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原爆展を成功させる長崎の会総会 若い世代の運動参加に確信

 長崎市中央公民館で7日、原爆展を成功させる長崎の会の今年度総会が開かれ、今年のとりくみの成果を確認し、来年度の方針、新役員を決定した。会議には、長崎市内や諫早市の被爆者、主婦をはじめ、長崎大学、県立大学などの学生、教師など約20人が参加。昨年7月に会則を正式に決定し、会の体制を整えて臨んできた1年間の活動を振り返り、若い世代と結んで来年に向けてさらなる飛躍を誓うあう内容となった。


 冒頭、副会長の吉山昭子氏が、「原爆展を成功させる長崎の会を発足して以来、さまざまな活動を力を合わせてやってきた。若い人たちも多数参加してくれるようになったことがなによりもうれしい。私たちも命ある限り、平和の大切さ、原爆の悲惨さを一生懸命語り継いでいきたい」とあいさつ。その後、全員で原爆犠牲者に対して一分間の黙祷を捧げた。
 つづいて、原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)、下関原爆被害者の会(伊東秀夫会長)からのメッセージが紹介され事務局から今年度の活動報告、決算報告がおこなわれた。
 報告では、会則で定めた「二度と再び原爆や戦争が繰り返されることのない平和な社会の実現と、平和な未来の担い手として子どもたちが成長することを願い、純粋に被爆と戦争体験を語り継ぐことで平和の力を大きくする」「特定の利害を優先するものではなく、政党政派を超えて、原水爆の廃絶を願う市民が自由に発言し、行動することを援助し、促す」という目的にもとづいて活動してきた長崎の会は、長年「祈り」のベールに覆われて抑え込まれてきた被爆市民、戦争体験者の本当の思い、核兵器廃絶と戦争反対の願いを代表し、その思いを全市、全国に広げていくうえで大きな役割を果たしてきたことを強調。
 とくに、長崎西洋館での第6回長崎「原爆と戦争展」(6月27日~7月4日)は、「6年間で築かれてきた市民の支持のもと、長崎の恒例行事として定着し、これまで語ることのなかった被爆市民が旺盛に体験を語り、地元の中学生の集団参観や、大学生、労働者、教育者などの若い世代、現役世代の真剣な参観が増えてきたことにこの運動の大きな展望がある」とし、昨年末から県立大学、長崎大学、玉成高校、西町小学校などの学校、西山地区や大学平和グループなどとの結びつきを深めながら開催してきた「原爆と戦争展」運動を振り返った。
 それぞれのとりくみの過程では、被爆・敗戦から65年目を迎えるなかで「なぜ現代の日本がこれほどデタラメになったのか」という市民の総括意識が高まり、広島や長崎市民の歴史的経験と結びつき、第二次大戦と原爆投下からはじまった戦後社会の植民地的な荒廃状況について世代を超えた大論議が発展。原爆投下への新鮮な怒りを共有して、平和のために行動する意欲が強まったことを明らかにした。また、原爆展運動10年の記録を描いた劇団はぐるま座の『原爆展物語』が、広島、長崎、沖縄など全国で大きな反響を呼んでいることにも触れ、ふたたび戦争を許さず、平和と繁栄の日本社会をつくる大きな機運が全国的に渦巻くなかで、被爆地長崎から平和の力を発信していく必要性が確認された。

 被爆者や教師熱い思い

 参加者からは、「これまで65年間黙ってきたが、原爆展に出会ってはじめて体験を話し、広島にも行って感無量だった。もっと早く出会えばよかったと思う」(婦人被爆者)、「原爆についてこれまで嘘がはびこり、真実が伝えられてこなかっただけに、『原爆展物語』や原爆と戦争展は非常に感動した。あれだけの内容は、もっと多くの市民に知らせないといけない」(男性被爆者)など熱い思いが語られた。
 諫早市から駆けつけた男性被爆者は、「背中にヤケドを負ったうえに、天窓が割れてガラスが突き刺さった。その後も一カ月は犬猫同然の生活で、生イモをかじりながら必死で生きてきた。ところが今の風潮を見ていると物質的には豊かになったが、若い人たちに困難に立ち向かう覚悟が足りないと思わざるを得ない。自分たちが受けてきた苦しみを少しでも伝えて、二度と戦争を繰り返させないために若い人たちが力強く立ち上がってほしい」と願いを語った。
 『原爆展物語』を観劇した坂本町在住の男性被爆者は、学徒出陣で長崎の司令部に配属されて被爆したことを明かし、「山王神社の片足鳥居にはたくさんの修学旅行生が来るが、市の記述にある間違いを指摘しても役所は聞き入れない。長崎では、市民とは別のところで原爆について定説がつくられている。私たちは、廃虚の町を一日中歩いて現実を見てきただけに真実を知ってほしい。それを知らずに“平和、平和”というだけではいけない。若い人たちに知らせたい」と、持参した資料を見せながら話した。
 雲仙市から参加した中学校教師は、『原爆展物語』雲仙公演に関わったことをきっかけにして同僚とともに長崎「原爆と戦争展」を参観した経緯をのべ、「原爆展との出会いをとても感謝している。そこには、教師であるという以前に、一人の人間として向き合うべき現実があった。まず自分自身から事実を知っていくことがはじまるし、同じように100人が一歩進めば世の中は変わると信じている。微力であっても力を合わせてつないでいけば大きな力になると思う」と語り、地元でのとりくみを進めていく意欲をのべた。

