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変貌する下関市立大学への危惧 2年間で3分の1の教員去る 前田市長ごり押しの教員採用が契機

 市長や政治家、市幹部職員OBの介入による私物化や独裁的な大学運営が問題視されてきた下関市立大学で、今年度末に12人の教員が退職することが明らかとなり衝撃が走っている。昨年度の退職者も合わせると、2年間で17人が大学を去ったことになる。全教員が50人前後しかいないのに3分の1がわずか2年で去っていき、退職後の教員補充は数人にとどまっている。一昨年から前田市長がごり押しした教員の採用をめぐって、学内で定められた手続きを経ることなく決定したのを機に、今年度はさらに理事会や学長権限を強めた独裁的な大学運営に拍車がかかり、嫌気がさしたり精神的に疲弊させられた教員たちが他大学へ転出していく動きが加速している。大学に在籍する学生からは「とりたい専攻の先生がいない」「ゼミ定員が14人から18人に増えて、少人数教育とはいえない状況」という声も上がっている。下関市立大学でいったい何が起こっているのか、取材してきた記者たちで状況を集中してみた。

 

  独法化以後の下関市立大学をめぐる問題は多々あったが、この数年で特に変質に拍車がかかったのは、2019年5月末以後、前田晋太郎市長が当時、琉球大学に在籍していた韓昌完(ハン・チャンワン)教授とその研究チームを下関市立大学に迎え入れようと専攻科設置に向けて動き出したことが発端だった。

 

 通常なら専攻科設置は大学内で何年にもわたって議論を重ねて進めていくものだ。なぜか? 大学の将来像を描きながら、それを支えるスタッフや教員が一丸となって建設していくからで、みなの共通の合意なり意志が欠かせないからだ。ところが前田市長の意向で唐突に動き始め、教育研究審議会も経ずにハン教授と研究チームの女性2人の採用を決めた。6月には大学で専攻科設置と教員採用が動き始め、寝耳に水だった教員たちは驚いた。経済の単科大学にいきなり教育学部の専攻科を設置するわけで、「小学校教員の免許がとれるなど初等教育の基盤のうえでの専攻科設置なら理解はできる。だが今回の専攻科設置はわかりやすくいえば市大に宝塚劇団をつくるのと同じぐらいあり得ないこと」(大学教員)ともいわれていた。学術的な専門性がない市長の思いつきや一存で、大学の教員採用や専攻科設置が決まるなど、大学の常識からしてあり得ないことで、これに対して9割の教員が撤回を要求する事態に発展した。

 

 下関市立大学ではこれまで教員人事や教育・研究内容について、教授会や教育研究審議会などに権限があり、客観的な評価に基づいた厳正な選考がおこなわれてきた。ところが今回の専攻科設置や人事については、その審議などまったく経ぬままで、それに対して教員が反発すると、人事や教育内容などについてすべて理事会で決定できるように定款変更議案を同年9月議会に提案し、ろくな審議もなく自民党多数の議会が採決した。

 

 この定款変更によってたがが外れたように大学運営はさらに暴走を始めることとなった。ルールを逸脱したことが問題視されたら、ルールそのものを変えてしまえばいいじゃないか! をやったわけだ。まるで安倍晋三の解釈変更とそっくりなのだが、この定款変更によって大学運営の在り方は大幅に変化した。2020年1月にはハン教授を市立大学の外部理事に任命し、4月からは新たに副学長ポストをもうけて、ハン教授と事務局長の砂原雅夫(市役所元総合政策部長)を副学長に任命した。

 

 B 市役所の幹部職員OBが副学長というのも、役所関係者のなかでは「通常なら学位もない者が“おこがましいことです…”といって本人が断るだろうに、砂原さんは就任しちゃうんだ」「公務員としては一丁上がりで、次はどこを目指しているんだろうか?」と驚きの面持ちで語られていた。事務局長ポストも市役所退職者としては大概な高給取りの天下り先ではあるが、学長に次ぐ地位に就いたということでどよめいていた。大学理事長には江島市長時代の副市長だった山村氏が前田市長の任命でポストを得て、山村&砂原コンビでいわゆる「大学改革」が始まったのだ。理事長、学長、副学長2人の報酬だけで6000万円というから、一般の市民からすると驚きだ。「市役所を退職してもそんなに高給なイスがあるんだ」と--。

 

 C 昨年度と今年度末で17人も転出していったのは、やはりこの1、2年の大学運営の在り方への反発が主因だ。「なぜ先生たちは辞めるのか?」と尋ねると、「もうやってられない…」と疲れ果てた感じで胸中を吐露する人も少なくなかった。懲戒をちらつかされたり、物言えば唇寒しで精神的にも参っていたり、昔の自由闊達だった頃の市立大学の先生たちのイメージとはほど遠い重い空気が覆っている。それ自体、市立大学の変貌ぶりを示していると思う。侃々諤々(かんかんがくがく)で自由に意見をのべ、時として感情的にぶつかることはあっても、議論が終わればみんなで飲みに行くとか、カラっとした空気が昔はあったという。立場にかかわらず、思ったことをのべる自由は保証されていたし、そんな熱い議論のなかから下関市立大学をみんなで盛り上げてきたという自負みたいなものを語る元教員は多い。

