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下関原爆被害者の会総会 平和の為子供らに語り継ぐ 原爆の惨劇繰り返させぬ

 下関原爆被害者の会の平成28年度総会が15日、勤労福祉会館で開催された。「二度と原爆や戦争をくり返させないために被爆体験を若い世代に語り継ぐ」ことを使命として会が再建されて以来、一貫して私利私欲なく活動してきたこと、子どもたちに被爆体験を語ることが平和の力を育てていくことへの確信に満ちた総会となった。
 
 再建から22年の歩みに確信 全国に広がった原爆展運動

 初めに大松妙子会長が「安倍政権による憲法改悪、安保関連法案の強行について、国民は戦争への危機感を抱いている。戦後七一年間平和を守ってきた、その平和を覆す者とたたかいましょう。あの愚かな戦争、原爆を体験した者にしかわからない悲惨、恐怖をくり返してはならない。これからの日本を担う若者や子どもたちに真実を伝え、平和の大切さ、命の大切さを伝えることは生かされた者の使命だと思う。戦争、原爆で尊い命を失った方方の供養のためにも頑張っていきましょう」と挨拶した。
 来賓の下関市保健部成人保健課の重谷課長が下関市長の挨拶を代読し、原爆展運動や小学校での被爆体験を語り継ぐ活動に対して敬意をあらわし、「世界に争いのない真の恒久平和が訪れることを願う」とのべた。県被団協の森田会長と原水爆禁止下関地区実行委員会の平賀氏が挨拶した。
 続いてメッセージが紹介された。原爆展を成功させる広島の会の高橋匡会長は、安倍政権がいつでも戦争のできる体制をつくるために安保法制や特定秘密保護法を強行したことに対する怒りとともに「私たち被爆者の願いは、核兵器の廃絶をめざして被爆の実態を次世代に伝承することが最大のものと思います。“核廃絶”と戦争反対に向けて、共に手を取り合って頑張りましょう」「あの日の出来事を忘れたとき、あの日がくり返される!」と寄せた。
 原爆展を成功させる長崎の会の河邊聖子会長代行は、アメリカのオバマ大統領が広島を訪問することにふれて「広島にいくのであれば、アメリカがもたらした原爆投下の現実をその目でしっかりと見てもらいたい。日本政府も戦争の苦しみを知らないお坊ちゃん政治家ばかり。本来ならば国の事業として原爆と戦争展を世界中に広げるのが被爆国としての責務ではないでしょうか」「戦争の愚かさ、原爆の悲惨さをしっかりと認識してもらうよう私たちはこれからも下関や広島の皆様とともに頑張っていきたい」と連帯のメッセージを寄せた。
 沖縄原爆展を成功させる会のメッセージは、4月に開催された第2回八重山「原爆と戦争展」が石垣島の戦争体験者たちとともにとりくまれ大成功したことにふれ、「全国の被爆者の前を行き、戦争反対の道しるべを指し示してこられたことが今、若い人たちの立ち上がりにどれだけ大きな励ましになっているでしょうか。私どもも、これから皆様とともに、全国の被爆者や戦争体験者の方たちと団結して二度と戦争を起こさせないために頑張っていきたい」と寄せた。
 27年度の活動報告では、被爆体験を語る活動として、市内7校の小学校でのべ8回、小中高生平和の会の平和教室などでのべ40人の被爆者が体験を語った。勝山地区や市立大学での原爆と戦争展でも積極的に体験を語り、広島・長崎の会とともに原爆と戦争展を協力してとりくんできたことが報告された。
 今年もひき続き、小中学校など各地で被爆体験を語ること、高齢化が進むなかで被爆体験のビデオ撮影などにより力をいれていくこと、他団体とも協力し原爆と戦争展を開催することなどの活動方針が提案されて満場一致で可決された。
