いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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現地ルポ「宮古島を戦場にするな」 ミサイル配備の最前線に立たされる島

ミサイル基地の正門前に建てられた配備反対の幟(宮古島市千代田地区)

 石垣島から沖縄方面に飛行機で約30分、距離にして123㌔の位置に宮古島がある。宮古島、池間島、大神島、来間島、伊良部島、下地島の6島で構成される宮古島市(人口約5万5000人)は、近年、合併とともに本土からの移住者が急速に増えて沖縄県内の離島では最も人口の多い市となった。4つの島が橋で繋がったことを契機にして島の海岸線では大規模なリゾート開発が進み、国内外からの観光客の急増、本土資本によるホテルや住宅建設、公共事業などで飽和状態となり、「宮古島バブル」ともいわれる異常な活況を見せている。一方、島が急速に変貌した5年間のどさくさに紛れて進められてきたのが、宮古島への陸自ミサイル部隊の配備だった。昨年3月に開所した宮古島駐屯地は、「南西シフト態勢」の司令部が置かれ、奄美大島から八重山にいたる島嶼(しょ)部隊の心臓部に位置づけられている。ここではミサイル部隊にとどまらず、島全体を丸ごと軍事要塞化する大がかりな計画が控えており、住民たちの粘り強い抵抗が続いている。本紙は石垣島に続いて宮古島に取材に入った。現地リポートを連載する。

 

農業地帯にミサイル部隊 千代田地区の駐屯地

 

 先島諸島(宮古諸島・八重山諸島)の島々の地形は、石垣島や西表島のように高い山を持つ島と、山のない平坦な島に大別される。八重山では「ヌングンジマ」(野国島)、「タングンジマ」(田国島)とも呼ばれる。宮古島は典型的な「タングンジマ」であり、島全体がお皿のように平坦で、山岳部も河川もない。珊瑚礁が隆起してできた島であるため、海岸線に沿ってリーフ(岩礁)の干潟が帯状に広がり、それらが織りなすコバルトブルーの海の美しさに惹かれ、昨年度は114万人の観光客が訪れている。


 宮古島空港を出ると、市役所がある平良(ひらら)港周辺の中心市街地に向かって幅の広い2車線道路がまっすぐに伸びる。視界を遮るものがないためか、ここが石垣島(222平方㌔㍍)よりも小さい島(159平方㌔㍍)であることを忘れるほど広々とした街のつくりだ。道路沿いには新しいビルや見慣れた24時間営業スーパーやディスカウント店、ドラッグストア、ホテルなどが建ち並び、まるで本土の街にいるような錯覚にさえ陥る。今も島の各所では、テナントビルや住宅などの建設工事、道路の拡幅工事が忙しくおこなわれており、この島が大きく変貌を遂げる途上にあることがうかがえる。

 

宮古島の中部に広がる田園地帯。広い耕作地を持つ島の農業生産高は県内の市町村でトップだ。

 空港から市街地とは逆の東側に足を伸ばすと、一転して広大な農地が広がる。おそらくこれが宮古島の原風景なのだろう。きれいに区画整備された畑には、主作物であるサトウキビ、葉たばこ、そばなどが植えられ、緑のなかに小さな集落が点在するのどかな農村地帯だ。その農地の真ん中に、赤い屋根に、壁は肌色に塗られた真新しい建物群が姿をあらわす。千代田地区に昨年3月に開設された陸上自衛隊宮古島駐屯地。まるでリゾート施設と見まがうような柔和な色調に統一されているのは、「ミサイル部隊」という物騒なイメージを払拭するためだろうか。だが敷地内には迷彩色のトラック、装甲車両、ミサイル発射車両(総数120台)などが物々しく整列していた。

 

建設中の陸自ミサイル部隊駐屯地(宮古島市千代田地区)

宮古駐屯地に整列するミサイル搭載車両や軍用車両

 基地正門には昨年3月に配備された「宮古警備隊」と、今年3月2日に長崎から本部が移動してきた「第7高射特科群」(地対空ミサイル部隊)の真新しい看板が掛けられ、フェンス内ではまだ建物の工事が続いていた。防衛省が公表した計画のうち、隊庁舎(4棟)、食堂・福利厚生施設、車両整備場(2棟)、警護所、医務室、木工所、給油所(ガソリンスタンド)などの施設はすでに完成し、フェンスの外側には家族持ち隊員が入居する官舎が6棟並んでいる。昨年配置された380人に、今月26日には新たに350人が加わり、最終的には800人規模になるという。家族を含めると2000人以上が流入してくることになる。

 

水源を守る島民の闘い 大福牧場の計画は頓挫

 

 宮古島に陸上自衛隊の配備計画がもちあがったのは2014年6月。安倍政府の武田防衛副大臣(当時)が来島し、陸上自衛隊部隊350~400人の配備計画を下地敏彦市長に説明し、候補地選定に向けた現地調査協力を求めている。さらにさかのぼれば、民主党政権時代にも北沢防衛大臣(当時)が宮古島への特殊部隊やゲリラの上陸に備える「初動部隊」の配備を打診しており、政権担当者が誰であるかにかかわらず一貫して進められてきた計画であることがわかる。


 そして2015年5月、左藤防衛副大臣(当時)が下地市長と面談し、宮古島への陸自部隊の警備、地対空・地対艦ミサイルの三部隊の配備計画とともに、島の北東部にある「大福牧場」と、島の中央部にあるゴルフ場「千代田カントリークラブ」を最適地として指定した。


 当初、防衛省が白羽の矢を立てた大福牧場(福山地区)は、衆議院議員・下地幹郎(宮古島出身)の実家である地場ゼネコン「大米(だいよね)建設」の関連企業が所有する土地で、防衛省はここに駐屯地と弾薬庫を兼ね備えた複合基地の建設を計画した。ところがこの土地の下には、宮古島にとって「命の水」である地下水源が存在しているため、地域住民の猛反発を受ける。かつてはゴルフ場の建設計画さえ頓挫したという。ついには、市長が諮問した専門家でつくる地下水審議会の学術部会が、この水源には宮古島最大の湧水地があり、宮古島の飲料水の80%を供給していることなどから、基地で使用する油分・薬物などの漏出によって水質を恒久的に汚染する恐れがあること、有事のさいに受ける攻撃によって地下水帯が破壊されることなど多段階のリスク管理が必要であり、基地をつくることは認められないとの結論を出した。


 宮古島は、島全体が琉球石灰岩という非常に水を吸収しやすい地質でできている。島には川もダムもなく、降った雨はすぐに石灰岩層を透過して地下水となり、その下層の泥岩に沿って海に流れ出す。そのため土壌は乾きやすく、雨が降らない日が続くとたちまち農業用水や飲料水が枯渇するという問題に島民は長年苦しめられてきた。2000年に地下水をせき止めて水を貯める巨大な地下ダムが建設されたことで水不足は解消されたものの、農業の灌漑用水や水道水のすべてを地下水に依存していることに変わりはなく、地下水汚染は市民の生命や健康に直結する重大な問題だ。

