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原爆展成功させる広島の会総会 全広島代表する使命で発展

  「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会は25日、広島市の東区総合福祉センターで2007年度総会をおこなった。

 

 広島の会は、01年の発足から7年間、私利私欲のない広島市民を代表する会として、壮絶な被爆体験の継承と「原水爆戦争を2度とくり返させぬ」広島市民の頑強な意志を広島市内をはじめ、全国に発信してきた。とくに行動を求める学生や現役世代と結びついて会員の幅も広がり、総会には、献身的に活動を担ってきた被爆者、戦争体験者、現役労働者、学生など30人が参加。今年、大きな発展を遂げてきた活動の成果を確認し、来年に向けてさらに飛躍していく意気込みに満ちた総会となった。


 はじめに原爆展を成功させる会の重力敬三会長があいさつに立ち、「被爆62年目の広島“原爆と戦争展”は盛大に成功させることができた。各地各所での原爆展も成果があり、とくに呉市での原爆と戦争展は盛大におこない、広島周辺にもアピールすることができた。この運動が広島市民をはじめ周辺各地へ浸透し、日本全国へと発展しようとしている。これを皆さんとともに喜び合いたい」と会員の労をねぎらった。さらに、「小泉政府につづいて安倍政府が登場し、戦争をはじめようとする空気が濃厚になってきた。あの戦争はなんであったのか。独立平和の日本のために、この会の発展はますます重要になっている。私たち同志は、さらにふんどしを締めて奮斗し、この空気を排除しなくてはいけません。しっかり意見を交換し合い、来年度の平和運動の発展につなげていきましょう」と力強く呼びかけた。


 つづいて、来賓として下関原爆被害者の会会長の伊東秀夫氏、長周新聞社の竹下一氏が挨拶した。
 伊東氏は、広島の会が結成以来、「使命感にあふれる献身的な活動は年を追うごとに広島市民をはじめ多くの人人の賛同を得て、広島周辺の人人のなかに完全に根を下ろし、全国の被爆者や平和を願う人人の励ましになっている」とのべ、それを進めてきた広島の会の会員の団結に敬意をあらわした。また今年からはじまった「原爆と戦争展」は下関、広島、長崎をはじめ、全国キャラバン隊によって日本中に広がっており、原爆投下を正当化した久間防衛大臣を辞任させ、参院選での自民党を惨敗させた全国の力を激励したことへの確信をのべ、「これからも連携を密にして互いに学び合いながら、核廃絶と戦争に反対し、平和を守る力ある運動をさらに発展させましょう」と連帯の気持ちを伝えた。


 竹下氏は、昨年総会以後、「長崎、下関にも足を運ばれると同時に、なによりも広島の地で疲れを知らぬ連続的な活動を進め、とくに次代を担う若い人たちに体験を語り継がれ、その積極性を大いに発揚された。精力的に活動してきた会員の皆さんの努力に敬意を表したい」とのべた。さらに「今年1年を通じても、広島での活動が全国、世界に与える影響力は非常に大きなものだったと痛感する。伊藤市長銃殺事件などの血なまぐさい圧力、原爆投下を正当化する久間発言、テロ対策を口実にした軍事訓練など、核戦争を想定して威圧的におこなわれてきた。これらがことごとくうち破られ、国民的な規模でアメリカに原爆投下の謝罪を求める世論は圧倒してきた」。
 「先日、広島での米兵の強姦事件、米軍基地の自衛隊による警護訓練など被爆地広島を蹂躙(じゅうりん)するような事態が進行している。このような日本の植民地的な状況に対する憤激や、民族の独立を求める世論は一段と発展する趨勢をみせている」「とくに広島の会の誠心誠意、私利私欲なく活動される姿は、平和を標榜するどのような団体にもみられない気高い精神であり、多くの人人を引き付けている。長周新聞は、みなさんの活動がその方向性をもってさらに大きく発展するうえで、側面からの努力を惜しまない」と、ともに平和運動を進めていく決意をのべた。

