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阿武町道の駅が繁盛する訳 変化に貪欲、次々と新しい試みに挑戦

驚く安さの鮮魚に連日大行列

 

開店と同時に鮮魚売り場に殺到する人々。10分で完売となった(13日)

 陸上自衛隊むつみ演習場へのイージス・アショア配備計画をめぐり、町民が「美しい郷土を後世に引き継ぎたい」と強い反対の意志を表明している阿武町。阿武町は平成の大合併を拒否して単独町政を貫き、第一次産業を基礎にした地道な町づくりを続けてきた。そんな農漁業の町でシンボル的な役割を果たしているのが、日本海沿いを走る国道191号線に設置された「道の駅阿武町」だ。阿武町の玄関口として新鮮な農林水産物や物産品などを販売する直売所や温泉、食事、温水プールなどがあり、行列のできる道の駅として名を馳せている。阿武町の魅力発信の拠点であり生産者と消費者をつなぐセンターの役割を果たす「道の駅阿武町」の魅力を取材した。

 

 4月13日(土)の午前9時30分ごろ、「道の駅阿武町」の前には、10時の開店を待つ人人の行列ができていた。30~40代の子ども連れから70代前後の夫婦まで年齢層もさまざまで、みんな「道の駅」の表示がある青いカゴをしっかり握って並んでいる。まるで初売りのデパート前のような雰囲気だ。並んでいた人たちに聞くと隣の萩市や島根県益田市、広島の方から来ている人もいる。目的は何といっても「新鮮で安い魚」だ。

 

開店を待つ客の行列

 10時開店と同時になだれ込むようにして鮮魚売り場に人人が殺到した。10分もしないうちに鮮魚売り場は空っぽになった。するとすぐに立ち入り禁止のロープが引かれて、店員たちが手慣れた様子でパック詰めされた鮮魚を再び並べていく。そして再びロープが解かれ、どっと客たちが身を乗り出して鮮魚に手を伸ばしていた。

 

品出しを待つ人々

 この日の鮮魚の値段を見てみた。山陰沖のイサキが2匹で580円、30㌢ほどの天然鯛が1匹500円、イトヨリ6匹で200円、30㌢のチヌが1匹500円。その他、鹿児島産の25㌢ほどのサバ2匹が300~350円、熊本産のキンタロウが8匹で200円と破格の値段がついている。他にもイカ、小アジなどがパック詰めされて並んでいる。ちなみに1パック80円で売られていた小アジを数えると80匹入っていた。その他、山陰沖でとれた80㌢超えのメジが1本2200円、1㍍ごえのブリ(約8・3㌔)が1本4000円で売られていた。

 

 この「山陰沖」の魚をとってくるのは地元の奈古、宇田郷の漁師たちだ。そのなかでも多くが宇田郷漁協で水揚げされた鮮魚である。宇田郷地区では3年前から定置網で地域を活性化しようと「宇田郷定置網株式会社」を立ち上げ、秋田や広島、熊本や県内各地から20~50代の新たな担い手を受け入れている。水揚げの多くは萩の卸売市場に出荷するが、そのうちの一部を「道の駅」に出荷している。小さくて市場には卸せないような鮮魚はパック詰めして道の駅で安く売ることで喜ばれているという。漁獲量は天候に左右されるため、魚が少ないときは仲買や萩の市場から仕入れて道の駅に出してはいるが、できるだけ地物の魚を出すことにこだわっている。宇田郷漁協の男性は、「一時期“魚離れ”という言葉があったが、それを吹き飛ばしたいという思いもあり、多くの人に魚を買ってもらえるよう道の駅でしか買えない値段をつけている。道の駅が元気であることが阿武町全体の元気につながるからだ」と語り、魚を選別し値付けするのも熟慮しながらおこなっていると話していた。

 

宇田郷定置網の水揚げ。早朝の港は選別作業で活気づく(昨年8月26日)

 道の駅には鮮魚の他にも新鮮な野菜や果物をはじめ、それらを加工したキウイや梨の手作りジャム、マドレーヌ、豆腐やおこわ、サザエ飯、手作り餅やおかきなど多種多様な商品が並んでいる。「道の駅は町内産業の発展の核」と位置づけているように「阿武町の『人』と『もの』を最大限に活かし、広くつないでお金の循環を生み出し、地域の活力の場」となっている。

 

 町の担当者は、「道の駅は阿武町の新鮮な野菜や魚を町内外の人に安く提供して魅力を発信する、また生産者と消費者をつなぐ崇高な使命がある。そこから離れてもうけだけを求めればスーパーと同じになる。生産者も消費者も従業員もそれぞれがWin―Win(ウィンウィン)の関係をつくっていきたい」とのべ、町の玄関口としてより親しみを持ってもらえるように従業員の認識の一致も重視しているという。2014年4月に町が8億円の予算をかけて道の駅をリニューアルオープンしたものの赤字が続いていた。しかし、魚の仕入れ方法などを地物重視へと見直した結果評判が広がり、2017年度から黒字に転じた。

 