 

地下ダムの構造(宮古島市地下ダム資料館)

 だが、大米建設と深い協力関係にある下地市長は、大福牧場への基地建設に固執。防衛省とすり合わせて水源地を避けた修正図案まで作成し、地下水保全条例を無視し、地下水審議会を「結論なし、審議終了」として学術部会に文言削除などの文書改ざんを要求するなど、ゴリ押しを図っていたことが市民主催のシンポジウムで暴かれた。


 市民の猛反発によって、市が隠していた学術部会の議事録が公開され、最終的に下地市長は「水道水源流域の大福牧場は認められない」と表明せざるを得なくなる。地元では「坪3000円程度の原野を買い占め、数億円規模で防衛省への転売を狙っていた大米の当てが外れた」と語られている。防衛省も2016年9月に計画を撤回し、第二の候補地である千代田カントリークラブへ駐屯地建設、島東部沿岸の保良地区への弾薬庫建設に舵を切った。

 

宮古の人間は生贄か? 造らないはずの弾薬庫も出現

 

ミサイル部隊駐屯地に隣接するメロン畑で思いを語る農家

 農村地帯の真ん中に20年前に開設された千代田カントリークラブは、2014年7月時点にはすでに経営破綻しており、銀行による財産処理がおこなわれている状態だったといわれる。22㌶の土地は約1億6000万円で競売にかけられ、当初は下地市長も県営防災公園として県に買収を求めていた。だが、一転して下地市長が防衛省に出向いて売り込んだことを市長みずから認めている。土地は一旦、県外に住む親族が買いとる形をとり、防衛省に7億円という法外な価格で売却されたといわれる。「なぜ市長が民有地の売り込みに関与するのか」――利益供与とも見られる市当局の不可解な動きに市民の疑念は深まっている。


 2016年6月には、市議会が配備賛成を決議し、10月には防衛省が隣接する千代田、野原部落住民を対象にした説明会を開くなど急ピッチで手続きが進んだ。だが住民説明会は、いずれも住民の怒号が飛び交うなど紛糾した。


 「静かで平和だった地域が、朝から大音響のラッパが鳴り響く異様な地域になってしまった」――駐屯地に隣接する畑で農業を営む男性(元部落会長)は、畑の中建てられた豪華な自衛隊官舎を見つめながら語った。「この計画は、野原部落(55世帯)のまったくの頭越しで話が進んできた。住民には寝耳に水で、すべてを新聞紙上で知らされた。防衛省の説明会では、“まずここに決定した理由を教えてくれ”というと、“学校と市街地が近く、自衛隊受け入れ可能なインフラが整っているからだ”という。“それは防衛省の都合ではないか。地元への配慮はないのか”と聞いたが回答はない。“ならば防衛省で調査した内容を教えてくれ”というと、“今日は資料がないので改めて開示請求してくれ”という。地元にまったく説明する気がない不誠実な対応に説明会は紛糾し、“馬鹿野郎!”の声も飛んだ。防衛省は“とにかく施設の説明をさせてくれ”というので、“そんなバカな話があるか”とみなが断った」と当時を語る。

 後に千代田、野原の両部落会は全会一致で反対決議を上げている。


 「部落として全会一致で反対決議を持って沖縄防衛局に白紙撤回の申し入れに行ったところ、防衛局側は“地元同意を得なければいけないという法律はない”とはっきりいわれた。“では地元住民の人権についてどう思うか?”と聞くと、“人権を問う意味が分からない”という。“あなたたちに人権などない”といわれたに等しく唖然とした。驚きの発言だがマスコミも反応しなかった」と怒りを噛みしめるように語った。


 地元住民の断固反対の意志表明を無視して、防衛省は2017年11月についに力ずくで工事に着工した。
 水源地問題で撤回となった大福牧場と同じく、千代田地区にも大きな地下水源があることがわかっている。同じく地下水汚染の危険性がある。だが、それを検証する地下水審議会は、市長が要求するか、委員の3分の2が要求しなければ開かれない。大福牧場の撤回騒動で懲りた下地市長は、今度は審議会を開かせず、委員メンバーまで差し替えて水問題の調査をさせないよう手を打った。地元が要求した環境アセスも水質調査もおこなわなわず、地元へのリスクを隠蔽した。


 前述の男性は「この島の地下水脈は必ず繋がっている。飲み水や農業用水のすべてを頼る地下水が汚染されたらこの島は終わる。配備を容認した市にその説明を求めても、すべて“防衛局に説明を申し入れている”の一点張りで責任ある回答はなにもない。地元住民との面談さえ拒否し続け、住民説明会にも市長と議長に同席するように文書で申し入れたが、回答すらなく不参加だった。防衛省は“住民保護は自衛隊ではなく、自治体の仕事だ”といい、市長は“国がやることだから”と逃げ続ける。住民を守るものはこの島にはないということだ」と怒りを込めた。


 さらに基地建設が始まると新たな事実が発覚する。防衛省が説明会で、駐屯地内には「つくらない」と明言していた弾薬庫が、図面で「保管庫」と書かれた場所に姿をあらわし始めたのだ。さらに、グラウンドをヘリパッドとして併用することも認めた。着工前には下地市長も「ヘリポートや弾薬庫などは一切ないので、ひと安心している」などとのべて「安全」をアピールし、地元の千代田、野原部落を容認に転じさせた経緯がある。


 「約束違反だ」との市民の抗議に対して、防衛省の回答は「説明不足だった」の一言だけ。防衛省はこれまで駐屯地内で保管するのは「小銃弾等」としていたが、台形型の弾薬庫は「第一群」に分類される最も危険レベルの高いもので、中距離多目的誘導弾や迫撃砲が貯蔵されていた。『陸自教範』には、地対艦誘導弾が火災に巻き込まれてから爆発するまでの時間は「約2分」と記載されており、隊員に1㌔以上離れた場所に避難することを求めている。駐屯地から100㍍以内にも民家があり、近隣の住民は家ごと吹き飛ばされることを意味する。

 

 また、千代田駐屯地の敷地内には、住民たちが古くから礼拝の儀式をおこなってきた御獄(うたき)があり、住民の出入りが遮断されたうえに御獄そのものが約束の半分近くも削り取られていること、建物が活断層の真上にあり、辺野古と同じくN値が低い軟弱地盤が存在することも判明している。

 

