いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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安倍支配の全国モデル議会  議会不要の一元代表制 下関市議会 

 安倍首相のお膝下の下関市議会で、採決の際に棄権していた市民派議員を懲罰対象にするという議会ルールを無視したヤクザ的な恫喝が加えられていることが、市民のなかできわめて大きな怒りを持って受け止められている。それは議会が執行部に対するチェック機能を果たさずにオール与党と化してまったく民意を反映しないし、議会不要のあらわれだという、長年積み重なった実感を伴って強い怒りとなっている。またそれは安倍首相の下で、国政も各政党がみな第2、第3、第4の自民党となって翼賛政治の民主主義破壊が進行しているのとあわせて、長期の安倍派支配でできあがった下関がその先行事例、モデルとなっており、ことは下関だけではなくて全国問題だと受け止められている。本紙では、下関市議会の実態について記者座談会を持って描いてみた。
 
 民主主義破壊に市民の怒り

  まず反響の特徴を出してみたい。
  この問題を知った市民は呆れると同時に怒りがひじょうに強いのが特徴だ。それは議会が民意をまったく代表していないという実感を基礎にして、「執行部をチェックさせない問題だ」「オール与党だ」という批判だ。採決で棄権はないという関谷議長はなにをバカをいっているのかという反応だ。そして「市議会では市民感覚を貫く議員はつぶしてしまえ」という議会ルールもなにもないヤクザのような脅しだといっている。そして「議員の資質などといっているが、連中こそ議会はいらないという行動をしている」といっている。
 ある会社では「議会が議会でないというのははじめからわかっているが、あまりにひどい。民主主義が下関にはないのだ」と経営者が語って、「本池さんは大変だろうが頑張るように伝えてくれ」と強調していた。安倍支配でガチガチに固められた政治構造があるし、そのもとで自分たちもひどい目にあってきたことなど歴史的な思いがある。前面に立ってたたかう勢力が市民の会しかいないから、「絶対に負けるなよ」と声をかけてくる。
  市役所では幹部職員もふくめ、また若い職員も「採決に棄権があるのは常識」であり、また「あれだけの議案を直前に出されて、判断がつかないのはまともな姿勢だ。オール与党に虐められることの方が多いが、一人でもあのような議員が必要だ」と話されていた。そして「本池さんが唯一の野党だから自分たちと違うというので攻撃するのだ」と語られている。立場はいろいろ違っても、本池さん一人があの議場のなかで市民感覚を貫いていることへの共感がある。市の職員として仕事をしていても「いけないのでは…」と思うことなどの経験の蓄積と重なる。
  被爆者の会の花見でも話題になった。「わたしたち市民が主人公なのにそれを攻撃するものだ」「どのように描こうが、多数派与党の方がおかしい」と口口に語られていた。市民を代表して議会活動していることや、自分たちの代表なんだという思いが強い。
  駅前ではタクシー運転手たちが熱心に紙面を読んでいた。「市民の会を強くして、次の選挙で2人、3人と出してほしい。ワシらも支えるし、市民の会に参加する市民を増やそう」といって申込書を持ってくるよういわれた。彦島の企業関係者の男性は「もっと名指しで議員について暴露するべきだ。あんな議会ぶっつぶすくらいやらないといけない」とすごい怒りだった。「国政も含めてダメになっているなかで、世の中を変えていく方向を貫いてほしい、自分たちも協力するぞ」という思いだった。
  本池個人の問題とはだれも受け止めていない。市民自身の問題として考えている。民意が通らないようになっている。それが今回の一件を通じて、それほど度外れたオール与党になっているのかと実感されている。執行部に対するチェック機能とか二元代表制どころか、みなグルになって執行部と一体化している。それが日頃溜まっている民意が届かないという思いともつながって怒りになっている。市民はみんな痛い目にあっている。看板条例ではないが、税金のとり立てや差押えにしても箱物行政がとり立てていく。業者関係でも迫害をうけて、少し抵抗したら入札排除されて倒産の淵に追い込まれる。市民のなかでは暗黒政治の実感がある。その怒りが重なって、本池さん頑張ってくれの期待になっている。

