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『高校生が描いたヒロシマ』 広島市立基町高校のとりくみ

美術通じた体験の継承

 

 広島市の広島国際会議場(平和公園内)で今月17日から27日まで『高校生が描いたヒロシマ 原爆の絵画展』がおこなわれた。広島市内の高校生が被爆者の証言をもとに被爆当時の情景を描いた油彩画35点が展示され、多くの市民や県内外からの訪問者が参観した。被爆から72年が経過するなかで、被爆者・戦争体験者の脳裏に刻まれた体験を後世に残す課題は、歴史の断絶をさせぬうえで重要さを増しており、被爆地における世代間を結ぶとりくみが注目を集めている。

 

 防火用水のなかで立ったまま焼かれた人の遺体、川面を埋め尽くして流れる人の群れ、髪が逆立ち全身の皮膚が赤紫色にただれながら一心に家族を探す被爆者の目、燃えさかる炎のなかで助けを求める子どもの「般若」のような形相、息絶えた子や膝から下が骨だけになった孫を背中に負って呆然と歩く老婆の悲痛な顔つき……被爆時に市民が目にした壮絶な惨状を克明に再現しているだけでなく、その表情ににじみ出るなまなましい感情が胸に迫ってくる。常軌を逸した悲惨な光景でありながら、筆に込められた犠牲者への思いが見る者を引きつける。

 

 これらの作品群は、広島平和記念資料館が委託している被爆者(47人)が証言活動に活用するとともに、被爆の実相を継承するために07年から始めた『次世代と描く原爆の絵』のとりくみのなかで、広島市立基町高校の創造表現コースの生徒(1~3年生)たちが被爆者と一緒に作り上げたものだ。生徒たちは被爆者から体験を学ぶことを起点に、資料を集め、お互いに何度も意見を交換しあいながら依頼を受けた情景を1年間かけて描き上げる。10年間で描いた絵は、学校が独自に依頼した被爆者も含めて119点に及ぶ。

 

 

 制作を担当した生徒たちは、コメントのなかで「潰れた口や防空壕の中など、自分の目で見たことのないものを表現するのは難しく、何度も証言者の方に聞いて描き直した」「下絵を見てもらった際に、証言者の池田さんは、“人をもっと増やして”といわれた。自分でも多めに描いたつもりだったけれど、実際には自分の想像以上に多くの人が亡くなられていたということを知って驚いた」「多くの人を絵の中に描き足していく毎に、原爆がもたらした被害の大きさに衝撃を受けた」「理不尽に人が傷つき、殺される様を聞いたり、実際に描いたりするのは辛かった。特に黒焦げの赤ん坊を抱いた母親のことを聞いた時は胸が痛んだ」「もし自分だったら家族の遺骨を持ったときにどんな思いであったか、どのような表情をするだろうかと考えながら描いた」など、世代間の壁を乗りこえて被爆者と認識や感情を共有する過程であったことを強調している。

 

 また、「広島に生まれ育った私は原爆の話を小学校の時から平和学習などで毎年聞いてきた。そのため、とりくみやすいのではないかと思っていたが、自分の知らなかった恐ろしいさまざまな出来事を知ったり、どう描写したらいいか分からないこともあったりして、何度か筆の止まることもあった。絵の制作を通して、自分が現実の一割程度も原爆について知らないことを痛感した」「原爆を知っているつもりでいたが、証言者のお話と、私がイメージしていた原爆とはあまりにもかけ離れており、そんな自分に腹が立ち、情けなく思った」「原爆が落とされた直後の人人や建物の様子を教えていただき、単純な恐怖心だけではなく、このような惨劇をくり返してはならないという使命感が湧いてきた」と生徒自身の葛藤を通じた心境の変化も記している。被爆の惨状や失われたものの大きさを深く学び、その悲しみや怒りと真剣に向きあったことが制作の基礎になっており、筆先から伝わる生徒たちの真剣さが絵の持つメッセージ性をより強力なものにしている。

 

 10年前のとりくみ当初から「原爆の絵」の制作指導にあたってきた基町高校の橋本一貫教諭は、「日頃から自己表現に慣れている子どもたちにとって、他者の見た光景や感情を表現することははじめての経験であり、まずは相手を理解することから始めなければいけない。自分が“こうだ”と思っても、被爆者の方からみれば“そんなものではなかった”といわれたら自分の認識を改めて描き直す。当初は、想像を絶する惨状を描くことに、“生徒が潰れるのではないか”“トラウマになるのではないか”という心配の声もあり、生徒にも“途中で投げ出すのならはじめからやらない方がいい”と忠告している。だが、実際には悩みも葛藤もしながら全員が自分の意志で描き上げてきた」と語る。

 

 はじめに担当する被爆者と顔合わせをした後は、生徒たちが独自で調べたり、被爆者に質問をしながら1年かけて制作する。ヤケドや炎の色も見た人によって違い、立ったままの白骨化した人など、日常生活では触れることのない惨状を、「被爆者が見て感じたそのままを忠実に再現する」ことが求められる。生徒たちは、その人の気持ちを理解する努力を通じて、社会性を身につけ、それまで人と会話がうまくできなかった子がよく話をするようになったり、不登校気味だった子が学校に来るようになるなど人間関係を築いていった。そして、「自分たちにも平和のためにできることがある」と自信を付けていったという。

 

 今では、10年前から先輩たちが試行錯誤しながら培ってきた道筋もあり、「被爆地で生まれ育ったものとして自分たちにもなにかできることはないか」という問題意識を持っている生徒や、原爆の絵を描くことを目標にして入学してくる生徒たちも増え、今年も10人の生徒が8人の被爆者とともに制作に挑んでいる。市民からも「自分の体験を描いてもらえないか」という問い合わせがあるという。

 

 橋本教諭は、「今は全国各地から展示や講演の依頼が来ており、ここまで注目されるようになったことに逆に驚いている。あくまで高校生が描いたものなので限界性はあるが、平和教材として将来にわたって活用できるし、被爆や戦争の体験をより深く学ぶ教育的な効果からもとりくんでいく意味はある。だが、これを広島だけの特別なものにするのではなく、東京や大阪など全国各地にある空襲や戦争の体験を次世代に伝え残していく方法として波及させていってもらいたい。そのことが、単に歴史の1ページとしての認識ではなく、郷土の歴史や祖父母の思いをより深く継承していく契機になるのではないか」と強調した。

 

 展示会場では、「高校生が描いたとは思えないほど真に迫った絵に胸を打たれた」「短期間ではなく、恒常的に展示して戦争を知らない世代に見てもらいたい」という声や、絵の前で当時の体験を語りあったり、子や孫を連れて訪れる参観者も多く見られた。被爆体験の継承をめぐっては、原爆を投下した側、あるいは原爆の威力を誇示する側から恐怖心だけを植え付ける傾向とあいまって「子どもには悲惨なものを見せてはいけない」とする風潮も存在するなか、それを覆して、原子雲の下にいた市民の感情を出発点にして原爆の真実を伝え、二度と悲劇をくり返させない被爆地の意志を継承していく努力が実を結んでいる。それは被爆地で脈脈と受け継がれてきた世代間の営みであるとともに、新たな戦争に抗する市民の切実な要求を反映しており、同様のとりくみが各地で広がることが期待されている。

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