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電気も作らず廃炉にもできない「高速増殖炉もんじゅ」

もんじゅ(福井県敦賀市)

 使い物にならない高速増殖炉もんじゅを巡って、廃炉作業の過程で、原子炉容器内の液体ナトリウムの抜きとりを想定した設計になっていなかったと日本原子力研究開発機構が明らかにした。放射能を帯びたナトリウムの抜きとりは廃炉初期段階の重要課題だが、そもそも廃炉を前提にした作りになっていないという驚くべき事実が浮かび上がっている。

 

 もんじゅは燃料の冷却材に液体ナトリウムを使用しており、一次系には約760㌧が存在する。水や空気と激しく反応するため、このとり扱いは難しいとされてきた。通常の原発は核燃料の冷却に水を使うが、もんじゅは核燃料中のプルトニウムを増殖させるため液体ナトリウムで冷やす。ナトリウムは空気に触れれば発火し、水に触れると爆発的に化学反応を起こす。

 

 原子力機構幹部は「設計当時は完成を急ぐのが最優先で、廃炉のことは念頭になかった」と、原子炉容器内の液体ナトリウム抜きとりを想定していないことを認めている。専門家は「設計レベルで欠陥があるといわざるをえない。炉の構造を理解している職員も少なくなっていると思われ、とり扱いの難しいナトリウムの抜きとりでミスがあれば大事故に直結しかねない」と指摘している。

 

 もんじゅ(出力28万㌔㍗)は1994年に運転を開始したが、95年に二次冷却系のナトリウム漏れ事故が発生し、それ以来、長期にわたって運転を停止している。その後も点検漏れなど不祥事があいつぎ、約250日しか稼働しないまま昨年12月に政府が廃炉を決めた。もんじゅ建設には約1兆円の国費を投じたうえ、その後の維持費だけで年間200億円を投入してきた。ところが、これほど巨費をつぎ込みながらまともに電気を作り出したことがなく、かといって解決策となる技術が進歩するでもなく、四半世紀近くが経過してみると廃炉にすらできないという、いい加減きわまりない結末を迎えようとしている。後は野となれの日本の原子力行政の無責任ぶりを端的にあらわしている。

 

 今年6月に政府のもんじゅ廃炉基本方針案が出たことを受けて、福井県は使用済み燃料の県外搬出を要望している。国内にはもんじゅの燃料を再処理できる設備はないことから、フランスなど海外に再処理を委託するのが最も現実的な選択肢となる見込みとしているが、この交渉は容易ではなく、燃料が行き場を失う可能性は高い。一般の原発から出る使用済み燃料は青森県六ケ所村の再処理工場で処理されるが、もんじゅで発生する使用済みのMOX燃料は対象外。日本原子力研究開発機構は当初、茨城県東海村のリサイクル機器試験施設(RETF)で研究をおこない、東海再処理施設で試験の一部を進める予定だった。しかし2014年に施設の廃止が決まり、この計画も頓挫した。その先にあった第2再処理工場の計画も立ち消えになったままだ。

 

 もんじゅ同様にMOX燃料を使った原子力機構の新型転換炉ふげん(敦賀市、廃炉)では、施設廃止を受けてフランスに委託して再処理する計画に変更した。しかし、この計画もストップしており、その後の進展はない。「もんじゅがふげんの二の舞になるのでは」との懸念は根強い。

 

 核燃料サイクル確立の要である高速増殖炉もんじゅが破たんし、青森県での再処理工場の建設も行き詰まっている。いまや原発技術が不完全なものであることは明白で、「安全」神話も核燃料サイクルの理屈も崩壊している。原発からの撤退が現実的な選択肢となっている。ところが、なお原発の新設をうち出しているのが安倍政府である。

 

 経済産業省は2030年までの「エネルギー基本計画」改定にむけた作業をおこなっている。11月28日、分科会長である坂根正弘氏(コマツ相談役)が50年までの原発活用を議論する方針を示したことなどを受けて、来春から原発新設や建て替えを含む計画について議論を本格化させるとしている。

 

 「エネルギー基本計画」は国の中長期的なエネルギー政策の方向を示す。2002年に成立したエネルギー政策基本法にもとづいて03年に初めて策定し、おおむね3年ごとに見直してきた。10年の計画では30年度に必要な電力の半分近くを原発でまかなう目標を立てたが、11年に福島第一原発の事故が発生した。当時の民主党政府は30年代に稼働する原発をゼロにする目標を掲げたが、アメリカから日米原子力協定をたてにストップをかけられた。12年の自民党・安倍政府の再登板で原発の維持推進に方針転換し、原発再稼働強行や原発輸出を成長戦略に掲げた。14年に決定した現計画では「重要な電源」と位置づけ、次世代の原発の研究開発も進める方針を示した。

 

 日本の原子力政策はアメリカの核戦略の一環として持ち込まれた。1955年に原子力基本法が成立し、核燃料サイクル確立を掲げて推進してきた。その計画の中核が高速増殖炉「もんじゅ」の建設だった。高速増殖炉はアメリカの原爆製造計画である「マンハッタン計画」の副産物として生まれたが、アメリカでは成功させることができず、未完の技術のまま日本に押しつけたものである。しかし、その後も未完のまま年月を浪費し、核燃料サイクルも飾り物になり、全国54基の原発は行き場のない使用済み燃料棒を大量に抱えることとなった。

 

 福島原発事故以後、世界的に原発からの撤退のすう勢となっており、アメリカでも高コストのため原発の新設計画断念があいついでいる。このなかで、なお原発に固執するのは、それがアメリカの核戦略の一翼を担っているからにほかならない。アメリカ政府は2018年に期限が来る「日米原子力協定」の自動延長方針を示しており、日本国内で原発政策を抜本的に方向転換するためには、この「日米原子力協定」の縛りから解放されなければ身動きがつかない関係がある。

 

 世界的にも前例がない未曾有の原子力災害を引き起こし、その傷跡も癒えぬうちに、後は野となれで国土を脅威にさらしていく無謀さ、さらに北朝鮮のミサイルを大騒ぎしながら、同時に標的となる原発を再稼働するという本末転倒について問題にしないわけにはいかない。もんじゅについては、巨費をつぎ込んで核のゴミを作り、そこで原子力村の利害関係者を養っていただけで、今になって「廃炉のことは考えてなかった」などと言っている。建設する側は、原発の墓場にされる立地点の住民の暮らしや、その地域の未来に対する責任について何も考えていなかったことを暴露している。

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