千代田駐屯地内に造られた弾薬庫

 「はじめから彼らにとって住民は守る対象ではなく、だます対象でしかないのだ」と男性は続けた。「そもそも75年も平和が続いてきたのに、なぜ今ミサイル配備なのか。わざわざ隣国との戦争を想定していることをアピールするようなものだ。防衛省も説明会で相手は中国だと明言するが、遠く離れた小さな島から本土防衛などできないことは歴史が証明している。ましてや超音速ミサイルの時代だ。中国の太平洋進出を阻止したいアメリカの鉄砲玉にする――ただ、それだけのために島中の人間に心中が迫られている。防衛省は限定戦争(地域を限定した武力衝突)まで想定しているというが、宮古の人間は生贄なのか。“住民保護は任務ではない”と開き直っているように、そこで暮らす住民のことなど眼中にすらないのだ。車両を見ても災害対応に使える車両など配備されていない。宮古は昔から保守王国といわれ、私自身もこれまでは保守の立場だったが、国防とは第一に住民の暮らしを守り、食料を自給することだと信じて農業一筋でやってきた。それをないがしろにする国のやり方は、とても納得できるものではない」と話した。


 別の男性農家は「土地を売ったゴルフ場のオーナーは自衛隊協力会の事務局長で、下地市長が会長だ。大米建設も含めて選挙で協力する利害関係者の手だけで進められたもので、すべてはカネと地位のためだ。市長は“国の事業だ”というが、市長が反対すればできないはずだ。防衛省も住民説明会を2回開いただけで、しかも形だけの説明で詳細は一切明かさない。“自衛隊が来れば潤う”などというが私たちには害しかない。基地周辺交付金はこの地域には一銭も降りたことがないのだ。戦争になれば、この島を壊滅させるのは簡単だ。地下水で保っているのだからミサイルが地表を貫通すれば、水は飲めなくなり、それだけで無人島になる。一発でも飛んだら終わりだ。なにが国土防衛か」と思いをぶつけた。

 

住民を守らぬレーダー 野原地区の空自基地

 

野原地区の航空自衛隊レーダー基地(沖縄ドローンプロジェクト撮影)

 また、千代田駐屯地からほど近い野原地区の小高い丘(標高110㍍)には、航空自衛隊のレーダー基地が設置されている。ここには戦時中、日本軍第28師団の司令部が置かれていたが、戦後は米軍が占領して通信部隊を置き、その後、空自が南西航空警戒管制団を置いた。現在は対空レーダーや周辺諸国の電子戦関連情報を収集する「地上電波測定装置」の巨大なアンテナがいくつも林立しており、2017年には対中国用の最新の電波傍受施設FPS7レーダー(球体状)が2基新設された。ステルス機や中国から北朝鮮に至る広範囲の電波を傍受する強力な電磁波を放っているといわれ、その威力は欧州基準の2000倍というほどのレベルだ。専門家が持って来た測定器の針は振り切り、付近でドローンを飛ばすと動作不能になって落下したという。この電磁波を浴び続けている周辺住民の健康への影響は度外視されている。

 

 基地の建設過程を見てきた地元住民によれば、「施設の地下30㍍には2700平方㍍ほどの大きな空間が造られており、そこに電源設備や燃料が格納されている。ここが真っ先に攻撃を受けることを自覚しているからだ。見ての通り、レーダー基地もミサイル基地も上空からは丸裸同然。島には山もなく、隠れるところもない。まるで叩いてくださいといっているようなものだ。それなのに住民をどう守るのかということは想定も計画もされていない」という。宮古島に配備されるミサイル部隊は、石垣島と同様に車載式部隊で、相手からの攻撃を回避するために島中を移動しながらミサイルを発射する。部隊が回避したミサイルは、落下地点の住民がまともに受けることになる。防衛省が説明会で「そのさい市街地は走らない」というお粗末な釈明をしていることにも、住民たちは呆れていた。


 野原地区には、戦時中に本土から衛生兵として宮古島に駐留した体験者の歌碑が建てられている。「補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸(むくろ)焼きし宮古(しま)よ八月は地獄」「犬、猫、鳥、みな食いつくし熱帯魚に極限の命つなぎたる島」……米英軍の海上封鎖で食料や医薬品の補給は絶たれ、マラリア、飢餓のために連日のように死んでいく兵を荼毘に付す作業に明け暮れた当時の経験を詠んだものだ。


 宮古島では、1944年に那覇が壊滅した10月10日の空襲と時を同じくして米英軍による空襲が始まり、終戦まで連日のように攻撃を受けた。「島には三つの飛行場があったために真っ先に狙われ、空からの爆撃と猛烈な艦砲射撃で平良港周辺の市街地も壊滅した。また、4万人が暮らす島に本土から3万人もの兵隊が送り込まれたところに、米軍に制空権も制海権も奪われたので、たちまち食料不足で飢餓状態に陥り、ヘビやトカゲまで食べられるものは何でも食べていた」「住民は軍から食料を奪われ、栄養失調とマラリアでバタバタと死んでいった。二度とくり返してはならない」と語られる。


 地元で粘り強く反対の声を上げている男性医師は、「宮古に生まれ、父母から戦争体験を聞いて育てられた。国を守るためといって連れてこられた3万人の兵士のうち一割は餓死だったという。住民もマラリアで2000人近く亡くなった。先輩たちがやっとの思いで復興させ、地下水を守り、ようやく観光地として人気が出てきた矢先の自衛隊配備計画だ。しかも水瓶(水源地)のうえにミサイル基地や弾薬庫を置くことは、島を守るどころか島の生命線を潰してしまう。誰一人として死なせないことが医療に携わるものの使命だと思う。だが防衛省や市長は、仮想敵の中国のことばかりいうが、そこに暮らす住民をまるで見ていない。嘘を平気でいい、市民を裏切り、最後は“住民の同意はいらない”とまでいう。“国のために島から出て行け”といっているのと変わらない」と憤りを語る。


 宮古島の軍事要塞化計画は、ミサイル部隊や弾薬庫にとどまらない。港湾、飛行場、ビーチに至るあらゆる場所の軍使用が想定されており、軍事施設や訓練地になり得る地域では学校統廃合が進められ、住民の追い出しが現実に始まっている。本土からにわかに押し寄せた「宮古バブル」の異常な活況もその計画と密接に関連している。


 「これは宮古島の問題であって宮古島だけの問題ではない。ここを対中国戦争の導火線にして、先島、沖縄、日本全国を戦争に動員するための発火点にしようとしている。その背後ではアメリカが糸を引いている。宮古島で起きていることを、日本の縮図として全国の人たちに知ってもらいたい」と語気を強めた。

 

米軍による捨て石作戦  「国土防衛」の虚構

 

 宮古島の軍事要塞化計画は、ここ数年で始まったものでも、防衛省が独自に計画してきたものでもないことを島民の多くが指摘する。

 