 

 ところが、ここ数年は上意下達で意見をのべることすらはばかられ、息苦しいと教員の多くが口にしている。大学としては言論の自由とか、民主的な組織運営が生命線だと思うのだが、如何せん体制上も教員に発言権がなくなってしまっている。かつて在籍していた先生たちが見たらさぞかし驚かれると思う。携帯に「下関市立大学は大丈夫なのか!」と連絡してくる元教員や転出された教員の方もいるのだけど、この間の顛末を話すとみな仰天している。「植田(元事務局長・市役所OB)・松藤(元理事長・市役所OB)も大概だったが、私たちが在籍していたときよりひどくなっているじゃないか!」と   。

 

  2020年度に入って、とりわけハン教授を招聘してからの変化がとくに大きいと誰もが指摘している。なぜそんなにとり立てられるのか意味がわからないのだけど、赴任半年で「副学長」「経営理事」「大学院担当副学長」「相談支援センター(ハラスメント相談含む)統括責任者」「国際交流センター統括責任者」「教員人事評価委員会委員長」「教員懲戒委員会委員長」を兼任するようになった。教員人事も教員の懲戒もすべて握ることになり、異常な権限集中がおこなわれたのも特徴だ。

 

 同年5月には『教員採用選考規程』を変更し、第一一条(雑則)に、「学長は、教員採用に関し、全学的な観点及び総合的な判断により必要があると認めた場合は、この規程によらない取り扱いをすることができる」と規定した。つまり教員の採用については公募、面接試験、教授会や教育研究審議会の業績審査なしで、学長の権限で採用を可能とするものだ。そして新規程によって6人の教員が採用された。2019年度に採用が決まったハン教授を含むチーム3人を合わせるとその関係者は9人になる。一方で在籍する教員らは、新たに採用された人物が、どんな研究や業績を残してきたのかも知らされぬまま、「採用決定」というメールにて事実を知らされるという状態だ。

 

 C 「学問の自由」「大学の自治」といわれるが、それは公平で客観的な人事方法にあらわれてきた。学長の判断で人事が決まること自体、学術的世界の常識とかけ離れているのだが、規程変更でそれさえも可能になった。

 

 教員の一人は「新しく教員を採用する際、私たちも事前にその人たちの論文を読む。文体からその人の癖とか性格などが見える。だから採用の審査を通じて、その人の基本的なことがわかるようになっていた。ところがそれを“スピーディーな人事が必要”といって学長権限で次々に採用する。新しく採用された人物がどんな人かもまったくわからないままだ。私立大学であっても教員採用について教授会の審査や意見聴取をするのがあたりまえだ。公立大学を名乗るならなおさらだが、在籍する教員が知らないうちに学長の判断で採用されるなど、もはや大学ではない」と語っていた。

 

 別の教員は「採用される場合、私たちはまな板の鯉状態だ。これまでの経歴や論文などをすべてさらけ出さなければならない。市立大学は採用規程が厳しいことで有名で、私たちは100人のなかから選ばれている。そのなかで教育や研究の質が担保されてきた」と語っていた。

 

 そうした厳しい採用規程で選別された教員たちによって下関市立大学の教育の質も担保されてきたわけだが、学長なり大学上層部の一存によって採用が決まっていく方式へと変貌したのだ。これは回り回って学生たちに響いていくから、教育の質がどうなっていくのかが心配でならない点だ。

 

大学院でも学長の判断で教員任命

 

  この4月から新たに大学院の新領域として教育経済学領域をもうけたのだが、フタを開けてみれば一般選抜(口述試験のみ)で選ばれた合格者は、市役所OBの砂原雅夫氏(下関市立大学副学長、事務局長)や安倍派の旅館経営者、ハン教授がつくるH財団が住所をおく市大の元経営審議委員のメンバーやその関係者も合格者に含まれており、お友だちや関係者ばかりであることが話題になっている。

 

 さらに教育経済学領域の大学院の教員メンバーも、ハン教授と研究グループの女性2人、その後採用された韓国人准教授2人、そして4月から着任する男性教授(前任校は岡山理科大学)の6人だ。通常ならば大学院の教員になるのは厳正な資格審査等が必要になるが、今年2月には「大学院教員資格審査規程」の変更をおこない、学長が認めれば大学院への任命が可能になった。つまり教える側も教えられる側もハン教授の界隈の人たちということになり、いったい何が始まるのだろうか? と不思議がられている。しかし、こればかりは始まってみなければ良いものなのかどうかも周囲にはわからない。「大学院の教育経済学領域でどんな教育や講義がおこなわれるのかは、彼らの関係者以外はまったく他の人の目にふれることができない状態になる」と危惧する教員もいた。

