いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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記者座談会 熊本を東北の二の舞にするな 棄民状態に置かれる被災地

  熊本大地震の発生から4カ月が経過した。商業メディアからはほとんど現地の実情は伝わらず、あたかも「復興に向かっている」かのような印象を与えているが、倒壊家屋はほとんどが手つかずで、数万人の避難者たちは置き去りにされ、いまもまだ避難所での段ボール生活や車中泊、テント生活を送っている住民も多い。町の復興どころか住民の生活再建の道筋すら立っていないのが現状で、多くの住民が難民化し「東北被災地の二の舞い」になろうとしている。本紙は、四カ月経った熊本現地に取材に入り、被災地の実際と国の救済措置や復興政策の問題点について記者座談会で論議した。
 
 ないがしろにされる国民の生命・安全 ODAやめ被災地に資金を回せ

  まず、4カ月経った熊本被災地の実情はどうか。
  震度7の地震を2度受けた益城町は、崩れた家屋のほとんどが手つかずのままで地震直後と風景が変わっていない。道路は車や人が通れるようにはなっていたが、ガレキは撤去というよりも道の脇にかき分けたという程度で、倒壊家屋の周辺にガレキが積み上がったままになっている。地元の人たちも4カ月経った現状を「見ての通り」と一言でいい表していたが、まさに言葉を失う状況だ。少しずつ以前の生活がとり戻されているというよりも、人がいなくなり、商店も崩れたままだ。町にはまだ生活感がない。
  住民にとって最も切実な住居の問題が今も解決していない。学校などの避難所は徐徐に閉鎖されて、総合体育館など2カ所に集約されており、4000人以上いた避難者は600人にまで減っている。マスコミ報道では学校が再開することだけを「復興している」ととりあげるが、住む家のない人は避難所を転転とせざるを得ない。仮設住宅やアパートなどの「みなし仮設」に入れず、避難所を出ても、ほとんどが「要注意」の家に住んでいたり、ブルーシートのテントや農業用のビニールハウス、プレハブ小屋などで生活しており、車中泊という人もまだいる。民間のボランティアが建ててくれた小屋で高齢者がエアコンもなしで一人で生活していたり、とりあえず雨露をしのぐ生活で、この先どう暮らしていくかなど考えられる状況ではない。水道も復旧しておらずホースで消火栓から引いている場所も多い。
  益城町の場合、仮設住宅は8月中盤までに1285軒建てられている。「町民のニーズに合わせて」といって徐徐に増やしているものの、5600軒以上も住めない家があることは最初から分かっている。仮設の入居条件も当初は「大規模半壊以上」であったが、全壊だろうが半壊だろうが「住めないことはどこも同じだ」とかなり批判が出て「半壊以上」に規定が変わり、ようやく仮設の建設数も見直されるという状況だ。だが、仮設に入っても、光熱費も家電なども自費負担であるため、手持ちのお金がない人は、鍵をもらっても入ることができない。
 益城空港の近くの仮設住宅は、交通の便も悪く、買い物難民になるため、初めに募集をかけたときには応募数が上限に満たなかった。そこで急きょ家電製品などを完備し、送迎バスも運行するなどの条件で再度募集をかけたら今度は逆に応募が殺到した。それでも高齢者が多いのに仮設住宅がバリアフリーでないとか、車イスでは入れないトイレになっていたり、暮らしに困っている人は大勢いるのに、実際にそこで暮らす人たちのことを考えられていないことにみんなが幻滅している。国が定める基準の厳格化だけが求められるが、それが住民の実際にことごとく合致しない。対応が後手後手で、若い人ほど町内での生活をあきらめて外へ出て行く効果になっている。
  避難所で生活している女性の一人は、「仮設の鍵をもらったが、家電も需要が上がり、手に入らない。この時期クーラーと冷蔵庫がなければ仮設に入れても生活できないから鍵を持ったまま避難所で暮らしている。だが、鍵をもらって2週間経つと避難所で食事をもらうことはできなくなった。早く避難所から出すことしか考えていないようだ」と話していた。
  益城町では、5600軒ある全壊・半壊家屋の解体が滞っている。町が解体費を肩代わりする「公費解体」の申請を受け付けているが、受理されても「解体は最大で2年後になります」といい渡されており、みな途方に暮れている。実際に公費解体に応募した大規模半壊以上の2600軒のうち、着手したのはわずか60軒だ。「このままでは2年以上かかる」というのが町民の実感だ。
 被災直後から町や県が建物の被害調査をし、罹災証明書の発行も2~3カ月かかっている。行政はどれだけの家屋が被害を受けたのか把握しているにもかかわらず、それから住民の申請を受け付け、また個別に審査をして、公費解体の条件を満たしているかを確かめたうえで解体業者が作業に入る。解体業者も当初は11班しかおらず、今も30班程度だという。解体作業は一軒あたり長くて2週間以上もかかるため、とても間尺に合わない。業者不足も含めて行政の対応の不備をみなが感じている。お金のある人は自費で独自に業者に頼んで先行解体したり、自力でやる人もいる。「もう町にいっても仕方がない」とあきらめている人も多い。