在日海兵隊司令部キャンプ・コートニーで行われた米海兵隊と自衛隊の日米共同指揮所演習

 ここに一枚の写真がある。2016年11月30日、沖縄県うるま市の米軍キャンプ・コートニーでおこなわれた米海兵隊と自衛隊の合同指揮所演習の様子だ。当時、在日米軍がSNSで公表したが、波紋を広げたため慌てて削除したものだ。大きな地図の上で指揮棒を持っている米兵が右足を置くのが宮古島北部の池間島付近。指しているのは伊良部島の渡口の浜にあたる。その向こうの地図は、石垣島、西表島などの八重山の島々である。今回の自衛隊配備予定地などのポイントにはすべて印が付けられ、米軍の説明を聞く兵士のなかには自衛隊員の姿も見られる。米軍が先島諸島を戦場として具体的に想定していることの証であり、先島諸島への自衛隊配備は米軍を中心とした戦略の一環であることがうかがえる。


 この「島嶼(しょ)奪還」を想定した実戦訓練は今年2月、沖縄県金武町のブルービーチ訓練場でおこなわれ、2018年に「日本版海兵隊」として発足した陸上自衛隊の水陸機動団(長崎県佐世保市)が初参加している。日米の兵士らが米海軍の艦艇からボートに乗って砂浜に上陸し、陸側にいる相手と銃撃戦をおこなう。そこへホバークラフト(LCAC)が上陸し、高軌道ミサイル砲システム(ハイマース)を陸揚げしてミサイルを発射するという激しい白兵戦だ。写真の米兵が指す渡口の浜は、この日米合同の上陸作戦の訓練場として使用することが濃厚になっている。「奪還」とは、一度占領された地域、あるいは敵陣に殴り込むものであり、国民を守るための防衛とは無縁のものだ。当然そこに暮らす住民の保護など作戦計画には寸分も盛り込まれていない。


 この作戦は米軍の「オフショア・コントロール」――中国が太平洋に進出するさいに通過する「第一列島線」(鹿児島、沖縄、台湾、フィリピン、マレーシアに至る海上ライン)を武力包囲する戦略にもとづいている。米中対立が激化したさいには、ここで中国の貿易航路を遮断して経済制裁することができ、中国艦船による米本国への攻撃を封じ込めることができるという発想だ。宮古島と沖縄本島に挟まれた宮古海峡は公海であり、中国艦船はここを通って太平洋に出る。その最前線の出入口に自衛隊を配備し、米軍になりかわって挑発し、衝突が起きれば、米軍の指揮の下に自衛隊が肉弾戦をおこなう。そうすれば米国はみずから手を汚すことも血を流すこともなく、また本土が攻撃される心配もなく、中国と戦えるという構想だ。自衛隊員を米軍の盾として差し出しながら、「住民保護は自衛隊の任務ではない」と住民にあからさまにいってのける防衛省の頭の中には、もはや守るべき国土や国民が存在するのだろうか。その言葉が日本中の国民に向けられていることを考えないわけにはいかない。


 長く大陸との文化や経済交流の歴史を持ち、豊かな自然と、そこで育まれてきた暖かい人情で、荒波を静かなさざ波にかえる砂浜のように国境の緩衝地帯となってきた小さな島々――。そこをにわかに「防衛の空白地」などと騒ぎ立ててミサイルや弾薬を運び込む背景には、75年前に「鉄の暴風」とともに乗り込み、20万沖縄県民を殺戮して占領した侵略者の思惑と、その手先となって国土を再び「捨て石」として差し出そうとする「戦争を知らない」戦争遂行者たちの常軌を逸した強欲で浅はかな発想だけが透けて見える。長年、住民の頭越しで進む軍事要塞化に翻弄されながらも、故郷を守り続けてきた宮古島の人々は、いまそれを肌で感じている。

 

住宅地に隣接した保良弾薬庫 説明会4日後に着工

 

造成中の保良弾薬庫。住宅地から200㍍の至近距離にある(沖縄ドローンプロジェクト撮影)

 千代田地区のミサイル部隊駐屯地とセットで宮古島に持ち込まれているのが、部隊が扱う膨大なミサイルや弾薬を保管する弾薬庫の建設だ。防衛省は、島東南部の保良地区にある鉱山を買収し、昨年10月からすでに工事を進めている。


 人気の観光スポットである東平安名崎(宮古島最東端)まで続く海岸線を進んでいくと、海側は切り立った崖になっており、陸側にはのどかな田園風景が広がっている。宮古島市が合併する前の城辺(ぐすくべ)町にあたる地域で約5800人が暮らす。島全体で見ると平良市街地の反対側に位置しており、合併後にはまるで切り捨てられるように急速に人口減少と高齢化が進んだ地域といわれる。防衛省は、県道に接し、住宅地から200㍍しか離れていないこの場所に、ミサイル部隊250人を配置し、弾薬庫(3棟)をはじめ、廠舎、整備場、受電所、給油所、排水処理場、そして射撃訓練場と広大なミサイル訓練場を整備するとしている。同じ地区内には海上自衛隊の射撃訓練場も建設中だ。弾薬庫には、地対艦(約700㌔)、地対空(約570㌔)の誘導弾が持ち込まれる。


 工事現場付近の畑のなかには地元住民が建てたテント小屋が建ち、「ミサイル・弾薬庫配備反対!」の幟がはためいていた。ここに住民たちが集まって工事の状況を監視しながら、住民の意志を示す唯一の場所として体を張った抗議を続けている。

 

監視小屋の前で弾薬庫予定地を指さす住民(保良地区)

 「笑うしかないような状態。いまも現実として受け止めきれていない」。テント小屋に詰めていた70代の女性はそう訴えた。一昨年11月と昨年10月の2回、防衛省が開いた地元説明会は紛糾し、隣接する保良・七又地区の自治会は反対決議をあげたものの、防衛省は何事もなかったかのように市の了解を得て説明会の4日後に工事に着手した。「住宅地に隣接した地域に大量の弾薬を置き、有事には車両にミサイルを搭載して発射しながら走り回るという。なんの冗談なのだろうか。宮古全体を基地として考えているということだが、市長がまったく説明しない。離島奪還作戦といわれても、ミサイルでどうやって奪還するのか教えてほしい。私たちにすれば、いまが一方的に平和に暮らす環境を奪われている状態だ」と思いをぶつける。


 この地域の人たちも2017年に弾薬庫の候補地になったことを報道で知らされた。翌年1月に福田防衛副大臣が訪れて正式に市に要請した。「ここに具体的にどんな建物が建てられ、どれだけの弾薬が保管されるのか、どんな訓練がされるのかもいまだに何一つ明らかにされていない。危険性を認識させないうちに工事に着手した」と住民たちは憤る。


