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足元ぐらつき始めた保守王国 衆院山口補選の情勢分析 4区に有田芳生、2区に平岡秀夫が出馬表明 本紙記者座談会

衆院補選の候補予定者。山口4区の有田芳生、吉田真次、山口2区の平岡秀夫、岸信千世

 山口県議選に続き、衆院山口2区と4区の補欠選挙が4月11日に告示を迎えようとしている。安倍晋三元首相が統一教会への怨恨を発端にした銃撃事件によって亡くなり、さらに実弟の岸信夫代議士も体調不良によって降板したなかで、急遽(きょ)執りおこなわれることになったこの度の選挙。もともと後継者育成など手を付けていなかった地盤だけに「保守王国」はドタバタとした様相を呈し、また自民党内の派閥によるイスとりゲーム(選挙区再編)も苛烈になるなかで、選挙直前ながら自民党の足並みが不揃いなのが特徴となっている。動揺そのままにもつれ込んだ選挙は、場合によっては面白い結果になることが予想されており、山口県内でも注目が高まっている。記者たちで取材情報を持ち寄り、情勢について分析してみた。

 

◇           ◇

 

  4区には立憲民主党から元参院議員で拉致問題や統一教会問題について追及してきたジャーナリストでもある有田芳生(よしふ)が立候補表明し、地元では波紋が広がっている。記者会見の内容について、これは大きくとりあげて街のみんなとも共有した方が良いということで紙面で全面的に紹介したところ、「面白そうじゃないか」という反響が多かった。このタイミングでオマエ、誰? みたいな候補者がアリバイ的に擁立されるより、はるかに面白みはあると受け止められたようだ。

 

 はっきりいって、立憲民主党本体がどっちを向いているのかは知ったことではない。地元の支部といっても力はない。ただ有田芳生が4区で挑むということについて、しかも安倍晋三の専売特許みたくなっていた拉致問題や統一教会問題について、いわゆるアベガー調ではなく、自身が掘り下げてきた見識から具体的に議論を持ちかけている様は新鮮で、党派性をこえてわりと好感触で受け止められていると思う。

 

 高杉晋作の辞世の句である「面白きこともなき世を面白く」をこの選挙でやるというのだから、おおいに結構。面白いじゃないかと話題にしている人も少なくない。長州征伐を受けた後の逆境のなかで、高杉が奇兵隊をはじめとした諸隊の面々を率いて、萩俗論政府の打倒に向けてわずか80余名で挙兵した功山寺(長府)決起も引き合いに出しての出馬表明だった。維新革命を成し遂げた父祖たちへの思いが根付く地で、よくわかっているというか、それは胸をくすぐるものがある。

 

山口2区 無所属の平岡vs「家系」で挑む自民

 

  2区補選には共産党がどこの誰か知らないような人物を擁立しようとしていたが、もともとこの選挙区で民主党代議士だった平岡秀夫(元法相)が完全無所属で立候補表明して、こちらも消化試合だった様相が少し変わっている。共産党は候補を引っ込めた。

 

 2000年代初頭まで、山口2区は佐藤栄作(元首相)の息子である佐藤信二が選挙区の代議士をしていた。岸・佐藤の地盤で鉄板の選挙区と見なされ、これにかなうものはいないというのが常識だった。ところが東海村臨界事故を経た2000年の衆院選で、通産大臣経験者だった佐藤信二は原子力政策の巻き返しを意識して「上関原発(選挙区内)は私しか(建設を実現)できない!」と叫んで自爆した。恐らく原子力村への忖度だったのだろうけど、それは上関原発への反対世論が根強いなかで、選挙区内の有権者の怒りを買った。「佐藤信二ふざけんなよ!」の世論に火が付いてしまい、世襲政治家の退場となった。

 

平岡秀夫

 このときに当選したのが民主党から出ていた平岡秀夫だった。以後、国政選挙の度に平岡が当選して、佐藤信二は落選。自民党としては2区は脅威にもなっていたのだが、民主党政権が誕生して米軍岩国基地への厚木からの空母艦載機移転計画を巡って大裏切りしたのを契機に有権者は冷めて、とくに大票田だった岩国市で民主党は信頼を失って自民復活となった。

 