 本池市議への共感拡大 恫喝する議会を嫌悪 

  本池さんが市議になってからさまざまな恫喝があった。今回も議会機能を放棄して「ワシらは執行部と一体なんだ」という表現をしている。そして本池つぶしで議会全体が色めき立っている。パワハラ部長と呼ばれる幹部職員が、本会議における本池議員の一般質問に対して「ご自分で算数でもなさってください」と議員をバカにして答弁拒否する出来事があった。「下関にはすごい職員がいる」と俄然有名になったが、それ以前から中尾市長がいっさい質問に答えずオール答弁拒否していた。ところが、答弁拒否という執行部の議会冒涜に対して、関谷議長も何の注意もしないし、議場全体が喜んでいた。議会がバカにされているのにそれを笑って見ている。あの姿がすべてをあらわしている。
 B 本池脅しは当初は「ルールを守れ」が口癖だった。ルールを知らない新米扱いだった。予算議会の個人質問は10分制限なのだが、一問一答ではなく質問趣旨も含めて話をして問うたやり方がおかしいとか、些末なことだった。しかし議会ルールを守らないのはオマエらじゃないか、となった。
  総務委員会で戸澤(安倍派)が委員長をしていた時期、本池さんがどんなに手を挙げていても当てず、発言する機会を奪っていた。海沿いの埋立地に消防庁舎を建設する問題について質問すると、「執行部が大丈夫といっているのだから良いではないか」と質問を遮ったことがあった。執行部擁護の側にいるし、チェック機能とか二元代表制など意識のなかにない。これが「立派な議員の資質」というわけだ。
  戸澤は旧豊浦町の議長だった。郡部ではとくに豊田町、菊川町など合併して町を代表する議員が一人になってしまった。その地域の実情が議会や行政に届かなくなったと問題になっている。豊田町では木本(安倍派)が唯一の議員だが、農業関係にはまったく姿を見せなくなり本人は最大会派に入って満足している。選挙カーの公費助成の不正請求など、下関であんなことばかり覚えて帰ってくると住民は話題にしている。地域の声が議会に届かないし、下関市議会に出ていってなにをしているのかという怒りがある。町民の思いすらわからない男が「懲罰する」と息巻いているのを知って、余計に怒っていた。菊川町の松田(安倍派)についても「アイツ、何してるんだ」と町民は非難ごうごうだ。議会でも発言したためしがない。なんのために議員になっているのかわからないといわれる。
  彦島の小熊坂(安倍派)の支援者は、後援会が引導を渡したくらい議会に入ったらなにもせず、周囲を選挙に利用しただけだったと話していた。彦島の男性が「本池さんは頑張っているな」といいながら様子を教えてくれた。利権をめぐって、同じ彦島選出の田辺と“彦島戦争”をしているのも大話題になっている。支持者に押されて議員になったのに、一つも民意を議会に届ける議員がいないと。
 
