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抹殺された東京大空襲の体験 首都圏占領のための大虐殺 生々しい体験者の記憶

 東京都内で原爆と戦争展を展開している原爆展全国キャラバン隊(後援/長周新聞社)は、8月30日に12万人抗議行動がおこなわれた国会前、日比谷公園での展示に続いて、31日にJR町田駅前、9月1日に錦糸町駅前、2日には亀戸駅前、3日は四ツ谷駅前(外濠公園)、池袋駅前西口広場で開催した。国会周辺をはじめ都内各地で安保法案の廃案を求める行動が盛り上がるなかで、東京都民のなかでは東京大空襲をはじめとする第2次大戦の経験を鮮明に蘇らせながら、現在に繋がる戦後社会の対米従属構造への問題意識が激しく語られている。
 どこでも「第2次大戦の真実」のパネルに真っ先に反応するのが戦争を体験した年配者たちで、戦地や空襲、沖縄戦、原爆投下という一連の写真パネルを見ながら、都民をみな殺しにした東京大空襲の経験をはじめ、戦中戦後の苦労を口口に語り、今ふたたびアメリカの指図を忠実に実行し、国民を戦争に導こうとする安倍政府への怒りをほとばしらせている。
 パネルを見ながら「私も体験者だ」と語り出した83歳の男性は、墨田区太平町の実家が地域の警防団本部になっていたことを明かし、「“空襲が始まった!”といわれたときにはすでに押上(現在のスカイツリー周辺)から向島にかけては火の海だった。建物疎開で太平町3丁目から亀戸天神橋に繋がる蔵前通りは幅22㍍にも拡張されたが、その道が避難民でいっぱいになり身動きがとれなくなった。その群衆がまだ燃えていない亀戸方面へ向かって逃げていったが私は団長の指示でその場に待機していて助かった。米軍は亀戸だけわざと残して、生き残った人をそこに集めてから集中砲火を浴びせたのでその群衆は全滅した。それから荷物をすべて捨ててリヤカーに布団だけ積んで錦糸公園へ避難した。錦糸公園には砂場があり、油脂焼夷弾の火は水をかけても消えないが砂をかければ消すことができ、かろうじて一命をとり留めた」と話した。
 夜が明けると下町一帯の居住区はすべて燃え尽き、多くの人が逃げ込んだ亀戸は死体の山だった。「とくに両親に挟まれて、小さい子どもから順番に五、六人の子どもが蝋人形のように並んで死んでいた姿が忘れられない。炎で黒焦げになった死体だけでなく、蒸し焼きにされて窒息死し、姿形はそのままの死体もたくさんあった。それを兵隊がトビ口で引っかけてはトラックに積んでいき、錦糸公園だけでも1万4000体もの遺体を荼毘に付し、引きとり手がないままその場に埋められた。私は、海洋少年団の一員として山本五十六海軍司令の国葬にも参列したが、海軍でもあの戦争は負けるといっていたのに政府が暴走した。今また安倍首相があのような法律をつくっているが、戦争を知らない者がそんなことをやる資格はない。自分はずっと自民党だったが、戦争をやるような政党はなにがなんでも反対だ。絶対に票を入れてはダメだ!」と語気を強め、パネル冊子を買い求めていった。

 わざと集めて集中放火

 神田佐久間町出身の80代の婦人は、「当時は小学生だったから集団疎開で埼玉県草加市にいたが、神田佐久間町は大空襲で丸焼けになって一家全滅の家がほとんどだ。みんな火を逃れて神田川に飛び込んで流され、浮かんでいた船もすべて燃えた。一緒に疎開していた児童も両親を失って、親戚の家をたらい回しにされながら戦後を生きてきたことを最近になって知った。ところが東京には犠牲者の慰霊塔はなく、関東大震災の慰霊塔に名前が書かれた紙が納められているだけだ。沖縄のように全犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑ぐらいつくるべきだと遺族は憤慨している。そして3・11の震災が起きてからは、3・10大空襲の慰霊行事はいよいよ存在感がなくなってしまっている。10万人といわれる犠牲者数も実際には同じ数の行方不明者もおり、確実な数字すらわかっていない。国を挙げて追悼し、継承するべき大虐殺ではないか」と声を荒げた。
 また、「戦後は物資も食料もなく、熱海の海水で米を炊いておかゆをつくっていた。焼け残った和服などを農家で交換してもらったコメも、駅での警察の検問で見つかるとすべて没収された。銀行の預金は封鎖され、引き出せるころには新円切り換えで国債も貯金も紙切れになった。神田に残っていた両親と弟は、言問橋付近で黒焦げの棒杭のように転がった死体をまたぎながら逃げたという。今でも地下を掘り返すと人骨や焼夷弾の破片が見つかることすらある。あれほどの大惨事をなかったことのように消し去ってよいものか」とのべた。
 亀戸駅前の展示で語りかけてきた70代の男性は、戦時中は埼玉県川口市におり、戦後は旋盤工として働いてきたことを明かし、「米軍は関東全域で空襲をやり、余った爆弾を荒川や隅田川の河畔に落として帰った。今年は安倍談話で謝罪が話題になったが、一番の問題は広島、長崎に原爆を落としたアメリカに“日本も悪いが、お前たちも悪い”といわなかったことだ。東京空襲もだが、沖縄や広島、そして長崎への原爆投下など戦争とは関係のない無差別殺戮だ。それが正義といっているような国に頭を下げる必要はない。政治家がみな欲タレばかりで、東京オリンピック騒動でも国立競技場に数千億円、今度のエンブレム問題でも一億円も無駄金を使っている。それだけの金があるなら何百人の福島県民を救え、何人の東京のお年寄りを都営住宅に入れられるか。私も都営住宅に応募してやっと4年たって入居が決まったほどだ。欲にまみれた一部の金持ちが国を支配して好き放題している」と怒りを込めて訴えていった。

