いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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道の駅「上関海峡」に上関の魚がない不思議

 上関町に道の駅「上関海峡」がオープンして数週間が経過した。祝島をはじめ、上関町内の新鮮な魚介が手に入るとあって、広島など遠方から噂を耳にして駆けつける人も少なくない。ところが訪れた客から早くも「魚の値段が高い」「上関の魚ではなく、広島や下関の魚が並んでいる」「上関の魚だと思って足を運んだのに…」と残念がる声が上がっている。道の駅は県内でも各所に開設され、そのとりくみ如何によっては第1次産業の活性化に道を開くなど、積極的な役割をはたしてきた。海産物や農産物を莫大な経費をかけて都市部に出荷し、二束三文で買い叩かれて泣かされるよりも、生産者みずからが消費者とつながって販売する手法の優位性が認められてきた。上関の道の駅もおおいに期待を集めていたが、いざオープンしてみたら「上関の魚が手に入らない道の駅」になっていたことから、「いったいどうなっているんだ?」の声が上がっている。
 
 生産者本位の経営に転換せよ

 12月某日、休日ともあって町外から足を運んだ観光客も少なくなかった。ごった返す店内の一番奥のスペースにさまざまな魚が並べられていた。上関産や祝島産と書かれたタイやヤズ、アジやコノシロ、メバルなどが並ぶ一方で、広島産のアカシタ(シタビラメ)、メダカ(メイタガレイ)や山口県産と書かれたミズガレイや刺身の盛り合わせなども同じように陳列されている。よく見ると、町外の魚がある程度の割合を占めていることがわかる。
 近隣のスーパーと値段を比べてみると、「割高感がある」と語られているように、同程度か少し高い印象だ。なかでも「メバルが高い」という客が多く、夕方になっても売れ残っている状況がある。メバルの値段は某日で450円(15~20㌢くらい)程度だった。スーパーでは刺身用に盛りつけられた商品が安売りで1パック300円、上関では1パック400円。漁港から水揚げしたばかりでスーパーと比較にならない鮮度が大きな売りであるが、100円違うと客も敏感に反応するようだ。特に家庭で胃袋を握っている主婦たちが「この道の駅は高い…」と感じて逃げてしまえば、今後にも影響をもたらしてしまうと心配されている。
 本オープン時は2、3日連続で海が時化たこともあり、町内からの魚の出荷が激減した。1日くらいであれば活かしていた魚を持って行けるが、3日も続くとどこも空になる。そうなると道の駅「上関海峡」では、広島や下関、仙崎などの魚だけが売棚を占めるようになり、客も「上関の魚はないのか…」と幻滅してしまっている。出荷している漁師たちも「あれだけ時化ると魚はない。よそから持ってくるのがいいとは思わないが…」と頭を悩ませている。よその市場から持ってくる、つまり買い付けて転売するとなると、必然的に運搬経費やマージンが発生し、販売価格が釣り上がってしまう。産地の強みどころか、道の駅が消費地に逆転するからだ。スーパーの店頭に並ぶか「上関海峡」で販売されるかの違いしかないなら、客がそれを望んでわざわざ遠方から買いに来るのか疑問だ。
 オープン初日にひときわ目立っていたのは、寒風吹きすさぶなか屋外で「フグの唐揚げ」を販売していた漁業夫人たちだった。期間限定の販売だったが、寒いなかでなかなか足を止める客がおらず、止まってくれても1パック(400円)のみ購入する人が多い。訓練を兼ねたプレオープン時には道の駅側の援助もあって、300円で販売した。このときは2パック、3パックと購入する人が多かったという。この日は最終的に昼過ぎから300円で販売し、完売することができたが「今後どうすればうまくいくのか」「やはりもうけは少なくても安くないと客は買わない」「買う人の要望にあった価格設定にしなければ」と語られていた。それほど価格に敏感なのが昨今の経済情勢で、欲を張れば逆に損をし、客も生産者も喜べる価格設定の難しさを痛感させた。試行錯誤のとりくみとなっている。