 市民欺く議員の姿 役割分担し執行部の意図実現する手先

  議員がしてきたことを整理してみると、結局、市がなにかをやろうとするとき、住民をごまかし押さえつけて執行部の方向を推進する役割をしている。満珠荘存続を求めた運動では、「日共」江原や松村正剛という「市民派」を標榜する連中がそうだった。やったことといえば、10万人もの署名を集めた存続させる会を分裂させた上に、自分たちの食堂利権をあさったことだった。民主党の加藤県議も登場して、「議会では多数派がとれないのだからムリなのだ」「あきらめろ」といったりしていた。「日共」議員などは「反対派が少数だから仕方がない。だから我が党に票を」といってあきらめさせる専門家だ。「市民派」「野党」という格好をした連中も、役割分担して、執行部の意図を実現する手先になっている。
  角島保育園の存続を求めて漁師や父母らが運動した時にも、植田正(安倍派・故人)と鵜原明人が父母たちの味方のような顔をして請願の紹介議員になったが、「存続を求めます」の文面を「合意を得た上で統廃合を進めるようお願いします」と林真一郎(林派)が書き換えて主張を180度ねじ曲げた。代表の母親を議会棟に呼びつけて、「提出時間に間に合わない」「この文面でないと会派が賛成に回らない」等等と急がして判子を押させた。保守系会派が談合した上で対応する議員を動かし、まるで違う請願内容に書き換えた出来事だった。そのあと、「真ちゃん(林真一郎)はやりすぎだよ」といって笑っていた。
 C あるかぽーと開発でも住民の反対運動を沈静化させるために市議らが動いていた。署名活動などを極端に嫌がる。市民が行動するのを嫌う。自分たちの交渉でねじ曲げて、執行部に貢献するのが特徴だ。それで「先生ありがとうございました」といわれて見返りを求める関係だ。保守系は自分の利権とかかわって動く。市民派的な顔をした連中はキレイに市民を丸め込むことで執行部に恩を売る。この役割分担もできている。「○○の件は○○市議の担当だよ」という話され方をする。
  議会ボスになると利権体質が露骨だ。下関市議会の最大ボスは関谷議長ではなくて、それより頭の回転がいいといわれる公明党安倍派の長秀龍だ。江島前市長が任期最終年に本格予算を出したときも、そのやり替え作業を副市長と財政部長、長秀龍の3人でやったことが物議を醸していたが、安倍代理市政の支柱になっている。他の議員もクチバシが挟めない。
 かれは完璧な「二足のわらじ」だ。市立大学利権の当事者で警察に呼ばれるほどなのに、一方では監査委員をやり、議員として市立大学をチェックすべき総務委員会に所属している。総務委員会ではボスのような存在で、市立大学問題を本池市議が少しでも追及すれば言葉尻をとらえてワーワーいって恫喝する。トイレ問題で工事費を大学から出させて踏み倒したシモケン・シモカネの元社員で、当事者が総務委員会のチェック機能を果たさせないようにする。取り締まられる人間が取締りをやる。昔でいうヤクザ家業と岡っ引きを兼ね備えているし、今風にいうと原子力ムラ・規制委員会みたいなものだ。
  また監査委員もやっている。前例のない2期連続だ。「ゆすり・たかりの名人なのだ」と人がいっているが、監査委員をして自分が監査されるべき問題はパスして、人の監査をやって恫喝の材料にするといわれている。「日共」近藤も監査委員をやりたがる。シモケン・シモカネが市立大学でも大暴れだったが、同社が海響館前の立体駐車場を売り飛ばしたのも無関係だったとはだれも見ていない。
  市立大学では父母後援会の顧問をしている。後援会は毎年入学する1年生500人から5万円を徴収するのだが、その2500〇万円の使い道として、元事務局長(自宅に長秀龍の選挙ポスターを貼っていた)がフルートを習っている楽器店から700万円で楽器を購入したり、釘が出てくるグラウンド整備を元事務局長の同級生の会社に依頼する際、後援会費からも400万円近く拠出していた。当時の後援会長は江島体制の市役所秘書課長。それで江島市長所有のアパートを大学が借り上げたりもしている。怒った教授たちが立ち上がって大学再建をしてきたが、引き続き後援会顧問に残って睨みをきかせている。
  議会を牛耳る実質的な議長だ。委員会では挙手もせずにしゃべりはじめる。それを委員長も注意しない。今回も本池議員が棄権をするので時間がかかって嫌だという表現だが、長議員が主張してきたことだ。総務委員会でも「議事進行」が口ぐせで、委員長はそれに従う。公明党長議員が安倍派の最大ボスとされている。その以前の議会ボスは60年代の山電の組合分裂で出世した連合の小浜議長だったが、安倍派議員というのが低レベルで人材がいないということでもある。

