いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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アメリカ基準の新型人間 下関市  江島市長の人物像

 下関の江島市政は3期10年になる。市長をやってきた江島潔氏について、市民がふり返って、市長になる人物としての人人の想像をはるかにこえた新型の人類があらわれたのだという実感をかみしめている。選挙を手伝った下関の「海千山千」が、若い子だからと世話してやったつもりでいたら、さんざんにしめあげられ、キューキューいわされてしまった。恩義とか人情とか人の痛みに心を寄せるとか、そういうものは時代遅れであり、人をだまそうと、それはだました側はテクニックが上手だったわけで、だまされたものは自己責任だ、という調子の考え方こそアメリカ流の最先端なのだというわけである。江島市長のもとで、下関は経済的に疲弊し、政治は停滞したが、精神状況もおおいに荒廃した。この新しいタイプの人物像について、市民の論議を深めることは、下関の精神的活性化をはかるうえで必要である。
  
 本領を現した初当選時

 

 江島氏の本領をあらわしたのが、初当選のいきさつであった。91年の落選した初出馬のときは当時流行の日本新党であった。95年の初当選のときは、「沖合人工島を見直す」「国保料を県下最低にする」などと公約して市民党を標榜したり、新進党の推薦を得たりして、反自民の票を集めた。

 

 ところが市長選終盤になると、反自民の支持者にたいしては「事務所出入り禁止」にして、当選するなり自民党・安倍事務所と林事務所だけにあいさつに行った。記者会見では「若気のいたりでした」「人工島は国の事業だった」などと公約はほごにした。もともとが自民党清和会で故安倍晋太郎幹事長・奥田秘書の使い走りから出発した江島氏であったのだ。安倍派であることをかくして反自民票をかき集めたわけである。

 

 市民との約束とか信頼関係とか、政治信条とかは「ウソも方便」の舌先三寸の問題であり、票をいかに多くとるかが正義なのである。反自民の票と自民の票を両方からとれば当選するだろうが、そんなことは普通のものは考えない。これは日本社会の常識では詐欺ということになるが、江島氏が悪いことをしたという形跡はない。むしろ「ボクのテクニックの勝利」「だまされたものは自己責任」という調子であった。これは当時の自民党推薦の亀田氏を切り捨てて、反自民勢力に支えられた方をとりこんで恥じない安倍事務所の政治的な節操のなさに支えられたものであった。

   
 陰湿な業者の排除 経済制裁で抹殺

 

 初当選で協力して裏切られた人人が当然にも江島批判になって、1999年の選挙で対抗馬だった古賀敬章氏、亀田博氏の応援をすると、今度は建設業者からタオル納入の業者にいたるまで、おぞましい業者排除がはじまった。新水族館や新唐戸市場など大型公共事業でも、下請や孫請にいたるまで業者一覧の提出が求められて、市長部局でつくられた「戦犯リスト」をもとに、排除業者が赤ペンで書きかえられるという徹底ぶりだった。排除された中小業者のなかには、行きづまって自殺者まで出た。

 

 古賀氏が経営していた日東建設は、入札の指名回数が年間ゼロ回となり、四九回だった前年と比べて実質「指名停止」となった。日東建設は昨年七月に倒産に追いこまれた。江島、安倍氏に対抗する民主党の古賀氏は、経済制裁で抹殺された形となった。

 

 自分の初当選の協力者を、自分が裏切っておいて、「ボクに逆らった」と、入札排除でしめ殺す、この陰湿なやり口は、近年の残虐な少年犯罪と重ねて業者を青ざめさせるものとなった。恩義とか仁義とか、無縁の考えである。

 

 そして、3期目になると、小泉首相の地元の横須賀市につぐ電子入札導入である。下関市の公共事業では、1件の入札に七十数社が殺到するたたきあいとなり、平均落札率は70%台まで落ちこんだ。しわ寄せは建設労働者に回され、社保、失業保険、雇用保険もとられて、失業、半失業状態に追いこまれた。土木作業員でも1日働けば1万数千円は出ていたが、数年間で8000~5000円まで下がった。月収が12万~13万では妻子もまともに養えず、若い家族の離散が広がった。2期目の「選別された業者排除」から、「制限なき地元業者排除」になった。

 

 このような状態は建設労働者だけではなく、タクシーやトラック運転手、派遣社員をはじめ、市内全体の労働者の地位をいちじるしく低めている。中小の商工業者は倒産、家族離散があいついでいる。旧市内の自殺者は2002年が63人で、1994年には年間38人まで自殺者数はへっていたが、8年間で66%も増加した。生命保険を資金繰りにするためみずから命を絶つ経営者、「リストラ」合理化で解雇されたサラリーマン、借金苦からのがれるため死を選んだ商店主など、働きざかりの中高年が大きい割合を占める。

 

 指名競争入札は1900年ごろ明治政府がとり入れたもので、敗戦後の復興をへて100年間国の政策としてつづけられてきた。ところが日米構造協議で米国から、グローバル・スタンダードにそぐわないとやり玉に上げられた。安倍晋三氏の出身企業の神戸製鋼や三菱などの大企業、ゼネコンが仕事をぶんどり、現場は下請にさせてピンハネばかりする関係となった。規制緩和というが、実態は地元業者は無制限自由競争のダンピングだが、大企業は官制談合の自由というインチキにほかならなかった。

 

 江島市長にとってはアメリカの要求こそが正義であり、自分の利権と出世こそが正義であり、そのためには市民が食えなくなることが手柄という関係である。郷土愛などというのは時代遅れもはなはだしいわけである。

