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元海兵隊の蛮行糾弾する沖縄県民大会 島ぐるみの揺るがぬ力示す

沖縄から海兵隊は撤退せよ

 

6万5000人が結集した海兵隊の撤退を求める沖縄県民集会(16年6月)

 「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」(主催・辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議)が19日、沖縄県那覇市の奥武山陸上競技場をメイン会場にして開催された。今年4月に沖縄県うるま市で起きた、元海兵隊員による20歳女性の強姦殺人事件に対して、満腔の怒りを持って糾弾するとともに、二度と同じ悲劇をくり返させないために日米両政府に米海兵隊の撤退を求めた。沖縄全土をはじめ本土からの参加者も含めて6万5000人が結集し、会場は熱気に包まれた。喪服に身を包んで参加する島民の姿もあった。
 
 6万5000人の熱気 日米政府に突きつける

 集会は参加者全員で黙祷をおこなった後、今回の事件で亡くなった20歳女性の父から届いた手紙が代読された。父親は「米軍人、軍属による事件、事故が多いなか、私の娘も被害者の一人となった。なぜ娘なのか、なぜ殺されなければならなかったのか、今まで被害にあった遺族の思いも同じだと思う。被害者の無念は計り知れない悲しみ、苦しみ、怒りとなってゆく。それでも遺族は安らかに成仏してくれることを願っている。次の被害者を出さないためにも、全基地撤去、辺野古新基地建設に反対、県民が一つになれば可能だと思っている。県民、名護市民として強く願う」と思いを託した。
 続いてオール沖縄会議の共同代表たちが挨拶した。名護市の稲嶺進市長は、2日前に名護市で追悼集会を開催したことを伝え、「われわれはもうすぐ慰霊の日を迎える。71年前もこんな暑さだったのだろう。あのときも多くの県民が戦火の中を逃げ惑った。そして20万余の犠牲があった。太平洋戦争から71年がたつが、今日このような集会を開かなければならない。71年前から沖縄県民の人権は無視され、多くの犠牲が押しつけられてきたし、今なお変わらない実態があらわれている」
 「すべての夢とその未来を一瞬にして消し去られてしまった、親は子どもに対して強い思いを果たしてきた。われわれ行政をやる者、政治の場にいる者、そして多くの県民は、今回もまた一つの命を救う“風がたか”(雨風から守る風よけ)になれなかった。無力感もあるが、悔しさはその何倍も私たち一人一人のなかにある。このような事件が二度と起こらないようにわれわれは頑張らないといけない」と事件への思いをのべた。
 そして、名護市辺野古への新基地建設に反対し、一時的ではあるが押しとどめていることについて「これは県民の力だ。私たちのこの力で二度とこのような事件を起こさないと誓い、行動を起こし、みんなの心を一つにしてこれからも頑張っていきたい」と挨拶した。
 同じく共同代表の呉屋守将氏は、2日前に名護市で開催された追悼集会で被害者の両親が「最後の犠牲者にしてください」と訴えたことに勇気づけられたことをのべ、「静かに被害者の冥福を祈ることが追悼ではない。彼女を最後の犠牲者とすべく具体的な有効策を講じることがわれわれに託された責務だ」と訴えた。
 そして、「戦後71年に及ぶ屈辱的な扱いのなかで失われ、あるいは傷つけられてきた沖縄人の尊厳と誇りをとり戻すことが今、なによりも求められている。われわれと、そして未来の沖縄人のためにも、いったい何名の犠牲者を出さないとこの沖縄の苦しみをわかってもらえないのか。私はこのことを安倍総理をはじめとする責任ある人人に問いかけたい。戦中・戦後を通じて沖縄県民に押しつけられてきた差別的、そしていわれのない犠牲の強要があった。それについて安倍総理、あなたは遺族そして沖縄県民に真剣に向きあって心から謝罪をすべきではないか。みなさん、われわれ一人一人は弱いかもしれないが、決して屈しない、屈してはならない」と訴えた。会場からは「そうだ!」というかけ声がかかり、拍手が沸いた。
 島ぐるみ会議共同代表の高里鈴代氏は奪われた命に追悼の意を表明した後、35年前のある朝、3人の米兵からレイプされた女性が、当時那覇市で婦人相談員をしていた同氏に、「私は21歳で人間でなくなったけど、私は人間だからね。忘れないでね、高里さん」と電話を寄せた出来事を重ねて語った。彼女のその後の人生は厳しく、精神科への入退院をくり返しながら、ともにアパートを探したりして寄り添っていたこと、ベトナム戦争当時には、絞め殺されそうになって難を逃れた女性たちにも出会い、実際にレイプされて絞め殺され、死体となって溝に放置されている女性が1年間に4人もいたことを語った。
 そして、「“ベトナム戦争ですさまじかったから”“あのときは復帰前だから”と思いたくなってしまうが、復帰して今日までそのようなことが起こっている。もう二度とくり返させないために、この場に集まった私たちはどのように思いをあらわし、行動したらいいか考えなければならない。軍隊が駐留し、その軍隊が日日の訓練のなかで殺戮と破壊の訓練を受け、イラク、アフガン、そして今から起こるであろう世界の紛争に出かけていく。沖縄がそのような場所であるなら、今回の女性の被害と同じように新たな被害を生んでしまわないだろうか。私たちは多くの傷つき殺され、沈黙を強いられている声をしっかり耳を澄ませて聞こうではないか。実はこういうのもある、まだあるよと埋もれている声も発掘して、呼び起こして、その声を集めて新たな基地の建設および海兵隊の駐留を認めない行動につないでいきたい」とのべた。