 この「保良鉱山」は、開発当時は経営が上手くいっていなかったが、平良港の埋め立て工事のトラバーチン(石灰岩)を掘り出すことで軌道に乗り、その工事が終わってからはほぼ稼働していなかったといわれる。ここでも千代田ゴルフ場と同じく市長が売却に動いたといわれ、鉱山を経営する「宮古総合開発」の社長は、姪が自衛隊沖縄地方協力本部宮古出張所の所長。またその兄は、この問題が浮上してから下地市長の後押しを受けて市会議員(現職)になったという経緯がある。同社は、複数の地権者や相続人に対して、時効取得(10~20年たてば土地の使用者に権利が移る制度)を利用して所有権を独占する裁判を起こしており、計画地はいまも係争中の土地も含まれている。


 保良地区では、弾薬庫から200~600㍍の範囲に約180世帯が暮らしている。火薬類取締法の保安基準では、保管する弾薬量によって弾薬庫から住宅地の距離が定められており、200㍍の距離に住宅があれば2㌧しか保管できない。だが、推定では地対艦ミサイルは7㌧、地対空ミサイルは4・5㌧、中距離多目的ミサイルと迫撃砲は13㌧が保管される予定であることを指摘されると、防衛省は「自衛隊は適応外」などといい、保管量も「防衛上の秘密」として隠蔽した。県の環境アセス(20㌶以上)の基準を逃れるために開発区域を19㌶に留め、この地域の地下水源への影響もまったく検証されていない。


 女性は「保良の人はかわいそうね……という人もいるが、ミサイル基地ができて島に安全といえる場所があるだろうか。ミサイル車両は島中を走り回り、地下水が汚染されたらこの島で人は住めなくなる。実際に、普天間基地でも嘉手納基地でも米軍が使う泡消火剤が流出して、湧き水から高濃度の有機フッ素化合物が検出されている。なにもかも隠されるなかで、私たちがこうして監視しなければ何を造られるのかもわからない状態なのだ」と話した。


 島の産業構造が建設業に偏っているため、周辺住民でも反対したら生活できないという人もいて、表だって活動できる人も少ない。戦中戦後の苦労に耐えて復興し、やがて帰ってくるであろう子どもたちのために故郷を守ってきた高齢者たちが、体にむち打って監視活動をしなければならない。国や市は、地元土建業などに利権の一部を分配し、同じ地域内でも摩擦や分断を仕掛けてくるという。豊かな島をミサイル基地にするために住民を分断する――そんな島民の誰もが望まない構図を誰がつくり、誰が得をしているのか考えない訳にはいかなかった。

 

砲弾と飢えが住民襲った 蘇る戦中戦後の体験

 

 保良地区在住の70代の男性は、保良地区の戦争中の経験を次の様に語った。


 「沖縄戦当時、保良には木山壕といわれる日本軍の弾薬庫があり、5歳だった私はそこに駐屯する兵隊によく遊んでもらっていた。兵隊たちは弾薬庫から大八車に弾薬を乗せて運んでいたが、ある日、私が家に帰る途中にその弾薬が壕付近で爆発した。私は大声をあげて家に駆け込み、そのとたんに屋根瓦がドドドドッと落ちた。父に連れられて現場に行くと、兵隊たちは倒れていた。足を上に向けてひっくり返っている者もいる。沖縄県史には“2人以上が死亡”と書かれているが、先輩に聞くと兵隊3名が即死だった。隣近所で子守りしていたお姉さんは赤ちゃんと一緒に即死した。近くにいた女性の脚にも破片が突き刺さり、真っ赤な血が流れていた。我が家の雨戸に遺体を乗せて死体を運び、雨戸が血で汚れていたのを覚えている。公民館で葬式をし、遺体は畑の隣に穴を掘って埋め、標柱を立てた」。


 「一週間後に焼夷弾による空襲で我が家は焼けた。姉と一緒にヤギの草刈りにいって帰ってくると、家は燃えてなくなっていた。家財道具も衣服もなく、残ったのは体一つ。それまでわが家は中間的な農家だったが、家を失ったことで食べていくことも、学校にも行けなくなり、姉は女中奉公に出た。空港を爆撃する飛行機が飛んでいく空の下で、サトウキビにかぶせる布を畑に敷いて寝た。食べ物がなく、畑のイモは兵隊が盗みに来るが、母も姉も働きに出て、私は一人で人骨が散らばる洞窟の中でじっと息を潜める毎日だった」。


 「米軍の爆撃で飛行場に穴があくと、日本兵が夜な夜な土をもって穴を埋めて翌日使えるようにする。それをやらせないために米軍は夜も照明弾を上げて爆撃する。艦砲射撃の砲弾が落ちるたびに島全体がドドド…という地響きとともに揺れ動いた。住処も食料もないということほど惨めなものはない。軍人は戦争のプロとして飯を食べているが、戦争で島に船が来なくなるとたちまち食料不足になり、民家の畑から作物を奪う。宮古島は亜熱帯性で土壌害虫が多いのでサツマイモ一つつくるのも簡単ではない。被弾して死ぬよりも餓死やマラリアでの死者が多かったのはそのためだ。この自然環境があったから食べていくことができたのだ。親や姉たちの苦労を思うと故郷に弾薬庫をつくることなど賛成できるわけがない」。


 七又地区の年配男性も「この地区も戦争中は6度200㌔爆弾の攻撃を受け、私たちも毎日のように鍾乳洞に避難した。保良に弾薬庫があったためよく低空飛行の機銃掃射で狙われ、学校では目の前で2、3人が撃ち殺されたのを見ている。あまりにも狙われるので、そのうち“スパイがいるのではないか”という噂も出た。戦後も船が入ってこないので食糧難になり、農地を持たない人はイモも食べられず、毒のあるソテツを食べて死ぬ人もいた。だから、どんなに過疎になっても苦労して手に入れた畑を守ってきたが、小さな部落だからといって防衛省も市長も“国が決めたことだ”といって聞く耳を持たない。こんなもの(弾薬庫)をつくれば若い者は帰ってこれない。活性化どころの話ではない」と話した。


 保良地区の女性は「防衛省の説明会で、住民はどのように避難すればいいのか? と問うと“大きな船を用意する”といわれて言葉を失った。ふざけているとしか思えない。ミサイルが飛ぶ中をどうやって船で逃げるのか。宮古島では、台風や海がしけただけで船が来なくなり、スーパーからものがなくなる。有事になればたちまち物不足に陥るし、水源地を一発叩かれたら終わりだ。なにも知らない人たちが“守ってやる”という筋の通らない話をして乗り込んでくるからみんなが反発するのだ」と話した。


 島民の多くが「おかしい」と感じることは、千代田のミサイル部隊から保良の弾薬庫まで15㌔もあり、車でも20分はかかる離れた場所に両基地を設置することだ。突如の攻撃に即応するのならあまりにも非効率であり、1000人足らずの自衛隊で島を守れるはずもなく、施設や人員の拡充なしには機能するものではない。「ミサイル基地は、今後、島を丸ごと基地にするための足がかりに過ぎない」と指摘されている。