 家屋の解体は2年後… 着手はわずか60軒

  個人で解体を依頼するにもお金がかかる。崩れた家の周辺を手作業で片付けていた50代の女性は「みんなのなかでは“解体は早くて2年後。4年はかかるのではないか”といわれている。それほど進展がない。こんなに崩れているが、これまで何十年と住んできた家だ。よその家にも迷惑をかけられないから崩れかけた状態のまま他の地へ出て行って放っておくことはできない。時間を見つけては避難所から通って、家の周りの草抜きやガレキの撤去をしている。見ているだけで忍びないが、どうすることもできない。夫は他界し、200万円もの解体費など用意できないし、全額保障されるかどうかも不明だ。お金がない者は公費解体の順番が回ってくるのを待つしか選択肢はないが、少しも事態の進展が見られないから次の一歩を踏み出すめどが立たない」と話していた。
 行政も「解体や片付けをしたいのなら自分でやってくれ」という姿勢で、盆を迎えるのに仏壇一つ家から取り出せない状態だ。解体するにしてもまず家の中から家具や電化製品は外へ出さないといけないが、その保管場所もない。高齢者は取り出すことすらできない。ボランティアも危険な家屋や解体現場には入ることができないため、ほとんどが放置だ。
  益城町役場のすぐ近くにある県道沿いの家屋の倒壊状況がとくにひどい。県が管轄する県道については、勝手に個人が解体できない。そのため倒壊家屋はそのまま放置され、今にも崩れそうな建物の下にブロックを積み重ねてかろうじて支えている家もある。交通量の多い町役場前の交差点にある傾いた家屋は町民から「もっとも危険」といわれているが、対応した県が解体するのではなく、崩れたときの「支え」として、一車線を潰して1本100万円といわれる鉄骨を六本建てた。住民が200万円以上の解体費用を出せずに手も足も出ないときに、莫大な金をかけて「応急処置」をしている。「なぜ解体しないのか」とみなが怒っていた。
  益城町で自宅が全壊になった60代の男性は今でも車中泊をしていた。「姉の家は半壊となり、いまだに水道も復旧していない。仮設住宅にも申請しているが3回も落選した。今は消火栓からホースで水を引いて半壊の家に住んでいる。母親は最近まで避難所で暮らしていたが、地震のときに頭を打っていたのと避難所暮らしの疲れもあったのか頭に血が溜まって手術をした。母だけでなくそういう人が何人も病院に運ばれている。自宅は全壊でそのままにしておくと危ないから、自分でチェーンソーを使って解体した。瓦礫は業者に運んでもらうしかないが、瓦礫を運ぶ場所も業者もおらず、そこから先はどうすることもできないのが現状だ。近所の家はみんなばらばらになってしまって、どこに行ったのかもわからない人もいる」と話していた。
 しかし議会では派閥の対立でせっかく決まっていたゴミ捨て場の予定地が覆り、またゼロから検討し直すなどまったく機能していない。「こういう非常事態で田舎のもめごとをやっている場合ではない」と不満を感じている人たちがたくさんいる。
  農業関係では、今年は水路や農機具が壊れてしまって作付けができなかった田畑も多い。農機具や農業施設は、修理に国の補助を受けることも可能だが、補助率は9割以内で、仮に数年後に耐用年数が残った状態で農業をやめる場合はその差額分を返却しなければならないという。だが、提出書類が膨大で、写真や3社以上の見積書、契約書、カタログ、図面、通帳や所得税確定申告の写し、さらには「営農継続と目的外使用防止のための確認書」など15項目に及ぶ。「農機具の修理は解体しなければならず、3社以上の見積もりなど不可能」「災害対応制度がまったく作られておらず、育成制度に毛が生えた程度。これで救済になるのか」と憤慨する人もいた。自助努力にゆだねて国や行政側のバックアップはなく、生活の再建とはほど遠い状況だ。
  2万8000棟が全壊・半壊した熊本市内でも、住居の問題は深刻だ。避難所はほとんどなくなり、9月15日ですべて閉鎖される。解体が進まないなか、4カ月が経ち、余震も何千回と発生しているため、家屋の被害状況も進行している。
 「一部損壊」だった家にはなんの補助もない。壊れた屋根にブルーシートをかけていても月日が経つなかで雨漏りを始めて屋根の断熱材が雨水を吸い、その重みに耐えられなくなり天井ごと落ちてきたり、壁のヒビがどんどん大きくなったり、詰まった側溝に雨水が溜まり30㌢も溢れたりと二次被害も拡大している。これからは学校も再開するが、通学路にもまだまだ倒壊の危険性のある建物が残ったまま。さらには台風のシーズンでもあるため、みなが二次、三次の被害を懸念しているがどうしようもないもどかしさを感じている。
  行政対応が後手後手で、みんなが困っている足下を見て法外な契約金を要求する悪徳業者も出回っているようだ。引っ越しやリフォーム、解体費用も値上がりし、瓦やブルーシートなどの資材も値上がり、さらに地震で地価が下がったと思っていたら、住める家がなくなり、みんなが住める家を探しているため不動産価格も上昇して、ただでさえ困窮している被災者を困らせている。アパートなどの「みなし仮設」は、家賃保障は2年を限度にして家賃6万円以内と定められているが、人数の多い家族ほど住居探しが困難を極め、崩れた家に住み続けるか、町を出て行かざるをえない。行政の放置政策とあわさって災害便乗型のぼったくりがはびこっているのも東北がたどった道と重なる。
  本震で壊滅的な被害を受けた南阿蘇村では、住民が熊本市との行き来に使っていた主要道路が通行止めになったままで開通の見通しが立っていない。阿蘇大橋の崩落の原因となった山崩れの土砂でいまだに国道が埋まっている。その土砂を除けば通行できるのだが、その工事も手つかずの状態だ。市内へ行くにはグリーンロードという広域農道を通るしかないが、通常の3倍の時間がかかる。カーブが多く、反射板も街灯もないため当初は事故も起き、住民の声で中央線が新たに引き直された。
 鉄道も豊肥本線は肥後大津駅までしか通っておらず、豊肥本線立野駅からの南阿蘇鉄道も運休したまま再開のメドが立っていない。また、南阿蘇全域で現在も山崩れの危険性がある。本震後もあちこちで山崩れが発生している。
 E 他の地域と同じく、南阿蘇でも屋根が壊れて住めない家が多いが、修理する業者がおらず、雨漏りし放題でこのままだと家全体がだめになる。旅館でも温泉が枯れたり、施設が壊れて閉店した施設がいくつかある。病院も、患者がいなくなって成り立たない。広い南阿蘇村で入院可能な病院が1軒もなくなり、救急時はドクターヘリで熊本へ運ぶというが、復興にはほど遠い状況だ。