 民意代表するかが基準 議員資質も浮彫りに 

  議員の資質というが、これを洗いざらい明るみに出してみたらよい。議員になったらすぐに威張り出して、頭がおかしくなったのが多いというのも定説だ。特権に浸って自分のために欲ばかり追求するから、女性問題の不適切関係から利権に至るまでひどいことになる。「豊前田(飲屋街)の種馬」といわれる議員など話題に事欠かない。
 D 2年前の市議選から、安倍代議士が肝いりで育てているのが若手会派の「Team政策」だが、意見の違う相手と対話ができないし、使い物にならないと安倍派の長老たちも頭を悩ませている存在だ。天皇が来関したときには、この4人組が市役所屋上から手を振っていて、皇宮警察かなにかが慌ててとんできて「下関の議員はろくなのがいない」と捨て台詞を吐いて出ていったことがあった。
  口で「天皇万歳」というが、行動は天皇を見下している。天皇も自分の出世のための道具くらいに思っており、本音ではバカにしているから、あのような行動になる。安倍に認められればなんでもできるという下関の安倍政治を象徴している。教育改革を叫ぶ「安倍先生」だが、自分のところの派内の教育ができていない。いわんや秘書連中も政治資金でキャバクラやいかがわしいパブに行き、しかもその領収書を収支報告書に添付するようなことをやっていた。
  「議案についてわからないとはなんだ」というが、議案が出たときにはすべてが決まっている。執行部と会派が決めている。箱物にしても街作りのデザインにしてもコンサルタント会社が青写真を描いて案を作る。江島市政で暴れ回ったパシフィックコンサルタンツ社が代表的だ。国の補助金の状況など熟知しながら、市長と接触したり行政を動かしていく。それを実現するために議員たちがうごめく。議案になったときにはほぼ業者まで決まっている。会派の中心部分は利権にめざといから、よく知っている。無所属の議員が真っ白な状態で開会1週間前に議案が配られ、わかるわけがないし、わからないように出している。事前に議員に説明するというのもなく、議案説明も猛スピードでやっておしまいだ。
  会派の議員たちも自分の関係することしかわかっていない。執行部はチェックされるのが嫌だから、わからないように出す。山口銀行の手数料条例がそうだった。田中金属の土地問題でもみんなが起立賛成していたが、本池市議が詳しく歴史的経過も踏まえて反対討論すると、議場から退場する際に保守系会派の議員同士が「あんなことがあったんだね」と驚いたように会話していた。わからないまま質問もせずに賛成している。会派の決まり通りにめくら判を押している。
  委員会でも本会議でも発言しない者ばかりだ。わかっていない証拠だ。既に決まっているから従うだけ。委員会や本会議において4年間まともに口を開いたことがないような議員がたくさんいる。副議長の林透(安倍派)がチャンピオンだ。それで賛成するが、賛成討論をする者もいない。自分たちがこのような理由で賛成するという説明もできず、黙黙と賛成していく。
  議会改革でも会派代表者会議で決めていく仕組みになっている。裏で決まって議会に出てくる。会派以外は認めないというものだ。県議会などよそは1人会派を認めている。3人いないと会派がつくれないとはなっていない。下関の議会規則や条例にもかなり問題点は多い。議会ルールでも請願は所管の委員会の者は紹介議員になれないとか、本会議では所管の委員会の内容に触れてはならないとかさまざまあった。市民の委員会傍聴を認めないというのも、近年になってようやく緩和された。反対意見を出すためには3人以上の議員の賛同が必要という項目についても、地方自治や地方議会の制度に詳しい大学教授に聞くと問題視していた。「1人会派の否定だ」と。議員のなかで格差や差別がある。
  議長、副議長選挙になるととくにエキサイトする。彼らには執行部から真っ先に事業の説明や方向性についての話が届く。それがなければ「議会を侮辱している」「揉ませるぞ」といってゴネル。だから執行部も事前に耳に届ける。議会が判子を押さなければ話が進まないからだ。その情報をもとに議員どもが利権あさりに走る。議会は合法的な形をとるための飾りで、利権をバラマキながら議案を可決させ「市民代表である間接議会が了解した。議会の責任ですし、ひいては議員を選んだ市民の責任だ」という仕掛けだ。
  二元代表制を否定し、執行部と合体した議会否定の構図を認めた者が「資質の良い議員」となる。それに忠実なのが「日共」集団だ。だから保守系会派や議会主流派にとっては仲間で、本池対応とはまるで違う。議員の資質を問うなら、市民を代表して議会でチェック機能を果たしているかが最大の基準だ。民意を代表するかどうかが議員の最大の資質だ。みんなそう思って選挙をしている。
 