 従って、もともと岸信夫が絶対的に強かったわけでもなくて、民主党の自爆のおこぼれでかろうじて議席を得てきた関係にほかならない。上関原発、米軍岩国基地といった重要問題を抱える地域で世論は鋭いのが特徴だ。

 

 ここで信千世が「ボクのお爺ちゃん、お父さん、おじちゃんはすごいんだぞ!」みたいな調子で出てきて、果たしてどれだけの有権者が相手にするのかは見物だ。本人は目標得票として12万3000票を掲げ、親父ごえをするつもりのようだが、相手が噛ませ犬の共産党1人という消化試合ならまだしも、平岡秀夫が立憲民主党ではなく完全無所属で出馬するとなると様相は少し変わってくる。これが民主党の系譜である立憲民主党から出馬したら相手にされなかっただろうが、完全無所属となると、興ざめした有権者も多少見方が変わるのかもしれない。そのように民主党政権の裏切りについては厳しい審判が下されてきたのだ。

 

  2区については、それこそ20年近く前になるが、佐藤信二が何度も落選するのを受けて、林芳正が選挙区横どりに色気を見せていた時期もあった。県知事が二井関成で林派とは親戚だったこともあるが、この地域の県議たちを丸め込んで佐藤排除で蠢(うごめ)いたものの失敗した。林芳正は石橋を叩き回し過ぎるというか、こんな失敗ばっかりしている。自民党としては佐藤信二が公認候補として出てきてもその度に連敗するものだから、「もう、かなわない…」というあきらめの境地で当時山口県議だった福田良彦(現岩国市長、岸派ボスだった吹田の元秘書)を担ぎ上げたら、いわゆる郵政選挙(2005年)のドサクサにまぎれて600票差で当選してしまった。その後、福田の岩国市長選出馬後、自民党は元建設官僚の山本繁太郎(後に山口県知事)を当てたが、やっぱり平岡に惨敗し続けた。そして2012年、野田民主党の自爆解散選挙で、「今度は勝てそうだから…」ということで、参院から鞍替えした岸信夫が2区をものにしたという経緯がある。

 

 第一次安倍政権の誕生とセットで岸信夫はデビューし、今日に至る。安倍兄弟が山口県内の代議士ポストを二つ独占できたのも、中央政界での兄貴の実権があったからこそなのだ。

 

  選挙区の特徴として信千世が絶対的に安泰なわけでもなく、山口県内では唯一民主党が連勝してきた選挙区だったことを忘れてはならない。岩国ではその後米軍再編にともなって大規模な都市改造がやられ、「基地の街」というより「街が基地」みたいな状態になっているが、強権的に極東最大の基地を増強してきた自民党政府への思いは鬱積している。米軍再編に反対した井原市長は安倍政府によって交付金を締め上げられて兵糧攻めにあったが、対米従属の鎖につながれて米軍様々で媚びを売る為政者に対して、住民のなかには沸々とした感情が渦巻いているのも実態だ。持って行き場のない思いというのだろうか、自民党も支持できないが、民主党も大概にしろよ! と思っている有権者は多いし、それが選挙にあらわれるのだ。

 

岸信千世

 ここで信千世が「世襲のサラブレッドでございます」と主張したいなら主張すればよいし、ある意味それしか取り柄がないことを自己暴露しているのだから、あまり目くじら立てずに好きにさせればよいのではないか。むしろ「世襲です!」「世襲です!」「世襲だけが取り柄の岸信千世です!」と最後まで徹底的に世襲アピールをすれば良いと思う。いや、むしろここは「億千万といえど我行かん」でやるべきじゃないだろうか。ちょっとSNSで左翼から叩かれたからといって、こだわりを貫かないというのでは男ではない。「ボクのひい爺ちゃんも叔父ちゃんも総理大臣なんだぞ!」の勢いでやってみればいい。

 

 周囲には絶対に本人に対してトーンダウンさせるような忠告をするなよ! と思う。おかげで、なにが信千世だよ! という形で有権者の世論が結集できるなら、それはそれで雪崩を打つことだってあり得るのが2区だろう。引っ込めた家系図ももう一度ホームページに再掲して、もっと堂々とやれ! と思う。だって、それしか取り柄がないというなら、もう仕方がないではないか。そんな様を見て、岸派や佐藤派の御大の面々はもちろん、目の肥えた有権者が判断すれば良いだけなのだ。坊ちゃんを支えなければ! と思う人がいるなら好きにすれば良いし、逆にバカではあるまいか? と思う人だっているだろう。そんなものは人それぞれなのだ。