 

 下関の歴史をバカにするのも暴露された。東行庵の高杉史料の萩への持ち出し問題では、10万人もの署名を集めてそのふりをしたが、実際には加担する側に回った。小・中学校の教育予算は、県下でもっともみすぼらしく、トイレットペーパー代から用紙代まで、親から徴収、トイレが壊れたり、外壁が落ちかけたりはざらで、下関の子どもは粗末にあつかわれている。恥ずかしいのは下関市立大学で、国からの大学への交付税は利権事業にとりこんで、大学への市からの予算はなく、学生から徴収する学費だけで運営しているありさま。図書館はまことに貧相なまま。非文化、非教育は度外れたものである。

 

 海外旅行は人一倍熱心

 

 江島市長の突出した行動は、海外出張である。昨年問題になったら、今年度は意地になって八回もやった。2期目からこの6年間で、公費による海外出張は40回にのぼった。外務大臣も顔負けするほど熱心に海外視察に行くが、なにを勉強してきたのか、市民にも市議会でも説明したことはない。海外旅行でなにをしているか、市役所内では、「夜遊びはわれわれがついていけないほど」と語られている。

 

 海外旅行と国内出張をあわせると、年間で3日に1日は役所を空けているから、決済書類も市長室にたまり公務が滞る。職員のやる気をなくし、沈滞をつくり出している。

 

 「12月末から予算査定がはじまるが、職員がレクチャーをしているときに、ほとんど寝ていて聞いていない。それならばと説明をやめて席を立った職員がいたが、人事で左遷されてしまった」「自分の興味関心が第一で市民のためとか市の発展を考えることがない」と語られている。利用できる人、金づるになる人などをかぎわける力は、天性に近いものを持っているとも評価されている。

 市民をあ然とさせた離婚訴訟問題

 

 市民とくに女性の大話題となっているのが江島潔氏の離婚訴訟問題である。江島氏は昨年5月末に山口家庭裁判所下関支部に提出した訴状で、「99年夏ごろから別居しており、ふたたび婚姻生活を送る意志は毛頭ない」とし、大学生から中学生までの子ども4人の親権は、1人当り月額10万円で妻がひきとることを要求した。離婚原因として、妻が香辛料を使った料理をつくらないこと、休日のアウトドアやスポーツに同調しない、政治家になることをこころよく思っていない、など相違点をあげていた。

 

 言い分はそうだが、下関の若い者は結婚できず妻子も養えないなかで、江島市長の方は「一夫多妻制」をやって矛盾をきたしたのだ、というのが世論の評価である。驚いた世論に慌てて、第1回口頭弁論から約1カ月半で、妻の反論を待たずに訴訟はとり下げた。さらに市民をあ然とさせたのは、「離婚訴訟などしていません」「ウソをいわれて困っています」と、堂堂といって回れる神経であった。

 

 さらにいまの選挙で夫人を連れて回っているが、養育費も出さずにしめあげて、票とりの「出来高払い」の契約をして連れ回しているのだろうとの評価が人人を納得させている。
   

 アメリカが古里の経歴 安倍・林氏と共通

 

 以上のように、人人の想像をこえたタイプの人物であった。どうしてそういう人物があらわれたのか。ある年寄りは「生い立ちにあるんです」と語る。

 

 生まれ育ちも下関とは無縁だが、江島家は下関の大きな地主で、曾祖父は陸軍司令部の司令長、父親の淳氏は江田島の兵学校出身の軍人エリートコースで戦後は国鉄官僚から参議院議員になった。

 

 江島潔氏の小・中学生の時代は、父親が国鉄の領事として赴任したサンフランシスコだった。「日本の大学卒業後にアメリカに留学するといった遅れたやつとは違って、アメリカの小・中学校に行って、後進国の東大を出たのだ」「われこそはアメリカ市民なのだ」といった調子である。

 

 大地主の金持ち一家で、国鉄官僚から代議士の息子で、アメリカが古里という経歴がその人物をつくったわけである。アメリカに心を置いて、下関を植民地にするためにきたというのがあたっていると思われる。

 

 下関支配者としてだれもが認めるのは、安倍晋三氏と林芳正氏である。かれらが江島市長の登場と前後して代議士になった。林氏は東大を出たあとハーバード大に留学し、安倍氏もアメリカのよく知られていない大学に行った。ちょうど、レーガンと中曽根の80年代で、「新自由主義、規制緩和、市場原理、自由競争」といって、はなばなしく叫びはじめていたときであった。

 

 江島市長の10年は、これら安倍、林の「代議士の息子3人組」の連携で成り立ってきた。「3代目で店はつぶれる」ということわざがあるが、下関いわんや日本をつぶしてもらっては、たまったものではない。  

 

 下関は政治家のものではなくて市民のものである。市民がいなければ、代議士も市長もおらず、いかなる大小のピンハネ連中もピンハネのしようがない。「市民が食えるようにするのが市長の務めである」「市民に耳を貸す意志のないものが市長をすることはできない」というのは、民主主義国家の常識である。

 

 働くものが下関を支える主人公であり、働くものが食えないのは異常である。そして働く市民は、人をだましたり、詐欺で市長のイスをかすめとったり、人の痛みにたいして冷酷で、自分の遊びや金もうけだけに熱心というようなことはべっ視している。江島氏の側は時代の先端などではなくて、とんでもない時代遅れであることが証明されざるをえない。

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