 若い世代も真剣な訴え 「一番の脅威は米軍」

 被害者女性と同年代の玉城愛氏は「バラク・オバマさん、アメリカから日本を解放して下さい。そうでなければ、沖縄に自由とか民主主義が存在しない。私たちは奴隷ではなく、あなたや米国市民と同じ人間だ。オバマさん、米国に住む市民のみなさん、被害者、沖縄人に真剣に向きあって謝って下さい。自分の国が一番と誇ることはけっこうだが、人間の命の価値がわからない国、人殺しの国だと呼ばれていることをご存じだろうか。軍隊や戦争に対する本質的な部分をアメリカがみずから問い直すべきだと思う」「生きる尊厳と生きる時間が軍隊によって否定される、命を奪うことが正当化される。こんなばかばかしい社会をだれがつくったのか。沖縄から人間の生きる時間、人間の生きる時間の価値、命には深くて誇るべき価値があるんだという沖縄の精神を声高高と上げていこう」とのべた。
 続いて、若い世代を代表して沖縄出身や、県外出身で沖縄に在住している4人の大学生が登壇し、一言ずつ発言した。
 沖縄出身の男子学生の一人は、「元海兵隊員による女性遺棄事件が発覚したとき、私はとても悲しく、悔しい気持ちでいっぱいだった。このような事件で県民大会が開かれるのは1995年の少女暴行事件以来だと思う。当時私は4歳だった。私には当時の記憶はないが、当時の人がどのような思いだったのか、今回の事件でわかったような気がする。1950年以降、強姦殺人だけでも22人、未遂を含む強姦は321人、その他、殺人、強盗、強姦を含めた凶悪犯罪は1972年の復帰以降だけでも571件にのぼっている。このような事件が続いている以上、原因は米軍基地にあるといわざるをえない。米軍基地をとり除くことでしか解決しないといわざるをえない」
 「日本の安全保障とはいったいなんなのか。一番の脅威は私たち隣人を襲う米軍・米兵の存在ではないか。日本政府がいう国民に沖縄の人は含まれているのか。憲法がうたう国民に沖縄の人は含まれているのか。私たちが平和に生きる、幸せに生きる権利はあるのか。そのような疑問が次次と私のなかに沸いてくる。沖縄、この島に住む人は何にもおびえることなくウォーキングをしたいだけだ。この島に住む人は何の心配もなく、いってらっしゃいと息子を、娘を、恋人を送り出したいだけだ。この島に住む人は何の不安もなく家族が、恋人が待つ家に帰りたいだけだ。私たちはただ、普通にこの島で生きていたいだけだ。このような事件がもう二度と起きないように、二度とこのような事件に対して県民大会を開くことがないように、この島に、沖縄に住み生きる人たちが、とくに女性、子どもたちが普通に暮らせる、生きやすい社会を私たち一人一人がつくっていこう。私はつくっていくとここに誓う!」とのべ、大きな拍手がわき上がった。
 集会の最後に発言に立った翁長雄志・沖縄県知事は、遺族に対して哀悼の意を表した後、「二一年前のあの痛ましい事件を受けての県民大会で、二度とこのような事件をくり返さないと誓いながら、政治の仕組みを変えることができなかったことは、政治家として知事として痛恨の極みであり、大変申し訳なく思っている」とのべた。
 そして、安倍首相に事件について抗議した際、沖縄県知事として県民の生命と財産、尊厳、人権、子孫の安全を守るために日米地位協定の見直しを強く要望し、運用改善による対応では限界があることを伝え、凶悪事件の発生は広大な米軍基地があるが故だと強く主張したことを明らかにした。しかし事件が明るみになった直後の日米首脳会談であったにもかかわらず、首相は日米地位協定の見直しに言及せず、「辺野古移設が唯一の解決策である」などとのべた。そのことについて、「私たちは心を一つにして強い意志と誇りを持ってこの壁を突き崩していかなければならない。今日、この日を改めての決意の日にして全力で頑張っていこうではないか」と訴えた。
 「政府は県民の怒りが限界に達しつつあること、これ以上の基地負担や県民の犠牲は許されないことを理解すべきだ。私は県民の生命と財産、尊厳と人権、そして将来の子や孫の安心と安全を守るべき知事として、このような事件が二度と起きないよう県民の先頭に立って日米地位協定の抜本的な見直し、海兵隊の撤退、削減もふくむ基地の整理・縮小、新辺野古基地建設阻止にとりくんでいく不退転の決意をここに表明し、挨拶とする」とのべ、最後に沖縄方言で「みなさん! 負けてはいけませんよ! 沖縄の人人みんなで子や孫を守っていきましょう!」と呼びかけると万雷の拍手やかけ声、指笛が鳴り響いた。

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