 出荷量少ない要因 漁師育成滞らせた原発騒動 地域共同体も破壊

 それにしても、上関の基幹産業は漁業で漁師ならたくさんいるはずなのに、なぜ魚が確保できないのか。課題として、出荷者が出荷しやすい体制をつくることも問題の一つとして指摘されている。販売登録している漁師の数に比べて、実際に毎日出荷している人の数が少ないから量が確保できないといわれている。
 出荷者に聞くと、「個人で出す場合、プリンターみたいなものがあるところで自分で入力し、シールを印刷してパックにつめ、シールを貼るところまでやらなければならない。それに結構手間がかかる。年寄りならなおさら。だから小さい魚はなかなか出そうと思わない」と語られていた。漁法にもよるが、漁師たちは朝早く海にくり出し、遅い人になると日が暮れても帰って来ないほど頑張るときもある。漁具を整理したり、痛んだものは修理したり、船の手入れなど、港に帰ってからもやることは山ほどある。出荷対応は婦人がやるほかないが、それにしても煩雑で気が進まないという事情があるようだ。
 多くの町民のなかでは、道の駅の建設にあたって紆余曲折があったにせよ、「道の駅を使って上関の発展、活性化をはかっていこう」という期待があちこちで語られていた。準備段階から「どうすれば客が町外から来るのだろうか」「室津の朝市には広島からも駆けつけていた。口コミで広がれば来るのではないか」「魚をそのまま売るだけではだめだ。上関の特色を生かしてハモの唐揚げや安い海鮮丼などやれば、どんどん広がっていく」など、アイデアも含めて期待が語られていた。上関町内には魚を買える店がなく、オープン後には、町内の高齢者がバスを使って買いに行っていることが語られ、実際に重宝されてもいる。
 しかし一方で、道の駅の駅長が県漁協から天下ってきた者だったり、その関係もあって下関や広島から魚がトラックで運び込まれていることなど道の駅を運営する「なごみ」の運営自体に疑問を抱いている町民は多い。上関の魚をいかにして確保するか、生産者にとって魅力ある販売所にして集荷力を高めるかがおろそかになり、足りなければ初めから市場から持ってくるという安易な方向が、わざわざ足を運んでくる客のニーズに応える道か? スーパーと同じ魚を割高で販売して喜ばれるのか? の疑問になっている。漁師がとってきた魚は活魚として扱い、畜養技術を高めるなら時化にも強い販売体制を確立することができるし、そうした工夫や努力こそが求められている。
 というより、道の駅「上関海峡」は誰のためにつくられて、何をするところなのか、という根本的な問題が問われている。町民の知らない間に駅長は県漁協出身者(上関出身者ではない)に決まった。それは中電の後押しで山口県漁協組合長に成り上がった森友信氏が決めた配置と見なされている。駅長については、柳井の漁連販売で魚を扱っていた人物として知られ、近年は下関の本店に勤務していた。そして、12月の「上関海峡」オープンにともなって、今度は森友組合長から駅長に抜擢されてやってきた経緯がある。運営を担っている「なごみ」(上関海峡温泉も運営)には中電職員が天下っていた時期もあったが、中電の次は県漁協がその運営を牛耳る構造へと変化した。その結果、漁連販売の直営店舗のような道の駅になってしまったというなら、本末転倒も甚だしい。
 魚が揃わないのは決して時化だけが原因ではない。上関原発計画が浮上してからの三十数年を経て、産業振興に力が注がれず衰退するに任せてきたことから、漁師は高齢化して激減しその生産量もめっきり落ち込んでいることが背景にある。上関の漁業といえば、かつて広島の豊島や吉和から瀬戸内海でも当時最先端の漁業技術を持った漁師たちが、その好漁場に目をつけ、移り住んできて漁法を伝え、発展に貢献してきたことが知られている。一本釣りにせよ、延縄にせよ、一朝一夕で身につく技術ではなく、漁場の特質や魚の生態を知悉し、狙い通りに魚を釣り上げられるようになるには経験が必要とされるとベテラン漁師たちは語る。生産者、漁師の育成が滞った結果、想像以上に生産量が落ち込んでいるというのも現実だ。
 また、魚はあっても、長年の原発騒動の過程で地域共同体としてのまとまりが破壊され、足の引っ張りあいや対立・抗争が持ち込まれた結果、共同体全体で連帯・団結して物事を成し遂げていく力が弱まっていることも、よそにはない困難性をもたらしている。今回の道の駅も駅長からしてよそ者が配置され、柏原町政といえば箱物をつくって満足し、運営利権を県漁協に丸投げして“仏作って魂入らず”である。
 この一部の者だけがイイ事をしていく、原発騒動の産物ともいえる体質を抜け出さなければ、ろくな結果にならないと指摘されている。如何にして上関の漁業なり第一次産業の起爆剤にするかという視点が弱く、「なければ輸入すればよい」と同じ調子で、「なければよそから仕入れたらよい」と他に寄生したり、投機的になっていく根拠といえる。しかし、売れて収入になりさえすればよいという運営側の願望から出発した発想では、客を喜ばせ、満足させることなどできず、下関で買える魚なら下関に行けばよいし、広島で買える魚なら広島の人人はわざわざ上関に来なくてよいとなるほかない。放っておいたら閑古鳥が鳴く道の駅になってしまうことが懸念されている。

