いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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下関における子ども食堂の取り組み

 近年、家庭で十分な食事がとれない地域の子どもに食事を提供する「子ども食堂」のとりくみが全国各地で広がっている。

 

 共働き家庭が増え、とりわけ女性が労働力として社会に進出しているなかで、一方で子育てや家庭生活まで含めた社会的な支援体制は旧態依然として乏しく、仕事が遅くなると近場の祖父母に頼んで幼子の面倒を見てもらったり、あるいは知人に預けたり、毎日の夕食をどうするか等等、母親たちの気苦労は絶えない。1日を仕事でフル回転させて疲れて帰ってくると、今度は否が応でも家事労働が待ち受けているのが現実だ。そうして個個バラバラな状態のまま最終的に自助努力が限界を迎えて夫婦関係や生活が破綻したり、精神的に追い詰められてしまったり、子どもたちが満足に食事にありつけないような事例が珍しいものではなくなった。このなかで「子ども食堂」はまだまだ自然発生的なとりくみではあるが、社会にとっての必要性を反映して広がりを見せている。貧困や格差といった言葉が溢れるご時世にあって、地域コミュニティのさまざまな力をつなげて支えあい、個別家庭の限界性に閉じこもるのではなく、より広い人間関係のなかで解決しようという力が台頭している。下関市内では初めての開設となった「子ども食堂」のとりくみを取材した。
 
 貧困にとどまらない意味合い 下関でも始まったとりくみ

 「こんばんはー」「今日のご飯は何ですか?」「今日はカレーよ」。そんな会話をしながら夕方六時ごろに子どもたちがやってきたのは、下関市生野町の「風の家」に開設されている「生野きらきら子ども食堂」だ。夏休みの7月19日から始まったこの「子ども食堂」には、毎回30人前後の子どもや親子が訪れている。


 運営しているのは田中隆子氏(高齢社会をよくする下関女性の会・ホーモイ)を中心とする女性たちだ。介護や高齢化問題などさまざまな課題にとりくんでいる同会が、「子どもの貧困」に目を向けて、未来を担う子どもたちのために何か動き出そうと始めたのが「子ども食堂」だった。市立大学の講師や学生、地域の高齢者などもボランティアで参加し、それぞれが持てる力を発揮しながら支えている。共働きの家庭や片親家庭が増加するなかで、子どもの居場所づくり、地域住民の誰でもが気軽に立ち寄れる場所をつくることによって、「地域で子どもを育てる環境づくり」につなげていきたいというのが最大の狙いだ。


 給食がなくなる夏休みから開設するために、生野小学校の全校児童にチラシを配布して、次のように呼びかけた。「“子どもたちとわいわいにぎやかにごはんをたべたいな~”と思っている近所のおじちゃんやおばちゃんたちで、食堂をはじめます。おばちゃんたちが手づくりのごはんを作ってまっています。行ってみようかな~と思った人はだれでも来て下さい」。


 当初は10人程度と見ていたが、予想を超える30人ほどの子どもや親子が訪れた。その後、常連と新規をふくめて毎回必ず30人前後は来るようになっている。夏休み期間中は毎週火曜日に開かれ、カレーやいなり寿司、冷しゃぶ、そうめんなど、季節も意識した献立となった。栄養士の資格を持つ田中氏は仲間と相談しながらできるだけたくさんの食材を使った料理を出すこと、また必ず一品は昔ながらの「おばあちゃんの味」を提供することにもこだわっている。2学期に入ってからは2週間に1回のペースで開いている。

 ある日覗いてみると 好嫌いなく食べ宿題も

 9月20日、本紙記者もその様子を覗いてみた。午後6時過ぎになると「子ども食堂」には次次に子どもたちがやってきた。親子で訪れる人もいる。この日のメニューはカレーライスとカボチャのサラダ、ピーマンとベーコンの炒め物に芋の茎と味天とニンジンの煮物、デザートは手づくりのフルーツゼリーだった。