 

  平岡秀夫についても腹を括って出てくる以上は、民主党政権の裏切りについて贖(しょく)罪の意識でもって当たらないと相手にされないように思う。顔を洗って出直してこい! と思っている有権者は相当数いるだろうし、離れていった支持者をとり戻せるかが鍵になる。いわゆる組織票がどれだけ見込めるのかは未知数だが、もともと反自民というか佐藤信二への嫌悪感のおかげで棚からぼた餅だっただけで、本人の実力云々の話ではない。受け皿になり得るかが勝負所だろう。

 

 そうはいっても連勝してきた実績はあるわけで、2区での勝利は夢物語ではない。相手が「ひい爺ちゃんと叔父ちゃんは総理大臣だったんだぞ!」しかいえないのだったら、むしろもっけの幸いでツッコミ所は満載ではないか。佐藤信二の頃からボンボン・キラーとしてあらわれた平岡なのだから、与しやすいのではないか。

 

山口4区 合区後うかがい安倍vs林が過熱

 

自民党主催の激励会で吉田真次(左)と岸田文雄(3月5日、下関市)

  信千世が大きく親父越えの12万3000票を掲げているのに対して、4区の吉田真次や安倍昭恵ったらなんとも弱気で、8万票が目標得票なのだそうだ。安倍晋三の最後の国政選挙で8万に400ほど毛が生えた程度だったのを受けた数字だろう。8万票を叩き出したら林芳正が新3区に戻りにくくなるのだとかさまざま話されているが、恐らくというかかなりの確率で8万は無理だと思う。界隈の選挙通たちの読みとしては「良くて5万票」「最悪の場合でも4万票以上は欲しい」が真顔で話題になっている有り様だ。なぜそうなるのかは新3区への再編という事情が絡んでいるし、だからこそ4万~5万票が極めて現実的な数字として俎上に載っているのだ。

 

 8万票といっても歴代の4区の安倍晋三の得票からすると少なすぎるし、10万票以上叩き出さなければ本来圧勝などといえるものではない。それが8万票だなんて、端から志が低すぎるのだが、選挙区の実情を見た時に8万票もおぼつかないのでは…が現実なのだ。林派がシレッと選挙ボイコットした場合、林派の組織票は吉田には入らないし、長年にわたって「2人で一つの命じゃろうが!」(映画『ホタル』より)をやってきた安倍&林の関係にヒビが入ると、だいたいそのくらいだろうというのが、見える人には見えるのだろう。

 

  林派からすると、「新3区に戻って来るな!」と排除されて、なお吉田の選挙に付き合う筋合いはないし、だいたいが林芳正排除のための吉田擁立という経緯からして応援する義理も何もない。第三者から見ても、それはそうだろうと思う。安倍vs林が過熱するのも分かるが、昭恵と一部幹部の独断専行とはいえ、まず安倍派が不義理をやったのだ。これは昭恵がガソリンをぶっかけたようなもので、おかげで吉田真次及び安倍派が燃やされているような光景だ。

 

 林派からすると、吉田が今回の補選で情けない得票を叩き出した方が、その後の新3区を巡るポスト争奪には有利に働く。だから、補選の得票はいわば新3区を巡る吉田排除すなわち安倍派排除のための重要な指標になるわけで、前回衆院選の安倍晋三の8万票台が林派が放ったジャブだったとすると、4万~5万票台はボディーブローくらいにはなる。後々ジワジワ効いてくる一発になるということだ。

 

  だから安倍派が「林派が応援してくれないから4万~5万票しかとれない…」と嘆いたり、林派のせいにするのもちょっと違うような気がする。吉田擁立を仕掛けたのは元々安倍派の一部幹部たちであって、先制パンチを食らわしたのは安倍派だからだ。従って、自力でなんとかしなさい! といわれてもそれは仕方がない。

 