 現役世代も真剣に参観

 また、四ツ谷や池袋など会社員などの現役世代が多い地域では、スーツ姿のサラリーマンが仕事中の足を止めたり、仕事帰りに立ち寄って真剣な表情で参観していった。かつての戦争の犠牲になった兵隊や原爆で殺された子どもたちを自分たちの子どもと重ね、「昔のこと、他人事では済まされない」「子どもを戦争にとられるくらいなら自分たちが命がけで反対しなければ」と語りながらパネル冊子を買い求める姿が目立っている。
 国会前の抗議行動に参加した50代の女性は、「アメリカがこんなに残酷な行為を日本中でやっていたことに改めて衝撃を受けた。それなのになぜ日本政府はアメリカについていくのか。また、日本の天皇も支配者たちも戦争終結のとき、自分たちだけは生きのびて、兵士たちは飢えと病気で死なせていった。私は身内に戦争体験者がいて戦争だけは絶対にくり返してはいけないと聞かされてきたので、集団的自衛権行使容認の閣議決定以来、これはまた戦争に傾いていくぞと危機感を感じてまわりの人に訴えてきた。戦前のマスコミがウソの宣伝をして中国に侵略し戦争に動員していったように、戦争の真実が知らされず、政府や支配者に都合のいいことばかりをネットなどで流している。一方的に聞かされればそうなってしまう。あちこちで展示してもらいたい」と語り、知人の分も含めてパネル冊子を二冊買い求めた。
 31歳の女性会社員は、「戦争でこれほどの犠牲があったということに改めて衝撃を受けた。最近まで2年間オーストラリアで働いていて帰国したところだが、オーストラリアでは日本の侵略を受けていたので8月の終戦記念日に開かれる集会では日本を非難する空気があった。だから今の日本での安倍政府の動きがとても気になっていた。安倍首相は戦犯の岸信介の孫だが、岸が監獄から出てきてアメリカの要求に従って自衛隊の前身である警察予備隊をつくり、平和憲法と逆行するようなことをしていったことも、背後に密約があるのではないかと思う。そして安倍が今やっていることもやはりアメリカのいいなり。こんなことは絶対におかしい」と語った。
 四ツ谷駅前の展示を見た五〇代の男性は、「今また戦争がくり返されるのではないかと危惧している。なぜ日本の政治家はこれほどアメリカにNOといえないのか。アメリカは世界中で残虐な戦争をくり返している。そのアメリカの戦争を日本が肩代わりすれば日本が恨みを買う。戦争ができる普通の国になるくらいなら戦争をしない特別な国でいい。それがこれほどの犠牲者に対する償いではないのか」とのべて、カンパを寄せた。
 錦糸町での展示を見た30代の女性は、「私はこんなパネルには初めて出会った。中国で47万人、フィリピンで52万人もの戦死者が出ているのに戦争を続け、無差別空襲で日本人を殺した米軍司令官に天皇から勲章が与えられていることなど知らないことばかりだ。安倍首相が安保法案を閣議決定してからすでに自衛隊員がたくさんやめている。その一方で生活が困難な子どもたちに自衛隊への勧誘がされていることに怒りを感じる」と話した。
 「私も最近、長期に働いていた会社を理不尽に解雇されて精神病になり、しばらく生活保護ももらっていた。これではダメになると思い、再就職で派遣社員として倉庫から製品を出荷する仕事を一週間ほど前から始めている。今から給料を受けとってくるところだ」とのべ、その後再び訪れてパネル冊子を求めた。
 錦糸町駅前で20代の男性会社員は、「今問題になっている安保法案などの問題とつながることばかりで、とても興味深かった。自分も安保法案が戦争につながると思うが、ネットだけを見てもその根拠が漠然としていた。だが戦争を始めた者が安全なところで懐を肥やして、働く人たちを無理やり動員して犠牲にしていった構図だったことを知り、そういう仕組みを隠して集団的自衛権の行使容認でアメリカと一緒に戦争をやろうとしていることがわかった。戦争でもうけようとする兵器産業の姿も明らかにすべきだと思う。若い世代は戦争というものがどういうものかを知っていくことで、戦争反対の根拠がしっかりしたものになると思う。こういう活動は応援したい」と協力者になった。
 また「広島出身なのでこの原爆展は高校時代に見に行った。広島で学んだことの意味が今ようやくわかってきた」(20代、男性会社員)、「知人が広島で今年、このパネルを買って帰ってきて自分もほしいと思っていた」(50代、女性)など、広島・長崎の運動に対する強い共感も寄せられている。

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