いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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<論壇> 下関市役所の指定管理業者意識の中尾友昭

 江島市政14年につづく下関市中尾市政の暴走がつづいている。規制緩和、市場原理、新自由主義改革と騒がれてきたこの間、下関の市行政は地方公共団体といっていた頃とはまったく違う考え方で運営されている。あらわれる諸問題は驚くことばかり多いが、いったい市行政をどう見なして運営しているのか、市民の側としてしっかり見極めることが必要となっている。
 中尾市政になって、市税の滞納に対する給料や年金、保険などの強引な差し押さえが問題になっているが、反省するどころか逆に、市税だけではなく国保料や市立病院の未払いなどあらゆる債務についていっそう差し押さえを強める方向で動いている。市民経済が疲弊することで市税収入が減っているのであるが、それは市長の責任とは見なさずに市民経済を振興させることはせず、また強引なとり立てで人人が下関を嫌い人口流出して市税収入を減らし、それが市役所も倒産に導くというバカげたことを経営者視点といって強行している。
 市税収入は減るが大型のハコモノ予算は削らない。江島市政が手がけた人工島は、高速道路に直結させる巨大道路新設とともに1000億円以上を投じて野ざらし状態である。その金を市民経済振興、市民福祉向上のために使っていたら様相はまったく違っていた。さらに人口が減っているのに、副都心開発といって川中区画整理事業で市街地拡張をはかり、その地区も行き詰まるが市街地全体も疲弊を促進する、まさにバカげた都市無計画事業をやった。
 中尾市政は副都心の次は市街地活性化だといって「駅前にぎわいプロジェクト」などといってJRにビルを建ててやり、商業施設にしようとしている。下関は大型店が足りないから寂れているのではなく、市民の消費購買力がなくなっているから寂れているのだ。にもかかわらずあるかぽーとの埋め立て地にも商業施設をという。市内は大型店の野放しの出店で、商店街はつぶれ、生産者は買いたたかれ、地域の祭りの寄付も減るようになり、そして大型店同士の競争でもうからなくなったらさっさと撤退して買い物難民ができる。
 そして市の発注は、安ければよいという基準で、市外業者に流し、赤字のダンピング受注をやらせて市内業者をつぶしていく。市内企業は若い人を雇って技術継承をすることもできなくし、いざ災害などの緊急時には対応できない。市勢の衰退策である。市内に金が回って市民の生活が回り、市税収入になって返ってくるというあたりまえのことをやらない。下関のため、市民のためにというものがまったくないのだ。
 また下関市立大学は独立行政法人化で民営化方式をとったが、一部の利権勢力が規制・監督を受けないで好き勝手に利権をやる道具となった。どういい大学にするのかはどうでもいいのだ。市立病院も来年独立行政法人化で、大学とは比較にならない規模の利権の道具にされかねない。市民の医療をどう良くするか関係ないのだ。保育所や幼稚園も一体化で整理し、小中学校の統廃合も効率論理が優先で、子どもたちをどう育てるかは二の次になる。老人休養ホーム満珠荘も民営化で福祉ではなくする。
 非常識きわまりないのが消防の移転である。東日本大震災が起きて防災対策の抜本的見直しがすすむなかで、それ以前に決めた計画をそのままごり押しし、冠水した埋め立て地にわざわざ移転新築する。市役所建て替えという大きな利権のためにじゃまだから追い出すというものである。市民の生命と安全のために消防があるとは考えないのだ。
 図書館は紀伊国屋に、野球場はミズノに、あらゆるものが指定管理者、民間委託で、市民の有用性に応えるという目的が否定されて、一部企業の金もうけの道具にされていく。
 中尾市長は、市民のためにとか、下関の発展のためにとかいう視点はまるでないのだ。公共の利益のために尽くす地方公共団体の公僕という意識がまるでない。市民の福祉をはかるという地方自治法の根幹になる考えと対極の考えを持って行政運営に当たっていることを恥じないし、自分のことを経営者視点を持った社長と呼んではばからない。
 この事態は、選挙で選ばれた下関市長たる中尾友昭が、赤字会社であるハートフーズの経営者たる中尾友昭を指定管理業者にし、市役所を丸ごと民間委託した姿に他ならない。民間委託された中尾友昭は一部のものの金もうけのために突っ走るという形である。だから大学をどういいものにするか、下関の教育をどうするか、医療や介護、福祉をどうするかとか、市民経済全体をどう守り発展させるかとか、地方公共団体の長としての社会的な責任もそのための見識もまるで必要がない。損得計算だけの単純思考があるだけでいいのだ。
 この損得勘定主義も、実際には汗水流して稼ぐというのはなく、今ある金を使い果たすという経営者破産の視点である。市内の経営者からは「あんなものは経営者の中に入らない」といわれるゆえんである。
 一方で中尾市政をチェックする立場の市議会の方は、先の選挙で一一人の議員が選挙カーの公費補助をめぐる不正請求をしており、税金泥棒に励んでいる姿が暴露された。議会は選管が総務省にうかがいを立てているというので、九月議会ではなにもとり上げなかった。選挙カーで一括契約すれば実費の2倍ほどを公費補助をする条例は、選管や総務省ではなくて下関市議会が決めたものである。自分たちが決めた条例の解釈を総務省に聞くなど恥ずかしいことだという意識すらない。議員ももうかるかもうからないかが基準の民間委託された業者意識になって、二元代表制の議会という意識がないのだ。
 下関市政と市議会の現状は、日本の地方自治体のなかでは先端を行っている。小泉がやった新自由主義改革の地方自治体におけるモデル事業的位置を占めている。それは80年代にアメリカに行って新自由主義の勉強をしてきた安倍晋三、林芳正代議士の強い影響と切り離すことはできない。アメリカでは経営者が閣僚になり、閣僚が経営者になって、国内の格差をひどいものにして税金の分けどりで肥え太っている。イラク戦争の戦費や住宅バブル崩壊の金融機関救済で国家財政は大破たんだが、ブッシュやチェイニーの軍需産業企業は戦費の分けどりでボロもうけした。強欲な連中が、国家の力を使って国民から搾りとり、自分たちだけが分けどりする、それをグローバル化するといって日本や世界に広げるというのが、この間のやり方になっている。
 全国先端は全国で一番最初に破たんするという意味でもある。70年代というもっとも早い時期からアメリカの新自由主義改革でさんざんひどい目にあってきた中南米では、それに対抗して国を立て直す政府が生まれている。アメリカ国内でも若者によるウォール街占拠のデモが繰り返されている。下関市民も、民間委託業者・中尾友昭の市長権限ふり回しによる下関の食いつぶし策を黙って見ているわけにはいかない。このデタラメ市政を変える力は市民の大衆的な運動である。

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