いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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町民が主導した上関町長選 

 上関町における原発問題は公表から25年たったが、今回の町長選挙まできて、大きな転換点を迎えたことをあらわしている。推進67%対反対33%という今回選挙の票差拡大は「おかしい」との世論が町民のなかでは圧倒し実際の力関係は拮抗まで押し戻したという確信が広がっている。推進派組織は分解し、反対派組織の実権を持ってきたインチキ幹部の影響力も崩壊した。町民はそれらの複雑な抑圧構造を突き破って、高い政治意識の投票行動をした。そして中電および国、県が原発を推進するために配置した推「反」談合の支配構造は崩壊した。上関原発問題は、ズルズルと中電が利権を維持するだけで上関町を崩壊させるまま放置するのか、いまやこれを終結させ町を正常化し再建していくのかの転換点を迎えている。
 今回の町長選挙で現れた町民の投票行動の重要な特徴は、反対派組織の実権を握った幹部の裏切りのなかで、祝島をはじめ反対を貫いてきた町民が確固として反対行動を貫いたことであり、長年推進できた町民の相当数が原発の終結を願って反対に投票したことである。そしてニセ「反対派」実権派の影響力はなくなり、推進派組織は空中分解した。

 政治的に高い投票行動 「反対」幹部裏切る中
 「反対派」組織の実権を持ってきた山戸、岩木議員らの、いい意味でも悪い意味でもあった影響力は崩壊した。かれらは選挙の2週間前まで来て立候補を断念した。無投票にして推進派柏原氏を助けるという大裏切りである。直接の動機は、議員報酬を捨てて負ける選挙に出るのは損だという信条である。惨敗する、との確固とした判断であった。というのは、彼らの信頼がなくなっているからである。
 ところが「無投票なら裏切りだ」との町民の声が一気に高まった。とくに祝島で強まり、その圧力が山戸孝氏を出す力になった。山戸氏の息子ということで町民のなかでは葛藤が生まれた。個人的には許せないという感情がある。祝島では、推進派といわれていじめられてきた人たちのなかでも、反対派のなかでも横柄な裏切り者という感情がある。推進派柏原陣営も「嫌われている山戸氏の息子だから楽勝」といっていた。山戸貞夫氏も「長周が批判するから票が減った。長周は推進派だ」と叫んできた。選挙は自分たちの選挙であり、町民はそのいいなりに動くと見なしているのである。ところが町民の投票行動はかれらの思惑をはるかに超えてしまった。
 「反対派」組織として選挙運動はまったく機能しなかった。山戸、岩木氏など幹部は毎度のことで、まったく組織的な動きはしなかった。柏原陣営に呼応して原発を争点からはずし、「一流の田舎作り」といった、町作り競争のように持ち込もうとした。アリバイとしての立候補であり、負けるための選挙と見なしていた。
 町民の側は、柏原陣営や山戸氏らの意図を乗り越えて動いた。選挙を単なる人物比較などとは見なさなかった。問題は町をどうするかであり、国、県および中電にたいする町民の対決だったし、原発に賛成するか反対するかという町民の意志表示の場ととらえる流れが圧倒した。選挙は立候補者が主人公で有権者はその応援などとはとらえなかった。町民の選挙であり、町民自身が主人公として政治参加する選挙だという世論が圧倒した。反対派組織は機能しないが、町民のなかでは下から声をかけ合い、葛藤を通じて論議が活発に発展した。
 推進派側が、「得票率7割、8割」と騒ぐとき、頼みは山戸氏や岩木氏など「反対派」組織の実権派であった。これが町民から嫌われ、負けるようなことをすることだった。かれらが嫌われたのは確かだったが、町民はそういう個人的な感情を乗り越えて、反対の心を「山戸」と投票用紙に書いて表明した。政治的に高い町民の投票行動である。推進派町議や山戸氏らの低レベルな政治感覚では理解できない行動となった。山戸氏や岩木氏はあれほど嫌われることをやったのに、その意に反して町民は投票で「山戸」と書いたのである。
 山戸氏は開票翌日祝島に渡った本紙記者を、「長周がわしらを批判をしてきたから票が減った」と叫んで、「島に上陸させない」と阻止行動をやった。しかし、その後2度渡ったが、住民は大歓迎であった。そういう意味でも、インチキな「反対派」幹部の影響力が崩壊し、中電にとって使い物にならなくなったのである。中電が推進を前進させるということは、推進派がいくら騒いでもたいした意味はなく、反対派を崩すのが最大の推進である。したがって反対派の内部から反対派を崩すというのが最大の推進である。いまやそれは崩壊状況となった。