 全国的に共通する課題 これで先進国か?

  メディアもまるで復興しているかのように報道しているが、現地は放置状態だ。東日本大震災から五年経つが今も仮設暮らしが続いており、全国どこでも地震・津波・火山噴火など自然災害が起きる危険性がある条件にありながら、何度国民を同じ目に遭わせるのかだ。自然災害だから発生することに関してはどうすることもできないが、その後の「復興」の過程で平気で「棄民」をやる。
 国民の生命・安全を守るとかいって防衛費に過去最高の5兆円とか、集団的自衛権とかを進めている。だがその実際は、いざ国民の生命や安全が脅かされる事態になったときに、自然災害一つとっても、被災地の人人の生命・安全を第一にして展望を見せて立ち上がらせていくような国、統治者としてのかかわりをやらない。東北も露骨だが、熊本も同じだ。壊滅的な打撃を受けた益城町だが、範囲としては小規模で、全国といわず九州地方の余っている重機をかき集めれば短期間で倒壊家屋も解体し、これからの生活のステップへの手助けができるはずだ。
  これほどの先進国で、なぜ被災者がいつまでもテントで難民キャンプのような生活を送らなければならないのかだ。消防退職者の男性は、「災害対応という場合、あとからなにをいわれようが、そのときの現場判断で住民の生命と安全の確保を最優先にするのがあたりまえのことだ。しかし、生きるか死ぬかという状況でも“国が定めた厳格な手続き”を求める。書類一つなければ補助一つ受けられないとか、調査に何カ月も要する。あれだけいる国会議員も県議も日頃から住民のために動いていないから非常事態に何の役にも立たない。役場職員には“助けたい”という気持ちがあっても動けないのだ」と話していた。
 H 現在放置されている被災地の現状や被災者の要望は、統治者として対応できることなのか、できないことなのかだ。絶対にできることであるはずなのに、救う気がないからやらないという話だ。業者も国が呼びかけて全国から集めれば、狭い益城町の家屋などあっという間に片付くのは疑いない。解体も家賃補助も定額制で、農業施設の修理補助にしても補助率九割というが、残り一割がなぜ出せないのか。「個人の私有財産だから公費負担できない」といい、行政も石頭でこのような緊急事態への柔軟性がまるでなく、対応できていない。災害に遭ったときに、「暮らしをどうとり戻していくのか」というところから計画・設計していかなければことは動かない。東北で行政機能がマヒしたが、それがわかっているのだから教訓にして対応しなければいけないはずだ。
  「被災地がかわいそう」という報道や風潮は直後だけで、あとは放ったらかしだ。「精神を病んで鬱になろうが自分の好きにしてくれ」という対応で、東北の被災地とそっくりだ。福島でも東電からの補償は結局誰も責任をとらないまま打ち切ったが、その金ですら国家財政で肩代わりしている。そして、東京の電気をつくるためにひどい目にあわせておきながら、今度はその悲劇を東京がオリンピックでよりもうかるためのダシにする。実際はなにもコントロールされていないし、数万人に避難生活を強いている。それで24時間テレビで思い出したように「被災地」を引っ張ってきて、ジャニーズが歌を歌ったり、オリンピック誘致のための「感動ストーリー」に使うのだからふざけている。
