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現職の大半が得票を減らした意味 下関市議選の結果を記者座談会で分析

低投票率依存で進む質の低下

 

 2月3日に投開票を迎えた下関市議会議員選挙の結果はいったい何を物語っているのか、取材にかかわった記者たちで座談会をもち、分析した。

 

当選証書の授与式(4日、下関市役所)

  まず選挙結果の特徴から分析してみたい。

 

  投票率は前回よりも2・1ポイント下がって43・37%と過去最低を更新した。およそ5割から6割の有権者がそっぽを向いた選挙になってしまった。新人が14人もいながら、新たに投票に行く人人を掘り起こせなかったのが特徴だ。「この人ならしっかり頑張ってくれるのでは」という新鮮さや期待が乏しかったことを反映している。一部では盛り上がりもあったが、全般としてはしらけた選挙戦となった。

 

  本来ならこれだけ新人が出馬する選挙では投票率が上がっておかしくない。しかし、それがなかった。「女性活躍社会」を意識した女性新人候補や20代の若者、自民党をはじめとした各政党の所属候補など、現職や新人が41陣営入り乱れたが、基本的には前回と同じ「選挙に行く層」の枠の中だけで票を奪い合った構図だ。そして、現職は軒並み得票を減らした。前回選挙の得票と比べてみると、この選挙で有権者が下した審判は相当に厳しいものだったことがわかる。

 

 現職のなかで得票を増やした者は、情けないことに僅か3人だった。どれぐらい増やしたのか見てみると


安岡克昌 1190
板谷正  733
井川典子 226


となっている。下関市民の会が推薦した本池涼子は新人なので単純比較はできないが、前回の所属候補の得票からは776票増やした。

 

 逆に減らした者が22人もいる。どれぐらい減らしたか見てみると


松田英二 1023
江村卓三  956
桧垣徳雄  937
戸澤昭夫  808
片山房一  790
福田幸博  772
濵岡歳生  607
田邊ヨシ子 542
林透    515
関谷博   498
亀田博   353
木本暢一  323
平田陽道  289
吉田真次  267
山下隆夫  178
田中義一  174
江原満寿男 148
前東直樹  104
小熊坂孝司 97

林真一郎   93
香川昌則   47
恵良健一郎  16


となっている。この選挙の審判を象徴的にあらわしている数字だろう。現職はどうしても前回比で4年間の活動実績が評価される。支援企業の組織票が逃げていったり、同じ地域から新人が出て食い合いになったとかさまざまな要因もあろうが、支持者を失ったのだ。投票率の低さもすごいが、そのなかで現職すなわち下関市議会そのものに不信任が突きつけられたかのような結果だ。

 

 D 注目されるのはまず第一に安岡克昌のトップ当選だろう。記者座談会でも触れてきたように、前田(安倍派)vs中尾(林派)が争ったあの市長選の後、自民党下関支部のなかでは両派閥の市議・県議による場外乱闘が続いていた。「下関の日馬富士事件」ともいわれた暴行事件まで引き起こした。議場で安倍夫妻を批判した安岡は、安倍派から最大のターゲットとなって無期限の役職停止処分を受け、市議選では公認ももらえずに無所属で出馬することになった。同じ地盤からは安倍派の星出が出馬して支持者を切り崩されたり、事務所も商店街の中心地から外れへと閉め出されていた。同じ政党の仲間でありながら、やることが余りにも露骨すぎた。

 

 本人が自民党下関支部での制裁を批判したり叫んで回ったわけでもないが、「安岡が叩きつぶされそうになっているよ」と街の話題が広がるなかで、「ならば応援してやろうじゃないか!」というアンチな人人がドッと動いた。まさか4500票もとるとは、恐らく本人も陣営も自覚していない。「林派のなかに充満する反安倍とか打倒安倍の空気が雪崩現象を引き起こしたのだ」と口にする選挙関係者もいた。市長選の怨念もあるし、林派の意地みたいなものが形としてあらわれた。

 

