いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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上関 どんでん返しの様相へ 質が変わった祝島の闘争

 「全国最後の新規立地点」である上関原発計画は、1982年の計画浮上から27年を迎えている。世界的な原発バブルがうごめくなかで、中電は立地点の四代田ノ浦で準備工事の着工に動き、それに対して祝島住民をはじめとした阻止行動が熱を帯びている。隣接の岩国には極東最大の米軍基地を配備し、目と鼻の先に国内最大規模の137万㌔㍗原発2基を建設するという、“あとは野となれ”の国土廃虚計画に、人人の怒りの世論が高まっている。自民党売国政府が叩き潰されるなど大衆的な世論と運動が高揚局面を迎えるなか、上関原発を巡る情勢がどうなっているのか、記者座談会を持って論議した。
 
 阻止行動堅持する祝島  長島側の町内でも共感

  祝島の様子、町内情勢、全般の情勢をまず描いてみたい。
 B 祝島住民による準備工事着工の阻止行動が頑強に堅持されている(写真)。今までとは様子が違い、島の人人も元気になっている。特に婦人パワーがすごい。これまでの抗議行動は2~3日で上から打ち切られて終息するのがパターンだったが、今回は下からの突き上げで継続に持ち込んでいる。「二八年を水の泡にするな」と思いが語られている。建網などの漁師メンバーが張り切っているのと、漁師以外の島の人たちに勢いがある。「総選挙も国民みんなの力で自民党をやっつけた。原発も国民みんなの力でたたかえば勝てる」と明るい。
 C 長島側の町内でも、祝島の行動に対して町民の多くが好意的だ。「70~80歳の婆ちゃんらが炎天下で座り込みをがんばっている。頭が下がる」と語られている。推進派の人たちでも「祝島はやっぱりすごい」と感嘆している。祝島に行ってみると70歳、80歳の意欲がすごくて、「私は(抗議行動に)3回行った」「私は2回」とか婆ちゃんたちが自慢しあっていた。ほんとに元気いっぱいだ。「私は足が悪くて行けないから悔しい」と残念がっている婆ちゃんもいた。
 A 意欲的な抗議行動を見ても歴然としているが、祝島が変化している。この間、水面下でずっとやられてきたのは祝島崩しで、大がかりなシカケが動いてきた。孤立感・敗北感を与えてあきらめさせるという手口だった。これをはねのけて行動がグッと前に出ている。
 C 何年かの経緯を見てみると、漁業権問題とも関わって集中的に攻勢をくらったのが漁民だった。二井県政が漁協合併で締めつけを強めるし、信漁連や山戸がつくった漁協の負債をみな漁民に転嫁して、にっちもさっちもいかなくさせた。尻拭いの漁民負担はいまも続いている。合併の前段では、山戸による漁協食い潰しがあって、活魚などを二束三文で買い叩いて漁師を泣かせるなど、疲弊させてきた。3㌔クラスの一本釣りの鯛が、漁協に出荷したら㌔数百円にしかならないのだから、すさまじいピンハネ商売で漁民にたかっていた。みなを困窮させ漁協経営をパンクさせて、補償金受けとり、原発容認の方向に追いやるシカケが動いていた。
  漁師の怒りも相当なもので、漁協経営のデタラメさが県当局に突っ込まれたと見られて、山戸は漁協理事を辞めさせられた。その過程で今度は「もう原発はできるのだから補償金を受け取ろう」の新型推進派の流れが出てきた。以前は反対の旗を振って、島内推進派を銭ボイト(こじき)といって攻撃していた部分だ。上関漁協の大西組合長(県漁協・上関支店運営委員長)が甘言で漁師に誘いをかけたり、一部メンバーと関係を持ちつつ連携して切り崩しにかかっていた。しかしこれも粉砕された。
 今春、補償金受け取りを巡る漁協総会がやられた時、容認派53票、反対が55票で2票差と拮抗した。あの時期が祝島転覆作戦のピークだった。「もうがんばっても無駄。原発はできる」というあきらめが流され、「できるのなら補償金を」といって働きかけがやられた。
 ところが、漁師以外の婦人たちが様子を聞きつけて集会所に駆けつけ、土壇場でひっくり返すこととなった。島全体のなかでは漁民だけではなく、農民、婦人などみんなが27年ものあいだがんばってきた。この力が噴き上がってきた。その後、反対派改め推進派の理事たちが辞めさせられている。かといって山戸の漁協役員としての再登板が許される状況にはなく、役員が確定していない状況が続いている。補償金受け取り問題もその後はなりを潜めている状態だ。力関係が変わった。