  東大和町の安倍事務所が吉田事務所に看板を変えて稼働しているが、筆頭秘書だった配川が桜を見る会を巡る問題で表向き身動きできず、企業関係のとりまとめが難しいといわれている。ナンバー2だった畑村が戻ってきて今回の選挙をとりしきっているようだが、誰がいうことを聞くのだろうか? という疑問はある。まあ、私設秘書たちもほぼほぼ戻ってきて今回の選挙では動いているし、吉田真次を安倍支持者への挨拶回りで連れ回している。それでも人手が足りないので、1月末の市議選で落選した濵﨑と長本も急遽期間限定の秘書として雇い入れたそうだ。

 

 街中で安倍支持者宅に張られていた「この国を守り抜く」の安倍晋三ポスターが次々と張り替えられ、岸田と吉田のツーショットポスターになっているが、この張り替えで「吉田のポスターはいらない」と断る支持者も多いようで、「安倍さんだから応援していたが、もう政治からは距離を置きたい」と口にする人も少なくない。熱が冷めているというか、安倍派がばらけ始めている。吉田真次のもとに安倍派を糾合するといってもはじめから無理がありすぎる話ではあるが、案の定だ。「昭恵のお気に入り人事」というだけではまとまらない。昭恵が引率して吉田真次を各所に連れ回してはいるものの、だからといって選挙に熱が上がるかというと、そうでもない印象なのだ。

 

4区補選への出馬を表明する有田芳生(3月15日、下関市)

  知名度からすると有田芳生のほうが上で、「吉田? 誰?」みたいな空気が支配的だ。最近では統一教会問題の追及でテレビにもたくさん出演して目立っていたし、有田芳生については世代を問わずそれなりに知られている。地元選挙区で叩きあげてきたわけではないが、両親が長門や下関で戦後暮らしていたとかのエピソードを知って驚いている有権者も少なくない。

 

 母親が長府のお寺さんにしばらく身を寄せていたというが、戦後は長府にオーストラリア軍が進駐軍として乗り込んできて、夜な夜な婦女暴行などの乱暴をするのに対して、戸田豆腐のおじさんとか腕っ節に自信がある男たちが自警団を結成して実力で撃退していたという。まあ、特高上がりの山本操率いる下関警察署も占領軍には頭が上がらないなかで、女たちが弄ばれるのを見て見ぬ振りをするのではなく、長府の男たちが殴り回して痛い目に遭わせていたそうだ。ある意味、命がけで「女たちを守る」をやっていた。進駐軍のなかで労働者たちがストライキをやったのも下関が全国初で、みなが身体を張ってたたかっていた。そんな時期と重なるんだろうか? とか、つい想像してしまう。あの当時に父親がレッド・パージを受けたというから、筋金入りだったことはいうに及ばない。いわゆる近頃の支配の枠のなかで飼い慣らされた共産党とは訳が違うのだ。

 

「奇兵隊の精神でたたかう」 有田芳生の宣言

 

高杉晋作像(下関市日和山)

 C 出馬会見で倒幕につながる功山寺決起になぞらえていたのも印象的だ。功山寺決起といえば、狼煙を上げたのはわずか80余名でも、50万領民が必ず支持するし、藩論統一すなわち萩俗論政府を打倒できると確信しての挙兵だった。明治維新のなかでも伸るか反るかの決定的な瞬間だ。

 

 蛤門の変、四カ国艦隊の馬関攻撃、第一次長州征伐を経て長州藩内では高杉晋作をはじめとした正義派が粛正され、萩俗論政府が放った刺客によって命を付け狙われたり、高杉については野山獄に放り込まれたりしていた。幕府への恐れから動揺と日和見主義が跋扈(ばっこ)し、幕府恭順派が血なまぐさい弾圧をやったのだ。

 

 それこそ統一教会問題を追及している紀藤弁護士は長州藩の家老だった福原越後(ふくばらえちご)の末裔というが、このときに国司信濃(くにししなの)、益田弾正(ますだだんじょう)とともに正義派三家老が切腹させられて、その首が幕府側に送られた経緯がある。朝敵の烙印が押され、36藩の武力を動員しての長州征伐軍が国境近くに迫り、しかも藩主をはじめとする藩政府が降伏する流れに押し流され、諸隊には解散命令まで出ているなかで、このとうとうたる敗北主義の逆流において高杉はどうしたか? 