 子ども食堂のルールとして「1、くつをそろえる」「2、あいさつをしよう」「3、手を洗おう」「4、“いただきます”“ごちそうさま”をいおう」「5、自分で皿を下げよう」を決めている。ゲームは禁止だ。


 一番乗りだった3年生と6年生の兄妹は、手を洗って机に座るとバクバクとカレーをほおばって3杯おかわりした。その後も誘いあって来た子どもたちでたちまち部屋はいっぱいになり、みなカレーライスを2杯、3杯とおかわりしていく。小さいながら気持ちよいほどの食べっぷりだ。「ひじをつかないでね」「お茶碗持ってね」などスタッフの女性たちが優しく声をかけていた。子どもたちは「家で食べられないものをここでは食べられる」「みんなでご飯を食べると美味しい」といって楽しそうに食事をしていた。また芋の茎を食べたことがない子どもが多く、「これはインゲン豆ですか?」「初めて食べる」といいながら興味津津で口に運んでいた。


 子ども食堂に来ている子どもたちの家庭状況について、スタッフから聞くことはしない。だが「僕、朝ご飯を食べないから今日はカレーをたくさん食べる」という子どもがいたり、惣菜やカップラーメンを食べ慣れている子どもが、「ここのご飯は味がやわらかい」といって食事をする様子を見ていると、子どもたちの日常生活の一端が垣間見えるという。また「偏食」で白米しか食べなかった3歳の保育園児が、みなに励まされて少しずつおかずが食べられるようになったり、嫌いなものも残さず食べるようになって成長する姿は、スタッフの喜びでもあり、活力にもつながっているようだ。


 食事を終えても、子どもたちはそのまま残って本を読んだり、ボランティアで来ている大学生に教わって宿題をしたり、カードゲームをしたり、戯れたりと終了時間の8時まで「風の家」は大にぎわいとなった。


 1年生と3年生の息子2人を連れて訪れた母親は、知人に誘われてこの日初めて参加した。仕事を終えて子どもたちを児童クラブに迎えに行き、親子とも制服のままかけつけた。日ごろ残業があるときは帰りが八時を過ぎることもあり、帰ってまず子どもを風呂に入れて、それから買ってきた惣菜をおかずに夕食をとることも多いという。「母子家庭で近くに頼れる家族がいないため、こういう場があるととても助かる」と話していた。毎回親子で参加する母親は、子どもが楽しみにしており、知らない親同士が子ども食堂を通じて出会い、つながることが親にとってもプラスになっているという。


 田中氏は、「子ども食堂をやってみて、本当に困っている母子家庭が多く、毎日過ごすのがやっとのお母さんが多いことを知った。パッと見ではわからないけれど、親が仕事で精一杯で朝も夜もパンやコンビニ弁当となり、給食だけが栄養源になっている子どももいる。そういう子どもたちが自然にこの場所に来れるようになって、地域のおじさん、おばさん、お兄さんとかかわりを持つことが孤立化を防ぎ、地域が子どもを育てることにつながっていく。仕事に追われているお母さんたちも、ときどきここに来て家事を休んでいいと思う。いろんな人とふれあって、ストレス解消になったり、子育ての悩みが解決できたという声もある。1歳児から70歳まで幅広い年代がこの場に集まれば、いろんな力になる。まさにコミュニティの場だと思う」と語った。

 フードバンクの協力 皆の善意で参加費無料

 「子ども食堂」はどのような財政や人員形態で運営されているのか。各地のとりくみを羨望の眼差しで見ている人人も多く、下関市内でも「やってみたい」という声も聞かれるが、はじめの一歩がなかなか進まない状況もある。「生野きらきら子ども食道」が開かれる日は、午後1時から専属の料理隊の女性2人が田中氏の自宅の炊事場を使って調理をはじめ、毎回スタッフのも含め40食ほど準備している。4時ごろには食事が完成して、それらを「風の家」に運び、別のボランティアの女性や大学生、教授たちが、盛りつけや配膳などをしていく。「子ども食堂」の存在をテレビで知った70代の男性がボランティアを申し出て、今では毎回車の誘導をしたり、子どもの安全を見守る役としても活躍している。


