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唐戸市場で評判の“肥塚の鯛” 魚食文化支える生産者の努力

品質向上させた長年の研鑽

 下関市の唐戸市場に出入りする仲買や業界人の間で近年、“肥塚のタイ”とよばれるタイの存在が話題となり、一種のブランドとして重宝されている。誰もがその名前を知っており、「ほかのタイと比べても身がきれい」「身がしっとりしている」「捌けば違いがわかる」と評判になっている。市場でも相応の値がつき、ゴチ網でとるタイでありながらほかの網で獲れたタイの約二倍の値で取引され、一本釣りのタイと遜色ない値段で仲買が買っている。生産者にとって魚価の低迷は深刻な悩みで、少しでも高く売りたいと誰もが願ってきた。このなかで、鮮度をいかに保つか、いかに美味しい状態のまま魚を消費者へ届けるか、創意工夫を凝らしたとりくみがはじまっている。“肥塚のタイ”の謎に迫ってみた。

 漁法から魚体処理まで徹底

  唐戸市場の仲買のあいだでは、その品質に絶対的な信頼が集まっている。そして、「魚を獲ってから市場に出荷するまでの期間の扱い方が違うようだ」「魚の締め方が非常に良い」といわれている。では、具体的に“肥塚のタイ”は他と何が違うのか、締め方や市場に出荷するまでの扱いはどうなっているのか? 獲れる海域が特別なのか? 等等、さまざまな疑問を持って取材を進めていった。
 “肥塚のタイ”は地名を指しているのではなく、そのタイを出荷している彦島の漁業生産者・肥塚氏の名前からついたものだった。話を聞くと、このタイは毎年5月から10月末までのあいだにおこなう「ゴチ網」で獲れるのだという。まず第一に工夫しているのが漁の方法だった。網の目を大きくすることで、獲れても捨てるような魚はあらかじめ編み目から逃がす。そのことで、網のなかで暴れる魚を減らすことができる。さらに網を巻き上げるさいには、網を船側に巻くのではなく、ロープを巻きながら船で網へと寄っていき、最終的に生け簀のような状態にして、タモを使って数匹ずつ船へとすくい上げる。魚同士が暴れて鱗が剥がれたり、傷が付かないように回収するためだ。網を使った漁ではあるが、丁寧に扱うことで身崩れや興奮状態を避け、「釣りモノと同じくらいきれいな状態で市場へ出す」ことができるのだという。
 船にあげた魚はすぐに海水をためた水槽へと移す。ここにも、魚に与えるストレスを減らすために「エア(空気)抜き」という工夫を施していた。魚は体内の浮き袋を使って浮いたり沈んだりする。深海から急激に海面へと釣り上げると、水圧の変化に耐えきれずに浮き袋が口から飛び出して死んだり、負担も大きいものになる。水揚げしたタイは人の手で浮き袋の空気を一尾ずつ専用の道具を使って抜き、水槽の下層、中層、上層など、魚が泳ぐ範囲を浮き袋のなかの空気を調整することで限定させる。ただ水槽に放り投げるだけでは魚たちが同じ水位を泳いでしまい、傷がついたりストレスがかかるリスクが高まるからだ。水槽内のスペースを使い分けることで、魚を傷つけず、生かしたまま港まで持ち帰る。
 漁から帰って深夜の競りが始まるまでのあいだ、捕った魚は生かしておく。水温が冷たい時期は港内のいけすに生かしておくが、夏場は水温が高いと魚が弱るため、了解を得て市場の水槽に入れ、冷却装置の電源を入れてもらって競りまで生かしている。夜11時頃、競りに出すタイを締める。このとき、魚に傷をつけたり鱗を剥がさないために魚の下には毛布や絨毯を敷いておこなう。

