いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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9月上関町長選巡る情勢と進路

 中国電力が山口県の熊毛郡上関町で進めてきた原発計画を巡って、9月25日投開票の町長選挙があと2カ月と迫っている。福島原発事故後はじめての立地候補地における選挙として全国的に大きな影響を持つものとなっている。上関原発計画は1982年に計画が浮上して29年が経過したが、「国内最後の新規立地」といわれている同計画を断念に追いこめという世論が山口県内はじめ全国的に沸騰している。9月の町長選を巡る町内情勢と上関の進路を巡って、記者座談会をもって論議した。
  福島第1原発が爆発事故を起こし、国内でこれまでに経験したことのない原発災害に直面している。戦後、アメリカから押しつけられて地震列島に54基(17カ所)もつくってきた無謀さや、ひとたび事故が起きれば周囲の20㌔圏の七万人にものぼる住民が土地・家屋、生活手段を奪われ、いまだに避難所暮らしの難民生活を強いられている現実がある。政府や行政機構、東電や東芝、日立などのメーカーから学者が、原子力を制御する能力がまったくない姿を見せつけられてきた。手に負えない原発は廃止することが民族の利益であり、なかでも新規立地は真っ先に中止、撤退させなければならない。
  反対世論がいっきに広がっている。山口県内一円だけでなく広島や福岡、大分でもみんなが「無関係ではない」となっている。これまでとは様相が一変している。福島では立地町の双葉町や大熊町など20㌔圏内の住民が追い出されているが、40㌔前後離れた飯舘村や伊達市でも住民が生活圏を追われ、放射性物質は200㌔以上離れた東京の水道水や300㌔離れた静岡のお茶にまで影響をもたらした。さらに牛の飼料汚染によって福島県、宮城県の畜産業が大打撃を受けている。世論は様変わりとなっている。
  東日本だけでなく西日本でも同じような事態に直面する可能性が十分にある。玄海や伊方原発も危険性が高い。いきなり生活圏を奪われ難民になる、それが他人事ではないことについて、どこでも深刻な論議が広がっている。全県的に「後は野となれで新規立地を推進するなど論外だ」という意見が圧倒している。
  だから新規立地を巡る9月の上関町長選は全国的な注目を受けざるを得ない。全国的な力関係で、新規立地はありえないというなかでの町長選になる。
 
 メドない原発立地 さびれるのを待つ中電 生殺しで放置

 A 
上関原発計画の状況を整理してみると、福島の事故以前から埋立工事は停止し、頓挫していた。2008年に二井知事が公有水面埋立許可を出して、中電は漁業補償金の残りの半額を支払ったが、埋立工事はまったく進めることができないまま3年が経過していた。祝島の漁業権変更合意に失敗し、埋立許可は条件を満たしていないからだ。町内では「原発はできる、できる」の「やらせ」で土木業者やゼネコンが殺到していたが、去年の夏頃にはみな引き揚げていた。
 C この3年間は祝島の漁業権問題が最大の攻防だった。漁業補償金を受けとらないと祝島が何度も決議するのに、「受けとれ」と迫ったのが中電や二井県政の側だった。しかし漁業権変更には応じなかった。祝島の婦人たちが先頭に立ってがんばった結果漁業補償交渉は決裂。最後は山口県漁協が祝島にあてられた補償金を「保管する」などといって、その金は行き場のないまま今に至っている。漁業権問題は29年を経て振り出しに戻っていた。
  二井知事が埋立許可を出したから、中電は祝島をのぞく7漁協に補償金を払ってしまい、祝島の目の前の田ノ浦で工事進展のパフォーマンスを見せつけて、あきらめを期待した。ところが失敗して、挽回しようと建設事務所の岩畔所長が祝島上陸を試みたが拒否され、行き詰まっていた。したがって埋立工事の進捗率はゼロ%で、先走って埋立許可を出した二井知事のデタラメが暴露され、にっちもさっちもいかなくなっていた。
 D 「埋立工事着工」といって1年目にはブイを浮かべ、さしあたり埋立免許の失効を免れたりパフォーマンスに終始してきた。菅政府の原発大増設の方針を受けて、今年になって警備だけ大量に動員して、祝島に住みついているカヤック勢力などとの激突を演出した。成田斗争のようなイメージに持っていって反対の支持基盤を崩す意図と思われた。そういうなかで福島第一原発が爆発した。
  平生町田名のブイ搬出阻止行動あたりから、突然東京や県外からの外部勢力が増えはじめ、祝島にはかなりの人数が住みついている。「何者だろうか?」「どうやって生活資金を確保しているのか?」という疑問が町内各所で語られている。
  震災から3日後に、二井知事は中電に建設準備工事を当面見合わせるよう要請した。また、来年10月で失効を迎える公有水面埋立許可についても「延長を認めない」という態度を表明した。当面上関原発は進みようがないという事情を追認したもので、中断とはいうが、撤退ではない。今期限りで引退する本人は国なり次の知事にゲタを預けた。上関町については当面生殺しで放置し、中電の利権は温存しながら、さらに寂れるのを待つという内容だ。
 A 上関原発は2009年に中電が原子力安全・保安院に原子炉設置許可を申請し、国が「安全審査」を進めていた。ところが今回の原発事故で「審査」基準そのものが吹っ飛んで、新規原発どころではなくなっている。政府としては福島第一原発の収束はもちろん、定期点検中などで止まっている七割に及ぶ原発をどう再稼働にこぎつけるか、老朽原発をどうするかで収拾がつかない。
 住民同意も従来の周辺2市5町だけというわけにはいかず、大幅な見直しをせざるを得ない。周辺が許さない。漁業補償についても関係八漁協だけでは済まず、周防灘、伊予灘全域どころか瀬戸内海全域の承認がいることが歴然としている。
 C 中電も震災後は建設事務所の編成に動きがあった。「祝島陥落の切り札」などといわれていた中電エリートの岩畔所長も異動していった。島根原発の堤防かさ上げ対応や外部電源の場所移動などに手をとられ、田ノ浦現地の「準備工事」からも作業員の姿が消え、閑散としている。島根原発は県庁から七㌔しか離れていないから、「事故が起きれば県庁疎開しなければならない」と大騒動になっている様子を県職員が語っていた。
 D 蒲井地区につくっているゼネコンの飯場もガラガラで数人がいるだけ。中の浦につくるといっていた飯場計画もいつの間にか立ち消えになった。平郡島で井森工業がつくっていたケーソンも風雨にさらされたままの状態が上関大橋から目視できるが、「魚礁にするしかない…」という話が出ている。光市の自民党県連会長をしていた人物のファミリー企業など、先走った投資が仇になって困り果てている企業の様子も話題になっている。
  町内でも中電の「やらせ」パフォーマンスにのって、先走って投資した土建業者や民宿などをつくった推進派が弱っている。
 