 保良地区の男性は「抑止力というよりも、逆に脅威を呼び込むための配置だ。ミサイル基地などなければ、丸腰の小さな島を攻撃する理由などない。わざと島を標的として攻撃させ、それを口実にして武力参戦し、憲法改定にまで突き進めという米国が考えそうなシナリオにしかみえない。そもそも奪還作戦は、一度占領されることを前提にしたものであり、この島で二度戦争をやるということだ。冗談じゃない」と怒りをぶつけた。

 

島を乗っ取る本土資本 「宮古バブル」の実態

 

 宮古島ではこの5年間で「宮古バブル」といわれる活況が続いてきた。「この1、2年で島は様変わりした」といわれる。2015年に伊良部大橋が開通したことで観光ブームに火が付き、旅行業者が世界的にPRして観光客誘致に熱を上げ、それまで沖縄県内の離島でも日陰の存在だった宮古島に年間100万人が押し寄せるようになった。

 

海岸線を埋め尽くす外資系リゾートホテル

 だが、国内外のホテルが鵜の目鷹の目で進出し、リゾート施設、飲食店の建設がラッシュ状態となり、とくに目玉となった伊良部島の海岸線は、ほとんどの土地を本土の企業が買い占めた。地価は5倍、10倍に高騰し、それまで「もらい手さえなかった」といわれる土地が坪あたり数百万円で売買される。カネの臭いに敏感な本土資本が投機的に流入し、サトウキビ畑しかない土地を億単位で買い占めるなど、島民にとっても「何が起きているのか?」と思うほどの異常なバブルとなった。


 さらに下地市政は港湾整備、道路拡幅工事に加え、市役所、図書館などの大規模なハコモノ事業を立て続けに進めたが、市内にはそれほどの企業も労働力もない。大規模工事には本土のゼネコンなどが作業員を連れて乗り込んできて、作業員住宅として囲い込んだためたちまち賃貸の空き物件がなくなった。アパートやマンションなどが雨後の筍のように建ちはじめ、住宅価格が高騰。アパートでも「1DKで月10万円」といわれ、一戸建てなら中古でも数千万円という都心をこえる相場となり、地元の人たちは住めなくなったといわれる。


 地元住民にバブルの恩恵があるわけではない。地価や物価が上がる一方で、島民の賃金レベルは低く、「多くても月収12~13万円程度で、沖縄県内でも最低水準。沖縄県自体が時給790円の全国最低だ。これで10万円の家に住めるわけがない。だから若者はみんな島の外に出て行ったまま帰ってくることもできない」と語られる。


 市街地の繁華街にある飲食店やバーなどの経営者はほとんどが本土の人といわれ、若い人たちも期間限定で住み込みながら働きに来るケースが多いため、「好景気」といわれながら市内人口は増加していない。観光客が増加しても、クルーズ船が寄港しても、ツアー客たちはバスに乗って本土や外資系企業が運営するホテルやリゾート施設に直行するため市内にはお金は落ちない。観光バスも宮古島市内ではなく、進出してきた本土のバス会社が運行する。作り出された熱狂的なバブルの果実は、本土資本が吸い上げていく露骨なまでの仕組みができあがっている。


 下地市政が進めている学校統廃合がそれを如実に物語っている。大橋が架かり、人気絶頂であるはずの伊良部島では、3年以内に小・中学4校を1校に統合し、島唯一の高校は廃校。弾薬庫建設が進む城辺地区でも、3年以内に中学4校を統廃合する。さらに今後、同地区内4つの小学校も廃校する方針だという。さらに別地域の6小学校を統廃合する計画も控えている。


 住民たちは「弾薬庫ができる城辺の小中学校の統廃合が先行してはじまった。児童が減ったからというが、すでに15年以上前からあった計画だ。学校が近くにあると軍事施設や訓練場はつくりにくいからだ」「伊良部島には、自衛隊が軍用飛行場として狙っている下地島空港がある。学校がなくなれば、若い人は住まなくなって市街地に移り住み、地域活動もできなくなる。そこに“活性化のため”といって自衛隊施設を増設する。軍事基地にするための露払いなのだ」と指摘していた。



 政財界入り乱れた長期間におよぶ大がかりな宮古島の乗っとりは、この島がいかに日米の戦争遂行者たちにとって重要な位置を占めているかを物語っている。

 

東京資本が土地を囲い込み 島の人口は減少

 

 「宮古バブル」の火付け役となった伊良部大橋(長さ3540㍍)は、宮古島から伊良部島までコバルトブルーの海のなかを突き抜ける眺望が売りで、国内最長の無料橋でもある。いまや宮古島観光の代名詞的な存在となったこの橋は、国の予算化をともなって2006年に着工し、2015年に供用開始。総事業費は4000億円で、年間維持費には8・5億円を要する。小さな島に不釣り合いにもみえる巨大事業は「離島住民の不便を解決するため」という建前でおこなわれたが、この橋の完成を前後して本土や外国資本が雪崩を打つように流入し、投機的なリゾート開発や土地買い占めを始める。これと入れ代わるように住民たちは土地を売って島を離れ、2000年は約7000人近くいた島の人口は、現在は5000人程度に減少している。

 

伊良部大橋

 伊良部島と陸続きの下地島には、1979年に開港した下地島空港がある。「国内唯一の民間パイロット養成のための訓練飛行場」という名目で国が持ち込んだもので、地方空港としては最長の3000㍍滑走路を持ち、国内でも数少ない計器着陸装置(ILS)が設置されている飛行場だ。計画当初、軍事利用を懸念する島民、土地を奪われる地元住民の反対もあり、島は二分され、住民の間で殺人事件が発生するまでの大問題となったという。だが、国は計画を進め、1971年に当時の琉球政府・屋良朝苗首席(後の沖縄県)と日本政府との間で「軍事目的には使用しない」という確認書を交わし、民間航空以外に使用できない「非共用飛行場」として建設にこぎつけた。


 空港建設時に県は下地島の大部分の土地を買いとり、98%が公有地となった。当時、国は与党政権となった県当局を通じて「下地島を東洋のハワイにする」と振りまき、「東南アジアにおける航空教育のメッカにする」「宮崎県にある航空大学校を移転する」「地元離農者を空港に全員就労させる」「総合病院を設置して本土から多数の専門医を連れてくる」「ヨットハーバー、ホテル、ゴルフ場を建設する」「村単位に億単位の固定資産税収入が見込まれる」……など13項目におよぶバラ色の将来構想を示したという。島の発展を信じてやむなく土地を手放し、沖縄本島に移住した住民もいる一方、50年をへて島の現実はどうなったか――那覇便を就航していた南西航空は1994年に撤退。定期便はなくなり、パイロット訓練で使用していたJALは2012年、ANAは2014年にともに完全撤退。昨年3月に新ターミナルが開業してLCCが成田・関空への定期便(週4便)を就航したが、不定期で減便や運休をくり返しており、安定していない。13項目のバラ色の将来像は、空港建設以外はなにも実現しておらず、住民がいなくなった島の60%の土地は、今も「残地」として放置されている。