 諦めさせる手口は崩壊

  祝島を崩すことで町内全体を諦めさせるというやり口だった。だから長島側の推進派幹部たちは祝島の動向に興味津津だった。しかし、それは失敗に終わった。島全体が今度は下から盛り上がっているし、「山戸はダメだ」として登場した元反対派の加納派を中心とする新型推進派勢力も孤立することになった。
  原発反対の力が盛り返してきた。「原発ができないのが一番よいのだ」という思いは漁師もみんな同じで、意図的に煽られてきたあきらめムードが払拭されている。町内推進派のなかでは「2票差だから次はひっくり返せる」「切り崩しはうまく進んでいる」の認識がまだあって、何事かと驚いている。「祝島は崩れている」はずなのに抗議行動が下から盛り上がって引かないし、「どうなっているの?」という驚きがある。
  崩れていると思ったら逆にひっくり返っているし、どんでん返しがはじまっているのだ。全国的には総選挙で国民の力が自民党政府をひっくり返した。原発よりも大変な米軍基地の再編の問題で岩国の市民が下からがんばっているのは相当に激励している。国策とたたかう意識として相当に響き合っている。
  祝島が一番寂れて元気がないかというと、そうではない。町内を一日歩いてみても活気がある方だと思う。9月のシルバーウィーク連休は室津の駐車場がいっぱいになって、神舞の時ほど子や孫たちが帰省したという。島内が明るくなっているし、帰りやすくなっているようだ。
 A 以前はいがみ合いがひどくて帰省するのも気が進まないというのがあった。あのシカケが崩壊した。「みんなで仲良く」という全島民団結の方向が勝ってきている。それで「島を守らなければ」と結束が強まっている。反対派幹部主導のインチキが通用しなくなったのが第一の特徴だ。主導権は切り替わっているし、下部の主導になってきた。大衆主導の豊北型だ。島民全体がみんなの団結を求めている。だから今回の行動には全町的にも共感が強い。大きな国策とたたかうという意識が前面に出て、全町、全県、全国団結の志向が支配的になってきている。これは重要な発展だ。
  祝島が中電の工事着工を止める行動を、三日坊主を乗り越えただけではない。そこには祝島の運動の質が転換してきたということが重要だ。岩国や広島など連帯機運が強いし、総選挙の全国民の行動もビンビン響き合っている。もう引くわけはないところへきた。

 町潰しへ強い怒り 二束三文で乗っ取った中電 推進派も瓦解

  上関町内を見渡した時に、この間の寂れ方がひどすぎる。「30年近くたって、この町のザマはなんだ」という怒りが強烈にあらわれている。人口は30年で半減。道路沿いもだが、一歩路地を入ったら更地や廃屋が目を引くし、急速に過疎化が進行している。日曜日の閑散とした様子には驚く。推進派のなかでも「中電にやられた」「原発を騒いでいたら町はこんなにひどい状況になった」というのが相当な怒りとして蓄積している。
 C 推進派のなかでは、まるで中電の職員か下請けのようになって町を売り飛ばす部分と、それなりに町を守ろうと思ってやってきた部分との二極分化がすすんでいる。さんざん推進で協力して引っ張り回されたのに、この町のザマはなにかと。もともと原発誘致は地域振興がスローガンだったが、振興どころかさんざんに寂れてしまった。町長も議員も中電が乗っ取ってしまって、好き勝手をするようになった。二束三文の漁業補償金を出しただけで、町全体を買い取ってしまった関係だ。
 D 最近、2011年の山口国体でボクシング会場になる町営体育館の道路工事を柏原町政が発注した。これを周南市の洋林建設が奪って問題になっている。中電の副所長だったT氏が天下った会社で、福浦にも事務所を構えて原発の準備工事を受注している企業だ。町の仕事まで外部が取っていくし、分け与えるどころか食いつぶしている。土建屋や商工業者もたまったもんじゃない。「ダマされた」というのが共通認識だ。バカみたいに騒ぐだけ騒がされて、利用されただけだった。
  だから古い推進派の側からは「中電に町を乗っ取られた」「好き放題する」という恨みがある。古手の推進派のなかには「中電から金をとってやる」というのがあったが、現在の推進町政体制はどう見ても中電のために町民の利益を奪い取るという側だ。町利権も以前にもまして一部限定で、柏原町政のもとでは町発注工事も「河本建設ばかりが受注している」と非難ごうごうだ。
 C 推進派では柏原町長のほかに、山谷町議(四代区長)が議長にまで上り詰めて、西町議などが幅をきかせているといわれている。中電の職員ないしは下請け業者みたいなのが町の実権を握っている。「中電の利益のために動きます」「中電のために町の利益を差し出します」という体制だ。
 D そして町民のなかでの原発離れが格段に進んでいる。地域振興と思っていたら、まるで違ったのだ。漁師は補償金も満額受け取ったが、ひどくなって推進する理由はなくなった。推進派団体である町連協も休眠状態で組織としての体をなしていない。推進派の崩壊が大きな特徴だ。
 中電としては推進派の住民にも声をかけなくなっている。不要とみなしているようで、町民を対象にした活動はしていない。顔なじみのベテラン職員も引き揚げている。しかし、まだ手続きが片付いたわけではないし、町民を動員しなければならない課題は山積している。決して「もう町民の協力はいらない」という代物ではない。
 送電線の土地を買うのも町民の力がないと動かない。推進派がワァワァ囲い込んで売らせるとかの力がないと難しい。佐合島あたりが送電線反対運動をしようかというのに、工作員が出かけて収めるような体制もないようだ。