  東北の被災地はかなり広範囲だが、日本全国の自治体が第2、第3の被災地になりかねない可能性がある。苦しんでいる被災民に関心がなく「棄民」を平気でやるその目線はどっちを向いているのかだ。多国籍企業が海外進出ばかりで、国民が貧乏になろうが知らん顔であるのと同じように、統治の側が国民の生命・安全に対してどう向きあうのかがまるでない。ODA(政府開発援助)で東南アジアや海外に大金をばらまき、建設会社が海外へ出て行って「バングラデシュがかわいそう」といって恩を着せるが、その前に熊本だし、タイの道路を作る前に熊本の道路ではないか。「日本の伝統・誇り」というわりには、国民がどんなひどい目に遭おうが関心がない。その姿勢が東北や熊本で露骨に体現されている。
 D 商業メディアも、東北でも真実を伝えないし、熊本でも四カ月経った現状を伝え、住民の側から「復興とはいえない」という批判的な姿勢で政治と向きあっていく構えがまるでない。熊本の地元紙ですらなにも進まない現状について黙認していることへの不満は何人もの被災者が話していた。
 放置していたら益城町などは廃虚だけが残って住民が減り、復興の前に自治体が崩壊する。統治や官僚の側からすれば、コンパクトシティ路線で「いっそ益城など潰して、熊本に合併させたらいい」という調子だ。福島でも住民から土地を奪いとり、原発ゴミや核廃棄物の最終処分場にする方向だ。原状回復などする気はなく、熊本に視察に行った政府閣僚がまた「創造的復興」と謳っている。結局は「放置するか、食い物にするか」だ。南相馬の住民が「熊本は東北と同じ道をたどっていると早い段階から周囲の人たちと話になっていた」と語っていた。
  東北では、津波に浸かった地域は災害危険区域に指定されて建築規制が敷かれ、その地域には居住施設を建てることはできない。地域のみなが親戚の家や仮設、高台住宅へバラバラに移り住み、それまでの地域コミュニティをとり戻すことが難しくなっている。そんななかで、今後誰も住むことのない地域に10㍍以上の防潮堤を建てており「いったい誰を守るのか」と語られている。他にも岩手県の陸前高田では町全体をゼネコンが20㍍も盛り土をしてかさ上げしその上に街を造る計画が進んでおり、五年経っていまだ仮設暮らしだし、宮城県の牡鹿半島の雄勝では、かさ上げ計画の邪魔になるからと今いる仮設住宅から別の仮設住宅へと追いやられるなど、完全に災害便乗型で企業のもうけの種にされている。そして東京の企業が税金の恩恵を受けながら進出し、土地や経済利権を漁っていく。住民が望む「復興」と、国主導で進行している「復興」がまったく合っていない。放置することで住民をバラバラに離散させ、コミュニティを壊し、地域のまとまった声を上げさせないように弱体化させている。熊本もこのままでは同じ道をたどることは目に見えている。
  東北の現状を踏まえ、熊本でも住民たちの強烈な世論を発信していかなければいけないし、全国にとっても「熊本だけの話」では済まない。日本列島が地震活動期にあるといわれるなかで、今後第2、第3の東北・熊本にどこでも、誰でもなりうる。国は東京オリンピックのバブルに浮き足立っているが、いざ首都直下地震でも起きたときに、地方以上の惨劇に見舞われることは明らかだ。東北被災地とともに、熊本の復興はこれからの日本社会の進路を象徴的にあらわしている。住民生活を再建し、コミュニティを守り、農漁業をはじめとする1次産業を立て直すたたかいは、全国的な課題であり、全国的な世論を巻き起こさなければいけない。

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