いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『水俣を伝えたジャーナリストたち』 著・平野恵嗣

 本書は、水俣病の経過を追いながら、半世紀以上現地に通い続ける写真家、本業から離れ患者を支えるジャーナリスト、会社の圧力に屈しなかった医者や学者などから聞き書きをし、彼らが一過性で終わることなくどのように真実を知った者としての責任をはたそうとしてきたかをまとめたものである。

 

 水俣の異変を最初に報じたのは1954年8月1日付の『熊本日日新聞』で、「水俣市の漁業集落で猫が気が狂ったようにキリキリ舞して死んでしまう」との記事を載せた。それ以前から大量の魚が海面に浮き上がったり、鳥が飛べなくなったりする現象が目撃されていた。それから2年後の1956年、漁業集落の5歳と2歳の女児が歩行障害や言語障害、脳疾患のような症状を発症し、5月1日、チッソ水俣工場附属病院の細川一院長が水俣保健所に報告した(水俣病発生の公式確認)。

 

 その後、熊本大学の研究班が1959年7月、水俣病は魚介類を摂取することによって起きる神経系疾患で、チッソ水俣工場の排水に含まれる有機水銀が原因と発表した。同年11月には沿岸漁民が操業停止を求めてチッソの工場に突入して警官隊と衝突し、3人が懲役刑に、52人が罰金刑を受けた。この時点で発病者78人のうち31人が死亡していた。それまで元気だったのに、突然手足がしびれ、不眠になり食欲がなく、言語が不明瞭になる症状が広がり、意識を失ったまま瞬きもせずベッドに横たわる少女のことが話題になったり、脳性小児麻痺となった胎児性患者の子どもたちが次次と産まれたりした。

 

 しかしチッソは有機水銀説を否定し、病気の原因も責任の所在も曖昧なまま、同年12月に患者家庭互助会と「見舞金契約」を結ぶ。死者に30万円の弔慰金と2万円の葬祭料、生存者には年金として成人に10万円、未成年には3万円という、当時としてもあまりに低額であり、しかも「将来、工場排水が原因と分かっても新たな補償の追加要求はしない」との確認までとっていた。この契約によって1960年代初頭には「水俣病は終わった」という雰囲気が振りまかれた。

 

 本書は、この時点からの良心的なジャーナリストや学者、医者らの奮闘を伝えている。あるジャーナリストはそのときの思いを、「学生運動のように理屈をこねるのでなく、患者の心根を学んでみずからの問題として受けとめ、患者の手足となって行動する」と表現している。

 

 実は、漁民の抗議行動や見舞金契約の直前の10月に、水俣工場附属病院の細川院長が、工場の廃液を混ぜた餌を猫に食べさせる実験をおこない、けいれん、よだれ、狂ったようにグルグル回るなど典型的な水俣病を発症したことを確認していた。工場幹部は実験中止を命じたが、細川院長は継続を強く主張した。それが写真家や学者の働きかけで明らかになり、細川院長は死の3カ月前の1970年7月、第1次訴訟の出張尋問でその実験のことを病床から証言した。

 

 また、あるジャーナリストが次のことを発見して報道した。公式確認の翌年の1957年、熊本県が「食品衛生法にもとづき、水俣湾で漁獲禁止措置をとりたい」と要請したのに対し、当時の厚生省が「魚介類全てが有毒化しているとの明らかな根拠が認められない」として却下していたのである。それによってその後も有機水銀は流され続け、患者は拡大し続けた。

 

 患者と家族の行動を先頭に、大衆世論の広がりによって事態は転換していった。1973年には、見舞金契約は「被害者の無知、窮迫に乗じて、低額の賠償とひきかえに被害者の正当な損害賠償請求権を放棄させたのは、社会の道徳観念に違反する」として「無効」との熊本地裁判決が出た。患者らによる刑事告訴を受けて、熊本地検がチッソの吉岡元社長と西田元工場長の2人を業務上過失致死傷罪で起訴したのは、公式確認から20年後の1976年5月。有罪が確定したのは32年後の1988年2月だった。ただし患者らは、殺人罪で告訴したのに、検察が交通事故と同じ業務上過失致死傷罪としたことに納得していない。

 

 また、不知火海沿岸から関西地方に移り住んだ未認定患者らが国と熊本県に損害賠償を求めた裁判で、最高裁は2004年10月、行政の責任を認め、国の判断基準より幅広く被害者を救済する判決を出した。しかし国は判断基準を見直そうとはしていない。それ以前に熊本県が「不知火海沿岸の47万人の健康調査」を国に提案したが、国が拒否したことも、別のジャーナリストが暴露している。

 

 本書をつうじて、声を上げることができぬ被害者を苦しめ続けてきた責任は、大企業チッソとともに、チッソに融資した銀行、後押しした国や行政、企業犯罪を見逃した警察や検察、真実の報道をしないマスメディアにあることが浮き彫りになる。

 

 本書のなかでジャーナリストの一人は「大手メディアの職員である前に市民であり、一人間、一社会的存在として、公害に対する怒りを持ち、世直しの一翼を担う」という覚悟が必要だとのべている。水俣病は公式確認から60年以上たつが、いまだ被害の全体像はわからないままで、多くの患者は苦しみ続けている。水俣病はもとより、福島原発問題であれ風力発電の低周波問題であれ、大企業と国によって住民がないがしろにされている切実な問題にジャーナリストや芸術家や学者がどういう立場でかかわるべきかを、本書は考えさせる。(浩)
 (岩波書店発行、202ページ、1900円+税)

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