 食材は、「フードバンク下関」(畑尾光子会長)から提供を受けたり、近所の農家などが善意で寄せた野菜やコメを使い、足りない食材は購入している。「フードバンク」は、賞味期限内の食品でまだ食べられるにもかかわらず、印字ミスや箱が壊れたり、規格外として販売できない食品が溢れているなかで、それらを企業や農家・個人が寄贈し、それを児童養護施設や障害者施設、老人介護施設などに無償で提供する活動にとりくんでいる団体だ。


 今年6月に開設した「フードバンク下関」には、市内の農業者から野菜の提供がある。少し変色したものや、規格外で市場に出荷できない安岡ネギや小ぶりの玉ねぎ、ジャガイモなど種類はさまざまだ。農業者たちは、これまで大量に廃棄せざるをえなかった野菜を、子どもたちやさまざまな人に役立てられることを喜び、今後もこの動きは広がっていくと見られている。


 開設当初に県から助成金で炊飯器などを購入した以外は、フードバンクや人人の善意によって財政を成り立たせている。食堂の参加費は無料とし、「募金箱」を玄関に設置して任意に委ねる形で財政を確保している。


 さらに下関市立大学の学生たちが農業研修も兼ねて豊田町の農作業に手伝いに行き、そのお礼としていただいてきた作物を子ども食堂に提供したりもしている。農家は人手不足で人材を求め、金銭ではないが食べ物を現物支給してくれる。それをきっかけに学生たちが子ども食堂の手伝いに行ったり、塾ではないが勉強を教えてあげたり、好循環になっている。こうした世代を超えた力が噛みあって、ほかにない「生野きらきら子ども食堂」ならではの魅力を生み出しているようだ。


 田中氏は、「親だけで子どもを見る時代ではなくなった。子どもを育てることは社会をつくることだ。決して親の自己責任ではないと思う。地域で子どもを育てる役割があると思う。昔と違って貧困といっても表面的には見えにくい。洋服もきちんと着て靴も履いている。だが貧困の問題は、単に金銭の問題だけでなく学力や健康、精神力、社会経験の少なさなど、最も多感な時期の子どもの成長過程に浸透し影響している。何かできることからと思って子ども食堂を始めたが、個個人の力では限界がある。このとりくみを広げていくには、行政の力も不可欠だ」と語っていた。


 現在、日本の子どもの6人に1人が貧困状態にあるとされ、国際的に見ても先進41カ国で8番目に子どもの貧困格差が大きいといわれている。下関では5人に1人が貧困状態にあり、現在、大学の教授らが下関市の子どもの貧困の実態の調査を進めているようだ。


 社会的にはかつてのように男の一馬力で一家を養っていけるものではなくなり、専業主婦以上に働く母親が増えている。そのなかで経済的な厳しさもあるが、家事や育児という決して労賃に反映されることのない主に女性たちの負担が増し、それに対して社会的な制度や機能がまだまだ追いついていないのが実情だ。女性が働いて社会で役割を果たす以上、社会化されなければ決して解決することなどない矛盾が個別家庭に委ねられ、これを自助努力だけで乗り切るには少少でない壁が立ちはだかっている。「保育園落ちた。日本死ね」が社会問題になるのも、その一端にほかならない。


 「子ども食堂」の広がりは、単純に胃袋を満たすだけにとどまらず、そうした社会にとって必要とされる機能をうみだし、人人のつながりや創意的な力によって解決しようという力が台頭していることを浮き彫りにしている。


 「善意で世の中変わらない」のではなく、「まず善意がなければ世の中など変わらない」こと、善意のかけらもない政治状況だからこそ下から支えあう力を強めることの大切さを教えている。

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