 「海山守れ」と活気 地方破壊の象徴・原発 核攻撃の標的
 
  上関原発計画27年になるが、土壇場のどんでん返しが起こる情勢になっている。ここの原動力は「海と山を守れ」「農漁業を守れ」が俄然強くなっていることだ。都会に行ったものは失業とワーキングプアで食っていけなくなった。以前とは状況が様変わりだ。
 初期の頃は、農漁業では食えないし、こんなキツイ仕事はいやだから都会に出ようという雰囲気があった。しかし30年近くたってどうなったかというと、大不況の都会では失業と貧困が蔓延して、首つりか生活保護に転落する運命だ。海と山を守れの響きは以前とは違って切実なものになっている。
  敗戦後、夫が戦死したり、都会で食えないなかで、海と山を頼りに生きてきた。海と山を守っていたら、農漁業で儲けにはならなくても生きていける。年金3万円でも上関では生きていける。都会で14万円の生活保護をもらって暮らすよりも、上関で野菜つくって魚を釣っていたら、はるかに楽な生活ができる。都会人には分からない幸せだ。中電が抗議する祝島住民に向かって「一次産業では食えないではないか」と叫んだが、一次産業がなくなったらおまえたちの食いものがなくなるのだという関係だ。
  原発による農漁業の衰退、地方生活の衰退だが、原発計画がある上関だけでなく日本中が同じようになっている。工業優先、金融資本優先で農業も漁業もない国にしようとしている。農業も漁業もない国にするという象徴が原発であるし、上関だ。日本全国の課題だ。第一次産業をなくしてよいのか。そうしたら日本中が生きていけなくなる。札束食べて生きていけるわけではない。トヨタの車を食って生きていけるわけではない。
  よそは原発はないのに限界集落ばかりになっている。以前は上関ばかりが寂れているかのようにいわれていたが、どこも一緒で農漁業破壊、地方生活破壊が国の政策となっている。その象徴が原発政治だ。全県でも祝島の行動を農漁民が喜んでいる。関心が強いし激励されている。瀬戸内海の漁民のなかでは「原発ができれば瀬戸内海が死の海になる」と祝島の行動に熱い連帯の気持ちが語られている。漁協合併などでひどい目にあっている内海漁民の行動につながっていく。全国放送されたのか、全国からも電話が入って状況を聞きたがる動きになっている。影響が広がっている。
  広島や岩国でも反応が鋭い。原爆、米軍基地であるし、共通の問題として捉えられている。広島湾岸を核攻撃の基地、すなわち核攻撃の標的にする性質の問題だ。原発は持ってくるし、極東最大の出撃基地を岩国にも持ってくる、この売国政治を許すなの世論は強い。米軍は空母艦載機の離発着訓練場を物色しているのだが、八島あたりに持ってくる可能性だって否定できない。瀬戸内海の島がいいといって、岩国基地から近く、空母の甲板くらいに見立てられるちょうどよいサイズの島を探している。戦斗機の移動スピードからすると、岩国基地から北朝鮮まで僅か一八分で到着するのだから、岩国・上関くらいは庭のような距離になる。
 A 原発が国策とのたたかいであり、全県全国の団結を進める、そして幹部おまかせではなく下からの大衆主導でいくのだという反対運動の質になってきた。これは今までとは違う強力な運動になる質だ。上関では当初から、原発は現地だけの利害問題とか、経済問題に限定するとか、そして疑心暗鬼で島民対立、町民対立をつくり出す分裂主義が持ち込まれてきた。それを長期のたたかいの経験によって乗り越えてきたといえる。国策とたたかう政治斗争の意識にならないと勝てない。岩国、広島と結びついてきたことは重要な力だ。
 また内海中の漁民、農漁業・地方生活破壊とたたかう全県民、労働者や中小業者など共通の敵とたたかう共同の斗争を発展させることが重要だ。とくに、現地に応援に行って恩着せがましくするよりも、それぞれの地域に根ざした共同斗争をたたかうという方向だ。それが豊北原発を阻止した路線だ。
  原発による売町政治がまさに姥捨て山政策だし、農漁業破壊だ。金力、権力を使って、札束で頬ベタ叩くようなやり方できたのが自民党を筆頭にした売国政治で、岩国でもどこでもそのようにしてやってきた。それが今度の総選挙で叩きのめされた。全国が力を示したし、上関も引けないところだ。