 本音語り出す町民 30年の中電支配振り返り 売町政治転換へ

 C
 町内をこの間回ってみると、推進勢力が雪崩を打って瓦解している。「安全が前提だった」「あんな目にあうのだったら話は別だ」といっている。町民のなかでは、双葉町や大熊町など福島の事故で生活の糧を奪われ、体育館などに押し込められた地元住民の姿を重ねて語る人が多い。中電は震災後、「上関は800ガルの地震にも耐えられる設計なので大丈夫です」「上関原発は福島と違って安全です」といってきたが、逆に浮き上がっている。
  推進のボス連中がショボンとしている。町の幹部も「原発は国策でやってきたのだ。国がどうするかわからないからどうしようもない」と投げ出したい本音を語っている。「宇部にきた石原伸晃が新規立地は10年はダメだといった」と、自民党がそんなことをいい出したというのでがっくりしていた。声をかけても逃げていく幹部が多かった。町連協(推進団体)の地区代表たちも90代の老人であったりで、なりかわって旗を振る者がいないと語られていた。推進派ボスの権威がなくなるのにつれて、今まで語らなかった人たちが本音を語り始めている。町民が解放されてきている。
 C 町を出ていた人で帰っている人が多いが、今まで発言を控えていた若い人たちが熱心に語り出しているのが特徴だ。これもかさぶたがとれはじめていることの反映だ。とくに仕事がないのが最大問題で、水産加工場とかつくったら働けるのにといっていた。若い力が、新しい町づくりの原動力になると感じた。
  推進派といっても、中電の代理人になって町を売り飛ばして自分がもうけるという売町派と、そうではなく町のためにと思ったり、あきらめできたりしてきた人がいる。これは明確に違いがある。
  町民にとって原発は単純に、できるかできないか、「反対派が勝った」か「推進派が負けた」かだけの問題ではない。どう生活するかという問題だ。そもそも原発問題というのは、戦後なら戦後、工業優先で農漁業をつぶすという政治がやられてきてその延長として現れている。だから原発に反対するということは、上関では漁業を中心にして水産加工とか、造船、鉄工とか各種の商業とか地域の経済を発展させるという問題としてある。原発による町を失う道を拒絶して、どうやって町を立て直していくかが基本問題だ。
 上関地区の男性が「原発が来る前から“原発災害”にあったようなものだ」と本紙を読んでしみじみ語っていた。30年の間に町が政治も経済も行政も議会も破壊されて、中電支配の町になってしまっている現状を誰もが憂えている。この立て直しは簡単ではない、非常に大きな問題だ。
  室津には巨大な温泉センターを建設中で、幽霊屋敷になろうとしている。利用者はいないし維持費はかかる。原発建設着工を前提にした電源交付金をあてにして突っ走ってしまって、財政のめどが立たなくなっている。産業が疲弊した結果税収がなくなり、町民税など自主財源は2億円にまで減っている。年寄りを中心に非課税世帯も増える。そして原発ができる前に財政破綻という、原発をつくって40年の双葉町現象が起きている。原発は麻薬だったと双葉町の町民はいっているが、上関町の財政は麻薬が効いてしまっている。この麻薬中毒のボス連中が、麻薬が切れてのたうち回る状況になっている。
  推進団体のトップや議員などは逃げ場所として柳井などに別宅をつくっている。インチキ反対派の幹部も平生町や周辺に家を構えている。上関で何かあったら柳井近辺に逃げると考えていたが、これも計算が外れてしまった。20㌔圏内に含まれるので逃げ場所にならない。こうしたボス連中の権威がなくなっている。
 推進派も反対派も議員とか幹部連中は町をどうするかとか、町民のことなど一つも考えない奴ばかりがトップに立って威張っているという。これが我欲優先で政治をやり、町民を分断してきた。指導層が中電の代理人になっているのを転換しなければ町の復興はどうにもならない。売町政治の転換が第一の課題だ。
  中電が上関町に乗り込み、国策をバックにして原発推進をやってきた結果、上関町は深刻な衰退状況になった。人口は30年前の半分だ。「原電がくれば」といっているうちに廃村コースを進んできた。寺が廃業した地域もある。
  町の人間関係が中電支配でずたずたにされてきた弊害を語る住民も多い。町長、役場から議会、漁協、商工会、各区など、あらゆる機関が中電の下請になって、町民の意志が通らない。経済的にも国、県の原発交付金や中電の寄付金に依存したものが浸透して、地元に根ざす漁業などが切り捨てられてきた。農漁業の困難は日本中の農漁村と共通したものがあるし、工業優先とかマネー経済などといって地方経済がガタガタになっているのは同じだ。しかし原発計画を押しつけられた上関はそれが典型的にあらわれている。

