いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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認知症に対応力を持つ社会へ  柳田明(神奈川県川崎市・柳田診療所医師)

 高齢化社会といわれて久しい昨今、65歳以上の高齢者のうち認知症を発症している人が推計15%で、2012年時点で約462万人にのぼることが厚生労働省の調査で明らかになっている。高齢者の認知症対策や介護の問題は個別家族だけの問題ではなく、大きな社会問題となっている。神奈川県川崎市の医師・柳田明氏は「認知症対応力向上」のとりくみを進めており、その経験を各地で講演している。1月23、24日には沖縄県内の2カ所で講演をおこなった。その講演内容を紹介する。
 

 川崎市で40年近く開業医をやっている。大学で外科修行中に針刺麻酔に関心があり、西洋医学的治療と漢方治療の併用を医学の未来に考えていた。日本の医療法では鍼灸が保険で認められないため、無料で鍼治療をおこなっていた。そういうなかで、県から針灸治療は認めないといわれ、行き詰まっていたときに地域の患者が町内会などへ働きかけて「遅れているのは行政の方だ。西洋医学と東洋医学を一緒にするのはあたりまえだ」と声を上げ、住民が行政を圧倒した。それがきっかけで、もっと地域のことを学び地域に密着した医療をしていこうと、柳田診療所の方向を決めた。
 その後、地域の婦人会の方から「特養が少なくて困っている」との意見が出され、最終的には皆でお金を用意して施設をつくった。明寿会という会をつくりデイケア室、デイサービス室、グループホーム、居宅支援事業所をおこなっている。
 私が認知症ケアを訴えていく必要があると思ったきっかけは、昨年2月に川崎市の多摩川で中学生の殺人事件が起きたことだ。その事件が起きた場所は、私たちがお年寄りを連れて行く公園だった。2月の寒い日に10代の子どもが、中学1年生の男の子を裸で泳がせて首をカッターで切り、殺した。その子どもはデイケアに来ているお年寄りの目の前に住んでいる子だった。まさかこのようなことが起きるとはと驚いた。その後、川崎市の「Sアミーユ川崎幸町」という老人ホームの上階からお年寄り3人が転落死した。全国展開の有料老人ホームだ。なぜこんなことが起きるのか、何か問題があるのではないかと思った。
 中学生が殺されたり、年寄りをベランダから落とすという事件に対して、もっと人を大事にするような世の中にしないといけないと思った。そして、ぜひ今の介護の問題を世間に知ってもらおうということで、私たちは活動を始めた。最初は施設の文化祭で、地域の婦人たちと全国で介護の仕事を通じて学んだことを伝えていこうと話になった。そのためにも地域で認知症で困っている人にどのように対応したらいいのか考え、認知症への対応力を向上させようとなった。

 認知症って何だろう 思考中枢の前頭葉萎縮

 まず「認知症って何だろう?」ということだ。認知症の方の脳のレントゲンをとると、頭の前の方にある前頭葉が萎縮している。前頭葉は人間が思考したり、創造、情操などをつかさどる中枢的な役割を持った場所で、そこが萎縮しているのが認知症だ。人間は前頭葉がもっとも発達している動物だ。認知症の方は短期記憶障害(とくに短い期間の記憶を思い出すことができない、新たなことを覚えることができない)がある。80歳の人で短期記憶障害になると、自分が元気だった50歳のとき、あるいは20代の結婚する前などの記憶になるので、現実を判断する力がない。未来を心に浮かべる、未来について思う、部分の大脳前頭葉細胞が障害を受けている。一歩先も一歩後ろも見えない断崖絶壁を思わせるような暗黒の心象生活だ。人間にとって未来が見えないことほど苦しいことはない。認知症の方はそれができないので非常に不安や恐怖に襲われる。だから人によってはストレスになって大声で叫んだり、妄想や徘徊、興奮などが起きてくる。認知症の方は不安の塊だということを抑えておく必要がある。
 ある認知症の絵描きさんが自分の心象風景を描かれたことがある。周囲は漆黒の暗闇、街灯の下にたたずむ絵描きさんの足下30㌢だけが明るい。前後左右は墨を流したように黒く塗られた絵だった。それが認知症の方の気持ちであることを知ってあげることが必要だ。
 認知症にはきっかけがあるといわれる。例えば大腿骨を骨折して退院したら別人になって物忘れがひどくなったり、自分の大事な息子が交通事故で亡くなったという精神的ショックだったりする。そのために眠れなくなるということもよくある話だ。人間は昼があって夜があるというリズムのなかで生かされている。睡眠をとらないのは大脳への大きなダメージになる。
 定年退職したら呆けてしまったというのもめずらしくない。職場を失った人間は手からの刺激を失い、社会的集団活動の一員としての役割を失って、意欲・気力を失う。そして大脳活動を支えるための求心性の維持刺激は極端に流入がなくなる。その結果がいわゆる廃用性萎縮(さまざまな心身の機能低下)であり、おまけに仕事をしないから、大脳が必要とする比較的膨大な栄養摂取はどんどん低下する。共通しているのは地域社会と離れ、家に閉じこもって人間付き合いが遮断されるといった環境の変化だ。