 鮮度保つ締め方の工夫 経験に磨かれた技術 

 では、どんな締め方をしているのか。まず初めにエラ蓋の端と目との中点辺りに刃を入れて魚を瞬時に殺す。次にエラを手で開いてエラのすぐ下にある心臓付近に刃を入れる。さらに尾の近くの背骨の間接に手鉤(かぎ)の先を入れて間接を外すように裂く。血抜きが不十分では身に血が回り、身の色合いが悪くなったり、食べたときに生臭くなってしまうという。血抜きの処理を終えると、次に「神経締め」。鼻の上部の骨に穴を開け、その穴から背骨の中に針金を通して何度か出し入れするように動かし、脊髄内部の髄液(神経)を破壊し、とり除く。神経締めをすることで、魚を締めた直後のまだ柔らかい状態(ビタ)を保つことができ、死後硬直するまでの時間を延ばすことができる。これが終わると氷水につけて魚を冷やすとともに血抜きを十分におこなう。その後、容器に入れて市場の競り場へと並べる。「肥塚のタイ」が並ぶ場所は競り場の一番端。良い品として鮮度を保ったまま素早く輸送するため、最初に競られる魚の場所だ。
 肥塚氏は、「ただ獲って市場へ置いて帰るなら誰でもできる。市場に出る魚は自分の顔になる。いかに一尾一尾に手をかけて付加価値をつけるかで競り値は上げられる。だが、神経締めや新しいとりくみを始めたからといって、その瞬間から値が上がるわけではない。市場へ出し、仲買が仕入れ、売り先の客からの評判が仲買へと返ってきてまた買ってもらう。その間に、自分が出した魚の評価を仲買から聞ける関係も築いて、何回も試行錯誤をくり返してきた。その結果が値にあらわれ始めるまでには3年はかかった。ノウハウは他人から聞いてやるだけで体得できるような代物ではなく、粘り強く継続するなかで感覚を磨くしかない。仲買が自信を持って売りたくなる魚を出せば値は上がる」と語っていた。
 漁師たちはさまざまな方法で獲った魚の鮮度を保つ工夫をしている。この時期は北浦沿岸の海域でサワラ釣りが盛んだ。サワラの場合、釣ってすぐに脳付近を手鉤などで突いて殺し、水槽の氷水に浸けて冷却と血抜きを一緒におこなうのはみながおこなっている処置だ。サワラは弱りやすく、生かして市場に出すことはできない。それに加えて暴れて身が傷むと、魚の背丈に対して垂直方向に向かって身に亀裂が入る「身割れ」という症状があらわれる。こうなると使い物にならないため、神経締めなど余計な処置は控え、手にかける時間を減らすために、最小限の処置にとどめるのが鉄則だという。ある浜でサワラ釣りをおこなう漁師は、午前中に釣れた魚は一度浜へ持ち帰り、氷を敷いた冷蔵庫のなかへ並べて再び漁に出る。浜と漁場を往復する際の油代を考慮しても、十分冷却して鮮度を保った物を出荷した方がより利益に繋がるという。帰っている間にサワラの群れを逃すこともあるが、それよりも獲れた物の品質を確実に保つことを最優先にしていた。
 “肥塚のタイ”にしても、「いかにうまく生かし、いかにうまく殺す(締める)か」が重要なポイントのようだ。