 沿岸基本の漁業に活路 地域共同体の結束で

  この状況で「仕方がない」といって廃村になるのを待っているわけにはいかない。原発立地のメドがない現実に立って、発展の道はどこにあるかだ。この間、『原発撤回し上関復興の転換点 分断克服し共同体の復活を』(本紙号外)を1300枚ほど町内に配布して意見を聞いてきたが、「漁業中心の町に展望」という内容に激しい反応がある。震災から復興している岩手県の重茂漁協の例なども読んで「地域みんなが力を合わせることが大切だ」「30年間何も良いことがなかった。次の町づくりに踏み出さなければ」と思いが語られていた。
  戦後は漁業でも企業化とか近代化、大型化、高速化を求めてきたが、上関の漁業の主力である底引き網漁も油代高騰で出漁すればするほど赤字が膨らみ、「これではダメだ…」となっている。もっと沿岸を開発してワカメ、ヒジキなどやる手はある。魚でも沿岸域のものを増やすような努力をするとか、出荷や加工など工夫する余地が山ほどある。資本主義的な競争主義にしか目がいかずに行き詰まっているが、沿岸を大切にして、地域みんなが共同体として結束してどうするかという発想に転換したら新しいものが見えてくると話が弾んだ。
  漁民のなかで、磯とかに目がいかなかったといって、上関の漁場がどれほど優れているかが熱心に話になった。長島周辺の漁場は瀬戸内海でももっとも優れている好漁場で、魚の生育が早かったり、ワカメでも風味が抜群であることなど、よそにはない上関の武器として語られていた。
  上関に注目している水産大学の教官が「蓄養をやったらどうか。新鮮な魚が上関の武器なのだから、水産市場の状況を見ながら出荷すれば魚価は違ってくる」と話していた。上関は基幹産業が漁業なのに水産加工場がない。被災した宮城県の気仙沼では「80億円の水揚げを二次加工、三次加工に回すことで180億円の経済効果に膨らませることができる」と水産業一本で成り立たせてきた地元経済の優位性が語られていた。雇用にもつながっていた。仲買が買い叩くのに丸投げしているのでは漁業に展望がないし先進地の手法を研究したりすれば、打開の展望は出てくるはずだ。
  要するに地域の共同体の力に依拠して、沿岸を基本に共同体みんなが漁業振興で一致していくことがいる。漁場管理にしてもしかりで、規律がいる。個人バラバラではできないし、そのような結束を回復すると力になる。加工や流通まで含めて町づくりをやっていこうと思えば全町的な同意がいる。流通を見ても、現状では上関町内の人が上関の魚を買えない。縁故で分けてもらうだけの古い関係はあるが、新鮮な刺身が食べられない年寄りも多い。上関の魚を町内で消費するようにするだけでずいぶん違ってくる。運送、加工など、発展の余地はたくさんある。売町政治を転換したならそういう可能性が出てくる。
  都会で仕事がなくなって田舎に帰って漁業をやって生活していきたいという流れがある。大不況のなかで上関町内に戻ってきている人の姿も各地で見かける。個個バラバラではなくて漁協なり地域全体が動いたら連携した広がりになる。
 