 「宮古島と離島を結ぶ3つの橋のうち、伊良部大橋だけは歩道に段差がないんですよ」――車で島を案内してくれた女性がいう。車が激しく往来する橋の両端には路側帯が引かれているだけで、まるで人を通すことを想定していないつくりにも見える。「おそらく幅の広い軍用車両を通すことを想定しているからだと思う。使い道のない下地島空港で近年増えているのが米軍機の緊急着陸や燃料補給で、下地幹郎がまるで自分の所有地のように“下地島を丸ごと買いとってくれ”と米国に売り込みにいったこともあるほどだ。下地島空港の軍用利用は、宮古島の軍事要塞化にとって要なんです」と女性は続けた。


 伊良部町が宮古島市に合併する前の2005年には、防衛コンサルタントが地元町議をけしかけ、「島の自立のため」として下地島空港への自衛隊誘致の緊急動議を町議会で可決するという暴挙に出た。だが、町民たちを激怒させ、半日にして全町民(6500人)の過半数にのぼる3500人が町議18人と対峙し、その場で「自衛隊誘致の白紙撤回」を宣言させるという「動乱」が起きた。「推進町議が“夕方の説明会に町民の半数が集まって総意で反対するのなら撤回する”と高をくくった発言をしたため、島中に呼びかけたところ、農民、漁民、建設業者、青年会、婦人会、中学生たちも公民館に集まって“島を売り渡して平和も幸せもない!”と激しく町議を追及して決定を覆した。今では伝説になっている」という。町議の背後で糸を引いていたのは、防衛省や建設省OBらが天下る「富士コンサルタント」「パシフィックコンサルタンツ総合研究所」などの軍事利権ブローカー企業であり、カネ(振興予算)をちらつかせながら誘致に向けた動きを指南していたのだった。


 「空港があることで何度となく軍事利用の波が押し寄せてきた。終戦直後から続いてきた島全体を軍事基地として乗っとる計画が、今また動き出しているのだ」と島出身の市民は語った。

 

防衛族の窓口・大米建設 下地幹郎の実家企業

 

 宮古島と中央の防衛族を結びつける窓口になってきたのが、地元衆議院議員・下地幹郎の実家企業である大米(だいよね)建設といわれる。建設土木・マリコン(海洋や港湾)の専門業者で、国費に依存する土地改良事業や米軍関連の防衛事業に支えられてのし上がり、沖縄防衛局の発注先としても国場組に次ぐ位置にある。幹郎の父で創業者の下地米一は合併前の旧平良市の市長でもあり、島のあらゆる土地には「大米建設」の看板が立っている。住民からは「米一(元市長)が自分の会社のために公共事業を乱発し、合併前の旧平良市は大借金で首が回らなくなったほどだ。今も同じことが起きている」と語られる。

 

大米建設が108億円で受注した新市庁舎の建設現場(宮古島市平良下里)

 ミサイル部隊の配備地をめぐる土地売却や建設工事、市の大きな公共事業には必ずこの企業が絡み、県職員出身の下地敏彦市長(3期)とは「二人三脚」というほどの深い関係にあるといわれる。


 さらに下地島空港の運営権に加えて、伊良部大橋のたもと(宮古島側)に美しいビーチを持つトゥリバー地区の開発権は、市から「相場の10億円低い価格」で三菱地所が受注したといわれ、米ヒルトンが景観を独占するリゾートホテルを建設する予定だ。現地には、やはり「管理者・大米建設」の看板が立っていた。

 

三菱地所が開発権を持ち、ヒルトンがリゾートホテルを建設するトゥリバー地区

 周辺では一気に地価が高騰し、賃貸住宅でも家賃が2倍、3倍に上がり始め、住民の生活を圧迫している。簡易なコンテナハウスですら月額10万円という異常さだ。住民からは「4万円の家賃が8万円に」「急に3万円値上げされた」などの声も聞かれ、住宅不足で引っ越しができない事情を知りながら、更新時期にもとらわれない家賃値上げが吹き荒れているという。それを積極的に進めているのが、宮古島最大の不動産業者となったアパマンショップ(東京千代田区)だ。下地市政はこのアパマンショップと県営・市営住宅の指定管理契約(年間20億円)を結んでおり、市の公営住宅管理課は同社内にある。当然にも家賃や管理費は上がり、福祉住宅としての性格は失われる。「新築物件やアパートも、本土企業が従業員宿舎として数倍の価格で借り上げる。少ない収入でどうやって高い家賃を払えというのか。意図的に住民を追い出しているようにしか思えない」と頭を抱えている住民は多い。


 80年代から宮古島でのリゾート開発に乗り出したユニマットプレシャス(東京港区)も、2017年から開発の勢いを加速させ、海岸線に9つのホテル、温泉施設、飲食店などを所有し、陸自ミサイル部隊駐屯地の周辺にも住宅建設を予定している。同社の社長は、住民票を宮古島市内に移して高額納税のかわりに「名誉市民」の称号をもらっており、同じことを西表島でのリゾート開発でもやっているという。他にも、三菱地所、森トラスト、飯田産業、UDS……海岸線という海岸線は、東京資本の開発地で埋め尽くされている。


 また宮古島市は、築25年しかたっていない市庁舎の新築・移転(大米建設が受注)を進めており、建設費は当初の計画から20億円増えて108億円に達している。図書館を併設した未来創造センター(54億円)、スポーツ観光交流施設のJTAドーム(44億円)、さらに住民が減っている伊良部島への野球場建設(30億円)や、統合中学校建設なども控えている。人員不足や資材の高騰で、1平方㍍あたりの建築単価は平均32万円と県内最高となるなか、「合併特例債や地方一括交付金も使い切り、市財政の破綻は時間の問題」「5万人程度の島でなぜこれほど大規模な施設が必要なのか」と指摘される。

 

バブル下の軍事拠点化 意図的な住民追出し

 

 「政治家と関係の深い業者がゴルフ場を開発し、一口300万円ものゴルフ場会員権を市内の業者に買わせ、集めた数億円もの金を自民党に献金することで政治家自身は比例上位(当選確実)の地位が保障される。その見返りとして公共工事を乱発して土建業者に見返りを与える。自衛隊配備も同じ構図だ」――市民の一人は、宮古島における防衛マネー環流の仕組みをそう説明した。選挙では、これらの土建企業は集票マシーンとしてフル動員され、一部のボスたちだけがその利益を享受する一方で、島が切り売りされていくことに多くの島民は胸を痛めている。