 議会ではない状態 各政党政派がみな安倍派 国政も下関型に

  議員の質問に対して答弁拒否したり、算数しなさいといったり、棄権は懲罰だと主張したり通常の議会ルールにないことをやればやるほど、議会が議会でない状態をさらしている。これが長期の安倍派支配のオール与党体制、会派政治体制で出来上がっている。公明党は安倍派、連合も安倍派で民主党は市議会にはいない。「日共」集団も安倍派おべんちゃらで、各政党政派がみな安倍派になっている。国政で自公連合とか、民主党が第二自民党というのは下関から見たら時代遅れもいいところだ。
 このなかで、市民感覚でやられるのが嫌でたまらない。本池市議が一人いるのといないのとでは雰囲気からしてガラッと変わってしまう。市民派議員を認めたら、それに合わせてみなが調子を変えないといけない。いなくなれば自由に羽根を伸ばせる。だからなんとしてもつぶしたいという思いが働いている。だから一人だけでも市民派議員を送り込んだ意義は大きい。
 本池市議が加わってからの二年間で、これだけ議会の素性がわかった。隠蔽されていたのが表に出てきた。それでひどくなって恫喝するが、勇み足ばかりだから逆にボロが出てくる。
  下関の民主主義問題でいえば、こんな議会の現状だが、選挙からして構造がつくられている。安倍派が認める者しか立候補できない。市議選も旧郡部では安倍事務所の采配によって各町が一人に絞られた。対抗馬が出ないのだから確実に当選する。それで地元に根がなくても、住民の支持がなくても議員になれる。
  長秀龍も創価学会の組織票依存だから市民の支持を得なくても当選できる。市民感覚がなくても議員になれる。連合関係でも組合の組織票でいくから、ひどく住民に頭を下げなくても当選できる。こうして市民感覚のない議員を作っていく。これが安倍支配の選挙になっている。
  安倍型選挙は市民にいくら嫌われても選挙構図を操作して当選するようにする。選挙になったら、公然とした安倍派票と創価学会票、連合票などの組織票で、対抗馬はいない関係をつくって当選する。今度の市長選を見ても、前回から10ポイントも投票率が下がって24%しか支持がない中尾が当選する仕組みになっている。市民に選ばれるのではなく、安倍派が選ぶのだ。
  市長選は昔から陰謀じみている。中尾が市民派のような顔をして市民票をかき集めながら、林派、安倍派の支持を得て当選してあらゆる公約をひっくり返したが、嘘をいうのがへっちゃらで、民主主義のルールなど屁のカッパだ。これが江島の選挙でもそうだった。初期の選挙では日本新党で出馬し、反自民勢力の代表みたいな顔をして票を集め、その実、安倍事務所が背後で丸抱えして、反自民票と自民票をあわせて当選するという芸当をやった。金融工学的な選挙算術だった。人工島をやらないといって当選したが、直後に「若気の至りでした」とひっくり返した。もともと東京の清和会に出入りして安倍事務所・奥田秘書のカバン持ちをしていた経歴の持ち主だった。安倍事務所が市民をだまして市長に配置した。謀略選挙で市民を愚弄する。市民不在で当選できるシカケで、民意が通らないわけだ。
  国政も下関型になってきた。民主党は第二自民党になって敗北したが、それはけしからん!といって出てきた維新の会も安倍を党首にしようとする極右翼の政党だ。すべて米国隷属派で、第一自民党、第二自民党、第三、第四かという違いでしかない。みんなの党も元元が自民党だ。そして社民や「日共」が片隅で利権をあさっている。