 反対の投票行動も多数 推進派できた町民も
 さらに重要な特徴は、長年推進派できた町民の相当数が今度は、「原発を終わりにしよう」ということで、反対の投票行動をしたことである。町民の原発離れが顕在化した。25年の経験をへて、「1部のものだけがいいことをした」「大多数はだまされ分断され、利用されただけだった」との声は大きなものとなってあらわれた。
 とくに祝島では、祝島の反対派の実権を握って島民を攻撃してきた部分が、いまでは公然と推進の行動をとっていること、その実権派は元元が加納派推進派だったことなどがさめざめとした論議になった。祝島では推進派とされイジメられてきた老婦人が、訪れた本紙記者に念仏を唱えて感謝するという光景もあった。祝島で、推進派とされてきた人人の多くが、個人的な感情を捨て、原発が島を混乱させた原因だとして、反対の投票行動をした。
 長島側も、親族利権になって排除された土建業者や商工業者などの反発が大きかった。若い町民、年寄りなど一般の町民の多くが、「原発は終わりにさせよう」の投票行動をした。加えて今度の推進派選挙自体が、一族選挙になり、それまでの地域の有力者などを排除するものであったことへの反発もあらわれた。本紙の聞き取り調査から判断すると、このような推進から反対に投票した人人は、優に200人以上(投票者の7%以上)が見込まれる。
 選挙を通じて、上関の推進派組織は柏原氏の親族限定となった。一族利権であり、それ以外の推進派は排除するというものになった。推進派の分解である。中電は柏原陣営に得票率7割をノルマにしながら、後ろに下がった。カネを出さないし、オール推進体制をとらない、全国に網羅した個人情報コンピューターは動かなかった。中電は責任回避の姿勢をとり、推進派選挙は加納派の自己責任選挙となった。

 町民勝利の確信広がる 票数は全町で疑惑

 町内では、推進2000対反対1000の得票数字はおかしいとの世論が圧倒している。そんな力関係ではないというのが確信になっている。地域を越えた町民同士の交流を通じて、室津も祝島も反対が崩れたことはなく、柏原推進派の惨敗であり、反対町民の勝利だという実感が広がっている。
 推進派がいう様に祝島が200崩れたというのなら、祝島は推進派が多数になったわけだから柏原氏がいって推進大会を開いて見せなければならない。室津で外村氏が100票以上を反対派から推進派に変えて「時の人」になったというのなら、「反対派改め推進派」の外村後援会を大いばりで開いて見せなければならない。そんなことができないのは柏原陣営自身がよく知っていることである。まさに化け物があらわれて「悪さ」をした票数だというのが全町の疑惑となって広がっている。その正体がやがて暴露されることは疑いない。