 ちなみに阿武町道の駅は「全国道の駅発祥の地」といわれている。「鉄道に駅があるならば、道路に駅があってもいいのでは」という発想から1991(平成3)年に道の駅が全国3県12カ所で実験実施となり、山口県は阿武町で実施した。いまや全国1154カ所(2019年3月現在)に広がった道の駅だが、観光客のみに依存して地元の産業は衰退してしまい、どこでも購入できる商品が並ぶ道の駅もあるなど、その先行きは明暗が分かれている。そのなかで阿武町道の駅は町の農漁業の振興と車の両輪の関係にあり、町民に愛され、町民の生産の活力につながっているのが特徴となっている。

 

 また観光客もさることながら、萩市、長門市、益田市などから新鮮な魚や野菜を買いに来る常連客が多く、「この道の駅に来れば新鮮で安い魚や野菜がある」「スーパーはあるけど、魚はまず道の駅へ」という信頼関係ができあがっており、周辺住民にとっても生活に密着したなくてはならない場所になっている。

 

 客層を把握するうえで道の駅が調査した「ポイントカードの登録状況」(3月25日)を見ると、登録者の36・3%が萩市民で最も多く、阿武町が15・5%、益田市9%、長門市4・3%、その他県内26・9%、県外8%となっている。

 

町職員と町民が一体でI・Uターン増に力注ぐ

 

 阿武町では今年度「第一次産業再生元年」の方針をうち出し、町の農漁業振興にさらに力を入れようと、町職員と町民が一体となって具体的に動き始めている。漁業の面では、「人と魚をつなぐ魚の伝道師」といわれる元水産官僚の上田勝彦氏を招き、阿武町の魚の可能性を探っていく試みを実行中だ。若手漁師と地域おこし協力隊の若者が上田氏にならって「神経締め」を学んでいるほか、「安くて新鮮」という魅力からさらに一歩進んで、それぞれの魚の特性を知って値段の付け方や売り方も研究していく努力をおこなっている。また道の駅職員も鮮魚の名前や調理法を学び、客に聞かれたら対応できるようにするなどの研修をおこなっていくという。

 

 農業の面では県内一の生産量であるキウイフルーツに力を入れる。奈古や宇田郷で生産しているキウイは、最盛期(昭和50年代)には出荷量が100㌧あったが、現在は27㌧にまで落ち込んでいる。そのため現在、奈古の耕作放棄地の4㌶のほ場整備をおこない、キウイ団地を整備するとともに、現在の「キウイフルーツ生産出荷組合」を法人化して集団管理にし、「もう一度、阿武町の特産品として発信しよう」という試みだ。現在、道の駅に並ぶキウイはあっという間に売り切れてしまい、農協などからも阿武町産のキウイが求められることから、生産量を増やし、レインボウキウイなど新たな品種にも挑戦する計画だ。ちなみに道の駅では、出荷できない傷物のキウイを活かすために女性グループが加工品として開発したキウイのジャムやマドレーヌ、リキュールなどの加工品を売り出し人気となっている。

 

キウイを育てる生産農家(昨年11月、阿武町提供)

 阿武町は農業分野で全国に先駆けて農業組合法人を組織し、先祖代代耕してきた農地を集団の力で守っていく態勢をとり入れた町である。ホウレンソウや大豆、スイカ、梨、ハクサイなど多数の特産物があるほか、一俵1万2000円にしかならない水稲から一俵2万2000円で売れる酒米の生産、薬草の栽培などに挑戦している。このように現状に満足することなく新しいものを研究し変化し続ける姿勢は、農漁業だけでなく町政全体に貫かれている。

 

 2004(平成6)年の平成の大合併を拒否し、単独町政を選択した阿武町は、第一次産業を地道に発展させることによって町民の生活を守ること、「選ばれる町」「開かれた町」を掲げて、独自の政策をうち出してきた。人口定住策では「自然減を止めることはできないが、社会減を食いとめる」ために、U・Iターンの転入による社会動態の増加に力を入れている。町の基幹産業である農漁業の振興を中心に据え、若い世代が新規就農や漁業の担い手として定住できるような条件整備に力をさいている。子どもの医療費の高校生までの無償化や母親たちが働きやすい環境を整えるための保育体制も整えている。

 

 2007年には「空き家を資源」として捉え、町が空き家バンクを設立して移住希望者に対する空き家の貸出や売却の手助けをおこなってきた。これまでに空き家バンクを通じて245人(昨年4月時点)が移住している。こうした町の具体的な働きかけが実を結び、人口の社会動態がゼロから増加に転じつつある。

 

 阿武町の2008~2017年までの10年間の人口動態を見ると、出生が153人、死亡が850人で自然動態はマイナス697人、一方転入は1094人、転出は1098人で社会動態はマイナス4にとどめている。2011年は26人のプラスとなった。県内の他市町の社会動態が減少傾向にあるのに比べても、増加傾向は顕著である。

 

 町政の根底には、「町民の生活や産業を守るために行政は新しいものを投げ続けなければならない」「強いものが生き残るのではない。変化できるものが生き残るのだ」という緊張感をともなった意識があり、町職員は「打てば響く!」を合言葉にして町民の要望に耳を傾け、できることから即実行していく姿勢を徹底している。

 

 今回、降って湧いたように浮上したイージス・アショア配備計画は、これからの町の将来をあらためて考え、「子や孫のために美しい郷土を引き継ぎたい」という町民世論を呼び起こす契機となっている。それは長い年月をかけて町民が手と足で築いてきた誇りであり、「イージス・アショア配備反対」は町民の強い意志となって広がっている。

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