 

 奇兵隊を中心に諸隊に決起を促し、藩政府軍とたたかって、藩政府を牛耳っていた俗論派を打倒する行動に立ち上がった。その挙兵が功山寺決起で、どん詰まりからたたかいによって情勢を切り開き、ひっくり返していくきっかけとなり、それが倒幕までいったのだ。隊士は80余人、砲は一門しかなかったが、高杉含めた18人で三田尻にあった藩の軍艦三隻を奪いとって萩城に向けて威圧したし、藩主の名で高杉に対する追討令まで出るなかで、俗論派討滅を宣言して萩に向けて三方から進軍し、最終的に俗論派を一掃した。

 

 萩まで進軍していく過程では大田絵堂のたたかいなど道々で激戦をくり広げたが、兵站についても各地の農民や商人が支えたし、まさに50万領民の支持があったからこそなし得た勝利だった。そこで長州藩内の体制をつくったことで、その後の薩長連合体制が進み、第二次征長軍を撃破して、そのまま討幕につらなっていった。

 

 まさに黙するのではなく、たたかいによって情勢を切り開く――をやったわけだ。

 

 A その後、維新革命の裏切り者たちとその亜流が、絶対主義天皇制をでっち上げて、維新革命をきわめて不徹底なものにして圧政と戦争へ国を駆り立てていった経緯はあるにしても、封建制を打ち破って近代国家として発展していく端緒を切り開いた意義は大きい。わずか80余名が「長州男児の肝っ玉をお見せします」と宣言した勇気ある決起が長州藩内を揺り動かし、社会変革へと導いたのだ。

 

 そんな維新革命の伝統が息づいている地で、功山寺決起になぞらえて選挙をたたかうというのだから、なんとも面白いではないか。しかも第三奇兵隊を募っている。第二奇兵隊の末路等についても熟知した上での第三奇兵隊というネーミングなのだろう。ここは福原越後の末裔も応援に来たら絵になるかもしれない。要するに当時でいえば50万領民の支持を得た側がそうでない側を打ち倒したし、現代とて有権者を味方につければ勝つことができるということだ。

 

  維新革命のロマンについて話し始めたらきりがないが、まがい物の「維新」を標榜する輩もいるなかで、その神髄について学ぶことは有意義だと思う。いわゆる「維新」を名乗る汚れとか、現代にはまったくもってろくでもないのもいる。これは身体を張って維新革命を成し遂げた父祖たちへの冒涜に等しい。

 

  吉田松陰は草莽崛起(そうもうくっき)といって、志を持った在野の人々が一斉に立ち上がり、大きな物事を成し遂げるのだと唱えたが、現代でもまるで同じだ。何も変わらないのではなく、みずからの手によって変えることはできる。変えようという思いを束ねるなら変えられる。

 

 過去は変えることはできないが知ることはできる。未来は知ることはできないが変えることはできる――と何かで読んだことがあるが、本当にその通りだと思う。世の中がまともでないなら、まともに機能するように変えれば良いだけだ。自民党政治が岸田まできて糞詰まりみたいな様相を呈しているなかで、それこそ統一教会ではないが汚れとかを一掃するべきところにきている。

 

  補選情勢は決して自民党安泰ではないが、かといって野党側にとっても甘くはない。4区は一騎打ちではないし、前回衆院選に出てきた大野頼子もまたぞろ出馬するようだ。さながら林派の避難先みたいな機能を果たすのだろうか。一部の左翼というかパヨクと揶揄されるような人たちが「林派が有田支援に回るのではないか」みたいなことを主張しているが、それはあり得ないし、毎度毎度、願望で都合良く情勢をつなぎ合わせる脳味噌には驚かされる。

 

 林派がカギを握っているのは確かだが、安倍派が気に入らないからといって有田&林連合を組むような度胸は持ち合わせていない。せいぜい吉田には票を入れないくらいのアクションが関の山。大野頼子の得票を観察しとけば何かがわかるかもしれない。「安倍派も嫌だが、野党も嫌」という人たちの避難先になったことは前回選挙でも浮き彫りになった。林派については、地元では昔から小商人(こあきんど)といわれているように、コソコソとした寝技等々によって上手いこと立ち回るだけなのは目に見えている。こんな表現をすると林派の面々が怒るかも知れないが、そんなだから安倍派が台頭して長年2番手に甘んじてきたのではないか。