  安岡については、毎朝毎夕、地元の豊浦小学校の子どもたちの登下校を見守っているとか、日頃からの地道な活動を見ている人も多い。選挙の時だけ交通安全の旗を振るとか、運動会や目立つ行事にだけしゃしゃり出て行くようなタイプではない。「特に目立った実績があったわけでもないのに」といったら本人や周囲が腹を立てるかもしれないが、この4年間で劇的に活躍したわけでもないのに、制裁をくらった災いが転じて一気にトップ当選に躍り出たのだ。もともと上位当選の常連ではあったが、今回は大差をつけて突き抜けていった。前回トップ当選だった前田晋太郎の得票数をも上回っている。

 

 林派としては板谷も全面バックアップしていた。前回選挙で最下位から2番目だったのが一気に700票以上も上乗せした。山口合同ガスが力を入れていたほかに、サンデンの営業所にもしおりが山のように置いてあった。林派県議の塩満が連れて回った地域もある。

 

  本池陣営については、下関市民の会が愚直に活動してきた基盤も確かにあるが、それ以上に街の無数の人人からの援護射撃がすごかったのが特徴だ。本当に押し上げられた結果で、この街の有権者の思いがひしひしと伝わってくるような選挙過程だった。得票数としても痺れる結果になった。後援会員のもとに足を運び、丹念に市政への要求や思いを聞いて対話するのと同時に、選挙期間は90回の街頭演説をやり、名前の連呼だけではなく真面目に訴えを届けることを徹底していた。「もっとやれ!」「思い切って頑張れ!」という叱咤激励であって、3135票というのは重い期待を背負ったことを意味する。緊張感を持って努力し続けなければならないということだ。有権者はしっかりと見ている。街頭で訴えた約束を驕ることなく実行していくことが大切だ。あの議会の体質からして最年少の28歳を潰す力も当然働くだろうが、3135票に支えられたという事実は極めて重い。演説を通じて街頭で鍛えられた力に確信を持って、しっかり頑張らないといけない。

 

  あと得票を増やした議員でいえば井川がいるが、これは主に組織票と見られている。議員活動によって自力で増やした要素が乏しいからだ。選挙終盤に「井川が危ない」ということで安倍事務所がテコ入れしている様子が話題になっていた。選挙模様や空気を捉えながら、その他の泡沫候補の梯子を外して、3日前あたりから一気に調整を加えるのはいつものことだ。しかし、その組織票も人口減少の煽りなのか時代の変化なのか読めなくなっている風だ。

 

  それ以外はほとんどの議員が得票をガッポリと減らしている。これは下関市議会という存在自体への不信任にも見える。選挙期間中も街のなかでは「低レベル選挙」という評価が定着していたが、投票率が下がり、その結果当選ラインが下がり、初めて1000票台で当選者が出る始末だった。この低投票率のおかげで、前回選挙なら落選していたのが6人も当選したのだ。

 

 日共市議団は「4議席を守り抜いた!」と自慢しているが、そのなかに1000票台が3人もいる。投票率が60~70%の選挙なら、恐らく4人まとめてはじき出されていた関係だ。4人の市議団の前回得票の合計は1万148票だったが、今回は7574票とめっきり減っている。年配層が多いせいなのか、組織としての衰えがすごいことを感じさせている。

 

 JP労組が支援していた濵岡(元豊浦町長)も落選ギリギリだった。連合系では国民民主党の酒本(県議選に転身)の後釜として東城しのぶが無所属で出馬したが、「トップ当選だ!」と陣営関係者が叫んでいた割には、その必要票数の半分という結果だった。連合のなかでは三菱や三井東圧、神戸製鋼などの基幹労連がバックアップしているといわれ、県議を引退した加藤寿彦がついていたようだが甘くはなかった。連合関係者の合計得票は、前回は神戸製鋼の菅原も加えた4人で9908票だったのが、今回は3人で6475票にまで減った。神戸製鋼の票はその他の候補に逃げていったということだ。

 