 上関を放り出す振舞い 様変わりの中電や県
 今度の選挙は、中電や県の姿勢がすっかりさめたものとなり、後ろに下がったことが様変わりとなった。選挙中まぶれついていたマスコミが今度はほとんど無視し、扱いも地方版となったのも、これまでとは様変わりとなった。相手にされなかったのである。
 上関原発問題は、東海村臨界事故が起きた1999年には行き詰まっていたものを、その年末中電は漁業補償金を出してぶり返した。後は県知事の責任だとして、二井知事は欺瞞的な振る舞いをしながら知事同意をした。今度は県は中電の責任だといって、中電は詳細調査をすすめたが、同時に国と県が上関町に対してやったことは、市町村合併への誘導であった。合併すなわち上関町の解散、すなわち原発は終わらせて、上関を放り出すというものである。
 そして県と中電が、「カネを出せ」とごねる片山町長を切ったのが上関放り投げの始まりであった。職員であった柏原氏などをそそのかして片山攻撃をやったのは中電側からであった。オール推進体制を壊して分断したのは中電であった。四年前の町長選を前に推進派は3人が乱立抗争をやり、結局片山裁定で3人以外の加納氏が立候補。しかし「加納はダメだ」という「天の声」で選挙違反摘発となり、加納氏は辞職。その後加納一族の柏原町長となったが、こうして推進派の分裂を仕掛けたのは中電であった。
 日本本土を戦場とした核ミサイル攻撃への対応を全国の市町村でやるような情勢になり、そのうえに今度の柏崎地震によって原発がぶっ壊れる事態になり、中電も国も原発の新設どころではなくなっている。詳細調査ぐらいはやってみせるが、本気で原発をつくる気はない。上関については、相当のカネも使ってきていることもあり、利権として維持するだけだという姿勢になっている。町がつぶれようがどうなろうが知ったことではない。それは中電の責任ではなく加納派柏原町政の自己責任だというものである。
 中電にとって、25年もませてきた上関から逃げるのも簡単な問題ではない。逃げるのにも、どう現地責任にして、自分たちの責任を問われないようにするかが重要なテーマになる。今度の選挙で7割をノルマとして提示したのは、実現できない数値を示して、原発塩づけの責任を加納派に負わせるという意図と思われる。「元元上関原発は、加納新(あらた)町長が誘致するというから中電も出てきたのであり、失敗した加納派が責任をとらなければならない」という論法である。
 上関原発問題は25年を迎えて大きな転換点を迎えている。推進派とニセ反対派を使って町民を分断し争わせ、推進する政治構造が、町民の長期のたたかいによって崩壊した。このままズルズルと中電の利権を維持するばかりで町を崩壊させるまま放置するか、原発を終結し、町を正常化し、農漁業を基本にして生活できる町の再建に乗り出すか。大きな転換点を迎えている。
 自分たちだけがいいことをするために町を売り飛ばすという、推進派と反対派の顔をした本物の推進派が暴露された。それ以外の、推進派と反対派に色分けされて、だまされ争われた町民が、今度は大同団結し、町を町民の手に取り戻す力を結集すること、中電と国、県にはしかるべき責任をとらせて町を再建する、そのような町民を代表する政治的なリーダーをつくり出すことが課題となっている。どこでどう反対派の票が推進派の票に化けたかという、選挙ミステリー疑惑の解明次第では、その課題が要求される時期はきわめて早い。


 町民の明るい笑顔広がる 票差拡大は「あり得ぬ」と話題に
 交流通じ確信に
 中国電力の上関原発計画を最大の争点としておこなわれた上関町長選の票差拡大は、日を追うごとに「あり得ない」と首を傾げる町民が増える様相となっている。選挙は、推進派が初めて66%をこえる得票率となったが、各地区の町民の交流がすすむにつれ、元気をなくした推進派幹部と対照的に、町民の明るい表情が広がっている。
 投開票から2週間がたって、町民のなかでは祝島でも室津・上関でも、四代、白井田、戸津でも「表に出た選挙結果がおかしい」という声が圧倒し始めている。各地区の様子の交流がすすむにつれて、「投票箱にお化けが入っていたのだ」とか、「反対票がいつのまにか消えたのだ」とか、「米軍再編とたたかっている岩国と同じで、国策には化け物がつきものなのだろう」などと語られ、明るい表情が広がっている。
 祝島の80代の婦人は、「島のなかでは、選挙前“賛成と反対に分かれてケンカをさせられ、みんなが酷い目にあった。そんな原発は終わりにしよう”という話が広がっていた。長島側でも、推進離れが進んでいると聞いていたし、今回は票差が縮まるぞ! と思っていた。今度の結果はお化けでも出ないかぎり合点がいかない」と語る。
 70代の婦人は、上関側で推進派が「祝島が崩れた」といっていると聞いて、「そんなことがあるわけがない」と笑っていた。「それが本当なら、選挙中祝島に来た時に、100人でも200人でも集まっていたはずだし、堂堂と島の中を歩き回ればよかったのに。裏切った外村さんも、船の上から演説をしていただけだった。町長が祝島に来てみんなと話をすればすぐにわかること」といった。
 室津の70代の婦人は、選挙後に肩を落としていた1人。しかし、「周りに話を聞いてみれば、やっぱり反対は強かった。祝島と室津が原因とかいわれるが、外村さんは室津では挨拶もできなかった。やればやるほど反発が酷くなるし、室津住民の気持ちを本人が1番良く知っている」と元気な様子で話す。
 また、「今回は推進をやめて反対に行こうという声も多かった。選挙中に“原発はもうやめだ”と話す人もいて、“あれっ!”と思っていた。本当は、1400票近くは反対票があったと思う。だから、みんなガッカリする事はない。あとは、いつもある上関のミステリーを解けばいいだけですよ」と語った。