 瀬戸内有数の好漁場 第1次産業立直しの拠点に 中電支配を排し

 町民の一人は「長い間上関の漁業に携わってきたが、町内の漁業が衰退していることが一番の問題だ。道の駅に出荷する漁師の数も40人ぐらいといわれている。昔は祝島でもたくさん漁師がおり、運搬船も今より大きな船で、九州から遠くは京都まで出荷していた時期もあった。今は漁師が定期船で運べるぐらいのときもある。上関、室津でも同じだ。2軒あった室津の水産会社の一つがつぶれたが、魚価が低迷しているなかで漁師はもっと厳しい」と語った。
 「ただ厳しいといっているだけではなにも変わらない。漁業収入をアップさせる方法を考えなければいけない。漁師の収入がアップすれば漁協も成り立つ。上関や祝島の場合は島という条件を生かしてどう漁業を発展させていくのかが重要だ。瀬戸内海の島のなかでも、周防大島の浮島などはイワシ網で黒字を計上しているし、田布施は雑魚を自分たちで加工して販売しながら若手育成にも力を入れている。他の漁協に学ぶべきところは多いのではないか」「祝島でも道の駅に出荷するようになって漁師の手取りが若干アップしたといわれる。福山まで持っていくよりは運搬費がかからず、漁師の収入が増えることは明らかだ。今後はその方向を追求しなければならないのではないか」とのべていた。
 別の漁業関係者は、「道の駅に出される魚というのは、よそから持ってきたもの以外はその日の朝か、遅くても前日に獲れたものだ。祝島の魚でも今日獲れた魚が夕方には船で道の駅に搬入され、次の日の朝には店頭に並ぶ。広島などのスーパーで並んでいる魚に比べ、鮮度は抜群だ。だから遠くから来て“この魚はうちのところより安いし、新鮮だ”という人もいる。今までのように広島や福山に持って行ってそこからスーパーなどに行くよりははるかに活きがある。そこをもっと宣伝するべきだ」「道の駅に魚を出し始めてもうかるという実感はないが、今からいい方向にもっていかないといけないと思っている。徳山のソレーネ周南も一時期より客が減っていると話になっているが、ずっと人気が続くように漁師や関係者がもっと努力しないといけない。いい魚を出せる自信があるしもっと工夫しながらやっていかなければいけない」とのべていた。生産者のやる気をいかに結実させるか、第一次産業の振興のための拠点として発展させるかが、鋭く問われている。
 上関では長年、中電が地域共同体のまとまりを破壊して今日に至っている。漁協は中電や県水産部に乗っとられ、都合のよい原発推進組織に姿を変えて、本来の機能をはたしえないものになってきた。広島という大市場が近くにあるにもかかわらず、共同集荷や出荷の事業が発展せず、製氷器も個人が購入してまかなっていたり、魚を生かしておくいけすもない。冷蔵庫すらないところもある。たくさんの魚が水揚げされるのに、町内には市場もなく、雑魚に付加価値をつけるような水産加工場もない。漁業者は長年建設を要求するが「原発ができたら金が入ってつくれる」といって、要するにつくる気がない。それぞれがバラバラに仲買と個人契約を結んで、バラバラに出荷するのに任せている状態が長らく続いてきた。漁師は沖で一生懸命に魚をとってくるが、一本釣りでとってきた高級魚も、底引きや建網がとってきた魚も、漁連販売を中心とした仲買に「相場買い」で買いたたかれてきた。委託して市場に出荷しても、手数料をぬかれた金額が手元に届くと、たいして変わりがない。
 「瀬戸内海の心臓部」といわれる好漁場だけに、魚そのものはけっしてよそに劣るような貧相なものではない。価格交渉など皆無で、魚につけられる値段が貧相なのである。その最大の問題は協同組合が機能していないことにある。原始的ともいわれる「相場買い」と歴然としたピンハネの存在が、漁業生産量に対して漁業収入が低い大きな要因であり、地域全体の漁業経営の困難に拍車をかけてきた。
 仮に道の駅がなくても、協同組合の強みを生かしてトラックを仕立てて都会の市場に持ちこむなど方法はいくらでもあるが、組合長らの脳味噌の関心は漁業振興によってもうけをあげることよりも、漁業者の生産に寄生して法外な手数料をとったり、中電に寄生して小遣いをもらうことだったり、別目的に関心が向いてきた。そしてせっかく完成した道の駅に乗り込んできたのが、ピンハネの帝王みたいな漁連販売出身者で、そもそも生産者に寄生してきた商売の出身者であった。県漁協といっても、この間は祝島漁民に原発の補償金を受け取らせようと何度も恫喝を加え、中電の下働きをしてきた張本人で、漁業生産よりも海を売ってカネもうけすることにしか関心がない。
 漁業補償交渉をかかえる中電が長年にわたって幹部衆の引っこぬきや飲ませ食わせをやり一方をとり立てて一方を村八分にするなどの分断工作や利用をくり返してきたことが、漁業者間の不必要な軋轢を生み、結束崩壊を深刻なものにしてきた。魚が揃わないのは、分断対立の複雑な歴史や感情も影響している。生産者のため、産業振興の起爆剤になるような道の駅として発展するためには、そうした障害を乗りこえなければならないことも課題になっている。
 上関は漁業の町で、その優位性は瀬戸内海有数の産地という点にある。その魚が食べたいという要求は県内、県外を問わず強く、やり方によっては道の駅が中心になって産業振興に向けて力を発揮することは十分可能だ。現実に、漁師グループのなかには東京や広島に割烹を展開し、びっくりするような年収を手にしている漁師たちもいる。水産業によって町の振興をはかっていく具体的な道筋を展望し、生産者本位の道の駅にすることが求められている。