 長崎からもメッセージ


 原爆展を成功させる長崎の会の永田良幸会長のメッセージも代読され、伊藤市長銃殺事件の圧力を排して両被爆市民が力を合わせて成功させた長崎「原爆と戦争展」の成果に立って、さらに奮斗する長崎市民の思いが伝えられた。会員からは心のこもった連帯の拍手が送られた。


 つづいて、事務局の犬塚善五氏から今年度の活動報告がおこなわれ、参加者からも活発に意見がかわされた。


 本年度は、新たに「第2次大戦の真実」パネルをもりこんだ「原爆と戦争展」を、広島市宇品・皆実地区を皮切りに、呉市、大竹市、広島大学中央図書館、広島修道大学、県立広島大学でとりくみ、8月の広島「原爆と戦争展」は全国、海外に発信するものとなった。

 修学旅行では、春・秋あわせて10校(山口県、大阪府、滋賀県)の生徒に74人の被爆者が体験を語り、広島市内でも7校の小中学校に77人の被爆者が体験を語った。


 また、広島大学、広島国際大学で、被爆・戦地体験を学ぶ特別授業がおこなわれたほか、看護師などの社会人有志からの証言依頼や、自治体労組の学習会にも被爆者が招かれるなど、学生や現役労働者の意識の発展と結びついて大きく基盤が広がってきた。
 各地の原爆展に出向いて体験を語ってきた男性被爆者は、「大学原爆展などで若い人と交流できたことが大きな収穫だった。会の本来の目的を考えながら、自己主張ではなく、お互いに意見をかわし合うなかで、学生たちが真剣に平和について考えていることがよくわかったし、エネルギーをもらった」と喜びをのべた。8月に体験を話した四国や関西の学生グループ、親子連れから、「意識が変わった」と喜ばれたこと、「広島で学んだことを地元で広げていきたい」とお礼の手紙が送られるなど交流が継続していることも紹介した。

 若い世代も意欲的発言
 職場で「原爆と戦争展」と被爆者を招いて「平和学習会」をおこなった自治体労働者は、「職場では、現状に甘んじて、戦争の情勢に対して意識が薄いのではないかと思っていたが、被爆体験を学んだ仲間たちは、体験談への感動だけでなく、今の社会に対する熱い思いを真剣に受け止めていることがわかった」と語った。さらに、「被爆者の方の熱心な活動と、第2次大戦の真実パネルが合わさって、敗戦国の日本と侵略した側のアメリカの指導者が結び合って、あのような悲劇的な戦争をやったということがはっきりしてきた。その終、戦時点の日米関係が、戦後62年たったいまも変わっていないと感じ、このままではいけないという怒りが高まっている」と語り、今後も地域や職場での活動を広げていく決意をのべた。


 次世代として会の活動を支えてきた60代の婦人は、「この会に参加して5年間、被爆者のみなさんの傍らについて体験を学んできた。今年は後押ししてもらい、自分も継承者として原爆で亡くなった家族のことを子どもたちに話すことができた。戦争も原爆も知らない自分になにができるかと思ってきたが、1度ではなく、毎回熱心に体験を学んできたことが私の誇りだ。学んだ原爆の経験を、現在の問題とつなげて子どもたちに伝えていきたい」と喜びをにじませながら感慨深く経験を語った。
 また、はじめて参加した20代の母親からも「今夏、被爆者の方方にはじめて体験を聞き、人としての生きる道を考えさせられた。いまも自衛隊の給油活動や憲法改正など、62年前の経験を払拭するようなことがされているし、自分になにができるのか考えていきたい」と語られるなど若い世代の意欲的な発言がつづいた。


 最後に、事務局から来年度の活動方針として、「ひきつづき原爆と戦争展運動を軸に、戦争体験者との団結を強め、若い世代に継承をもっと広げ」「現在の戦争をおしとどめうる平和の力を大きくするために具体的行動の輪を広げていく」こと、若い世代が加わった新しい役員体制が提案され、満場一致の拍手で採択された。

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