 認知症の原因 手と集団労働の重要さ

 認知症の原因にふれると、3つの要素があると思う。人間は手を使う動物だ。手からの刺激は大脳の活動に与える割合が非常に大きい。そのため手は第2の脳ともいわれる。人類の発達は手からの情報、刺激が大きくかかわったといわれている。エンゲルスが書いた『猿から人間になるにあたっての労働の役割』にもあるが、猿が地上に降りて手を使い、そこからの刺激で人間の大脳新皮質が発達した。
 そして集団労働が人類を進化させてきた。人類の発展史の結実として大脳を振り返ると、人類には集団脳、集団欲がある。人類が地上で過酷な環境変化のなかで生き延びて発展し、万物の霊長となったゆえんは「集団」であった。人間は一人では生きていけない。
 また猿の時代は木の実などを食べていたが、地上に下りて2足歩行を始め、手を使うことによって動物の肉つまりアミノ酸をとるようになり、栄養も豊かになって人間の成長が保証されてきた。年をとったら栄養はいらないという人もいるが、やはり動物性タンパク質などはしっかりとることが大事だ。それを通じて大脳の発達を促し、なおかつ2足歩行で背骨が発達して大脳の発達を保証する。
 このように認知症の原因となる3つの要素を逆に考えると、仕事から離れない、社会から離れない、栄養をとることを大事にすれば、認知症の予防につながり、認知症の進行を抑えることができるということだ。人間が発達した歴史から考えて、現代社会は年寄りに対して異常な扱いをしていると思う。だからできるだけ仕事を続けていただき、社会的な役割を持っていただく。それは集団欲を満足させるし、成長を促し認知症を防ぐことになる。
 時実利彦氏が書いた「脳と人間」という本の中に「オオカミ少年」のことが出てくる。赤ん坊が森に捨てられ、オオカミに育てられた人間の子どものことだ。人間がオオカミの洞窟環境生活で2足歩行を中途挫折した場合、大脳前頭野の発達は止まる。救い出されたときは人間の言葉もしゃべらず、4つ足で歩き、オオカミのように吠えたという。手がただ地上で身体を支える役割だけになったということは、人間としての発達を妨害することになる。例えば目隠し状態を五年ぐらいしていると失明するといわれている。つまり神経は刺激がないと萎縮していくのだ。このオオカミ少年の話は、現代の私たちに生かされると思う。
 認知症になると医者はアリセプトなどの薬を出す。その薬を飲んで害にならない人もいるが、飲んだために逆に興奮したりめまいやふらつき、イライラが出てくる人もいる。そして薬をやめると元の元気な状態に戻る。認知症の薬は効果は低いし、薬による逆効果で苦労されている方がいることも伝えておきたい。