  もともと神戸製鋼の選挙は労使一体のもので、菅原といっても会社丸抱えだった。下関の地協あたりが組織票の割り振りを決めたところで、神鋼本体が従う義理などない。関係者に聞いてみると、「会社推薦の形」「組合推薦という形で」等等を巡ってゴタゴタしていたが、しおりが回っただけで集めようとはしなかった。菅原の時は「5人以上書いて出せ」と後援会員獲得が呼び掛けられ、何度も指示が下りるだけでなく、組合青年部や執行委員は後援会員回りをしていた。今回は何もしなかった。連合系もまた、投票率が60~70%のような選挙だったなら、JR労組の山下隆夫も含めて振るい落とされておかしくなかった。会派消滅、所属議員消滅の危機を、かつがつ低投票率の選挙によって守られた関係だ。

 

国政の先を行く低俗化

 

  そのように低投票率様様で、恩恵を被った当選者がゴロゴロいる。それが今回の選挙結果の重要な特徴だ。自民党所属の候補者たちも震えなければならない結果だ。新議会発足というが、決して威張れたものではない。みんなして反省しなければならないものだ。右へならえの一元代表制だと以前から指摘してきたが、下関市議会のようなものがあったとして、何の役にも立たないと多くの有権者が幻滅している。一方で、その政治不信をもっけの幸いにして寄生的な者たちが市議会議員という役職にしがみついている。きわめて悪質だ。低レベル選挙、低投票率でなければ議員になれない者が議員になっていく構造ができあがっている。いまの国会と似たようなものだ。

 

  けしからん話なのだが、投票率が下がることについて、「当選ラインが下がる!」と喜んでいた陣営もあったくらいだ。そりゃ喜ぶはずだと選挙結果を見て実感させられた。本気で選挙を勝ち抜いていく気概を持ち合わせておらず、低投票率依存が染みついてしまっている。その旨みが癖になっていることについて、多くの有権者に知ってもらいたい。以前は下関市議選の当選ラインは2500~3000票といわれていた。それが選挙の度に引き下げられ、ついに1700票台まで落ちてきたのだ。街角の評価通り、選挙の質が低レベル化して、議会も必然的に低俗化する。低レベルに依存してより低レベルになるという悪循環にはまっている。国会と似たようなものだというが、本当にそっくりなのだ。

 

  選挙期間中はみんなして名前の連呼に終始し、有権者を激怒させていた。選挙に行かない6割のもとに訴えを届ける努力がまるでなかった。街頭演説をはじめ、本来当たり前と思われていた選挙における営みが消え去り、低投票率こそが勝ち抜ける術なものだから、組織票に乗っかって名前を連呼するだけというふざけたものに変質している。喉をからして支援を訴える努力すらサボっている。その怠惰な姿勢がけしからん! と有権者は思っているのだ。自分は何のために立候補して、何がしたいのかを真剣に訴え、そのために支援してくれとお願いしないといけない。「僕が議員になりたいから応援してくれ」では「一昨日来やがれ!」と思われるのは当然だ。何のために政治を志しているのか、その動機が見透かされている。

 

  訴える言葉を持ち合わせていないのか、はたまた何も考えていないのかのどっちかだ。これは長年にわたって一元代表制のもとで弛緩してきたことがおおいに影響している。自分の頭で考えて行動していくのではなく、何事もトップダウンで決められた結論に賛成するだけという体質が、創造性や意欲性を阻害している。そして選挙まで、みんなで同じように名前の連呼だけを延延とやっている。信じられないような光景だ。だから有権者がしらけて投票率が下がるのだが、それこそ低投票率が蜜の味になっている。議会の質低下の原因についてはきっちりとメスを入れないといけない。自称市民派とかリベラルを標榜する連中も含めて、安倍一元化市政のもとで綺麗に飼い慣らされているのを市民は見ているのだ。そのもとでまず第一に自由さがないし、民主主義が窒息している。6割の有権者を排除し、政治参加を促さない方が都合が良い構造に落ち着いている。この状況は国会よりも先んじている。

 