 

  安倍派だろうが林派だろうが似たようなもので、これが衝突しているからといって、野党が大喜びして「勝てるかも」みたいな脳天気なことをいっているのを見ると、バカではあるまいかと思ってしまう。というか、そんな志の低いことでどうするのかと思う。そうではなく、情勢がどう転ぼうが自民党候補を叩きつぶすくらいの有権者の圧倒的支持を得るために何を為すのか――が大事なのではないか。

 

  有田陣営に気をつけるべき点として伝えたいのは、まるで味方のような顔をして入り込み、選対潰しのために蠢く輩が必ずいるという点だろうか。内部に対立を持ち込んで別選対を立ち上げる輩とか、選挙期間中に選挙カーで事故を起こして迷惑をかけておきながら修理費40万円の弁償もしない輩とか、まあ、色んなのがいる。さも力を持っているような顔をして近づいてくるが、実際にはなんの力も持っていない輩とか、本当に笑っちゃうようなのがいる。それが4区だ。こういうことを書かれて、「あっ、オレのことが書かれている」と自覚しているのがいたら、屁でもないからかかってきやがれと思う。そのときは、名指しで具体的事実に基づいて検証してやるから覚悟しておきなさいと思う。街のなかで「選対潰しの○○」という異名がつくほどには追い込んでもいい。

 

 候補者や陣営からすると来る者拒まずは常識だろうが、第三奇兵隊に結集したような面をしながら混ぜくる者については要注意だ。ここで固有名詞については出さないが、関係者で情報が欲しい人がいるならいくらでも伝える。

 

  兎にも角にも、有田芳生頑張れ! とは思う。やりようによっては善戦できる可能性だってあるわけで、はじめから決まっている勝負などない。現代の功山寺決起をやろう! というのなら、うちも80余名のなかに名乗りを上げる。これは立憲民主党を支持するとか支持しないとかの話ではない。新聞社である以上言論が勝負であるし、紙の弾丸をぶっ放すことで選挙を盛り上げられればいい。本気の狼煙を上げて、4区で大暴れすることに期待したい。

 

 D 最後にどうしても付け加えておきたい点として、高齢者のなかに芳生という漢字を見て、「よしお」と思っている人が少なからずいるが、正式には「よしふ」だ。

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この記事へのコメント

  1. 夜明け前 says:

    日本の歴史上の人物を見渡して、高杉晋作ほどの革命的な人間はいない。しかも、グローバルな視点で時代を把握しつつ、西欧列強の海千山千とも対峙した。

    「維新」という言葉を山口県民は好んで使うが、高杉の高邁な理念をどこまで理解しているのだろうかと思う。
    伊藤博文や山県有朋などの対外侵略と国内の弾圧しか頭にない二流政治家に簒奪され、以降の藩閥政治が日本を支配してきたことは真に不幸なことであったと思う。
    それは、大戦後においても、中央政府との強固な結びつきをもとに山口県への利益誘導を図ることが水面下で繰り広げられてきた。
    安倍に代表される山口県的な政治に終止符を打つと言えば、長周新聞も含め、抵抗感を持つ人も多いだろう。ただ、それは県外出身の私の率直な思いであり、安倍の死去後に全国の真っ当な人々が抱きつつあるところである。

    縁故資本主義crony capitalismという言葉が昨今注目されている。政治や行政、企業活動、マスコミ機関などが個人的なつながり、縁故を中心に運営され、人事や忖度によって自由で活発な活動を阻害する結果になっている。現在の日本の低迷がそこに起因していると言って過言ではない。

    有田氏の補選出馬にはこれまでの選挙で何の選択肢も持つことができなかった下関市民として希望を強く抱くとともに、右翼的な安上がりの市会議員などには決して負けてほしくないと思う。

    上に書いた縁故資本主義による政治がこれまでの山口県の政治であったことを考えると、簡単にはいかないだろうが、2区の岸信千代なる世襲凡凡の当落も併せ、山口県民の良識が問われている。全国の人々は見ていると思うし、高杉晋作の魂も見ているはずである。

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