 認知症の予防・回復 手の刺激と集団脳刺激

 私たちの施設では、認知症を防ぎ、回復をめざすために、手の刺激と集団脳を刺激する「もしかめ体操」をおこなっている。毛糸のリリアンを使った集団ケア、集団体操だ。手の柔らかな刺激を感じてもらう手のスキンシップとしてスウェーデンで始められた「タクティールケア」は個人個人の単位であるが、それを10人、20人ぐらいに拡大した「集団タクティールケア」だ。集団で輪になって柔らかな毛糸を袋編みにした紐を手の代わりに握ってもらい、毛糸の紐が回ることでお互いが集団として感じてもらうことをねらったものだ。1人ではない仲間がいるのだという感覚を感じてもらう。集団で「うさぎと亀」「荒城の月」「桃太郎」「戦友」などのなじみのある歌を歌いながらやる。認知症が強い人はしっかり握りしめて毛糸の紐を回さない。このような場合は隣の人から教えてもらうとか、手の指を開いてもらって毛糸を回しやすくするなどしている。認知症の方は静かに目をつむった状態でおられるが、手の刺激、集団の刺激によってだんだん明るくなっていく。
 この「集団タクティールケア」を通じて発見したことがある。今までつながりもなく、座って輪になって話したり体操をしていたころよりも明らかにリラックスできるようで、認知症の不安が解消されてくる。集団ケアをやってお互いのなじみをつくってあげることで、互いに自分1人じゃないんだということがわかるとニコニコしてくる。今まではイスに座って落ちついたかなと思って「お風呂に行きましょう」「リハビリに行きましょう」といっても嫌だと拒否されていたが、リリアンで手をつないでしばらくして風呂へ誘導すると、100%近くが入浴やリハビリへ移動してくれる。
 私たちの施設は2階に風呂があり、リフトを使って上がるのがいつもひと騒動で、悪循環が続いていた。だが互いのなじみができると利用者同士で助けあうようになり、今はニコニコしながら風呂やリハビリができるようになっている。集団活動の力だと思う。
 また栄養をしっかりとっていただくために、給食ではできるだけ白米だけでなく、玄米を混ぜて食べていただいている。お年寄りは甘いものが好きなので沖縄の久米島の黒糖をお茶に入れたりもしている。また「第二心臓体操」をやっている。「第2の心臓」といわれるふくらはぎを鍛えている。かかとを上げることで血管が収縮作用を起こして心臓の働きを助ける。
 歴史的に大脳前頭野をつくってきた手が、今度は大脳前頭野の廃用性萎縮を刺激回復させようということである。手の刺激ルートと前頭野細胞とは物質的に確実に存在している。

 子や孫たちの未来へ 高齢者は地域の宝物だ

 今回、川崎市の老人施設で3人の高齢者が亡くなったことは信じられなかった。というのも私たちも通所サービスをやっているが、家族に対しては「もし限界が来たら施設に入れなさい」といってきた。それは認知症を抱えて苦しんでいる家族が、肉親を殺して自分も一緒に死んでしまおうという事件がひん繁に起こっているからだ。その施設がなぜ年寄りを殺すようなことをしたのか。私自身もどうしたらいいだろうと考えてみた。
 1つは現在の介護教育の問題が大きいと思う。私が回想法をやるなかで学んだことは、お年寄りにとって戦争は切っても切れないということだ。「戦友」という歌を歌いながら戦争体験を聞いている。8月15日が近くなると、自分の戦争体験を語ってくる。仲間3000人が乗った南方行きの輸送船が沈没したという体験を話してくる。お年寄りは経験の結晶だ。「老人を失うことは図書館を失うことに等しい」とよくいわれるが、まさにそうだ。それだけ高齢者は地域の宝物なのだという意識を、社会が子どもに伝えていく教育をしていかないといけない。
 目の前のお年寄りは白髪で衰えた姿だが、その裏にどんな経験があったのかを若い人は知らない。またそういう教育をしていない。だからヘルパーになってもお年寄りを大事にせず、平気で介護施設の中で放り投げたりするようになるのだと思う。メディアが「年寄りは金食い虫だ」と煽る影響もある。子どもたちの教育やテレビでももっと大事なことを若い人に伝えていかないといけない。高齢者が身の危険を感じる社会になっている。
 私たちは月に1回、介護体験を聞く会をしている。そこではじめて介護が始まるという人に対して、介護経験者から話しをしていただく。それが非常に役に立っており、喜ばれている。困ったときは1人で考えずに、いろんな経験者がお互いの知恵を集めて助けあうことが大事ではないか。
 文化祭のときにも戦時中の写真や沖縄戦の写真などを展示しているが、川崎でも空襲で1700人の方が亡くなっている。川崎の空襲について利用者からも体験を聞くことができた。その戦争の実態を見ても、アメリカの意図が見えてくる。戦後70年たったが、日本はアメリカの植民地になっていることも明白だ。
 年寄りから教わったことは、生きて生活することはたたかいなんだということだ。間違ったものとはたたかっていくということをこの仕事をしながら日日教わっている。日本は捨てたもんじゃないと感じる。私たちの仕事は、老後を豊かに過ごせる社会をつくることだと思う。戦争体験者のお年寄りの命をかけた生き様に肉薄し、彼らが伝えたいと訴えてきたことを実現させなければならない。
 私たちが地域のお年寄りのお世話をしているのは、同時に地域の子どもたちのためであり、私たちの子や孫たちが未来あることを確信し、地域の後継ぎとして生きてもらいたいためでもある。年寄りが喜ぶ姿を見ると子どもたちも元気になる。逆に年をとったらないがしろにされるようなことを子どもたちに見せては悲しむと思う。お年寄りが笑顔になっていくような、そういう社会をつくっていこうではないかと考えている。

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