 町民の力を示すとき 縄文以来の歴史継承 全国と団結し

 A 
町長選情勢を見ると反対派も複雑な様相がある。選挙はあと2カ月後に迫っているのに、反対派が候補を立てる気配にはなっていない。祝島は婦人が中心に漁業権問題を拒絶してがんばってきたが、まぎれもなく原発を阻止する原動力になっている。このことを賞賛する声は強い。「祝島のおかげだ」と。しかし島内には「反対派からだれが出ても選挙は負ける」という声もある。
  新しい政治的動きもある。外来勢力が住みついて抗議行動の要員のようにしているのには反発が強い。最近では、祝島を自然エネルギーでまかなうのだといって、飯田哲也氏が祝島を訪問したが、それに元総理夫人の安倍昭恵が同行して祝島に上陸し、反対派の婦人たちと交流するような妙な動きもあらわれている。
  祝島は反対派の拠点であり、原動力だが全町団結をさせるような指導性に問題がある。上関の町全体をどう建設していくのかという指導勢力とは映っていない。推進できた人人が原発はダメだとなり、原発に代わる町づくりの方向を求めているなかで、それらの人人全体を団結させて方向を体現する勢力があらわれるなら町長選は勝利できる。
  「原発をやめて新しい町づくりをやっていきたい」という意見は沸騰しているが、「推進派も反対派も町をどうするのかがない」と多くの住民が語っている。
  「反対派から誰が出ても負ける」というのは、全町的な支持を得るのが困難という反対派指導部の弱点をあらわしている。選挙戦そのものは複雑な様相になるだろう。しかし原発撤回、売町政治の転換、漁業中心の町づくりへの転換の方向しかない。その方向の町民世論と力を結集して形にしていくことが最大課題だ。単純な推進派・柏原と旧来の反対派幹部の選挙では反対派が勝つ見込みはほとんどない。メディアは「新規立地町、推進派が勝利」といって騒ぎ立てるところだろう。
  30年ででき上がった中電支配の構造をひっくり返す作業は少少ではない大仕事だ。この選挙の最大の課題は、第一に中電・国策支配の売町政治を一掃し、町民が主人公として全町的な団結を回復し、ズタズタにされた町民分断を下から解決して、全町的な団結、協力の共同体を回復する、そういう町民の力を強いものにすることだ。
 C 有利なことは、全国が上関町民を激励していることだ。地震、津波による原発の破壊もあるが、日本列島をアメリカの盾にし、戦場にして核ミサイル戦争をやろうとしながら、標的となる原発をやるという危険性がある。国土を廃虚にしてはならないし、世界的な食糧危機のなかで瀬戸内海漁業をつぶす亡国政治を容認するわけにはいかない。町長選では、推進派、反対派の選挙構図を超えて、中電、国、県がどんなにしても手も足も出ない町民の力を示すことが勝負だ。
  30年かかってできた原発の推進構図は強いものだ。ここで町民のなかで、この30年はなんだったか、さらに戦後66年はなんだったか、歴史的な体験の論議が重要だと思う。上関は縄文遺跡、弥生遺跡、古墳時代の遺跡と豊富だ。恵まれた海と山のおかげで大昔から住みやすいところだったということだ。まさに縄文人以来の血を引く上関の人たちが、現在の世代で上関の長い歴史を断絶させるのかどうか。ここで奮起して「原発災害」からの復興、転換という大仕事に立ち上がるすう勢になるのは疑いない。
  町長選挙は、上関町がどの道をすすむのか鋭い対立になっている。原発計画は国、県や中電が自分たちから手を引くことはあり得ない。中電はつくる見込みがなくても利権を維持していくだろう。国、県も長期の塩漬け状態、生殺し状態で放置することが想定される。30年かかってきたものをさらに40年、50年とズルズル引き延ばすのにたいして、撤回させるのは町民、全県民、全瀬戸内、全国の団結したたたかいしかない。

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