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免れ得ぬウクライナ戦争への当事者性――広島に集うG7のリーダーたちへ 東京外国語大学名誉教授・伊勢崎賢治

 この私たちの即時停戦のアピールに対して、さまざまな批判があることは十分に承知している。とくに停戦の実務にかかわってきた僕にとって、それは初めてのことではない。その批判の一つに、なぜG7に向けてなのか? 停戦はロシアにこそいうべきではないのか? というものがある。これは十分に理解できる批判だ。

 

 だからこそ、このアピールに加わったメンバーのほとんどが含まれる「憂慮する歴史家の会」は昨年7月、われわれ日本の研究者だけではなく、決着のつかない戦争において停戦が長引くことの痛みを誰よりも知る韓国の研究者を含む総勢100名の有識者の連名で、ロシアの侵略行為を糾弾したうえで、人道的観点から、停戦のための「対話」の仲介を要請する声明文を国連事務総長宛に送った。

 

 そのなかの一節を読み上げる。
 「いうまでもなく停戦は講和ではありません。まず武器を置き、双方の間に非武装地帯を設定し、殺戮と破壊を中止することです。国連および国際社会はまずこの停戦を実現すべきです。そして停戦した後に協議、交渉を始め、講和に進んでいくのですが、ここでもより公正な条件を作り出すよう、国連および国際社会は双方の間に入る必要があります。また停戦を維持するために、国際的な監視団の現地派遣も必要になるでしょう」。

 

 (常任理事国に与えられた)拒否権による機能不全ということで、“役立たず”と批判を受ける国連安全保障理事会だが、その前身である国際連盟の経験から、拒否権は、「主要国の脱退による世界大戦の勃発」を再び起こさせないための機能でもある。ロシア、中国を含む核保有・常任理事国の唯一の「対話」の装置が国連であり、その機能の自覚を喚起させるための日韓共同の声明文であった。

 

 この声明文からすでに10カ月が過ぎようとしている。ウクライナ現地では、人道回廊停戦、そして原発停戦。国連またはIAEA(国際原子力機関)など国連組織が仲介する停戦が試みられてきた。第三国による仲介も模索されてきた。

 

 開戦直後、当事者同士の発意で停戦が模索されもした。その意味で、停戦交渉の実務の観点からは、この戦争はミンスク合意などが試行錯誤されたドンバス戦争(2014年から始まったウクライナ東部での内戦)の延長であると捉えるべきで、停戦工作は時期尚早であるとは決していえない。なぜなら紛争当事者にドンバス戦争からの学習経験があるからだ。戦況が大規模に膠着する好機を逃さず、対話の「再開」を目指すべきである。

 

 そして現在、戦況は、東部バフムートの戦闘が象徴するように、文字通り“膠着”している。

 

代理戦争を止められるのは…

 

 そして、今G7のリーダーたちが日本に集う。

 

 今回、ロシアを含まないG7に、あえて私たちが即時停戦を訴える理由は唯一つ。ウクライナ戦争がG7(とくにアメリカ)の代理戦争だからだ。

 

 この戦争の本質は「代理戦争」だ。当事者が祖国のため命をかけて、どんなに自発的に戦っていようと、自分が戦わずに敵を倒したい外部の“主”がいて、その当事者に武器・兵器を供与する限り、それは代理戦争だ。

 

アフガニスタンの武装解除で軍閥兵士から武器を回収する伊勢崎氏(2002~2003年、伊勢崎氏提供)

 かつて、冷戦期のアフガニスタンに社会主義政権が誕生した。しかし、政情は安定せず内戦に突入する。同政権を助けるために1979年、国連憲章51条上の集団的自衛権を名目に(僕は悪用だと思っているが)アフガン侵攻を決行したのが当時のソ連だ。強大な“赤い侵略者”ソ連に、圧倒的に非力な軽武装の、アフガンのムジャヒディーン(イスラム聖戦士)たちは、祖国のために死に物狂いで戦う。たいへんな苦戦を強いられるが、途中からゲームチェンジャーとなったのは、アメリカが供与した最新鋭の携帯ミサイル(スティンガー)だ。これはトム・ハンクス主演の映画(『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』)にもなっている。ここから攻勢は逆転し、ムジャヒディーンの軍閥たちは10年をかけソ連軍に勝利する。

 

 今回のウクライナ戦争では、ウクライナ東部のロシア系住民の自決運動を助けるために、同じ集団的自衛権を名目に(僕は悪用と思っているが)ロシアは侵攻し、アメリカとNATOの供与する兵器が現在の戦況を左右するゲームチェンジャーになっている。まったく同じ構造だ。