 「ビタ」状態維持が理想 美味さの科学的根拠 

 品質、鮮度を確保された魚は市場で評価され、高値が付きやすくなる。漁師たちの処置は人それぞれ手法が異なり、みなみずからの経験や代代受け継いできた浜のやり方を駆使している。ただ、千差万別なために差も生じている。処置如何によってどのように品質が確保できるのか、科学的にはどのような根拠があるのか、魚体処理方法と高鮮度が保たれるしくみを水産大学の教員に聞いてみた。
 都心部や関西の大消費地から離れた西日本では、九州地方を中心に歴史的に魚一尾一尾を丁寧に扱うことで付加価値を付け、「ブランド化」して消費地へ送る技術やシステムが発達してきた。
 魚は獲った直後がもっとも歯ごたえがあり、時間の経過とともに歯ごたえは落ちていく。一方、歯ごたえと反比例して魚の「うまみ」はある一定の時間までは増加し続け、その後減少する。歯ごたえとうまみがどちらも多い時間帯に消費者の口へ入るのが理想だ。そのため、いかにして魚の鮮度低下のスピードを遅らせて、流通に必要となる時間を稼ぐことができるかが重要なポイントになる。この時間をどれだけ稼げるかは、魚体処理の出来にかかってくる。
 魚体処理の行程において重要な作業は、①畜養、②取上げ、③即殺、④脊髄破壊、⑤脱血、⑥冷却の六つの行程だ。
 ①の「畜養」では、獲った魚を一度水槽で泳がすことで漁獲時の筋肉疲労を回復させること、内臓に残った餌を消費させることが目的で、有名な大分県の「関アジ、関サバ」も畜養をおこなっている。魚種によっては畜養している間に、肝臓内の脂肪が身に回って脂が乗ることもあるという。
 ②の「取上げ」では魚を暴れさせないことが重要となる。
 ③の「即殺」は、延髄刺殺(活け締め)で頭部を傷つけ、脳からの運動命令を遮断し、魚の動きを止める。この時点で魚は死ぬ。魚が暴れると体内に乳酸がたまり、身の品質を落とす原因となる。また、暴れることでpHと、ATPと呼ばれる物質の量が減少してしまう。ATPが分解してうまみ成分であるイノシン酸となるため、即殺して魚を暴れさせないことが、重要ポイントのようだ。
 しかし、即殺して脳からの運動命令が途切れても、魚はけいれんを起こしたり、場合によってはバタバタと暴れることもある。市場で発砲スチロールに入れて並べられた魚が、暴れて箱から飛び出すこともあるほどだ。けいれんは、死後20分ほどしてから始まり、1時間半も続くことがあるという。けいれんの間にも乳酸は身にたまる。また、ATPとpHも減少し、死後硬直を早めてしまう原因となる。
 これを防ぐために④の「脊髄破壊」をおこなう。これが「神経締め」や「神経抜き」と呼ばれる処理で、背骨の中に針金やワイヤーなどを通して背骨を通る中枢神経を破壊し、けいれんなどの脊髄反射を介した運動を抑える。これで完全に魚の動きを止めることができる。最近では、ホームセンターで販売されているようなエアコンプレッサーを用いて切断した尾部から背骨の中にエアを送り、頭部付近の切断した背骨から中枢神経を抜き取る方法もある。
 次に⑤の「脱血」をおこなう。体内の血をしっかりと抜くことで、死後硬直や筋肉軟化(歯ごたえの損失)を遅らせ、身の色合いを保ち、血なまぐささを低減させる。脱血の方法は、頭部の延髄刺殺、尾部切断、エラ下腹動脈切断などがある。血管を切断後、氷水などに浸けておくと血が抜ける。血液は心臓を出てエラを通り、体内を巡って心臓へと戻るため、魚種にもよるが、エラ下腹動脈の切断が脱血効率が若干良いとされている。
 ⑥の「冷却」では、急速に冷やしすぎると身が硬くなることもあるため、プラス3度ほどが最適だという。
 ここまでの一連の行程をしっかりとおこなうことが魚体処理としては理想で、魚の体内(筋肉)に乳酸をためず、ATPやpHの量を高く保つことで死後硬直するまでの時間を延長し、死亡直後の柔らかい「ビタ」の状態を長く維持することができる。完全に死後硬直してしまった時には、すでに魚の歯ごたえは失われ始めてしまう。
 “肥塚のタイ”は、夜中11時頃に締めて、翌日の料亭で夕方六時頃の時点でもまだビタの状態を保っているという。これにより、歯ごたえを重視したものや、そこからさらに「熟成」させてうまみを引き出してから提供するなど、需要に合わせた魚体処理や調理法など、提供者の選択肢を広げることにつながっている。

 漁業活性化の足がかり 生産の誇り育む 

 魚の処理方法の出来不出来によって需要や価格には大きな差が出てくる。下関市大和町の下関漁港でおこなわれている唐戸魚市の競りでも、競られた活魚は市場の職員がその場で神経締めまでおこなっている。市場の職員は「手数料は取らずにボランティアでやっている。都会への上送りも多いため、都会の市場で当日揚がる魚に負けない品質を提供することを心がけている」と語っていた。鹿児島県にも活魚の魚体処理を職員がおこなっている市場がある。市場の職員みずからが研鑽を積んで技術を駆使して締めるため、仲買の言い値に対しても競り子である職員が強く出ることができ、競り値も上がる仕組みができているといわれている。愛媛県で獲れたタイをわざわざ鹿児島まで運んで競りに出す漁業者もいるほどで、良い値が付く市場として集荷力を高めている。
 品質が良い物に値が付く。それは生産者にとって良かったというだけにとどまらない。美味しい魚を消費者に届けるために創意工夫した努力や技術の産物であり、魚食文化の日本社会において美味しい魚を美味しく頂くための技術進化や生産者の努力はもっと光を当てられていい。“肥塚のタイ”に限らず、こうした取り組みは漁師や仲買、市場との相互の協力・信頼関係や品質向上のための継続的な努力や試行錯誤があってこそ成り立つことを示している。
 近年は漁獲量も減少し、赤字経営の漁協支店も少なくない。しかし一方で、魚の扱い方一つにも徹底してとりくみ、品質を向上させることによって打開しようとする動きもあらわれている。山口県内を見ても沿岸漁業の衰退は著しく、困難性は大きいものがある。スーパーや商社の流通支配が強まっているなかで、輸入物や養殖物に押されて魚価が低迷し、個人個人の努力だけでは如何ともし難い構造的な問題も抱えている。このなかで「潰れるしかない…」のではなく、美味い魚への徹底的なこだわり、研究を強め、生産者の誇りを呼び起こすことが、漁業活性化への足がかりとなることは疑いない。

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