いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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いかなる民族の頭上にも原爆投下は許されず ー北朝鮮情勢に際してー

 北朝鮮とアメリカの矛盾がかつてなく激化している。この春先からアメリカは過去最大の米韓軍事演習によって挑発し続け、北朝鮮も負けじと米国本土を射程圏内に捉えるICBM(大陸間弾道ミサイル)の開発に力を注いできた。米朝では軍事力に圧倒的な差があるとはいえ、ICBMの完成は北朝鮮からすれば「やられっぱなしにはならない」と武力攻撃に対して予防線を張る力を手に入れたことを意味した。一方のアメリカからすれば、攻撃するだけでなく、攻撃されることも視野に入れなければならない段階に突入したことを意味した。

 

 これはすなわち、一方的な軍事恫喝の均衡は崩れたことと同時に、武力衝突では泥沼の殺し合いにしかなり得ず、対話しか道は残されていないことをあらわした。1950年から続いている朝鮮戦争を停戦ではなく、完全に終結しなければ、東アジアの緊張は解けないのである。

 

 目下、双方は軍事力の行使を厭わないような危険な表現で応酬をくり広げている。このなかで、トランプが発した「北朝鮮は世界が目にしたことのないような炎と怒りに直面するだろう」の言葉は、広島、長崎に投げつけた原爆以上の兵器を投げつけるという意味合いを持つ。広島で24万人、長崎で14万人の老若男女を殺戮したことについて、投げつけた側は後悔も反省もしていないし、むしろその兵器の「実績」でもって戦後も世界支配の野望を貫いてきた。その核大国が72年たった今も「あんな目にあいたいのか!」と広島、長崎の大量殺戮を引き合いにして恫喝している光景をわれわれは見せつけられている。戦後からこの方、こうした核大国による一方的な力に対抗する術もまた核兵器なのである。

 

あの閃光(せんこう)が忘れえようか!
瞬時に街頭の3万は消え
圧しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

 

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルデイングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯(はて)しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島

 

やがてぼろ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿(のうしょう)を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列

 

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体(したい)
つながれた筏(いかだ)へ這いより折り重なった河岸の群も
灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光(かこう)の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり

 

兵器廠(へいきしょう)の床の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金ダライにとぶ蝿の羽音だけ

 

30万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩(がんか)が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!
 (『八月六日』より)

 

 広島の原爆詩人・峠三吉は72年前の惨状をこのようにしたためた。後にも先にもこのような残虐な兵器を人間の頭上に投げつけた国はアメリカだけであり、投げつけられたのは広島、長崎のほかにはない。唯一の被爆国として、「無辜の非戦闘員を殺戮した原爆投下の犯罪は、人類の名において許してはならない!」ということと同時に、「いかなる民族の頭上にも再び原爆を投下してはならない!」と世界に向かって発信することこそ、果たさなければならない使命なはずだ。アメリカ人の頭上に落としてはダメで、日本人や朝鮮人なら良いとか、アフリカ人やアラブ人なら良いというような言説は許されない。いかなる理由があれ、すべての人間の頭上に投げつけてはならないし、原爆やそれを上回る炎によって人間の尊厳を奪っていくような野蛮な行為はやめさせなければならない。

 

 目下、対立しているのは北朝鮮とアメリカであり、北朝鮮と韓国、あるいは北朝鮮と日本ではない。それは金正恩、トランプの丁々発止が正直に物語っている。日本と韓国はアメリカに逆らえず、鎖につながれながら外野席に立ちすくんでいる部外者ともいえる。ここで対立している当事者の間に首を突っ込んで片側に肩入れしたり、いわんや武力攻撃の最前線機能を担うことほど愚かな行為はない。日本政府がすべきは「東アジアで軍事的緊張を煽るな」「日本にある米軍基地が狙われたら日本国民の生命が危ないではないか」「日本列島を盾にするな」と最悪の存立危機事態を回避するために対峙することである。国民の生命を危険にさらさない道はそれ以外にはない。

 

 しかし、あろうことか「グアムに4発発射する」と北朝鮮が踏み込んだのに反応した安倍政府は、すかさず存立危機事態と見なして集団的自衛権行使が可能であるという見解を示した。われらが属国は宗主国様を攻撃する輩を断じて許さぬ! という体で、頭上を飛び越えていくミサイルに向かっていきり立っているような光景だ。仮に米朝の軍事衝突が始まり、アメリカの手先として武力参戦すれば、国内にある米軍基地や五四基の原発が標的にされることは誰でもわかる。そのような危険性を承知しながら、標的になることが前提でミサイル警報の訓練をやり、もっとも大切であろう標的にされないための外交努力は何もしないという、他国が真似できないような標的歓迎型を実行している。

 

 この米朝の軍事衝突に加担するということは、みずから日本列島に存立危機事態を誘致する自爆行為にほかならない。狙われるいわれのない日本社会が、アメリカの盾になってみずから戦場になることを買って出て、72年ぶりに焼け野原にされる道を選択する。これは、何なら復興需要で日本の独占大企業は息を吹き返すという戦略すら思い描いているのではないかと疑わなければならないような、異様な道である。

 

 かつての朝鮮戦争で、朝鮮半島に流れた血によってドルを稼ぎ、戦後復興の起爆剤にしたのが日本の独占大企業であった。いまやすっかり資本主義が行き詰まり、民需が頭打ちになったなかで軍需に傾斜し、米軍産複合体を筆頭に戦争を渇望している勢力が世界各地で紛争や戦争の火種を撒いて、スクラップ&ビルドを煽っている。戦争の危機が迫っているのは、国同士の好き嫌いや社会体制の違いに原因があるのではなく、資本主義体制がどうしようもなく行き詰まっており、巨大な破壊によってしか次なる相対的安定期を得ることができないという矛盾に起因している。そのような戦争をひっきりなしに仕掛けてきたのはアメリカであり、北朝鮮との社会体制の違いなどは武力攻撃を正当化する理由にはならない。アメリカが好き勝手な振る舞いをすることについて脅かすから、中国やロシアへの牽制として北朝鮮に原爆を投げつけるというのも正当化できるものではない。

 

 原爆投下すらがちらついている緊張した情勢のもとで、唯一の被爆国であるはずの日本政府は、投下者であるアメリカに隷属した悲劇的な道を進んでいる。東アジアの軍事的な緊張は、軍事力によってこの地域を脅かしてきたアメリカこそが最大の元凶であり、アジアの近隣諸国とともにこの横暴を排除することなしに平和などない。せっせと私物化に励んだうえで、終いには日本列島を戦場にさらすというのであれば、安倍晋三はじめとした政府要人はみなA級戦犯として戦後処理されなければ誰も納得などしない。日本列島を危険にさらす行為は、そのような事態に導いた為政者も相応の覚悟をしなければ話にならない。「日本が狙われる!」と騒ぐのではなく、狙われるような対米隷属の屈辱的な道を拒否することが、アジアの安定と平和に貢献する道である。

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