 その後「二度と戦争をくり返させないために安保法制の廃止を求める決議」「上関原子力発電所建設計画の白紙撤回並びにすべての原発廃止を求める決議」「総会宣言」が採択された。「総会宣言」では村上氏が「71年前、私たちは焼け跡のなかから立ち上がり、必死に日本を復興させてきました。“お国のために”と騙されて命を失った多くの方々の死を無駄にしないためにもこの70余年の平和を覆そうとする者とたたかう覚悟です。下関をはじめ、全県、全国の平和と独立を求め、原水爆に反対する各界各層の人々としっかりと手を携え、命ある限り被爆体験を語り継ぎ、戦争を阻止することを、原爆と戦争で亡くなった幾万の人々の魂に誓うものです」と力強く宣言した。
 午後からは懇親会が開かれた。詩吟や歌が披露されるなど和やかな雰囲気のなかで、被爆体験を語ることが平和の力を育ててきた確信とともに、今後もいっそう平和のために奮斗していく決意が語られた。
 先日垢田小学校の6年生に被爆体験を語った男性は「先生たちも驚くほどたくさんの保護者が一緒に体験を聞いてくれた。涙を流しながら聞いてくれる母親もいて子ども以上に保護者が熱心だった。最近は自衛隊の募集などもあちこちでされているから、どの母親も自分の子どもを戦争に行かせたくないと真剣なのだろう。子どもたちも私語一つせず、一生懸命メモをとりながら聞いてくれ、質問もたくさんしてくれた」と体験を語ることの喜びを話した。
 一緒に体験を語った被爆者は「今は戦争の方向に向かっているからみんな一生懸命に話を聞く。二度と私たちのような思いを子どもたちにさせたくない」と思いを語った。
 9歳のときに広島で被爆した女性は「校舎の下敷きになって助けられ、知らない人におぶわれて逃げた。父は41歳、母は35歳、兄は15歳、妹は2歳で家族4人、今でも遺体もわからない。9歳で突然ひとりぼっちになった。一人布団の中でどれだけ泣いたことか」と壮絶な体験を語った。「広島県外では自分が被爆者だということもいえず、被爆者とわかれば子どもを生むなといわれ、20歳のときに自殺しようとしたがそれもできなかった。金もいらないから元通りに戻して欲しいと今でも思う。残された人たちはみんな一人で立ち上がってこれまで生きてきた。九歳の子どもが突然一人とり残されるという苦しみは経験した者でなければわからない。あまりにも悔しいことばかりで原爆のことは話したくなかった。今は広島にいるが、今度下関に戻ろうと思っている。下関に帰ったときには一緒にやっていきたいと思っているからよろしくお願いします」と語った。
 長崎で被爆した男性は「あのときの光景は本当に悲惨なものだった。光った瞬間に溝にうつ伏せたのだろうと思われる人人の上側だけが焼けて白骨になっていたり、川には水を求めた人人が何重にも折り重なって死んでいた。みんな水を求めて川にいったのに、水にたどり着く前に息絶えていた。あんな惨いことはない。私はこんな戦争が二度と起こってはならないと強く思っている」とのべた。
 長周新聞社の竹下氏は「会の再建から22年が経った。高齢化のなかで今後10年先、20年先を見据えた平和運動を展開していくことがいっそう重要になるが、そのためにも生の被爆体験を語っていくことが一番の平和運動の力になる」とのべた。
 人民教育同盟の教師からは、「被爆者の方が命をかけて体験を語ってくださっている姿に触れ、子どもたちも自分の生き方を変え頑張っている。みんなで力をあわせて平和な世の中にしていこうとか、物や親の大切さなどを教えてもらい、みんな自分がこれからどうやって生きていくのかを真剣に考えている。貧困化のなかで、子どもたちに人間としての生き方を語り、教育してほしい」と語った。
 別の教師も「先日、垢田小学校で被爆体験を語ってもらったことで、子どもたちや保護者の真剣さに担任の教師もとても喜んでいた。子どもだけでなく保護者も戦争体験や被爆体験を聞いていない。これから体験を受け継いでいくことがもっと大切になってくる。教師として被爆者の方と子どもたちを結びつけていきたい」とのべた。

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