 国を潰す政治との斗い

 B 上関原発問題は、原水爆戦争を引き寄せる問題として、山口県民だけでなく全国にとって抜き差しならない問題だ。隣接する岩国の米軍基地増強と連動して標的になる問題だ。エネルギーも農水産物の食料も自給できず、アメリカの言いなりになって国土を廃虚にする政治の象徴だ。上関町民の生活の問題にとどまらないし、山口県、広島、全国人民の根本的利害のかかる問題として、それらの運動を結びつけて、撤退に追い込む力を結集することが重要だ。来年2月の町議選も楽しみな情勢になっている。
  上関原発をめぐっては、最後的などんでん返しの可能性が出ている。ここで攻勢をかけて全町的、全県的、全国的な力とつなげていけば押し上げることができるし、局面を変えてしまうことも可能だ。

 強行はできぬ中電 手続き前のめりで問題山積 県も大動揺に

  原発計画そのものの動きでは、中電は護岸工事や取水口工事など3件ほど発注したことになっている。ゼネコンが受注して地元土建屋はほとんどお呼びでない。中電立地事務所で活躍していたK氏が天下った奥村組やT氏が退職後に世話になっている洋林建設などが受注している。白井田では寂れて人が住まなくなった民家を改装して、奥村組や東洋建設など取水口の工事関係者が住み込みはじめている。漁協支所や倉庫なども借り切っている。寂れた結果、見も知らぬ作業員が生活しはじめるのだから、住民のなかでは「こんなはずじゃなかった」という思いが悶悶としている。
  飯場建設が蒲井で準備されていたが、大阪から乗りこんだ業者の計画は暗礁に乗り上げ重機を引き上げて撤退した。特別養護老人ホームの向かいに中電が土地を借り上げて、これは荷物置き場にするといっている。昨年あたりから、飯場建設で色めき立って町内や平生町の土地を買ったりする県内外の企業があらわれたが、いまになって「原発ができるというから盛り上がったのに、話が違うではないか」という意見もある。準備工事といってものらりくらりなのが特徴だ。
  上関原発計画の位置としては、「全国最後の新規立地の可能性を秘めた地域」というものだ。つまりできない可能性もあると見ているわけだ。現状では、予定地の田ノ浦で穴を掘ったり近辺で断層調査をするところまで進行してきた。そして原子炉設置許可が出る前から、埋立工事着工といっている。
 中電は反対派の土地(約8万平方㍍)を除外して137万平方㍍に計画用地を縮小して、2001年に国の電源開発調整審議会(電調審)に上程した。これは電力会社の尻を叩いていた国がハードルを下げて「最後の新規立地点」として基本計画に組み入れたものだった。その後は「環境調査」に時間を費やしつつ、共有地裁判、神社地取得が最大の注目点として動いていた。海と山の権利をすべて確実なものにし、なおかつ地元の反対世論を封じ込めなければ原発などできない。手続きだけ前のめりにやってきたのが上関だ。
  世界的にみても前例がないのが虫食い用地の多さだ。炉心予定地を見下ろす正面の小高い位置に、反対派のログハウスや祝島住民などが分割登記して所有している用地がある。山戸が単独で所有している土地もある。炉心位置として巻き上げた神社地の隣も反対派地権者が所有しているほか、湾を囲む突き出た部分のほとんども未買収地だ。つまり、民有地が取り囲むように点在している。
 中電は2004年に四代正八幡宮所有の神社地を買収したことで、発電所敷地造成区域内の土地売買契約を「終了」扱いにしている。とはいえ、残り5%以上もの敷地内に残る虫食い用地を放置したまま建設計画が動くわけがない。28カ所ほどあるという。地権者のあきらめを誘いつつ手続きや工事だけ前倒しする格好になっている。
 その前例が、上関と同じ日立・GEが受注している大間原発で、ようやく着工したものの、長年埋め立て造成工事に乗り出せず、過去18回の計画変更を繰り返してきた。132㌶の計画地のうちの2%弱の用地交渉が難航し、とりわけ炉心建設予定地付近の土地(1%)を所有する老婦人が、最後まで買収に応じなかったのが原因だった。上関の場合、炉心は神社地を力ずくで奪い取ったが、虫食い用地の多さは比較にならない。