 「この空前の観光ブームと不可解なバブル現象の下で起きているのが宮古島の軍事基地化だった。沖縄の復帰後も同じだが、軍事拠点にすることのデメリットを覆い隠すために経済的な活況状態をつくって偽装し、人口は減り、実際の経済は下降しているのに、自衛隊関係者で水増しし、膨大な国費を投入することでごまかす。サトウキビ価格が低いのを見越して不動産業者が農家をそそのかして土地を手放させ、住宅開発をさせる。この異常なバブルはいずれ弾ける。だが、需要が落ちても高い家賃設定で借金の返済計画を組んでいるため家賃を下げることができず、返済が滞れば建物ごと差し押さえられる運命だ。そのとき空家となる膨大な住宅や建物を使うのは米軍と自衛隊しかない。彼らが数万人規模の合同演習をやるためには宿舎と施設が必要だからだ」と語気を強めて指摘した。


 本土からのゼネコン、不動産、飲食、免税店、スーパー、バス、タクシー、クルーズにいたる企業で飽和状態となり、建設業に膨大な資金が注がれる。糸目を付けない防衛マネーの波は、つつましく生活してきた島の人たちの発言権を奪い、農業などの第一次産業を「時代遅れで非効率な産業」とみなして生活圏そのものも奪っている。


 ある農家は「自衛隊配備に賛成する市議は“これから農産物は安い国から仕入れたらいい”などと平気でいっていて唖然とした。有事になれば真っ先に止められるのが食料ではないか。アメリカは沖縄に入った時点からパン食を進めさせ、食料を自国に依存させた。面倒を見るふりをしながら、食料で日本を手中に収めるという作戦だ。今の日本政府は口では防衛だとか、対中国といいながら、やっていることは売国だ。宮古島が外資の食いものにされている現状を見ればわかる」と怒りを込めて語っていた。


 異常なバブルと軍事基地化――地方の苦境につけこんで札束で頬を叩くような手法は宮古島だけでなく、全国どこでも国策における常套手段だ。軍事だけでなく、原発立地や災害復興事業などの現場でもその現実を目の当たりにしてきた。ミサイル配備の最前線に立たされる宮古島の人々を脅かしているのは、「中国の脅威」ではなく、本土資本による住民追い出しであり、島の乗っとりという現実だった。同じく自衛隊配備が画策されている石垣島や周辺の島々にも、同じ手法が持ち込まれることを危惧しないわけにはいかない。

 

故郷再び戦場にさせぬ 先島の人々の思い

 

人頭税石(平良港)

 先島諸島(宮古・八重山)は、沖縄県内でも虐げられる位置にあったといわれる。宮古島の平良港には、高さ140㌢ほどの人型の石柱が立っている。薩摩藩の支配下に入った琉球王府は、この島々で暮らす住民15歳から50歳までに人頭税といわれる重税を課して、農作物や布を献上させた。石柱は「人頭税石」といわれ、まだ戸籍が整理されていなかった宮古島では、子どもがこの石の高さをこえると課税対象になったと伝えられている。



 「石垣でも宮古でも、たびたびこの人頭税の廃止を求めて琉球王府に対する反乱が起きたが、改められることはなく明治時代まで続いた。本土から宮古に移住してきた人がこの前時代的な制度に驚き、明治政府に直接陳情したことで1903年にようやく廃止された。宮古では沖縄本島よりも中央とのパイプが強いのは、そのような歴史も背景にあるのではないか」という人もいた。何も語らない石は、宮古島が強いられてきた苦難の歴史とともに、それに耐え抜いて故郷を守ってきた島の人々の誇りを今に伝える。


 また、反対運動をする本土からの移住者への違和感や「反対だけど仕事や周囲との関係で口にできない」という声も聞かれ、「対中国」を口実にしたミサイル配備や沖縄への米軍基地建設は、このような本土と沖縄、沖縄と先島にある分断構図や矛盾をたくみに利用して進められてきたようにも感じる。


 宮古島には宮古島の、八重山には八重山の、その地で生きてきた人たちの歴史観や感覚、感情の機微があり、それはにわかに本土から訪れた人間には理解できないものもあるかもしれない。だが、そのような人々の生活や歴史的な経験、感情に分け入っていく過程を通じて、平和で豊かな故郷を受け継ごうとする先島の人々の中に胎動する底深い力を感じずにはおれなかった。


 「国土を守るため」といって先島にはミサイル基地、沖縄本島では「普天間基地の危険除去のため」といって辺野古基地建設が地方自治の原則まで踏みにじって進められ、本土では「沖縄の負担を軽減するため」といって岩国をはじめとする米軍基地が拡張強化され、訓練場が新たにつくられる。「本土か沖縄か」「沖縄か先島か」「普天間か辺野古か」という論議になることもしばしばだが、日本中の人々を対立・分断させて笑っているのが、日本列島を安上がりな人柱に見立てる米軍であり、それに地位を保障されている東京司令部にほかならない。


 宮古島で長年農業をしてきた男性は、「安保条約でアメリカが日本を守るというのを本当だと思っているのか。戦争になれば裏切るのはあたりまえだ。アメリカの戦争に日本を巻き込み、米軍は真っ先に逃げ、自衛隊には住民を巻き添えにして軍民混在の戦争をやらせ、アメリカは向こう岸から眺めて漁夫の利を得るという筋書きだ。そもそも防衛とは、自衛隊がミサイルを設置する前に、そこに人間の暮らしがあり、田畑を耕して山や水を守り、豊かな生活の営みがあることではないか。それを信じて故郷を復興してきた人たちを権力や金の力で地域から追い出し、土地をとり上げて軍事基地にすることは防衛でもなんでもなく、沖縄をまた捨て石にするということだ」と語気を強めて語っていた。


 「ウチナンチュー、マキテーナイビランドー!(沖縄の人々よ、負けてはならない!)」――日米政府が進める新基地建設への反対を貫いた故・翁長雄志前知事は、そう訴えて島ぐるみの怒りを束ねた。それは宮古・八重山の人々、そして本土で生きる人たちにも、故郷を再び戦場にさせない厳粛な誓いを呼び起こさせる。いま先島で起きていることは、日本全国の縮図ともいえる。故郷を売る汚れきった金力や権力に抗い、誇りある繁栄を願う確かな力が南の島々に脈打っていること、伝えられていないあるがままの現実を伝え、あらゆる分断を乗り越えて日本全土の「不沈空母」化を阻止する全国的な力を繋げていく必要性を実感しながら南西諸島の現地取材を終えた。

 

(※記事の一部を訂正しました)

 

弾薬庫に接する畑でおこなわれている葉タバコの花の刈り取り作業(保良地区)

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この記事へのコメント

  1. 2017年、初めてでそれ1回だけでしたが、宮古島に行きました。基地が作られようとしている千代田地区が気になってです。この記事、過去の歴史から現在の状況までコンパクトにまとめられていて良かったです。配信ありがとうございます。宮古島在住でつながってる人のFacebookのタイムラインで知りました

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