  自民党推薦の新人については、陣営がまるで体を為していないところがあったのも特徴だ。いくら安倍事務所が「今回は○○をやってくれ」と組織的に依頼したところで、本人や陣営が素人丸出しではどうにもならないことを露呈した。一定の数を自分の足で踏み固めて、なおかつ組織票の割り振りで当選まで引き上げるというのが定石だろうに、すべておんぶに抱っこを期待したのだろうか? と思うような陣営もいた。選挙カーすら走らせていない人もいたし、指南役はいないのだろうか? とかわいそうに思うような光景だった。そのような陣営は必然的に淘汰された。やはり候補者自身が足を使って、有権者のなかを歩く努力がもっとも必要だ。鍛えられずして当選だけ願望する魂胆がそもそもよこしまで、有権者を愚弄してはならない。

 

不信任議会からの出発 全議員は自覚せよ

 

  全般としては先ほどから指摘されているように低レベル選挙になった。しかし、当選して有頂天になっている候補者もいる。市議選の翌日にあった当選証書授与式では、さっそく共産党の下位当選者が安倍派や林派の議員たちに握手を求めてはしゃぎまわっていたことが役所界隈で話題になっていた。当選した議員たちが一同に会すわけだが、あのような振る舞いが恥ずかしいことだとは思わないらしい。「安倍一強体制に挑む」などと叫んでいた翌翌日には、ペコペコと頭を下げてへりくだっているわけで、すごい精神構造をしている。それを見て安倍派も林派も笑っている。

 

 A 党としての得票が危機的なまでに激減していることよりも、自分の当選がうれしくて仕方がない心境なのだろう。それを見て、市職員たちはドン引きしている。あの体質は恐らく変わりようがないので、次の選挙ではさらに基盤が脆弱になって議席を減らすのだろう。事情も知らずに「我が党が4議席死守」などと喜んでいる人には、「次は2議席が現実では?」と教えてあげたほうが親切かもしれない。下関で日共市議団が安倍支配に対抗する野党勢力などと見なしている者はほとんどいないのが現実だ。安岡潰しには執念を燃やす安倍事務所が、日共市議団については脅威として目に入れていないし、市議会でもたいした追及などしないのだ。むしろモノ欲しさを漂わせながらペコペコしてにじり寄ってくる存在なのだ。生活保護利権や市営住宅利権に目がないとか含めて、一言で表現するとさもしい。その斡旋を通じて得票を稼ぐなら貧困ビジネスと変わらないではないか。選挙期間中の演説内容としても「恵んでくれー、恵んでくれー」と聞こえてどうしようもないと話題にされていたほどだ。口の先で語る政治理念以前に、ちょっと真面目に党としての体質を考えた方がいいと思う。

 

  選挙結果を見た地元事情通たちのなかでは、「見る人が見れば安倍事務所の敗北、作戦失敗がありありと伝わってくるものだ」と話題になっている。今後は頭数からすると公明党を従えた安倍派が議長ポストを奪取するのは疑いないが、議長の戸澤もあんなに得票を減らして格好がつかない。「議長でござい」とふんぞり返るのもいいが、関谷以上に足元がぐらついておるではないか。

 

  いずれにしても新議会は発足した。有権者としてはきわめて厳しい結果を突きつけ、議会全体としては不信任からの出発といえる。議会制民主主義とは縁もゆかりもないような一元的支配の市政・議会だが、市民世論によって突き上げて物事を動かしていく以外にはない。この選挙の結果が何を物語っているのか、市政にかかわる者は真剣に捉えることが必要だ。

 

 低俗な議会になってしまっているのなら、低俗でない議会にしていくための努力をしないと、ますますダメになっていく方向を幇助してしまう。批判すべきは批判を加え、議員たちに自覚させなければならない。そして個別利害の奪い合いではなく、公共性を打ち立てるように迫らなければならない。市政は安倍派のものでも林派のものでもない。市民の暮らしのために機能しなければならないという当たり前の道理を貫かせることが必要だ。

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