 原発終結へ意欲強まる
 多くの住民のなかで、今回の選挙を前にして、推進陣営はかつてないほど崩壊し、町民の原発離れは相当に進んでいることが実感されていた。
 上関の60代の婦人は、「私たちの周囲では、票差が縮まるというのが大方の見方だった。それが開けてビックリなんとやらで、みんな目が点になった」と話す。「25五年たって、原発はあまりにも長すぎる。賛成も反対も1部の者だけが良いことをして町民はなにも得にならなかったという声が多かった。毎月10人は亡くなっていて、単純に計算したら年に120人減る。原発ができるといっても、町民は誰もいなくなって中電が喜ぶだけ。町の為に推進する理由はもう無くなった。それなら、いい加減騒ぎは終わらせようという動きがあったはずなのに」と語る。
 長年推進してきたという住民は、「実は票差が縮まるのは確実で、上手くいけば逆転の可能性もあると話になっていた。それが正反対になったから眉をひそめている」と胸の内を語る。「私たちだって、だてに推進してきたわけではない。選挙も何度も経験してきた。今回は、推進から反対に動いたと見て間違いはない。25年たってみれば、推進も反対も幹部は一緒。祝島のおばさんたちに馬鹿とかとかいわれながらも、必死に下働きした自分たちが馬鹿らしい。今度の選挙で動いていたのも、金目当ての1部とブローカーの様な者ばかりだった。今までの推進、反対ではなく、町を壊した原発は終わりにしようという思いだった」と話した。
 別の住民は、「今回は何かを変えようという動きが、推進できた部分のなかで強かった。原発は直ぐにできる情勢ではない上に、この先5年、10年も生殺しにされてはたまらない。上関にとっては、この2年、3年が勝負所と話になっていた。原発がきてから賛成と反対に分けられて、出る杭は打たれる状態が続いてきたが、今回が突破口だと動いたんだ」と様子を話す。
 そして、「推進から反対にかなりの票が流れたのは確実だ。なのに反対票が減った。反対が大崩した形跡もなく、推進は、人心が離れて親戚ばかりで運動していた。今の町議が逆立ちしたって票が動くようなものではない。人がよりつかない選挙は、負けるのが世の常識だ。だからみんなが不思議がるミステリーなんだ」といった。
 選挙のなかでは、推進派幹部とつながって、頑張っても頑張っても裏切ってきたインチキな「反対派」幹部の正体も広く暴露され、影響力をなくすこととなった。示された反対票は、幹部のものではなく町民自身の力だと語られている。
 祝島の婦人の1人は、「今回の選挙では山戸に入れた。元元原発には反対だったけど、金田さんに従わないと推進扱いをされ、あまりに酷い仕打ちに腹が立ち、推進になっていた。でも原発をいいと思っているのは誰もいないし、原発が持ち込まれたせいで対立が起きたという思いを持っている。だから原発をもう終わりにしないといけないと考えた」と話す。
 男性の1人は、「山戸個人が好きか嫌いかといわれれば、30代の若者だし、親の信用もないから票はない。金田と山戸が祝島のなかを、推進と反対で無茶苦茶にしたという恨みはすごいものがある。だけど、島のなかでは初めがまともな反対ではなくみんな騙されたという話になった。おばさんたちは本当に苦労してきたし、原発がなくならないかぎり島も上関も良くならない。まとまるなら、一致協力しようと思った」といった。
 「山戸応援ではなく、反対の力を示したのだ」「誰が出ても、反対の力は変わることがない」という声は、どの地区でも語られる。また、「25年の行きがかりを越えて、原発を終わらせよう」の声が強まっている。
 上関の60代の男性は、「反対派の町民も、推進を信じてきた町民もみんなが一緒に騙されていた。巧い汁をすってきたのは、団子みたいになった幹部だけだったじゃないか。今度の選挙は、上関の町民対中電とか国、上関の化け物の斗いだった。国策の正体は、今の岩国を見ればよくわかる。力ずくだし、町民とか国民のことは何も考えない。原発がきて、潤うのはほんの1部分だけだ。仕事はないし土建屋といっても孫請がせいぜい。商売人もたいしたもうけはない。いい加減に、終わりにして平和に暮らせる町にしたほうがいいという思いは強くなっている」と話す。
 別の住民は、「推進が勝ったからといって、原発がすぐに動くようなことはない。2年後などというが、中電も本気ではやっていない。町民は、いつでもオオカミ少年みたいに、できるできるといって騙されるばかりだった。山戸のような“反対派”にも魅力はないし、原発自体が終わりという声は強い。今回も第3の候補を期待する声があったが、本当に出てくるようになればみんなが固まるのではないか」といった。

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