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チェルノブイリを忘れるな 上関原発が爆発したらどうなるか

 中国電力の上関原発建設をめぐって、祝島の漁民が補償金の受けとりを拒否するなら、計画は断念となる。周防灘、伊予灘海域は94年の伊方原発3号機の操業開始を境にして、生態系が急激な異変に襲われており、上関原発が建設されると海域の漁業は壊滅の危機になる。さらに日本はアメリカの核戦争の最前線基地とされており、原発は報復ミサイル攻撃の最大の標的となる。国土の廃虚が現実問題となる。原発が爆発したらどうなるか。23年前の1986年、旧ソ連のチェルノブイリ原発の原子炉が暴走し、炉心溶融(メルトダウン)を起こし、爆発炎上して甚大な被害が出た大事故を忘れることはできない。上関原発をつぶし、日本中の原発を止めることが日本の民族的な根本利益である。


 1986年4月26日の午前1時23分、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号炉(出力100万㌔㍗、83年12月運転開始)で急激な出力上昇をもたらす暴走事故が発生し爆発した。事故当時4号炉は保守点検のために原子炉を停止して、原子炉が止まった際に備えた実験をおこなっていた。実験中に原子炉が制御不能となり、炉心が溶融し爆発したとされている。


 「夜空に花火が上がったようだった」「火柱が、突如黒煙を突き抜けて天空にそそり立った。まるでマグマが噴出したかのような勢いだった」などと目撃者は語っている。爆発により、原子炉とその建屋は一瞬のうちに破壊され、火災が発生。消火のためにヘリコプターから炉心をめがけて総計5000㌧の砂や鉛が投下された。10日後の5月6日になってようやく鎮火した。鎮火するまで、大量の放射能を放出し続けた。


 原発の炉心溶融・爆発事故が深刻なのは、原子炉のなかに蓄積されている放射性物質が大気中に放出されることである。チェルノブイリ原発事故では、推定で10㌧前後の放射性物質が大気中に放出された。これは広島に投下された原子爆弾の500倍といわれている。

 

1986年4月26日に爆発事故を起こしたチェルノブイリ原発4号炉(ウクライナ北部)

 旧ソ連政府は住民のパニックや機密漏洩を恐れ、この事故をはじめ公表しなかったため、周辺住民は避難措置もとられず、甚大な量の放射能をまともに浴びることとなった。当夜、夜釣りをしながら爆発を目撃した男性は「爆発はすごかったが、まさか原発とは思わなかった。なぜなら日頃から原発は安全だと聞かされてきた。爆発することがあるなど誰もいわなかった。だからただの事故だと思い、釣りを続けた」と語っている。この男性はその夜に頭痛や吐き気に襲われた。


 また、大量の放射能は風に乗り世界中に広がった。最初の放射能雲はバルト海へ向かい、翌4月27日には海をこえたスウェーデンで放射能が検出され、4月末までにヨーロッパ各地で、さらに5月上旬にかけて北半球のほぼ全域で観測された。約8000㌔離れた日本ではまず5月3日に降った雨水からチェルノブイリからの放射能を観測し、その後野菜・水・母乳などから放射能が検出された。


 旧ソ連政府が事故公表に踏み切ったのは2日後の28日になってからであった。事故による高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ原発周辺は居住が不可能となった。政府発表では半径30㌔以内に住む約11万6000人全員が1カ月後までに移住したとしている。だが、移住手段がなかった住民や老人の一部は移住せず生活を続けざるをえなかった。


 なかでもプリピャチ市は、チェルノブイリ原発で働く職員、労働者のためにつくられた人口5万人程の町で、原子炉から3㌔ぐらいの距離にあった。大部分の市民は26日の夕方ぐらいまでに原発の事故を知ったが、避難が始まったのは、27日午後2時で、それまでは普段どおりの生活を送っていた。政府は27日になってバス1000台を用意し、この町の住民の強制避難を決定した。昼のラジオ放送で「身分証明書を携帯し、3日分の食料を持参すること」との避難勧告が流された。住民のほとんどは3日たてば町に戻れると思っていたが、二度と町に戻ることはなかった。



 故郷失い農業もできず 今も「居住禁止区域」



 プリピャチ市以外の原発周辺30㌔圏内の住民(穀倉地帯であり主に農民)の強制避難は事故から1週間もたった5月2日に決定された。1週間のあいだ、事故については知らされず、ほったらかしにされていた。30㌔圏内から住民約13万5000人と何十万頭という家畜が避難し、23年たった今も「居住禁止区域」になっている。


 ところが、事故から3年たった89年、原発から300㌔も離れた地域にまで高汚染地域が広がっていることが明らかになり、新たにこの地域に住んでいた数十万人が移住した。


 事故による放射能汚染で500以上の町や村がゴーストタウンとなり地図上から姿を消し、40万人が故郷を失った。汚染地域からの移住者は慣れない都会での生活をよぎなくされ、放射能被害に加え、地域社会の崩壊や生活基盤の喪失がのしかかることになった。20年以上を経て、移住先での生活になじめず、放射能に汚染されていることは知りつつも、居住禁止地域に帰っている住民も出てきている。だが、20年以上過ぎた現在もなお、放射能レベルは測定器が振り切れるほどの高さを示している。


 また、現在も居住禁止ではないが、いわゆる汚染地域に600万人もが不安を抱きながら暮らしている。ウクライナだけで見ても、230万人が被曝の後遺症に苦しんでおり、事故当時子どもや若者だった約4400人が甲状腺ガンの手術を受けている。爆発時に無防備に放射能を浴びた住民は甲状腺ガンや白血病、そのほかの疾病が多発している。