 「祝島の魚」の真相 仲買になった高島美登里氏 本紙の取材を拒否

 なお、道の駅でみなが魚の販売方法を苦心しているときに、「奇跡の海の贈り物」「上関お魚おまかせパック」として、全国に魚を送って収入を得ている者がいることも話題になっている。「反原発活動家」「環境保護活動家」として室津に住み着いている高島美登里氏で、「最近は環境保護活動よりも仲買活動に熱を上げている」と住民たちは話題にしている。
 「上関お魚おまかせパック」として、毎月3000円か5000円のコースを選んで、配送されるようになっている。「安全・安心な海といのちを、いつまでも守りたい。そんな想いから始めた上関お魚おまかせパックは、地元の漁師さんがその日に水揚げした新鮮な海の幸をつめあわせた産地直送のサービスです」と宣伝チラシには書かれている。
 問題になっているのは、その魚を受けとっている全国の人人が「祝島の魚を購入している」と信じていることだ。山口県内だけでなく、東京など遠隔の相当数の反原発支援者が「赤字経営で困っている祝島のために、カンパの思いで購入している」と語ってきた。しかし祝島の漁師たちは何のことか事情を知らず、「東京の支援者から“祝島の魚を買いましたよ”と連絡があって、不思議に思っていた。祝島で原発に反対している私たち漁師は誰も魚を出荷していないのに…。高島さんに問うと口を濁していた」と語られている。
 「祝島の魚」の真相について高島氏本人に取材を申し込んだところ、自宅ドアの鍵をかけたまま中から「取材はお断りします」というばかりで、ドア越しに質問をぶつけると、「祝島の魚は売っておりません!」という返答がかえってきた。定期的に3000円なり5000円コースの海産物を購入している反原発支持者は、「祝島のために、少しでも協力できれば」という純粋な気持ちでいまも買い続けている。しかし、それは祝島の魚ではなかった。祝島にカンパとして届けられている形跡もない。
 昨年、祝島の漁協経営の赤字問題は大きく取り上げられ、兵糧攻めを心配した全国の人人が総額にして2000万円を越える多額のカンパを寄せてきた。そのなかで、便乗商法がやられたのかどうか、高島氏自身の口から祝島の島民たちに対して説明することが求められている。金銭の振り込み先は、高島氏の配偶者の口座なのだから。

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