 D 祝島も漁業権を放棄していない。総会で3分の2の議決をとったわけでもないし、補償金を受け取ったわけでもない。つまり漁業権交渉は未成立なのだ。土地を売れというのも力関係で動く。売らせるという力で中電が住民を動員しなければムリだ。国との関係で中電は板挟みできた。せいぜい準備工事・埋立護岸工事くらいまでは進める可能性はある。しかしそこまで進んでも、また新たな手続きの障害がいくつも発生してしまう。ブイ騒動も、もう一つの側面から見ると中電はあえて強行突破しない、できないのだ。それほど反対の力が根強い。そして自民党政府倒壊というなかで二井知事が動揺して「中電が祝島住民をバカにしている」といって「厳重注意」したりする。
  中電も国や県からせっつかれて進めてきた。原発は国主導であり、中電はやりたくないけどやるという面があった。日本経済がこれほど衰退して電力需要も増えないし、電力自由化で電力会社そのものがどうなるかわからないなかで、中電の経営だけ考えたら進んでやりたくないのは明らかだ。しかしその自民党政治がひっくり返ってしまった。上関原発は自民党利権で進んできた。それがどう変わるかわからない。民主党政府がいまの時期に「やれ!」という理由もない。
 D 上関原発は、平井前県政、二井現県政が中心で推進してきた。地先漁業権の変更とか、祝島の諸事業による籠絡とか、漁協合併とか、町予算の誘導とか、推進の主役は県だった。つまり国だったということだ。中電は国がやるならつきあいますよというスタンスだった。この二井県政が自民党政府が倒壊したなかで、大いに動揺しているのは明らかだ。中電は早くから「原発にはメリットがない」というのが内部にもある。電力自由化で四苦八苦しているし、島根原発の建設費用として毎年膨大な社債を発行してやりくりしている状態だ。8000億円ともいわれる上関原発一号機、二号機の建設費用を積み上げて、無駄な電力をつくり続ける意味はないだろう。近年は人員整理もすごく、下関営業所などは建物の中がガラガラになっている。
  原発計画を持ってきた吹田元代議士をはじめ自民党利権で動いてきた。民主党政府が「上関原発をやれ!」といったら、平岡代議士の首は間違いなく吹っ飛ぶ。亀井静香利権といっても選挙区が広島で度胸がいるだろう。自民党から民主党で上関原発利権の交代がすすむことになるだろうが、これもひと悶着は避けられない関係だろう。

 世界の原発産業も再編

  最近、世界の原子力産業では再編が進んでいる。中電御用達の日立・GEの原子力産業コンビが世界的な原発市場で負け組になっている。原発市場では2020年までに世界で約150基の新設が見込まれ、日立―GE連合のほか、東芝―米ウェスチングハウス(WH)連合、三菱重工業―仏アレバ連合の三陣営が受注競争を繰り広げてきた。しかし世界のバブル経済が破局を迎えて状況が変わっている。
 アメリカでは20基ほど建設すると息巻いていたがウォール街が融資しないから頓挫。政府保証で4基に縮小されたうち、東芝が3基を受注して日立・GEはゼロだった。中国の原発建設も東芝が独占状態で日立・GEはゼロ。日立は大間、島根3号機を受注している程度で、上関原発も喉から手が出るくらいやりたいだろうが、まだ受注・発注が確定した関係まではいっていない。
  祝島のたたかいに呼応して岩国、広島の世論と運動を強めること、瀬戸内海漁民の共同斗争を喚起すること、全県、全国の売国・亡国政治に反対する共同のたたかいを喚起することが重要だ。上関町内では、来年初めの町議選が大きな転換点となる。原発推進の中電傀儡・売町政治勢力はほんの一握りだ。これに全町団結で打撃をどう与え町政を転換するかだ。

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