 伝える番と学生も意欲

 また、今月22日から学内で「原爆と戦争展」を企画している長崎県立大学佐世保校の学生たちが五人参加し、「先輩から引き継いできたとりくみを今年も開くことになった。ぜひ力添えをお願いしたい」(男子学生)、「熊本出身で長崎に来るまで原爆についてほとんど知らなかったので、被爆者の方方から学んでいきたい」(男子学生)と協力を願い出た。
 長崎大学の男子学生は、「街頭原爆展から『原爆展物語』のとりくみに関わり、はじめて原爆と戦争展にも参加したことで、これまで知らなかった真実を知ることができ、成長できたと思う。これからは同世代、年下の世代に自分たちが伝えていく番だ。若い人に関心を持ってもらう工夫をしながら活動していきたい」とのべた。
 長崎出身で九州産業大学芸術学科の女子学生は、「祖母も長崎大学付近で被爆しているが、これまで体験を聞く機会がほとんどなかった。6月の原爆と戦争展で被爆の実態と被爆者の皆さんの思いを知って衝撃を受けた。これからの人生に必ず役立つと思う」とのべ、卒業制作で被爆者の体験を学びながら写真を撮っていることを明かし、今後も活動に参加していく意気込みをのべた。
 被爆者たちからは、凄惨な被爆体験とともに「原爆はつらかったが、そのなかでどんな苦しみにも耐える力は人一倍育ったし、苦しい時こそ助け合う思いやりが私たちの財産だ。今は、欲しいものは奪う、人を騙しても殺しても平気という考え方がはびこっているが、それでは日本は沈没する。それを若い人はもっと学んで欲しい」(婦人被爆者)、「日本は、ろくに食べ物もないのに戦争をやり、負けるべくして負けた。アメリカは、日本家屋も研究し、防空壕さえも焼き払う爆弾を開発していた。だが、戦後の長崎では被爆遺構が次次に壊され、原爆の真実が伝えられないようにされている。体験を語るのはつらいが、平和のために語る使命がある。力を合わせていきたい」(男性被爆者)との発言が相次ぎ、県立大佐世保校で行われる「原爆と戦争展」を学生たちと協力して成功させることが確認された。
 来年度の活動方針として、「体験者が高齢化していくなかで語り手となる市民をさらに増やしていくこと、その体験と思いを受け継いで行動していく若い世代により広くこの運動に参画してもらい、活動の担い手を育てていくこと」を大きな柱とした。
 そのうえで、①原爆と戦争展のとりくみを長崎市内の地域、大学、職場をはじめ、周辺市町の学校や原爆展を行う団体と連携して全県的に広げる。②修学旅行生や地元長崎の学校、大学で、小・中・高校生、大学生への被爆・戦争体験の継承をすすめ、平和教育の発展に貢献する。③長崎の会として被爆・戦争体験集を発行する。④若い世代にも入会を勧めて、組織的機能を発揮できるようにする―などの具体的な方針を定めた。
 新役員の改選がおこなわれ、これまで会長を務めてきた永田良幸会長を顧問に、副会長の吉山昭子氏が会長に選出され、参加者全員の拍手で承認された。
 最後に吉山氏が、「来年は被爆体験記も作成し、小学生から高校生までしっかり平和学習ができる力にしていきたい。若い人たちとも協力して、平和の大切さと原爆の悲惨さを語り継いでいきましょう」とあいさつし、今後の奮斗を誓い合って散会した。

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