 市民の運動が変える力 全国先端切開く位置 

 D こういう政治構造のなかでどうするかだ。下関は市民の運動が強く、市民派議員も出しているが、それも全国先端を切り開く位置にある。今回の一件について、役所関係では意見は違っても民主主義問題では譲れないという反応が強い。住民の声が届くような市政でなければならないという広い枠での共感がある。地方自治体の公共団体的な機能が破壊されて、職員も上からは市民生活切り捨てを迫られ、市民のところへ行くと嫌われ、もう少し市民のためになるような仕事、公益のために喜ばれる仕事をしたいという思いがある。それに対して、議会や市政の利権も含めた構図との矛盾がある。
  市職員のなかでは自治体労働運動の本当のあり方というのが問題意識に上るところへ来ているということだ。中尾市政を支えているのは旧泉田(市長)派だが、彼が当選するときは市職労、市現業、水道労組の三者共闘、地区労をとり込んで当選した。かれら労組幹部が与党になっていった過程だ。つまり、市民を犠牲にしても自分たちの利益のために与党になるという方向に進んで、今では公然とした安倍派になっている。市職の労働運動は、地方自治を守るため、公共性を守るため、市民の利益のために、そのために当局とたたかうというものだ。そのために職員の待遇もまともなものにしなければいけないという関係だ。嘱託や有期雇用など非正規ばかり増やすのではなくて、もっと安定した仕事ができるように保障しろ、とか山ほどある。
 同じ仕事をしているのに不安定雇用で3年たてば切られるような身分の職員が増えている。知悉した職員が必要だ。そういう力が強くならないと働く意欲も出てこないし、心の病とか減らない。
 C 大学でも重なる。長秀龍が「行政のいいなりにならないのはけしからん」というが、あれこそ非常識だ。大学は行政のいいなりになったら御用学者ということになる。権力に迎合した大学など大学ではない。それこそ原子力ムラのインチキ学者だ。大学の自治、学問の自由がいるし、それでなければ学問にならない。それが戦後の民主主義の常識だ。こんな非常識がまかりとおる。市立大では先生たちが頑張って学長をかえたが、大学が権力の道具、利権の道具になることへの強い反発だったし真実を守る知識人としての使命で役割を果たす意義は大きい。
 D 民意の届かない安倍派支配の市政に対する市民各層の怒りは大きい。議会のなかからはこれは変わらず、変える力は市民の世論と運動だ。市民の各地域各層の運動を形にしていくことが力になる。それぞれのところで、議員たちを締め上げる力を強めることが必要だ。
  下関といえば安倍支配。そこでこれほど非常識な議会否定がやられ、関谷議長が全国市議会議長会の会長になり、日本中の議会を下関みたいにしようとしているとしか考えられない。
 C 経済的な疲弊が下関はひどい。総理が出た街が一番寂れる。「一将功なりて万骨枯れる」の見本だ。不動産バブルと大型公共事業でつぶれた下関だが、アベノミクスの結末を示している。この大収奪策が民主主義破壊とつながっている。
  安倍支配の先行した下関が国政の全国モデルになっている。超金融緩和や大規模公共事業、TPPによる大収奪計画と、民主主義破壊がセットで進行している。国会もチェック機能がなくなった下関市議会の後を追っている。政党はみな与党になって野党との違いがない。オール与党だ。だから全国的に選びようのない選挙が続いている。
 しかしこのままでは済まない。もっとも安倍政治を経験してきたのは下関市民だ。下関の市民運動をどう強めて市政を変えていく力にするか、これは下関だけの問題ではなく全国的な大きな響きをもっている。

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