた信重英昭氏は「4月にこの会に入って間もないが、少しでも役に立てたのかと反省している。被爆時が3歳なのでほとんど当時の記憶がなく、15歳で病気になり、原爆病院に入っていたときのことを主に語ってきた。このパネルの内容を生々しく伝え、参観者に納得してもらえるような話ができるようになりたい。これから勉強することが山ほどある」と抱負をのべた。


 広島市内で小学校教員を務める20代の男性は「大学在学中に展示会を参観したことをきっかけにしてこの会に参加したが、たくさんの人が原爆展会場を訪れ、とくに若者や親子連れが多かったことがうれしい。同時に、語ってくれる被爆者のみなさんの若者への期待を強く感じる。私たちが一人一人の市民に向き合うことがこれから大事になってくると思う」と決意を込めて語った。

 


 連日スタッフとして献身した広島大学の男子学生は「パネルの写真や被爆者の言葉のインパクトが強く、一人でも多く伝えたいと思って参加した。被爆者の方が減っていく現実があるが、自分は卒業後も8月6日の現実を周りの人に伝えていきたい」とのべた。

 

 通訳を担った女子大学生は「幅広い年齢層の方方に来てもらえてよかった。“衝撃的な内容がありすごかった”との感想を多くもらった。すべて真実なので一人でも多くの人にそれを理解してもらいたい。来年も再来年も一緒に頑張っていきたい」と語った。

 

 賛同者の女性被爆者は「戦争前夜から原爆まで描かれたパネル展は来るたびに胸を打たれる。私自身も初めて知ること、隠されてきたことの多さを実感する」と感想をのべた。爆心地から500㍍の袋町にあった自宅ごと家族5人を失い、「今年の8月6日は、父が吹き飛ばされて死んでいた他人の家の前で線香をあげさせてもらった。迷惑かなと思ったが、家主さんも近所の人も“大切なことだから”と協力してくれた。平和記念式典は年を追うごとに形式的なものになり、これでいいのかと腹立たしく、いたたまれない気持ちになって帰ってくる。一番危険なのは今の米国大統領だ。原爆の怖さをなにも分かっておらず、いつ核のボタンを押すかもわからない。そのためにもこの展示会の発展に期待している」と共感をのべた。

 

 全広島市民の期待と協力のもとで開催した同展の画期的な成果を確信し、さらに全国、世界に平和運動の基盤を広げていくことを誓い合って10日間の会期を閉じた。

 

被爆者を囲んで体験を学ぶ参観者(6日)

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