 

 (学説上、冷戦期の典型的な代理戦争として位置付けられている)冷戦期のアフガン戦争を代理戦争と呼び、現在のウクライナ戦争をそう呼ばないのはなぜか?――。

 

 “この戦争は、ロシアによる一方的な侵略戦争であり、ウクライナは自衛をしているだけだ”“代理として戦っているわけではない”“命をかけた祖国への忠誠心を汚すのか”という意見がある。しかし、それは当時のムジャヒディーンにとってもまったく同じだ。彼らも祖国のため命をかけ、今のウクライナとは比較にならない“非対称”の自衛戦争を戦った。

 

 “まさか”だが、肌に色がある人々の祖国への忠誠心は、そうでない人種のそれより劣るとでもいうのだろうか? 侵略者に抵抗する精神――白人のそれの方が、有色人種のそれより尊いとでもいうのだろうか? もしそうであれば、それを「人種差別」という。

 

 以上、ウクライナ戦争の代理戦争的側面を否定することによって、G7の紛争当事者性を隠蔽することは、ウクライナ一般市民の尊い命にかけて、極めて悪質な政治的恣意行為だと思う。

 

ウクライナの「総意」とは何か?

 

 アフガニスタンにおけるソ連の敗北後、ソ連自体が崩壊し、このアメリカの典型的な代理戦争は成功した格好になる。しかし、成功したといっても、この10年間のアフガン戦争でどれほどの人命の犠牲と破壊がおこなわれたことか――。今ウクライナにもその犠牲を強いるというのだろうか? 安全地帯にいながら、それを強いる日本を含むG7のわれわれとは、いったい何なのか?
 これがG7のリーダーたちへ訴えたいことだ。

 

 さらに、代理戦争で供与された兵器は、必ず新たな戦争を再生産する。

 

 冷戦期のアフガン戦争でアメリカに軍事支援されたムジャヒディーンたちは、その後、権力争いの内戦に突入し、対ソ連戦争以上の破壊と殺戮をもたらした。

 

 忘れてはならない。ムジャヒディーンの中には、後にタリバン開祖となるムラ・オマールと、アフガン人ではないが、海外からの義勇兵を率いていたサウジアラビア人のオサマ・ビンラディンがいた。アメリカに支援されたこの者たちは、アメリカに牙を剥き、2001年の9・11同時多発テロを引き起こし、アメリカ・NATOを20年戦争に引きずり込む。

 

 この時期、アメリカの占領政策の一環で、僕が日本政府代表として責任を負い、ムジャヒディーンたちを武装解除させたとき、彼らの兵器は冷戦期の対ソ連アフガン戦争のときのものだった。

 

 そして、ご存知のように2021年8月、アフガニスタンにおいて、アメリカ・NATOはタリバンに完全敗北した。

 

 くり返す。代理戦争で供与された兵器は、戦争を再生産する。

 

 最後に、G7のリーダーが「広島」に集う意味についてのべる。それは、彼らがしばしば口にする、ウクライナ国民の戦う総意への支援――その『総意』についてだ。

 

 “この戦争で犠牲となるのはウクライナ人であっても、それは彼らの自発的な戦う総意なのだから”という意見がある。

 

 総意とは、いったい何なのだろうか? 戦いたくない、それが妥協を意味してもこれ以上は嫌だ、平和を望む――そういう声はウクライナにはまったくない、と誰がいい切れるだろうか?

 

 たとえそう思っても口に出せない、戦時の熱狂、とでもいうべきか。かつてそういう状況を経験した日本人だからこそ、この、勝つ、という同調圧力の熱狂がどういう末路に至ったか、考えるべきではないだろうか? そして、訴えるべきなのではないだろうか。

 

 その末路の象徴である「ヒロシマ」に集うG7のリーダーたちへ。

 

 

(※4月24日「今こそ停戦を」記者会見での発言より)

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いせざき・けんじ 1957年、東京都生まれ。2023年3月まで東京外国語大学教授、同大学院教授(紛争予防と平和構築講座)。インド留学中、現地スラム街の居住権をめぐる住民運動にかかわる。国際NGO 職員として、内戦初期のシエラレオネを皮切りにアフリカ3カ国で10年間、開発援助に従事。2000年から国連職員として、インドネシアからの独立運動が起きていた東ティモールに赴き、国連PKO暫定行政府の県知事を務める。2001年からシエラレオネで国連派遣団の武装解除部長を担い、内戦終結に貢献。2003年からは日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を担当。

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