 

  別の教員は「大学院で教鞭をとることを許されるというのは、私たち大学教員としては嬉しいことだ。大学研究者としての経歴や論文、実績について厳正な資格審査や検証を経て認められてようやくその資格を得ることができるからだ。ところが今回の規程変更で、学長の判断だけで大学院の教員として任命できることになった。何の専門性もない学長の一存でなぜ決められるのか。長期的に見れば大学としての名声も落ちていくし、何よりも専門性が失われていくことが一番心配だ」と話していた。

 

 体制上は学長権限が強まっているのだけど、川波学長の存在感よりもハン副学長の存在感の方がはるかに上のような印象すら受ける。鳴り物入りで招聘されて、来るなり理事や副学長はじめとしたポスト・権限を総なめにするかのように与えられて今に至る。市長の私物化人事とはいえ、これほどまでに持ち上げられる意味が第三者からするとよくわからないのだ。しかし、前田市長をはじめとした下関側の関係者がことのほか大先生のように持ち上げているから、下関市立大学がこんなことになっているのだ。それで教員がみな逃げていくというのでは本末転倒にも思えるが、結果的に嫌気がさして辞めていく人が後を絶たない状況なのだ。

 

  教員が大量に辞めてしまったことで、授業のカリキュラムやゼミの体制などが危ぶまれている。そりゃ五十数人の教員のうち2年で17人も辞めていったのだから、無理が祟るのも当然だ。穴埋めで誰でもいいから雇ってしまえみたいな格好になってしまうと、これまた教育の質にも直結してしまうから心配なのだ。学生たちからすると学びに来ている訳で、ゼミを担当していた教員がいきなり辞めていったり、おかげで選択肢が狭まったり、そんなはずじゃなかった事態でもあると思う。

 

 こうした事態を招いたことについて、前田晋太郎やその仲間たち、下関市議会はどう責任を負うのだろうか。下関市立大学を崩壊させているではないかというのが率直な思いだ。やはり教員というのが大学にとっては人財であって、人材ではないことを物語っているように思う。材料ではなく財産なのだ。

 

  下関市立大学は公立ということで、他大学の受験に失敗した学生なども多く入っていた。一度目標を失いかけた学生に対しても、新しい目標設定をさせて卒業させる、そういうセーフティネットを支える教員がいた。ところが教員がやめていき、補充されたのはハン教授のグループの9人。市民の税金を元手にする公立大学のあり方として、市長やその周囲のお友だちのために予算が投入されるのが妥当なのかどうかも問われている。

 

 他大学の教授たちとも話になるのだが、いわゆる大学の人事の暗黙の了解として“自分よりアホはとるな”というのがあるそうだ。上下関係をつくってしまうと学問、研究にもよからぬ影響が及ぶもので、自分の教え子や後輩といった学閥関係や地縁、血縁がからむ人事は避けるべきというのがルールとしてあるのだという。公表している経歴を見ると、この間に下関市立大学で採用された教員の多くが、ハン教授の学閥や同窓や教え子などだ。いったいこの先どんな大学にしようとしているのだろうかと思う。下関市が税金を投入している大学なのだから、しっかり議会にも報告させなければならない。私物ではないのだから、役所OBなり大学上層部の勝手でしょという訳にはいかないのだ。最大の責任は前田晋太郎にある。

 

 B 大学では教員たちが疲弊しきっている。物いえぬ空気が強まり、鬱屈した思いを抱えながら吐き出せず、吐き出せば懲戒になるのではないかといった恐怖政治が敷かれているからだ。不自由で非民主的というのは、人間を萎縮させ、創造的で能動的な思考を阻害し、息苦しさがつきまとう。時として人の顔つきまで変えてしまう。そうではなく自由で創造性に満ちた、のびのびとした環境が学問や研究には大切だ。しかし、その環境が日本全国の大学でも奪われつつある。下関市立大学の変貌はその最先端を行っているようにも思えてならないが、昨今の大学改革なるものの普遍性と特殊性を包含していると思う。その行き着いた先が教員の大量流出・退職で、「そして誰もいなくなった…」というのではお粗末極まりないとも思う。世界的に認められる優れた論文が減っていると問題になっているが、昨今の「大学改革」なるもののおかげで、日本の学術世界が萎縮し展望のない状況に追い込まれていることが原因だと思う。

 

  一下関市民からしたら、勤労学生たちを集めて夜間大学から出発し、今日まで築き上げてきた郷土の大学に何してくれているんだという思いもあるが、下関市立大学である以上、その実情について関心を寄せて見守っていきたいと思う。そして「おかしい」と思ったことについては、「おかしい!」と自由に意見をのべることこそが、下関市立大学への愛情だと思う。2年で17人の教員が辞めるなど、よっぽどだというのが率直な感想だ。

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