 とりわけ90年ころから子どもの甲状腺ガンが急増した。放出されたヨウ素131による被曝である。ベラルーシ南部のゴメリ州では、91年以降世界平均の100倍をこえる発生率が観測されている。甲状腺ガンは事故当時0~6歳の世代が最も高く、23~29歳を迎える世代が今後ガンになる可能性が高いといわれている。とくに女性は結婚・妊娠・出産を通じて甲状腺の正常な機能がもっとも必要になる時期を迎えている。


 さらに、セシウム137による被曝が問題になっている。半減期(放射能量が半分になるまでの時間)が8日間と比較的短いヨウ素131に比べ、セシウム137は半減期が30年と長く、遠くまで飛び、食物にもとりこまれやすい。そのため外部被曝だけでなく、内部被曝をもたらす。


 最も高いレベルのセシウム137は土壌の表層にあり、それが植物やキノコ、昆虫に吸収され、食料生産に入りこみ、人体に影響している。汚染された大地の野菜や植物は、放射性物質を根から吸い上げ、根や葉に濃縮して蓄積する。それを人間や家畜が食べると、より濃縮されて体内に蓄積される。このため、セシウム137や同じく半減期が30年のストロンチウムなどによる土壌汚染が重大な問題になっている。


 セシウム137の汚染密度が1平方㌔当り15キュリー以上の地域は「強制移住区域」となっている。またセシウム137が同1キュリー以上の地域をいわゆる「汚染区域」としており、ベラルーシ、ウクライナ、ロシアの3カ国で約13万平方㌔におよぶ。ここに600万人以上が住んでいる。


 事故から23年たった現在、おもに農業で暮らしてきた住民は被曝によるガンや白血病に苦しめられ、故郷を失い、農地が放射能で汚染され、農業もできない状況におかれている。チェルノブイリ原発事故は過去ではなく現在の問題として重くのしかかっている。



 放射能が漏れ続ける炉 崩壊すれば大惨事

 さらに、爆発炎上したチェルノブイリ原発4号炉は、事故直後大量の作業員を投入し、「石棺」と呼ばれるコンクリートで固める応急処置をした状態のままである。「石棺」の耐用年数は30年とされており、期限は近づいている。その中には今も20㌧の核燃料(約1800万キュリー)が入っており、コンクリートの壁から大量の放射能が漏れ続けている。老朽化は著しく、万が一崩壊した場合にはさらに大惨事となる。


 より効果的な封印策について論議もされてきたが現在のところ、この石棺の修復と監視のために約5000人が24時間体制で従事している。専門家はこのまま続けた場合、放射能の被害がなくなるのは4000年後になるとしている。


 チェルノブイリ事故による被災者はこのほか、事故時に原発に居合わせた労働者や消防士たちが1000~2000人。事故の後始末や汚染除去作業に従事した人人、60万~80万人がいる。これらの人人も放射能の被害については知らされないまま大量の放射能を浴び、その後死亡したり発病しているが、正確な因果関係は明らかにされていない。
   
 爆発で国土廃虚に 核戦争の標的にも

 上関原発に当てはめた場合どうなるか。数㌔内の祝島、四代をはじめ上関町内や平生町佐賀地区などは「3日分の弁当を抱えて」強制避難し、二度と戻れなくなる。岩国から周南市あたりまでの30㌔圏内も「居住禁止」で、これも強制避難で難民となる。国道二号線や高速道、鉄道、新幹線も自由な使用はできず、国土はマヒすることになる。


 さらに300㌔範囲が「高汚染地域」で山口県、広島県、愛媛県は壊滅、岡山県から大分市や別府市、愛媛県、福岡県の北九州市、福岡市、佐賀市、熊本市なども、ゴーストタウンとなる。


 原発が爆発する危険性は極めて高い。
 第1の危険性は、戦争によるミサイルの標的になることである。隣接する岩国基地は空母艦載機移駐がはかられ、朝鮮、中国、ロシアなどへの直接の核攻撃基地となっている。基地内では報復攻撃を想定した国外避難訓練がやられているほどである。岩国基地と共に上関原発が格好の標的となる。


 第2の危険性は地震、津波である。上関町は地震の観測地域となっている。伊方原発沖には大きな活断層があることが明らかとなっている。直撃の地震、さらに津波が来れば大事故になっていく。


 第3は、通常運転での事故の危険性である。原子力技術者は団塊の世代が主力であった。その後は斜陽産業として技術者は敬遠されてきた。大学卒のエリートの学力、技術低下は現在大きな問題となっている。大事故の危険性は大きくなっている。


 第4に、幸いにして事故に遭わずに閉鎖することになっても、ぼう大な放射性物質が残る。放射能が消滅するのは何万年後となる。それが放出するのは明らかで、何万年と放射能事故が続くのと同じである。事故後のチェルノブイリ原発のようなものである。


 国土を廃虚にする危険を冒してどうして原発を建設しなければいけないか。とくにアメリカの尻馬に乗って、日本全土を米軍が自由に使用し、米軍基地を大増強する。自衛隊をイラクやアフガンやソマリアに派遣し、北朝鮮を先制攻撃せよとか、核武装をせよなどと叫びながら、ミサイルの標的にする原発をさらに増設しようという政治は気違い沙汰である。愛国心も郷土愛もない、売国と亡国政治である。


 原発建設を阻止するたたかいは、瀬戸内海漁業を壊滅させるのではなく、また国土を廃虚にするのではなくて、平和で豊かな日本社会へと立て直す民族の重要課題である。


 祝島の島民が、補償金の受けとりを拒否する行動は、単に祝島島民の生活を守るだけではなく、日本の民族的な根本利益を守るたたかいとなっている。
 上関原発をつぶすか日本をつぶすかの選択の分かれ目で、全県民的、全国民的な共同斗争が求められている。

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